おじさんとペンギンな彼女
車を走らせていると道路脇で倒れている黒い動物が目に入った。子犬だろうか。
晴れた夏の休日、ふらりと出かけた馴染みのない道でのこと。
車の往来が少ない住宅地の道路で後続車もいなかったため、何気なく車を路肩に止めた。車を降りると息苦しいほどの暑さに襲われる。
クーラーが効いた車内とは違って夏のアスファルトは暑く、照りつける太陽も容赦なく夏だと訴えていた。
それなのに、どうして車を止めようなどと思ったのか。
少しの後悔とともに車から見た動物の元へと足を向ける。
街路樹の近くに黒い動物がジタバタしていた。
ううっ、うっうっうううっ
と、うめき声。
しかし、近づくとその声は途切れた。動きも止め、こちらを警戒しているのだろう。
黒い子犬かと思ったそれは、よく見ると黒と白の特徴ある色彩と形をもつ動物、ペンギン、だった。
胴の長さが四十センチほどのペンギンが歩道の縁石そばに横たわっている。
じっと動かずにいるそれのそばに膝をついた。
すると、くりんと小さな頭がこちらを振り向いた。そしてつぶらな瞳がこちらをじっと見上げてくる。
「大丈夫か?」
と、声をかけた。
もちろん動物相手に言葉が通じると思ったわけではない。
ペンギンがあまりに見つめてくるものだから、つい発してしまっただけである。
会社に行って帰るだけの平日、休日は寝るのが主で、友人と連絡を取ったのはいつだったろう。思えば気軽にプライベートな会話をする相手もいなくなっていたらしい。
――大丈夫か?
自分は誰かに心配して欲しかったのだろうかなどと妙な事を考える。
そんな自分に向けられていた小さな顔が動き、嘴が開いた。
ペンギンの口の中は小さな棘が並んでいて、ちょっとエグい。
「おじさん、私、足が痛いの。だから、おじさん、私を連れてって」
ペンギンが、喋った?
女の子のような高い声だった。
こちらを見つめて首を右に左にと傾けている。
……おじさん?
まだおじさんと呼ばれる年齢には早いと思うが。
「おじさん、聞こえてるんでしょっ! お願いだから早く連れてってば!」
ペンギンの口が動き、滑らかに紡ぎだされる言葉はその口から発せられているようにしか見えない。
かなり元気で高圧的な口調だったが、かわいい女の子の声なので許せる範囲ではある。
しかし、ペンギン……。
このペンギンのどこかにマイクでも仕掛けられているのだろうかとペンギンの頭や身体、その周囲を確認してみた。だが、何も見当たらない。そうこうしている間も、ペンギンはバタバタと羽を動かし「おじさん! おじさんってばっ」とかわいい声で喚いている。
それに答えた。
「連れて行くって、どこへ?」
「あっちよ」
「あっち?」
「この坂を上ったところにある円山亭に行かなきゃいけないのっ」
「ああ、そう。この辺詳しくないんだけど、この先に行けばいいのか?」
「そうよっ。早く行かなくちゃ。おじさんの車に乗せてっ」
ペンギンは焦っているようだった。足が痛いと言っていたから立てないか、もしくは歩けないのか。しかし、だからといって初対面の人物にいきなり車に乗せて運べというのはかなり図々しい申し出だ。
いや、ペンギンに図々しいも何も……それ以外のことを考える必要があるはずだった。だが、夏の暑さとペンギンとで、深く考える気力はなかった。
「早くしてよ、おじさん!」
ペンギンに急かされ、彼女?を持ち上げた。考えることを放棄した結果である。
ペンギンは触れた一瞬冷たく感じた。だが、それは表面の毛がつるんとしているためのようで、丸い胴体を掴んでいると次第に温かみが指に伝わってくる。この照りつける暑さを表面に溜めないとは普通のペンギンではないのではないかと思ったが、そんな思いは一瞬で流れ、目の前に意識が向けられた。
大人しく抱き上げられたペンギンは、キョロキョロと辺りを忙しく見回している。手や腕に感じる柔らかさもペンギンの動きの滑らかさも本物の動物に思える。
