再びの相対
すべてが無に帰った戦場にて、人間と悪魔の視線が交錯した。
「人間界最大国セントライヒ王国第4代目国王ジョセフ・ロックミュラーの名の下に宣誓する――」
パルは胸に手を当て覚悟の表情を灯す。その宣言に応じて彼女の仲間、ジーク、カイト、ジュリアも彼女の後に続く。
「――世界にのさばり破壊と混沌をもたらす悪意の化身たち。悪魔なる者から世界の安寧を守るため、『勇者』の称号を与えられし我ら気高き四人は貴様ら悪魔を殺す」
彼女らはこちら側に控えるミクサ、ナナミ、ウェスパー、そして誠たちのことを粛清の対象として睨みつける。
「お前らの行為を魔界への領土侵犯とみなす。こちらも宣誓をしよう。速やかにお前たち人間を排除する」
それを正面から睨み返すのは悪魔。ナナミは野獣のように牙をむき、その目力で人をも殺せそうなほどの鋭い目つきをする。
ビキニアーマーの腰に携えられた剣の柄に手をかける。パルも手にした杖を前に、いつでも魔法を使えるように構えをとる。一触即発の重々しい雰囲気に包まれた空間で睨みあう両者。
そんな両者を誠はただ見つめていたのであった。
緊張で喉がカラカラに乾き、足はガクガクに震えている。戦士として、勇者として、この戦場にいる者は戦い、死んでいくことさえも覚悟している。あのミクサでさえも今は戦いに参じる戦士として覚悟を決めて相手に向き合っている。
それなのに誠だけがこの戦場で唯一戦いに臨む覚悟ができずにいた。
――誠はあまりにも弱かった。何もかもが足りていなかった。
「悪魔風情が一丁前に宣誓気取りか? 全く忌々しいったらありゃしない」
パルは眉間にしわをよせると、怒りを溢れ出すかのような目つきでナナミを見る。
「自分らを正義だと妄信して傲慢にも攻め込んでくる侵略者が。独善的で愚かな人間どもめ」
そんなパルに真っ向から応戦するナナミ。
「正義だと妄信してる……だと? は、ははは。ははははは!!!」
パルは顔に手を当てながら体を後ろに反らし、腹から声を出して笑う。手で覆われた顔の隙間から覗く目からは、見下しの感情が垣間見えた。
それを不愉快だと言う目で見るナナミ。
「何がおかしいんだ?」
「そりゃおかしいだろ。妄信も何も正義があたしたち側にあるのは絶対なんだから。お前ら悪魔は生きてる価値なんかない害悪なんだよ」
「なっ……んだと――!?」
「だってそうだろ? お前らが生きててなんの価値がある? おまえらは世界を悪魔の魔力で汚し、空を暗黒で覆い、草木を枯らし、生物を死滅させ、そして、世界に戦いをもたらした。醜悪な見た目で人を恐怖させ、その力を破壊に利用した! テメェらなんか生きてても何の意味もねーんだよ!!」
パルは口から唾を飛ばし、激昂しながら叫ぶ。彼女の目は怒りのせいでひんむかれている。口から覗く歯には、唇を噛んだことで出てきた真っ赤に染まった血が塗りたくられていた。
「くっ……」
だが、そんなパルの怒りの言葉にナナミは顔をしかめるだけだった。パルの言ってることが図星であるかのように、パルの言葉に何も言い返さない。歯を食いしばってパルの罵倒に黙って耐えていた。
「……だから」
だが、そんなナナミの横にいるミクサが割り込むように弱々しい呟きを漏らした。
「あぁ?」
ミクサの消え入りそうな声にパルは荒々しく反応する。
「――だから、魔界に攻め込んでくるの? 悪魔が忌まわしいから?」
感情を高ぶらせながら傲慢な態度で声音を放つパルのことを、それでも怖気づかずにまっすぐに見つめ返すミクサ。彼女の目は今にも泣きだしそうなくらいにしずくがたまっていた。両手を合わせて、眼前にかざし、祈るような恰好をしている。
「ああ、そうだ。お前ら悪魔は忌々しくて邪悪な存在だ」
「でも私たちはあなたたちに何もしてない――」
「――私たちはあなたたちに危害を加えていない。それどころか人間界に行ってすらいない! それなのに! ……それなのに、なんで――」
