個と全のぶつかり合い
魔界の不毛な大地を焼き尽くす、清らかでありながら、穢れをはらむ怒りの炎。それはノルガルド塔の周辺の地域を炎で包み込み、そこがいかにも戦場であるということを示していた。
そんな炎の戦場の中、それをまるで水たまりの上を歩くかのように悠々と進軍するのは、アンデッド兵たちだ。彼らの目は虚ろで、一点を見据えている。だが、決して、何も考えていないわけではない。彼らは文字通り、ただ一点のみを見ているのだ。
そう、魔界へ攻め込もうとする人間たちを討たんとするために。己の身を顧みることなく、ただ勝利のために、歩き続ける。
だが――
「地獄の番犬を屠る大剣!!」
そんなアンデッド兵の何人かが、魔界に攻め込む人間――大剣の騎士、ジークによって切り倒される。
「はんっ。うじゃうじゃとわきやがって。全部叩き潰してやるよ」
ジークの放つ剣閃が、アンデッド兵の体を頭蓋から一頭両断にするように切り込みにかかる。
「俺の剣は三つ首の魔物、ケルベロスの首を断頭した大剣だ。てめぇらごときじゃ相手にならねぇ!!」
ジークは人の背丈ほどもあるその大剣を、両腕を使って豪快に操る。使い古された、汗で黒ずんだ柄をいっそう握りしめ、アンデッド兵の兜を無理やりにこじ破り、頭部に切り込みを入れる。手入れのされていない黒く錆びた刃は、ギャリギャリと嫌な音を立てながら、無理やりにその兵士の頭蓋を壊していく。兵士の切り口からは血が溢れ、赤く濁った肉片と白に淀んだ骨の欠片が地面に飛び散る。その血肉を、まるでご馳走であるかのように、彼の手にした大剣はそれをどんどん吸い取っていく。そんな兵士の返り血でさらに切れ味の悪くなる刃を、それでも気にすることなく、ねじ切っていく。そうして、アンデッド兵の体は、頭部からぱっくりと二つに裂かれ、右と左と、きれいに分かれるように地面へと倒れたのであった。兵士はその間、一切の悲鳴を上げることがなかった。
「はぁ、はぁ。いっちょ上がり」
その姿を見たジークは口角をゆがめると、顔についた返り血を拭いながら、自らの手にした剣を握りしめる。そんな情景をまざまざと見せつけられたアンデッド兵たちの動きが固まる。感情がないはずのアンデッド兵がまるで恐怖を感じたかのようにじりじりと後ずさりし、ジークから距離をとる。
――否、それは恐怖から来るたじろぎなどではなかった。
ジークから距離をとったはずのアンデッド兵たちが一斉に疾走し、ジークのもとへに進軍を始める。そう、彼らは助走を取ったにすぎなかったのだ。仲間の死を見たであろうアンデッド兵は、それでも躊躇うことなく、続々とジークのもとに挑んでいく。
――アンデッド兵たちにとって、大事なのは自身の命そのものではない。ただ一つの勝利のために、アンデッド兵全体が勝利するために彼らは戦い続ける。個は全のために。だが、全は個のためには、――動かない。彼らは叫ぶ。それが彼らの、アンデッド兵全体の宣言であるというように。
「すべては勝利のために」
「すべては勝利のために」
「「「すべては勝利のために」」」
ジークのもとへ先陣を切ったアンデッド兵が彼を切りかかろうと、剣を振りかぶる。
「ちっ」
それを間一髪のところで躱すジーク。だが、これで終わりなどではない。次は、後ろからアンデッド兵がジークの体を二つにするために、ジークを横から真一文字に切りつけにかかる。それをジークは大剣を縦に構えると、正面から臆することなく受け止める。金属の音を鳴らしながら、両者の武器が、十字を描きながら、悲鳴のような火花を上げる。
「アンデッド風情が俺に力勝負で勝てると思うなよ!!」
ジークは力任せに剣を力を込めると、つばぜり合いをしていた兵士の体を無理やりに押し倒す。
「おら、俺の勝ちだ」
そして、仰向けになった兵士の頭蓋に一閃、鈍重の剣をぶちかました。だが、それを見計らったように、脇から一体の兵士が姿を現す。
「はっ。そんなもん食らうわけねーだろ」