「ペンギンは、円山亭で……飼われてるのか?」
ペンギンを抱えて車へと歩きながら、言葉を選んで尋ねてみた。
キョロキョロしていたペンギンが顔を上げる。
「私は伊倉雪乃っ。飼われてるかなんて、失礼ねっ。ちゃんと自分で暮らしてます!」
「伊倉雪乃? 名前があるのか」
「そりゃそうよ。高校生だもん」
「ペンギンで、女子高生、か……大変だな」
「そうなの。大変なのよ」
「そうか……大変か。そうか」
伊倉雪乃という女子高生ペンギンを腕に車に乗り込む。
その車の中は暑さで息苦しいほどだった。エンジンを止めていたのは少しの間だというのに車内温度が上がるのはおそろしく早い。
ペンギンを助手席に置くとエンジンをかけた。すぐにボーッという音とともに風が吹き出す。
隣でペンギンが首を伸ばして吹き出し口に顔をさらしていた。ペンギンも暑かったらしい。
「ペンギン……あー、雪乃ちゃん? 足は大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫」
「動物病院に行かなくていいのか?」
「円山亭に行けば手当もしてもらえるから、とにかく円山亭! 急いでっ!」
「わかったよ」
雪乃ペンギンは足が痛むようだったが、行けばなんとかなるようなので円山亭とやらに向かうことにした。
しばらく車を走らせると、道路左側に長い壁の先に立派な門扉を発見する。雪乃ペンギンはその門扉のさらに先にある格子状のゲートを入るよう告げた。そこが駐車場の入り口だというのでゲートへと車を左折させる。
どこにも看板はなかったが、彼女はここが円山亭だという。さてゲートを開けるにはどうすればとブレーキを踏んでゲートを眺めていると、すぐにゲートが左右に開いた。中へ入っていいということなのだろう。
車を進めるとゲートの内側は二、三十台はおける駐車場スペースとなっていた。その周囲を竹が囲んでおり、車窓からの直射日光もやわらげてくれる。敷地は普通のアスファルトではなく石と細長い板木が何枚も敷かれ風流な様子だが、車はガタガタと大きく揺れる。助手席のペンギンは窓から外を見ることを放棄して、小さくなっていた。それまでは威勢がよかっただけに、少し笑える。
駐車場横には緑の芝生と石畳の奥に大きな屋根の和風の建物が建っていた。上品なお食事処のように見えるが、駐車場に車は一台もない。昼前なのでオープン前なのだろうか。
車を止め、助手席に声をかけた。
「着いたぞ」
「うっ……もうたくさん並んでる……」
雪乃ペンギンは身体を起こして窓から首を伸ばし、建物の方を見ながら呟いた。
おいおい足が痛いんじゃなかったのか?と思ったが、呻いているところを見ると痛いのを我慢しているらしい。
だが、ペンギンの見ている方には渋い建物と石畳があるだけだった。ペンギンの言う、たくさん並んでいるもの、はどこにも見あたらない。
「あの建物に連れて行けばいいのか?」
「うん、そう」
駐車場に入るまではビシバシ急かしていたのに、頷くペンギンの声には元気がない。心なしか項垂れているようにも見えた。
「足が痛むのか? ほら、連れてってやるからもうちょっと頑張れ」
「うん」
雪乃ペンギンは、腕に抱えると腕にちょこんと首を寄りかからせて目を閉じた。痛むのかもしれないと気が焦る。
駐車場から建物の敷地に足を踏み入れると、雪乃ペンギンが何を言っていたのかを理解した。
建物の入り口からペンギンの行列ができていたのである。二十羽は並んでいるだろうか。そこに並ぶペンギンの種類はまちまちで、大きかったり小さかったりとまるで標本を眺めているようだ。
その列を横目に建物入り口から入ろうとしたのだが。
「列に並んでお待ちください」
と、中から出てきた店員に止められてしまった。
店員が普通の女性だったことに拍子抜けする。ペンギンが集まっているから、中から出てくるのは普通ではない何かだと思ったのだ。とはいえ、ペンギンが行列をなしていることに平然としているのだから、普通ではないのだろう。