「うるせぇんだよ!! そんなモンは関係ねーんだよ。お前らは悪魔。そして、悪魔は忌まわしき存在。だからアタシらはおまえらを絶滅させる。それに理由なんていらない」
ミクサの言葉をパルは遮る。彼女はミクサの疑問を一頭両断する。ミクサのことを拒絶するように彼女を正面から睨む。その目には、正義が宿っていた。そして、怒りが宿っていた。
自身が知る、人間と悪魔との歴史を思い返すように、誰かから聞いた悪魔の悪行の話を思い出すように、対面する悪魔たちの先、はるか遠くの人間界の方を眺めて、怒りを沸々と煮えたぎらせる。
「なに……それ…… 悪魔は忌まわしき存在? だから絶滅させる? 意味が分からない。分からないよ! ――じゃあ私たちは…… 私たちはただ『悪魔』だから。たったそれだけの理由で嫌われてるってことなの?」
「――そうだ。悪魔なんてどうせみんな悪いやつに決まっている。だって世界が悪魔のせいで汚れたのは事実だろ? だからみんなお前らを嫌ってるんだ。アタシたちがお前らを殺すことは正しいことに決まってんだよ」
――正義が宿るパルの目。怒りが宿るパルの目。だが、その目に映るのは、自身の体験から来る、曲がることのない固い意思でも、思いでもなかったのであった。
『悪魔は邪悪な存在だ』
それは誰かが言ってたものであり、世界の大多数がそうだと言っているから正しいものだと思い込まされていた感情だった。パル自身は悪魔に何かをされたわけではない。だが、世界がそう言ってるのなら。世界が悪魔を嫌っているのなら。それは彼女が悪魔を嫌う理由になりえるのだと。
だからこそパルはこの魔界へと侵攻をしていたのである。誰かが吹聴した仮初めの正義を信じて――
「な、んでよ――」
ミクサはあまりのショックに言葉が紡ぎだせなくなってしまう。彼女の目からは涙がこぼれ、震える唇から嗚咽をこぼしながら地面にうずくまってしまう。なでしこ色の髪が彼女の顔を覆い、その表情を見えなくしてしまう。
「――だろ」
そんなミクサの隣から、緊張で震えて霞みがかった声が放たれる。
「あ?」
その声にパルが反応する。パルの後ろに控えている彼女の仲間もその声の持ち主に目線を持っていく。
「――だろ。……おかしいだろ。……そんなの、絶対間違ってるだろ!!」
ミクサを守るように彼女の前に立つ少年。
――誠が声を放ったのであった。
「テメェはあの時の」
そんな誠の存在に気づいたジークがこちらに視線を向ける。
「はっ。お前も悪魔だったのか。やっぱりあの時殺しておけばよかったぜ」
ジークはそう言うと、大剣の柄を握って戦いの構えを取る。戦意を向けてこちらを威嚇する。その仕草に誠の背筋に緊張が走る。自身の身の危険を察すように体が恐怖する。だが、誠は引かなかった。引くことだけはしたくなかった。
「悪魔だから殺していいって…… そんなのは間違ってるだろ!」
食い気味になりながら誠は声を荒げる。
「間違っちゃいねぇ! 悪魔はクソだ。ゴミみたいな存在だ! そんなヤツらを殺すことはむしろ良いことなんだよ」
「ふ、ふざけんな。……ふざけんじゃねぇ。そんなわけねぇだろうが」
誠は歯を食いしばり怒りの感情をあらわにする。拳を握りしめ、空を切るようにそれを振り払う。
「うるせぇ!! 悪魔が人間に逆らうんじゃねぇ!」
ジークは大剣の切っ先をこちらに向けた。黒に淀んださび付いた刃が炎に照らされて鈍く光っている。
「くっ……!」
ジークに反論しようとする誠の体が固まる。だが、誠は負けたくなかった。しっかりと目だけは逃げないようにジークのことをとらえ続ける。戦場に一触即発の緊張が走る。と、
「――ああ。分かったよ。わぁーたよ。クソ野郎どもが」
そんな怒りに覆われた空間でパルが言葉を上げる。
「いいよ。アタシらの今までの答えが納得できないってんなら、別の言葉で教えてやるよ」
彼女の心には怒りとは別の感情が抱かれていた。その顔には悪辣な笑みを浮かべる。