それを軽くあしらうように、ジークは剣を振るって、兵士の首をやすやすともぎ取った。
「おまえら程度、数がいくらいようが問題な――」
――問題ない。そう言おうとしたジークの目に一閃の槍が穿たれるのが見えた。
「んなっ!?」
周囲360度すべてを警戒していたジーク。どこから剣が振るわれようと、槍が飛んで来ようと、そのすべてをかわし、受け止めることができた。だが、そんなジークでもこの攻撃は予想外だった。
なぜなら、その方向は、さきほどまで敵がいたはずで、その方向は、今まさに撃破したはずであるのだから。
――一閃の槍は、首のなくなった兵士の方向から、――兵士の体を貫くように、彼の後ろの兵士から、穿たれたのであった。
「このッ……! 感情のない人形がァァ!!」
仲間の体を貫きながら、なお平然とこちらに迫ってくる槍。想定外の攻撃にジークは身動きをとることができず、その槍を目で追うことしかできない。そして、ジークの心臓に迫る槍は、彼の命を奪おうとして――
「――確かに、暗殺に非情さは必要だ。だが、――それは、いささか不愉快すぎるな」
金属と金属の音を響かせるだけで終わったのだった。
「カイト――」
仲間ごと貫いたアンデッド兵の攻撃は、ジークのもとにやってきた白髪の男カイトによって防がれたのであった。
「力を振るうのはいいが、ボロが出てるぞ、ジーク。警戒が甘すぎる」
ジークの戦場に現れたカイトは彼を皮肉るように声をかける。
「はっ。あんたが俺を助けるなんて何があったんだよ」
「目標を達するのに必要な人材を守るのは当然だ」
カイトはジークの方を見向きもしない。じっと敵であるアンデッド兵の集団を見つめ続けている。
「はっ。それじゃ今までは必要じゃなかったってことかよ」
「事実、当初の暗殺作戦では君は重要な役どころじゃなかった」
そんなカイトの態度にジークの目が怒りで血走る。だが、それを気にしてる場合でもなかった。ジークは大剣の切っ先を地面に突き立てると、それを杖のようにして、大仰に立ち上がる。
「ちっ。やっぱムカつくな、あんた。……だけど、一応助けられたことに礼は言っとくぜ。コイツら全員ぶちのめすぜ」
そして、その怒りの矛先をカイトからアンデッド兵へと変える。
「言われなくてもそのつもりだ」
その言葉を期にジークとカイト、二人の反撃が始まった。カイトは、自身の周りに黒い靄を出現させると、それを携えながら、アンデッド兵に向かって突撃を開始する。
「――空間解放」
その声に応じて、黒い靄から二振りの小刀がその柄を現し始める。小刀などなかったはずの空間から出現するそれは、まさに異空間から武器を取り出しているというのが正しいだろう。カイトは異空間から出現した黒い小刀を確かめるように握る。それらを引き抜くと、両手に持ち、逆手に構える。
そして、迫りくるアンデッド兵の首を一閃、まるでバターをスライスするかのように滑らかに、剣で切り込む。次々とやってくるアンデッド兵を、同じように正確に首の箇所を、何回も何回も切りつける。仲間が切られるのを横目に迫るアンデッド兵を、まるで同じシーンを繰り返すかのように、切りつけ続ける。
だが、攻撃を食らったはずのアンデッド兵たちは、何事もなかったのかのように、それでもなおカイトを狙って攻撃を続ける。首を切られたはずの彼らの首だが、根本からしっかりとくっついていた。そんな中、通じない攻撃を無意味に続けていた様子のカイトは、ふと歩みを止めると、手にした小刀を黒い靄として消滅させる。彼は切りつけてなお無傷のアンデッド兵に背を向け、目だけで彼らのことを見据える。迫りくる彼らを見ながら、嫌悪感に顔を歪ませると、彼は呟く。
「私は返り血など浴びたくないのでね――」
その言葉と同時、アンデッド兵に異変が起こる。切られてもなおつながっていたはずのアンデッド兵の首が、次々と滴り落ちた。赤い鮮血を吹き出しながら、まるで噴水のように血を流す。赤の悲壮を嘆きながら彩る血の情景と、こぼれ落ちる首が地面にぶつかる音で奏でられる音色が、戦場にさながら作品として顕現しているようであった。