彼女は焦茶色の作務衣のようなものを着ているので、この建物は何かの店なのだろう。だが何の店かはさっぱりわからない。
「この子は足を怪我しているんだ。手当だけでも先にしてやりたいんだが? その……ここはこの子の傷の手当ができるんだろう?」
「手当はできますが……承知いたしました。処置を行いますので、貴方は外でお待ちいただけますか?」
女性店員はにこりともせず腕を差し出してきた。ペンギンを渡せという事らしい。雪乃ペンギンも異議を唱えないので、彼女の腕へと手渡した。
「おじさん、並んでてっ! お願い、並んで順番とっておいて」
「お前なぁ……わかったよ」
必死に訴えてくる雪乃ペンギンに苦笑しながらも同意してやる。雪乃ペンギンの「お願いね!」という念押しの声とともにどっしりとした扉は閉ざされた。
独り取り残された感はあったが、振り返れば、扉の前からのびる沈黙のペンギン列がある。
炎天下の中、列をなすペンギン達の最後尾に並んだ。
その後も続々とペンギンがやってきては自分の後ろに並んでいく。ペンギン達は立派な門扉から歩いて入ってきた。様々な種類のペンギンだが、どれもやはり足は短く歩幅は小さい。
駐車場に車がなかったのは皆徒歩だからかと、さして意味のないことを考えた。そうする間にも後ろにペンギンが並ぶ。ペンギンの列の中に人間が立っていることに誰もというか、どのペンギンも疑問をいだかないらしく、着々と自分の後ろにペンギンの列が伸びていく。
ペンギンばかりが集まるここは一体何なのだろう。そんなことを考えながら、ぼんやりと立っていた。
しばらくすると玄関扉が半分ほど開き、ペンギンが姿を現した。
「おじさーんっ」
短い足で自分をめがけてトコトコ駆けてくる様子はほんわかと和ましい。
たとえ二十代半ばで「おじさん」と呼ばれているのだとしても。
駆け寄ってきた雪乃ペンギンは、足にすり寄りバタバタ羽を振る。
「おじさん、ありがとーっ」
その姿はとても喜んでいるようで、顔が緩む。
「足はもう痛くないのか?」
「うん、もう大丈夫。ありがと、おじさん。これなら何とか中に入れるかも!」
「ここは一体何するところなんだ? こんなにペンギンが集まって集会でも開くのか?」
「集会なんかじゃないよ。もっといいもの! 一緒に入ろっ!」
「ペンギン用の金は持ってないぞ」
「いやだなー。おじさんにそれは期待してないって。そのくらい私がサービスするから。だから、ね? ね?」
今日は休日で、どうせ家に帰っても特にすることなんてない。暇な時間はたっぷりある。こうして可愛いペンギンの女の子が誘ってくれるのなら、それを断る理由はない。家に帰るより、このペンギンが足に怪我してまで来たがった『いいもの』を知るほうが興味ある。
「仕方ないな」
その答えにペンギンがバタバタと羽をふっているところをみると、帰らなくて正解だなと思った。
だが、この状況は現実にはありえないと考える自分もいる。
喋るペンギンがいて、様々なペンギンが炎天下の下で並んでいるのだ。この状況が現実のはずがない。そう思いながらもそのことに関して深く追及しようとしないことに抵抗はなかった。
雪乃ペンギンが足に寄りかかってきて「暑いねー」と見上げてくる。「夏だからな。でも面白いものがあるんだろ?」とペンギンに返事を返す。「面白いものじゃなくて、すっごくいいものよっ」明るくペンギンと他愛ない会話をする。
平和だ。ペンギンの中にいるのも夏で頭が暑くてもここは平和だった。この先が天国ならそれもいいかもしれない。
ペンギン達とともにそこで待ち続けた。
解放されたのは午後三時過ぎてからだった。ぐったり、とても疲れた。
「可愛かったぁぁぁぁーーーーっ。ペン佐保ちゃん、サイコーっ!」
雪乃ペンギンは興奮の叫びをあげている。駐車場の車の中にもどってもまだテンションは高い。
ペンギンの彼女が言っていたいいものとは『ペン佐保』という名のアイドル・ペンギン見学会だった。彼女はアイドルの追っかけだったのだ。