「どう……いうことだ」
「アタシらが悪魔を殺すもう一つの理由。それはな、悪魔を殺すと――カネになるんだよ」
「は――!?」
誠はパルの言っている意味が分からない。
「ああ、そうさ。そうだとも! アタシらは魔界に行って悪魔を殺すと、その働きに応じてカネをもらえるんだよ。だからアタシらはお前等悪魔を殺すのさ。この砦を落とせば山ほどカネが入ってくる。あぁ~、死ぬほど男に囲まれて、欲しいモン全部手に入れて、楽しみだぜ。……全く魔界侵略ってのはいい商売だぜ。あはは、あはははははは!!!!」
パルは挑発的な目でこちらを見てくる。彼女がこちらを意図的に怒らせているには明らかだった。
「……そ、そんなことのために。そんなことのために悪魔を殺してるのか、お前らは」
だが、誠は怒りを抑えられない。
「……ふざけんな。ふざけんな。ゆるさねぇ。ぜってぇ許さねぇ!」
「あぁ、そこでうずくまってるてめぇ。サキュバスか? いいね。いいねぇ。サキュバスの角は高く売れるんだよなぁ。お前の角は変態の紳士サマがこぞって買いにくるんだ」
「――一体どんな遊び方されてんだろうな。想像したら、ああ、興奮がとまんねぇよ。自分の買ったサキュバスの角が実はこんな健気な少女から生えてたなんて知ったら、ああ、ああ。……すっげぇ出るだろうな。やばい。やべぇよ。あははははははははははは!!!!」
――限界だった。悪魔を見下す人間のことが。それを正義だと信じて疑わない人間のことが。そして何よりも、ミクサを侮辱した人間のことが――
「この、クソ野郎があああああああ!!!!!!!!」
誠は、拳を上げた。火傷を負った足を地面に押し付けて踏ん張り、パルのもとへと一線、猛然と駆けだしていく。
「許さねぇ。許さねぇ! ――お前だけは、お前だけはッ!!」
空に掲げた拳に力をいれ、誠の心の底に眠る感情をすべて解き放たんと、パルの顔面に向けて拳を向かわせる。その目は怒りが込もっており、まっすぐパルの方を見て離さない。
「あああああああああ!!!!」
そして、パルのもとに怒りをぶつけようとして。
――誠の体が宙へと浮かび、地面に向かって仰向けに倒れたのであった。
「は?」
誠は状況を把握しようとする。だが、倒れたこと以外に異常は見当たらない。何者かから力を受けて倒れたはずだが、誠の体には切り傷どころか痛みすらない。それはまるで誠を守るためにわざと倒したような雰囲気さえ感じられて、とすれば誰かが誠を守ったということである。そんな誰かを探すために、誠は視線を上にあげる。
「う、嘘だろ。ウェスパー、なんで――?」
――そこにはジークの大剣が腹に突き刺さっているウェスパーの姿があったのだった。
「はっ。まさか死神をご馳走になれるとはな」
誠の突進を受けて、パルの後ろから動かぬ彼女の代わりにカウンターをしようと剣線を放ったジーク。だがそれを、ウェスパーが身代わりとなって、誠を守るためにジークの攻撃を受けたのだった。
「なんで? なんで!? ウェスパー! おい!」
ウェスパーは答えない。もとより話せない彼であったが、今は吐息すらも漏らさずにじっとこちらを見つめている。彼の黒に染まった目は何も語らない。だが、確固とした思いをあふれさせていた。ジークはそんなウェスパーの腹にささった剣をゆっくりと力を込めて引き抜く。
「今のは完全にキマったな。……終わりだ。死神」
だが、剣が引き抜かれた箇所をきっかけにしてウェスパーの体から黒いオーラが漏れ出すように発生する。
「んだ、このオーラは」
ジークは自身にまとわりだすオーラを怪訝そうに見つめる。ウェスパーの放つオーラは人間四人を囲むように溢れる。普段の彼から放つモノとは比べものにならないほどの量が彼の体からあふれ出ていく。
「まさかっ。ウェスパーおまえッ……!」
そんなウェスパーの様子にナナミは声を上げる。ナナミの言葉を受けたウェスパーは視線だけをこちらに向ける。その目には覚悟が宿っていた。
