第3話「窓際女 村崎蛙」
――教室の、窓際の列の一番後ろ。
そこに座っている少女は、いつも窓の外を眺めていた。
「村崎さん??」
「そう。村崎蛙」
朝。学校に来ると同時に秋太がまた変な噂を持ってきた。秋太は変に噂話を好み、ちょっとオバサン臭いところがあった。
「村崎さんがどうかしたの?」
「それがさ、ちょっと変な噂があって……」秋太は僕の顔に口を近づけて小声で話す。
「彼女は帰宅部なんだけど、何故かいつも皆が部活から帰って来るまで自分の席に座ってんだよ」
「え? ずっと?」
「らしいよ。吹奏楽部の奴らがこの教室使えなくて困ってるって言ってたし。んで、この前緑音が最後教室で村崎と2人になったらしいんだけど…………」
***
「村崎さんってどこに住んでるの? 一緒にかえろ?」自分の席で黙って窓の外を眺めている村崎に声を掛ける緑音。
村崎は一度緑音に視線を移し、しかし何も話さずまたすぐ窓の外に視線を戻した。
「えっと……あの、村崎さん……?」
「………………」村崎は視線を動かさない。
「…………。」緑音は諦め、1人教室を出た。
***
「なっ!? 怪しいだろ!!?」秋太は目を輝かせている。
「んー…………、まあ……」確かに気になると言えば気になる。
「だろ!? 流石だ同志よっ!!」秋太は僕の肩を掴み言った。
「ど、同志……?」
「そう、今この瞬間から我らは同志となった!!」
「え……一応聞くけど、何の?」僕は恐る恐る尋ねた。
「村崎蛙生態調査隊!!」
第3話「窓際女 村崎蛙」
――放課後。僕と秋太は教室の外で村崎さんの事を見張っていた。
「見ろ悲劇……帰ろうともせず席に座ってるだろ?」秋太は右手で僕の頭を掴みながら言う。
「うん……。ていうか、なんかこれすごくダメな気がするんだけど……」女性の事を見張るのは気が引ける。
長い黒髪のストレートとナマケモノの様に据わった瞳、彼女はただそこに座っているだけで不思議な存在だった。
「研究の為には仕方のない事だ。諦めろ」
「…………。」
それにしても、彼女は本当に動かない。たまに肩や頭が小さく動くだけで、机に肘をついたままの体勢を変える気配は無かった。
(何やってるんだろ……)僕は次第に、彼女が何をしているのか気になってきてしまった。
「いっただきまあ〜す!!!」
「ぎゃあああっ!!!」
真央くんが後ろから僕の体に飛びつき、首筋に噛み付いた。
「ちょっ……、いきなりやめてよ真央くん!!」僕は小声で真央くんを制した。
真央くんは右手で口を拭い、食事を終えた犬の様に満足げな表情を浮かべていた。
「しゃあねーだろー。今日全然飲めてなかったんだから」
「帰りって言ったじゃん!」僕は声のトーンを変えず、小声のまま話した。
「おいっ、バカ! 村崎に気付かれた!!」秋太が村崎さんの方を見て焦っている。
僕も村崎さんの方を見た。その瞬間、僕は村崎さんと目が合った。
僕ら3人は全速力でその場から逃げた。
「はあっ……! あっ……!」200mぐらい逃げた後、僕はその場に両手と両膝をついた。
「焦ったあ〜!」秋太もその場に倒れ込む。
「おい、何やってんだよオメーら? ストーカー?」真央くんは呑気に頭をかいている。
「バカ!」
僕は一言真央くんに文句を言ってから、今回の事情を説明した。
「ふー……ん。なるほど、確かにそれは怪しいな……」
「だろっ!? 分かるかマオー!」
「おう! 勝手ながらこの調査、俺も参加させてもらうぞ!!」
「おおおーっ! 話が分かるなお前!」秋太は嬉しそうに真央くんの手を握る。
(何気に意気投合してるし……。まあ良いけど)
「ねえ、教室戻んなくていいの? 村崎さん何かしてるかもよ?」僕は教室を指差して言った。
「お! よし、戻るぞマオー!」秋太が真央くんの腕を引き、僕ら3人は教室へ戻った。
「おい、気をつけろよ」とりあえず安全確認の為、まず僕が村崎さんのチェックに派遣された。まったく、こういうのはいつも僕の役目だ。
僕はゆっくりと教室に近づき、教室の外壁に背をつけて静かに中を覗いた。
「……あれ?」
「どうした悲劇」秋太が尋ねる。
僕は右手で秋太と真央くんをこちらに呼び、3人で中を覗いた。
「! いない……」秋太は空の教室を見て言った。
村崎さんは、僕らが目を離した隙にどこかへ消えてしまった。
「奴め……ますます怪しいな」真央くんが鼻をピクピクさせた。
「ちっ、やーられた。帰ろうぜ悲劇、マオー」秋太は鞄を持ち上げながら言った。「また明日出直しだ」
「うん」
僕と真央くんは秋太の後に続き、3人で階段を下りていった。
「……………………」村崎さんは、水飲み場の陰から僕らの背中を見つめていた。
午後10時。辺りはすっかり暗くなっていた。
ガラッ、と教室の扉が開き、誰かが中に入ってゆく。
「………………」
その者は電気を点けず、暗い教室の中一人窓際の一番後ろの席に座った。
少しするとその机から湯気が沸き起こる。
「………………」
その者は何も言葉を発しない。ただ、席に着いて沸き起こる湯気をじっと見つめていた。
急に、何者かの手が窓の外に映った。
「!!」その者は驚き、膝を机にぶつける。
「村崎ぃ〜!!!」
その腕は真央くんだった。地上3階の教室の窓の桟に手を掛けよじ登ろうとしている。
「なっ……!」
「ふっふっふ……、甘いぜ。帰ったと思ったかい?」秋太だ。
「………………」
「俺らは一度帰ったと思わせ、貴様が尻尾を出すのをずっと待っていたのさあ!! ネカフェでなあ!!!」
「それは言うなよ」
僕は一応ツッコんでおいた。
ガタン!と音を立て真央くんが3階の窓に到達する。夜の景色に溶け込むその姿は、正しく魔王のものであった。
「フフフ、もう逃げ場はないぜ、村崎楓!! 観念しろォい!!」
秋太が教室の明かりを灯す。天井の電灯がチカチカと2、3回点滅し、そして教室の中を明るく照らした。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」誰も、何も言わなかった。
そこにいたのは、目の前にカップラーメンを置きいつもの席に座っている村崎さんだった。
「…………何やってんの?」秋太がカップラーメンを指差して尋ねた。
「食事…………」村崎さんはか細い声で答える。
(あ、村崎さんの声……初めて聞いたかも)
「食事ってあんた…………」
「私……住んでるの。この席に…………」
「はははははははっ、はっ、あははあはあはあはははははは!!!!!!」真央くんがその場で笑い転げる。
「住んでるって……なんで?」僕は怯えながら聞いてみた。
「家が遠いから…………めんどくさくて………………」彼女はその何を考えているか分からない静かな瞳を動かさず、手元のカップラーメンを黙々と口に運びながら答えた。
「なんだそりゃ……」秋太は噂話の結末に不満そうな表情を浮かべる。
「……ふふっ」僕は思わず笑ってしまった。
――なんだか、ちょっと友達になれる気がした。
「ひーっひひひひひひ!! 住んでるってー!!!! バカじゃん!! あははははははははー!!!!!」
真央くんは結局この夜最後まで、床や壁を叩きながら延々と笑い続けていた。
1年5組 村崎 蛙
窓際の列の一番後ろ、特等席に住む女