自分の推すアイドルが他人にとって興味がないとは思い至らないのか、雪乃ペンギンはまだ興奮マックスだ。何とも脱力である。
とはいえ、ペンギンのアイドル見学会は非常に面白い経験ではあった。
あの建物の奥にはプールがあり、アイドルの白いペンギンがプールサイドでくつろいだり泳いだりする姿を直接ファンが見ることができる貴重なイベントだったらしい。雪乃ペンギンはいいものと言うばかりでまともに説明しなかったが、建物入った際のアナウンスからそう判断した。
プールのエリアに入れるのは先着三十羽だけ。しかし、入れなかったペンギン達(雪乃ペンギンを含む)が諦めきれず行列を作って待っていたため、プールの周囲に急遽立ち見席が用意された。そこにぞろぞろペンギン達に混じり雪乃ペンギンと一緒に案内されたというわけだ。
プールにいる白ペンギンを見るだけなのだが、ペンギン達はそのアイドルに向かって叫び、こっちを向いてくれたと歓声をあげ、羽をバタバタさせ声をそろえて呼びかける。コンサートのように歌ったり踊ったりするわけでなく、遊んでいるだけのアイドルを、ただ見るだけ。それでもアイドルに何度も声を投げアピールするのだ。健気といえば健気な姿だった。
ペンギン達のアピールの様子は乱暴だったり粗野だったりはしない。興奮した動物というには整然としており、秩序が保たれていて妙に行儀がよかった。
バタバタする隣のペンギンの羽がうっかり触れることがあっても「失礼した」と同じ仲間であるかのように紳士な声で謝られる。また、あるペンギンは「兄さん、昼飯なら冷やし中華がお勧めだ。出前を頼んでおくから食ってみてくれ」と言って去って行った。ペンギン達は雪乃ペンギンと同じく流暢に喋れるものばかりらしい。
その数分後に店員さんの手で冷やし中華が運ばれてきて、腹具合的に昼過ぎているのを自覚した。とっくに昼一時を過ぎていたのだ。
支払いは必要ないと言われあのペンギンに礼を言いたかったが、ペンギンの中から彼を探すのは自分には無理だと諦めるしかなかった。彼はここの半数を占める皇帝ペンギンだったので判別できない自信があったのだ。冷やし中華は美味しくいただいた。
雪乃ペンギンは「美味しそう。ちょっと頂戴―」と甘えてきた。さすがは自称女子高生だ。奢ってくれたペンギンわかるかと尋ねてみたが、あっさり知らないと答え、誰の奢りかは興味ないらしい。
食べ終わった頃に店員さんが空になった食器を片づけに来た時、注文してくれたペンギンにお礼を伝えて欲しいと頼んでみた。無理なお願いだと思ったのだが、それはすんなりと承諾された。ペンギンが集まる場所だ。店員には個々のペンギンの見分けがつくのだろう。
そんな風にして、ペンギン立ち見列の中にただ一人人間の自分が腰を下ろしていた。最初は非常に違和感があったのだが、周囲のペンギン達は全く気にしていないようだった。警戒も遠慮もなく、ごく普通にそこにいるといった様子だ。
それはとても面白かった。童心に返ったかのようにワクワクした。ペンギン達が純粋にアイドルに向ける情熱にいつしか感化され、笑っていた。
「ね、おじさん、見た? 見た? 今、絶対、私に返事してくれたよね!」
はしゃぐ雪乃ペンギンはとても元気で全力全身で楽しんでいる。
それを見る自分も笑っている。
こんな風に笑うのは久しぶりだと思った。
そんなアイドル見学会を終えて、車に戻った今。
「すっごく可愛かったでしょー! 人気沸騰中のアイドルで、こんな生で見る機会なんてもう絶対にありえないんだからねっ。うーーー人生最高の日っ」
「はいはい。よかったなー」
「うんっ」
投げやりな言葉にも力いっぱい頷く雪乃ペンギンは微笑ましい。本当にあのアイドルペンギンが好きなのだ。
好きなものがあって興奮してはしゃいでいる姿はとても楽しそうで、見ているこちらも気分が明るくなる。
「送って行くから、家はどこだ?」