そうして、戦場に血肉を色どった光景を作り出したのであった。
「はっ。やっぱすげぇわ。いくらおまえがムカつくからとはいえ、……そこだけはマジに尊敬するぜ」
その光景をみたジークが思わず顔を引きつらせながら、称賛の声を上げる。カイトのもたらした圧倒的な戦力によるアンデッド兵の虐殺。それはすさまじいものだった。暗殺が得意であり一対多は苦手だと以前に語っていた彼であったが、さすがは王家につかえていた実力者。
だが、それでもなお状況が変わることはなかった。目の前の数体を一気に殺したところで、彼らは無限に増え続ける。そう、この西南砦を守る悪魔によって――
「こんなん終わりが見えねぇよ」
ジークはまだ見ぬアンデッド兵士の生みの親を思い、悔し紛れに歯噛みする。西南砦は現存する砦で一番落としやすいという情報を聞いて攻め込んできたが、現状は最悪だ。改めてジークは彼の背後、彼らが殺してきたアンデッド兵の屍を眺める。そこには何十もの数の死体が重なっている。これを全部自分たちがやったと思うと、少しばかり誉高い。だが、そんな肉塊を横目に振り返ると、視線の先、そこには背後に横たわる死体の数の何倍ものアンデッド兵がこちらの命を奪わんと進撃を続けている。
「クッソが、こんなんどうすりゃいいんだよ……」
ジークは絶望に顔をゆがめる。アンデッド兵士一体一体は確かに弱い。だが、このような不毛な戦いをあとどれくらい続ければいいのかを考えると、気を失いそうになる。
「クッソ、クッソオオオオオオ!!!!」
悲痛な人間の叫びが戦場に響き渡った。
※
「いける…… いけるぞ!!」
ぺカぺカによって空間に投影された映像を見た誠は、戦いがこちら側の優勢であることを確信する。人間百人分の力を持つ彼ら四人組を、それならばと単純にそれらを超える数を投入して戦いを蹂躙するアンデッド兵たち。そしてその数の彼らを召喚することを可能にしているナナミ。勝利が見えているのを誠は感じた。
「ああ、相手はアンデッド兵にだいぶ苦労しているみたいだな」
誠の声にこたえるナナミの声は興奮まじりに早口であった。彼女の視線の先に投射される映像、そこには、数の暴力に苦戦するジークとカイトの姿が映っていた。
「確かに、相手の一撃は強くて、アンデッド兵一体の力じゃかなわない。でも、あれだけの数で押し切れば、きっと彼らもすぐに力尽きるはずよ」
同じく、映像を見ているミクサがつぶらな大きな瞳に熱をともす。彼女は、拳を握りしめて、祈りを捧げるようにする。
「それにあっちの魔法使いのほうも、有利に立ち回れているわ」
ミクサが誠たちが見ている映像とは違う戦場を映し出しているものを指差す。誠もその映像を見ると、そこには大量のアンデッド兵に囲まれた魔法使いの女パルの姿が映っている。彼女の周囲は自身が展開したであろう、炎の壁で囲われており、敵であるアンデッド兵をも取り囲むその様子は、まるでプロレスのリングのような様子を醸し出していた。
「炎の壁!!」
そんな中、パルが杖を操ると、その動きに連動して、炎の壁から炎が流れを描きながら取り出される。それは彼女を守る盾のように、彼女の目の前に展開される。
――直後、そんな炎の盾にぶつかる形で、指向性をもった雷撃が炎の盾に衝突する。
「「「強権な雷撃」」」
ローブを着た魔法使いのような出で立ちをした、アンデッド兵数人が唱えた魔法によって、雷撃が放たれたのであった。その雷撃は炎の盾を覆うように電撃を覆いながら、衝突のあとにも電撃を蓄え続け、帯電状態となってパルを襲う。消えぬ雷撃にパルの展開した炎の盾はじりじりと崩れ落ちていく。炎にまで昇華されていたはずの魔力が薄まっていき、儚く霧散していくのが目に入る。
「ちっ。そんなザコ魔法使いの寄せ集めの攻撃なんか食らうわけにはいかねーんだよ!!」
