童貞の美丈夫
――死体召喚
それはナナミの持つ、死んだ人間を召喚できる能力である。
人間界の戦いで死んだ兵士に限り、召喚者の命に従うことを条件に死者蘇生できるその能力は、その対象から無作為に選びだされた兵士を召喚することができるものである。それは時として人間界でも屈指の実力者である英雄と呼ばれる兵士を呼ぶことができる。その数は人間界の中でも一握り。人間界における英雄の発生率と同義である、死体召喚により召喚される確率は、100万分の1程度である。未だ数えるほどしか存在しない英雄たち。その途方もない確率を潜り抜けて召喚された英雄。
「こいつはッ……!」
ナナミは召喚陣から召喚される英雄を一瞥。一つの確信をもちながら興奮した声を漏らす。
彼女は死体召喚師としてある程度人間界の兵士の情報を知っていた。そんな彼女の頭の中に記録された彼らは、いわく最上クラスの英雄だと言う。
その英雄というのは――
「――『童貞であることを条件にどんな盾も貫く矛を持った兄』と『処女であることを条件にどんな矛も防ぐ盾を持った妹』」
「人間界における悲劇の帝国。凱帝国の最後の王族、――劉兄妹!!」
――それは、二人の兄妹であった。
「主よ。召喚に応じて参じました。名を、――劉 琳将。あなたの刃になりましょう。そして、私の命を捧げましょう」
召喚された兄の英雄、自らを劉琳将とその名乗る男は、聡明な美丈夫であった。弱く柔らかみのある黒髪を持ち、目までかかるほどの前髪と後ろに伸びる長い髪の毛が特徴的である。後ろ髪は一つに結ばれ、腰のあたりまで伸びるその姿は気品のある戦士としての雰囲気を醸し出している。
そして端正な顔立ちのこの美丈夫は、絹でできた派手な文様の服に身を包んでおり、そんな服を覆うように体を防護するための甲冑を装備している。
その姿は誠のいた現世の中華の戦士を彷彿させた。
「――ああ、お兄様。また会えることを嬉しく思います。私――劉 琳明。お兄様のために私のすべてを捧げます。……なので、お兄様が命を捧げるというのなら、私もあなたに捧げましょう。いいえ、最初に明言しておきますが、貞操は断ります。なので、この命のみを! あなたに捧げましょう。主よ」
対する妹は、これまた黒髪。化粧映えする顔のベースに上品に彩られた化粧細工は決して一人では成せるものではないのだろう。若年ながらも時間のかかった化粧が施されていた。
目元に描かれた朱色のアイラインが特徴的である。
自身では洗うことさえ困難な、丁寧に伸ばされた艶のある黒い長髪は、後ろ手に簪で結わえられており、品のある乙女を演出している。
彼女が羽織る天女の衣と合わさって、まるで姫巫女のような輝きを誇っていた。
しかし、そんな彼女の品のある姿形とは裏腹に彼女の目はひどく歪んでいた。それは兄に対する兄妹愛ゆえか、はたまたそれ以上の感情なのか、兄以外のものが見えていないその目は濁っていながらも透明感のある眼差しをしていた。
「これが『英雄』……!」
誠は彼ら二人の英雄の姿を眺める。
その姿は相対するだけで緊張感を放ち、視線を交わすだけで己の背筋が正されるほどであった。戦場を支配していたはずの人間陣営の空気は、逆に彼らによって支配される。空気が震えるほどの存在感を放つ彼らに、パルらの表情も強張る。
「なっ、んだよコイツらは……」
その目は勝利宣言をした時から一転、緊迫感に襲われた目に変わる。それぞれ力を込め直し、手にする武器を再び強く握りしめる。
「なるほど。此度の戦、貴君らが私の敵である、ということか。私は凱帝国の王子、劉琳将。悪魔としてこの世に再臨した者としてはいささか不適切な質問であるだろうが、……貴君らの国はどこであろうか。名乗りを上げよ」
召喚された英雄、劉琳将が言葉を放つ。丁寧で物腰柔らかい口調ではあるが、その言葉に気軽に応答できないような、見えない圧力が発されていてた。
「……そんなん答えるわけねーだろーが。悪魔になり下がった身のくせに、偉ぶるんじゃねぇ」
だが、そんな恐怖には怖気づかないと、汗ばむ拳を握りしめ、抵抗するように言葉を放つパル。その声は緊張で震えながらも、最後まで芯のある態度で言葉を言いきる。