「えーーーーっ、もう帰っちゃうのぉぉーっ」
助手席で飛び跳ねてバタバタしている雪乃ペンギンは騒々しく抗議の声を上げた。しかし、どうにも安定が悪そうで見てて危なっかしい。
「座席から落ちるぞ」
「えぇー、落ちるわけな、あーっ」
落ちた。言ってるそばから落ちなくてもいいだろうに。
だが、雪乃ペンギンは座席から落ちても「ペン佐保ちゃん、超絶可愛かったでしょー?」とわめいている。何とも情熱的だ。
「あぁ、可愛かった、可愛かった」
「もっと感動あらわしてよぉーっ。一生に一度の遭遇かもしれないないんだからねーっ」
「そうか、一生に一度か。よかったな」
「そう! よかったぁ!」
「だから、家はどこなんだよ」
「あっちー。おじさーん、ありがとうーっ!」
「ちゃんと座ってろ」
「えー、ちゃんとなんて座れないよー」
「シートベルト……は、あんまり意味ないか。来た時みたいに寝てろよ」
「それだと外が見えないもん、嫌」
「見なくていいだろ。だから住所言えって。ナビで住所検索してやるから」
「おじさん家行こうよー。私、おじさん家行きたいなっ」
「あぁ?」
「家帰っても誰もいないんだもん。まだ帰りたくないもーん」
「お前……、いないなら友達でも誘え」
「友達? 友達なんて……いないなぁ。おじさん、学校行っても、友達できるとは限らないんだよ?」
元気よかった彼女が急に項垂れてしょげるのを見るのは、胸が痛んだ。
こんなに明るいのに友達がいないのか?
ペンギンだからだろうか。図々しい性格のせいだろうか。
彼女にも色々と事情があるのだろう。
「うちは、汚いぞ」
「おじさん家、ゴミ屋敷なの?」
「そんなわけあるか。普通に汚いだけだ」
「普通に汚いおじさん家へ行こーっ」
元気になった雪乃ペンギンを連れて家に戻ることにした。
円山亭から車で十分少々も走れば自分のアパートに到着する。
うちは横長い二階建てアパートの一階中程にある部屋だ。八畳ワンルーム、ペット不可。
アパートで大家を見かけたことはないが、他住人に見られて咎められたくはない。普通の小さな犬猫ならそう目は引かないだろうが、住宅地でペンギンはさすがに目立つだろう。
アパートから少し離れた駐車場に車を止めて、助手席を見た。四十センチ以上はあるだろうこのペンギンを部屋までどうやって運ぼうかと悩んでいると。
「おじさん、気にしなくても他の人に私は見えないよ?」
「え? 見えないのか?」
「普通の時なら見えるけど、ペンギン姿は見えないよ。おじさんみたいに見える人めったにいないから」
「へぇ、そうなのか。お前、かわいいのにな。他のやつには見えないのか」
「かわいい? おじさん、そう思う?」
「思う思う。その辺の気取った飼い犬なんか目じゃないくらいかわいいぞ。ペンギンはやっぱり違うな」
「ふうん。かわいいのかぁ」
雪乃ペンギンの呟く声は、まんざらでもなさそうだった。
かわいいという言葉に反応するのは自称女子高生ペンギンだからなのだろう。ペンギンでも女の子というわけだ。
しかし、普通の時は見えてもペンギン姿は見えないとはペンギン姿ではない時があるという意味だと思われ、雪乃ペンギンは化け狸ならぬ化けペンギンということらしい。
あの円山亭でも、敷地に入るまで並んでいるペンギン達の姿は見えなかったので、ああいう風にそこに居ても見えないという意味だろう。
しかし、自分には見える。そういう人は滅多にいない。
そう言われると、ちょっと特別な人だと言われているようで、気分は悪くない。円山亭の店員やアイドルペンギンと一緒にプールにいた高校生くらいの男女もそうした数少ない人間だったのだろう。
「おじさん、まさか、この車の駐車場が家なの?」
「そんなわけないだろ! そんな可哀想な目で見るなっ」
「可哀想なんて思ってないもん。ただ、この車、ちょっと臭いよ?」
「えっ、そうか?」
雪乃ペンギンは臭いを嗅ぐように頭をあちこちに向けている。エアコンフィルターではなく、臭いのはシートか?