だが、そんな状況にいらだちを覚えたパルは、激高しながら、炎の盾にまとわりつく雷電を振り払うように杖を振るう。その動きに合わせて壁から飛んできた炎がその雷撃の魔力を奪うように覆いかぶさり、そして雷電を消滅させようと魔力を高める。彼女の杖から命令式のように伝わる魔力によって、力を増す炎は覆われた雷撃を引き離すかのように、その力を増していく。
「おらああああああああ!!!!」
そして、ついに、禍々しく輝く炎が雷撃を消滅させたのであった。
「はっ。おまえらただの剣士じゃなくて魔法使いもいたなんてな」
パルは、息を切らしながら、忌々し気にアンデッド兵を睨む。当然、感情のない兵士は返事をすることがなかったが、その様子にさらにいらついたようで、眉間にしわを寄せる。
確かに、パルに相対するアンデッド兵は、剣士のように鎧で身を包むわけでもなく、まして腰に武器を携えているわけでもなかった。彼らは、黒のローブに身を包み、手にした武器は、金属器ではなく木製の杖。彼らは魔法使いのアンデッドであったのだ。そんな彼らは、杖を空高く掲げると、数人で輪を描くように固まり、詠唱を唱えだす。
「我らを見守る天空に告ぐ」
「「「我らを見守る天空に告ぐ」」」
「大いなる圧政者、サヴィーナのもとに、汝は支配されたし」
「「「大いなる圧政者、サヴィーナのもとに、汝は支配されたし」」」
「大いなる雷撃を与えたまえ」
「「「大いなる雷撃の与えたまえ」」」
「「「――強権な圧政者の支配」」」
――瞬間、暗雲に覆われた魔界の空に一筋の光が走る。
それは、目をつぶるほどの光を放ち、大地を振るわすほどの強力な音を携え、この魔界の空に顕現した。魔界に常に鳴り響くそれとは比べ物にならない程の巨大さで、畏怖をもたらしながら天空に鎮座する稲妻。稲妻は、まばゆいほどの光で覆われながらも、底の見えないドス黒い悪意にまみれていた。それは、天災と表現するほかないほどの不可避の災害でありながら、対象を意図的に破壊しようとする意志を持っているようである。そんな意思をもった天災は、まっすぐのパルのほうに狙いを定めている。
「クッソがッ……!」
だが、パルは動かない。抵抗するのがバカバカしいという表情であった。しかしながら、それも仕方がない。このような巨大なものを相手に何もすることなどできやしなかった。そして、そんな無力な人間に向かって、稲妻は圧倒的な力を抱きながら、
――はるか真下、たった一人の人間のために、魔界の大地へと降り注いだのであった。
その光の禍々しさに思わず誠は目を覆う。瞬間あとに遅れて轟音と衝撃波がやってくる。それらによって誠の体は震え、心までもが委縮した。十分な距離をとっている誠の位置でもその衝撃というのははっきりと分かった。だが、
「ま、マジかよ……」
――そんな悪魔の一撃をしのいだパルが、怒りの表情を浮かべてそこに立っていた。
彼女を覆う黒のローブは所々が燃え尽きて破れ、体もボロボロに傷つき、その周りを電気が帯電している。だが、それでも彼女の四肢は壊れることなくつながっており、燃え尽きて灰になることなく体の原型を維持している。彼女の目は稲妻によってか、はたまた怒りによってなのか、赤く血走り、自らが起こした雷撃によって消し炭となった魔法使いのアンデッドの燃えカスを睨んでいる。
「クソがクソがクソがクソが。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
そんな彼女は一点をながめ、血の涙を流しながら、痛みに震える腕を押さえ、あふれ出る怒りを放っていた。
「存在する価値もねぇ悪魔風情がァ。アタシの魔力全部使ってぶっ殺してやる」
パルは、怒りの表情のまま、杖を目の前にかざすと詠唱を唱えだす。
「強欲の魔女エリザに告ぐ。汝の怒りをわが身に宿したまえ――」
「――強欲の魔女の豪炎」
――そして、戦場を怒りで襲ったのだった。