「まぁ。お兄様になんて口をッ! あなた、殺して差し上げましょうか」
そんなパルの態度に憤慨するのは琳将の隣に立つ彼の妹、劉琳明。彼女は、裾の長い着物を手で押さえながら、ずかずかとパルの方へと歩みを向ける。
「――琳明」
琳将は怒りで我を忘れた琳明をたしなむように彼女を手で制す。
「あ、あううぅ。お兄様……」
「琳明。あなたが私を思うその気持ち、ありがたく思います。本当に私を思ってくれているのですね」
「はいっ! お兄様!!」
「……ですが、少し落ち着きなさい。乙女に相応しくない言葉使いは控えなさい」
「ううぅ。分かりました。お兄様。ごめんなさい」
「分かればいいのですよ、琳明」
琳将は柔らかい笑顔をこぼしながら、琳明の頭をなでる。
「うへぇ。お兄様ぁ……」
そんな琳将の笑顔にあてられて、琳明の顔にも笑顔が灯る。表情筋がゆるんで今にもとろけそうな顔をしている。
「なん、だってんだ。この兄妹は――」
ジークは兄妹のやり取りを不快感を露わにしながら眺める。そんな嫌悪感を拭いさるために、背中の鞘に納めている大剣の柄に手をやる。
「なんだって構わない。私達がやることはどうあっても変わらない」
眼鏡の奥で真剣な眼差しを浮かべるカイト。彼もそんな雰囲気に後押しされるように空間から小太刀を顕現させる。
「琳明。少し離れていなさい」
戦場に緊張感が走る中、琳将が隣に座り込む妹を優しく離し、ジークらに向かって立ち上がる。
「主よ。戦闘の許可を頂きたい」
琳将はナナミの方を向き、丁寧に言葉を伝える。だが、その言葉は頑とした圧力があり、ナナミに選択の余地を与えない。
「あ、ああ。頼んだ。英雄クラスの力、見せてくれ」
ナナミの返答を聞いた琳将は頷くと、腰に携えれた青銅でできた単剣に手を伸ばす。
「――では。いざ、参る」
そして、その一言によって戦いの火蓋が切られた。
琳将の先制により戦いが始まる。彼は単剣を鞘から抜くと、ジークの頭部に向けて一閃、瞬足の速さで剣線を浴びせる。
「ちっ」
それをジークは寸でのところで上体を屈んで躱す。頭上を通過していく剣線を、琳将の武器を見定めるように一瞥する。
そして、剣線が過ぎ去ったのを確認すると、反撃のための動作に移り変わる。
「おらっ!!」
砂煙を上げながら下から振り上げられるジークの大剣。それは攻撃を振り切った琳将の剣を持つ腕、隙ができた彼の右腕に向かって一直線に振り切られる。
「なるほど。大した反撃速度、といったところですね」
だが、それを余裕の表情で見守る琳将。手にした単剣の持ち手を逆さにすると、逆手に持ち替えた単剣の刃でジークの刃と正面から対抗する。
火花を散らしながらつばぜり合いをする両者の武器。下から突き上げる形で力を込めるジークと逆手に持った状態で対抗する琳将。どちらも無理な体制での力比べであったが、それでもお互いに一歩も引かずに歯を食いしばらせている。
「こんのッ! 力で負けるわけにはいかねーんだよ!!」
だが、ジークの方がその思いが上であった。自身よりも格上の相手に向かって懇親の力を込めるジーク。
「うらああああああ!!!!」
――つばぜり合いは、琳将が剣の力を受け流すことで終わったのであった。
「はぁ、はぁ」
ジークは息を切らしながら肩を上下させる。対する琳将は凛とした視線でジークを見据えていた。つばぜり合いはジークの粘り勝ちになったものの彼の方が体力を削られているのは明らかだった。
「……お前、矛使いだろ。なぜ単剣で戦う?」
だが、ジークはそんなことを気にもかけていない。琳将に鋭い視線を向ける。
「それが私の理念だからだ。確かに、私の真の力は矛を使うときにある。そして、私の持つ矛はどんな盾をも貫く矛。……だが、それを貴君に使うことはない」
琳将は落ち着いた様子でジークの戦意に向き合う。己が力を信頼している証拠であった。
「ご自慢の矛は俺みたいな三下には使いたくないってことか。舐めやがって」
「……そうではない。どのような者が相手であろうと私はこの単剣で戦ってきた。貴君だけを特別扱いしているわけではない。これまでと同じように今回も単剣で戦う。それだけだ」