地味に傷つく。
ペンギンに臭いと言われた。
自称女子高生ペンギンに臭いと言われた。
かわいく首を傾げる雪乃ペンギンが女ジャンルなだけに、ダメージは大きい。明日にでも消臭剤を買おうと決意し、雪乃ペンギンを抱えて車を降りた。
アパートの玄関扉を開けると狭いたたき。そこで雪乃ペンギンの足裏を洗うべきかと思い悩むこちらの気持ちを欠片も察することなく、雪乃ペンギンは腕から飛び降り、廊下を奥へと進んだ。遠慮とか躊躇する気持ちは全くないらしい。
さすが初対面で円山亭まで乗せてけと言うだけはある。
「おじさーん、エロい写真集があるー」
「それはエロじゃない。ただの雑誌だっ」
雪乃ペンギンは何が面白いのか部屋の中を物珍しそうに眺めて歩いている。脱ぎ散らかした服が放置されていたり、各種リモコン、雑誌、ゴミ箱やらが置かれている雑多さだが、ごく普通の部屋だ。そこを歩幅の小さなペンギンが遠慮なくどかどかと踏み歩いていく。彼女の中に遠慮という言葉は存在しないらしい。
冷房のスイッチを強に入れ、カーテンを半分ほど開ける。この部屋はカーテンを閉めていても室内が明るいほど西陽が差し込む。だから多少薄暗くても全開するわけにはいかないのだ。
そんな作業中の自分に雪乃ペンギンが声をかけてきた。
「おじさーん、喉乾いたー」
振り返ると雪乃ペンギンはテレビの前で羽をダランとさせ、こちらを見上げている。
辛いよーと目をウルウルさせているかのようである。
訴えるような佇む姿と甘えるような口調に、自然とキッチンへ足が向かってしまっていた。
「麦茶でいいか? 水の方がいいのか?」
「麦茶! 水道水なんて嫌っ」
水道水はダメらしい。元気いっぱいの返事に、さっきのしおらしい雰囲気は消え去っている。
演技だったのか。さすがは自称女子高生ペンギンだ。
彼女の態度にも騙されたという感はなく、麦茶を取り出すために冷蔵庫を開ける。どうやら自分は押しに弱いらしい。我儘な女性は嫌いだったはずだが、このペンギンは別だ。可愛いか可愛くないかという主観によって感じ方は大きく変わるらしい。ペンギンを同列に考えるのもおかしなものだが。
「おじさーん、麦茶ー、早く飲みたーい」
「ちょっと待ってろ」
図々しさと甘えは紙一重、いや、同一か。そんなことを思いつつ、コップに麦茶を注ぐと雪乃ペンギンのもとへ急いだ。
こちらに気づいた彼女が短い足で駆けてくる姿には健気さが漂っている。短い足が雑誌やリモコンなどの障害物を踏んだり避けたり、そのせいで身体がよろけるのがやけに危なっかしい。
それでも急ごうとしている姿が何ともいえない。そして、辿り着いた途端、足にじゃれつくようにして首をもたせかけてこちらを見上げてくるのも微笑ましい。
「ほら、」
口に出した声は自分でも相当甘いなと思った。
雪乃ペンギンの前にマンガ雑誌を重ね、その上にコップを置いてやる。
床に置くと届きにくそうだったからだ。
「ありがと、おじさん」
雪乃ペンギンはちょこんと首を傾げてそう言うと、コップにくちばしを突っ込んだ。
ペチャペチャと麦茶を飲む音とか、外のバイクの音や人の声が聞こえる。冷房が効いて室温が下がっていく。
動物を飼ったことはないが、素直に喜ばれると可愛くて気分が癒される。
「おじさんも飲んだら? 喉かわいてないの?」
ひとしきり飲んで満足したのか雪乃ペンギンがちょこんと傾けた顔を向けて言った。