「――ウェスパー、お前、自分の命を捨てて、呪いをかけようとしてるのか?」
そう、ウェスパーの体は死に行こうとしていた。体がオーラを発したせいで儚く散っていく。徐々にその力が衰退していき、今にも消え入りそうであった。
「そんな、嘘だろ。おい」
誠はウェスパーにすがって彼を引きとめようとする。だが、そんな彼に触ろうとする誠の腕は空を切ってしまう。
「待ってくれよ。ウェスパー。待って――」
誠が話しかける間にもその質量が霧散していくウェスパーの体。こちらに視線を向けたウェスパーは何かを言いたげに腕を突き出す。だが、そんな腕が塵となって消えていく。
無くなっていくウェスパーの体。足が消え、腕が消え、胴体が消え、ヤギの骨で形作られた顔が消え、そして――
――ウェスパーの姿は消えてなくなったのであった。――人間四人に、黒くまとわるオーラを残して。
「ああ、ああ……」
誠は膝をつき、下を向いてしまう。誠のせいで、ウェスパーは死んでしまった。その身を賭して誠をかばったせいで。目から涙が落ちてきた。視界はしずくでぼやけ、のどを震わす嗚咽で言葉が上手く発せない。誠が絶望でうずくまる。
「はっ。なんだよ。オーラはただの見せかけかよ。笑わせんな」
ジークはまとわりついたオーラを手で振り払うと、こちらに向けて剣を向け、敵意を再び表す。
「まぁ、なんにしろ、これで決着、つけようじゃねーか」
大剣をこちらに向けて宣誓をかます。悪魔が邪悪な存在だと信じて疑わない人間たち。何食わぬ顔で悪魔を殺し、それどころかそれによって士気を高める人間たち。そんな彼らによってこの戦場は完全に支配されてしまったのだった。
「もう、打てる手はないだろう。チェックメイトだ」
「あらぁ、もう終わりなのかしら?」
人間たちは口々に、勝利宣言とでも言いたげな態度をとる。彼らの目には勝利の文字が浮かび上がっていた。と、
「――もう、十分だ」
そんな絶望の戦場にナナミの言葉がつぶやかれる。下を向いた彼女の表情は髪で隠れてうかがい知ることができない。そんな彼女は手をかざし、自身の周りに魔法陣を展開させる。その動きに応じて輝きを持った魔法陣が出現する。
「お前ら全員許さねえ」
ナナミは目を上げて、人間たちを睨む。
――ナナミの目は獣の目をしていた。
怒りで腕は震え、覗く八重歯は鋭く光っていた。ナナミは激怒していた。悪魔を見下し、殺すことに何も感じぬ人間どもに。ミクサを侮辱し、ウェスパーを殺害した外道どもに。
「死体召喚!!!!」
ナナミは激高する。人間を倒すために、仲間が負った悔しさを晴らすために。と、そんな彼女を反映するかのように、魔法陣により出現したリングが、金色の光を上げながらきらびやかな回転を始める。
「ウソ……だろ!? 来た――」
その輝きを確認したナナミは思わず呟く。その声は溢れる期待と緊張で震える声音であった。
「来た?」
そんなナナミのことを見上げた誠はふと声を漏らす。涙でうるんだ目で彼女を見つめる。絶望の表情の誠とは裏腹にナナミの顔は興奮に覆われていた。
「『英雄』だ。人間界で名を馳せた『英雄』が召喚される」
「え、英雄……」
ナナミは言っていた。アンデッドメーカーは英雄と呼ばれる兵を確率で召喚できると。それは人間界でも屈指の力を持ち、今まで召喚してきたアンデッドたちとは比べものにならないほどに強力な者である。願いを託して挑戦したが、一向に召還されなかった者。それがこのタイミングで召喚されることとなった。
そして、その英雄というのは――
「来るぞ。これは英雄のなかでもさらに格上、SSレアだ」
ナナミの叫びに応じるように回転を強くする魔法陣。金色に輝く召喚陣はその魔力を高め、そして――
「主よ。召喚に応じました」
「ああ、お兄様。また会えることを嬉しく思います」
――二人の兄妹の英雄を召喚したのであった。