「んだそりゃ。矛使いのくせに単剣で戦うだと。矛使いが聞いて呆れるぜ」
「確かに。その実、私は今まで一度しか矛を握ったことがない。だが、だからこそこの単剣こそが共に鍛錬し、戦場を戦った仲間のようなものである」
琳将は下を向いて自身の握る単剣を眺める。その目は長く伸びた前髪によって隠されているため何を思っているかを窺がい知れない。
「ゆえに、私のこの誇りある単剣で貴君を切り伏せて見せよう」
単剣を掲げてジークに戦意を見せる琳将。落ち着きをもった普段の彼の様子とは一転、彼の目というのは獲物を狩る戦士の表情であった。落ち着いた様子で隠していた、己の獣としての一面を全面に押し出した彼は叫ぶ。
「敬意をもって我が戦果の礎とする。覚悟はいいか、――人間よ」
左足に力を込めて地面を踏みしめる琳将。瞬間、音速をも置き去りにするほどの速度でジークに迫り寄る。
「なッ!」
目にも止まらぬ速度でジークの背後に回り込んで、彼の背中の方向から一閃、上に掲げた単剣を振り下ろし、彼の頭蓋を両断しようとする。
「くッそ、がぁッ!!」
ジークは剣線が頭に近づくのを見守りながら、とっさに足を後ろから蹴り上げると、背中に装備されている鞘の切っ先の部分をかかとで持ち上げ、頭をガードするように跳ね上げさせる。
そして、次の瞬間、琳将の刃とジークの鞘が彼の頭の上で衝突を起こす。
「ぐッ!」
その衝撃によって跳ね飛ばされるジーク。地面を転がりながら、後ろに構えていた岩場に激突する。
「ってぇなぁ……」
瓦礫を払いながら、ゆっくりと起き上がるジーク。額からは血が流れ、衝撃で脳内にダメージを負う。だが、頭を断頭されるという最悪の事態は免れた。
「なるほど。さきほどの攻撃といい、とっさの判断力がすさまじい。野生の動きに特化していると見える。よほど基礎能力が高いのだろう」
そんなジークのことを冷静に分析する琳将。細身の体でありながら、屈強な肉体のジークを圧倒するその姿は、まさしく格の違いを見せつけていた。
「はっ。何上から目線で物言ってくれてんだおい。今に見てやがれ。クソ野郎が」
ジークは激高の表情で琳将を睨む。
「事実、私の方が格上だろう。武力だけでなく、礼節もだ。名乗りすらしないものに負けるわけにはいかない」
「……そうかよ。こちとら卑しい家庭出身なものでね。どこまでも無礼にいかせてもらうよ。クソが」
そんなジークのことを不愉快そうな表情で見つめる琳将。
「卑しさを堂々と開き直るとは…… それが貴君の弱さの理由だ」
「ッんだと、この野郎がぁッ! ムカつくんだよ。てめぇ!!」
彼の態度に火をつけられたジークは、琳将のもとへと一線、怒りをあらわにしながら大剣を掲げて走り出す。
「地獄の番犬を屠る大剣!!」
そして、大剣を持ち上げると琳将に向けて鈍重の一撃を放つ。琳将はそれを金属音を鳴らしながら正面で受ける。避けられたはずの攻撃を避けなかった彼のその行動は、ジークの心を折るためのわざとものであった。
「よかろう。ならば、その心、説き伏せる」
鈍い音を鳴らしながら剣劇を繰り広げる両者。切り上げ、振り切り、薙ぎ払い、琳将の体に一太刀を浴びせようと休む間もなく切り込みにかかるジーク。それをすべて華麗に受けながし、逆にカウンターを食らわせようとする琳将。そんな視認さえ困難な剣の打ち合いは、だがしかし、ジークの方が徐々に不利な状況に追い込まれていくのが分かった。
「動きに陰りが出てきたぞ」
「ちっ」
琳将は一瞬の隙をつき、ジークの大剣の柄を払うように振りかぶる。そして、ジークの右手から大剣を引きはがしたのであった。
その衝撃で後ろに倒れ込むジーク。
「終わりだ。大剣の剣士。せめて名乗りを上げていれば、貴君の名前を語り継ぐことができように」
勝利宣言として、彼の上から剣の切っ先を向ける。その目には己の力を見せつけた獣の表情が見えていた。
そして、ジークの喉元を貫こうとして――
「はっ。死人のくせにどうやって語り継ぐってんだ。なぁ……カイト」
「――ああ、間違いない」
――彼の背後から忍び寄るカイトによる不意の一撃が炸裂したのであった。