言われなくても何か飲みたいと思っていたところだ。だが、使えるコップは雪乃ペンギンの前にある一つのみ。部屋を探せばどこかにはあるだろうが、客なんて来ない部屋にコップは一つで十分だったのだ。だが、そんな事情を説明する気はない。
冷蔵庫にある飲み物は麦茶ポットに入った麦茶だけ。
ポット直飲みか、雪乃ペンギンの飲みかけコップを使うしかないのだが、どちらも気がすすまない。
「後でいいよ。お前はもういいのか?」
「うーん、もうちょっと飲みたい、けど…………にくいんだもん」
雪乃ペンギンはやや拗ねたような口調でごにょごにょと言葉を濁した。そして、コップをちらちらと見ている。
コップにはまだ麦茶がたくさん残っているようで、麦茶の味が気に入らなかったのかと思ったのだが。
その雪乃ペンギンの小さな顔に、飲みにくいと言ったのかもしれないと思い至る。麦茶が減ってしまったためコップの底にくちばしがつっかえてうまく飲めなくなったのだろう。
それならそうと言えばいいのに雪乃ペンギンは何をためらっているのか、遠慮しているような態度だ。彼女の図々しさのポイントがよくわからない。
雪乃ペンギンはコップの中をのぞいては首をかしげるようにして、ぷいっとそっぽ向く。麦茶があるのに飲めないのが悔しいのか。彼女の行動が、諦めきれずに、でも飲めない、という様子に見えてくる。よくわからない表情も、何となく困り顔をしているように見えてくるからおかしなものだ。
カップを持って立ちあがった。すると、雪乃ペンギンの目がカップを追ってくる。期待してるのか、そわそわしているようでコップをじっと見つめていた。
彼女の期待通り、冷蔵庫へと向かう。もちろん雪乃ペンギンが飲めるよう麦茶をつぎ足すために。
そうして継ぎ足すのを何度か繰り返し、雪乃ペンギンが麦茶に満足した後、ようやく麦茶にありつくことができた。小さなキッチンで何杯も一気に飲み干してしまう。自分もとても喉が渇いていたらしい。
それなのに雪乃ペンギンに麦茶を先に飲ませるとは……。少々の満足感と照れくささを感じた。
「おじさーん、まだー飲んでるのー?」
「おー、今いく」
早くこっちきてとでもいうようなペンギンの声に、ニヤケるのが自分でもわかった。かわいい声で甘えられるのは、実に気分がいい。たとえ声の主がペンギンであったとしても。
テレビではじまったアニメ映画が雪乃ペンギンの目を釘付けにし、それをみていると部屋はすっかり暗くなっていた。
雪乃ペンギンは偶然にもすぐ近くに住んでいるというので、彼女を抱えて家まで連れて行くことにした。治療してもらったとはいえ足を痛めた後だから歩かないほうがいいと思ったのだ。近いと言っても、部屋でのヨタヨタ歩きを見ては雪乃ペンギンの足でどれほど時間がかかるかわからない。
雪乃ペンギンがどんな家に住んでいるのかという興味があったのは確かだが。
そんなこんなで雪乃ペンギンを抱えて夜の住宅地を歩くことになった。
犬の散歩をしている人や歩いている人を見かけたが、誰も他人には興味などなくこちらに目を向けてくることはない。
「お前、結構、重いな」
「そんなことないもん! 女性に体重のことを口にするなんて、おじさん、さいってーっ」
「ペンギンのくせに何言ってるんだか」
「私は女子高生なのっ、多感な時期なんだからねっ」
「はいはい。女子高生ペンギンね、かわいいかわいい」
「もうっ、ふんっ」
「このまま真っ直ぐでいいのか?」
「そう。あ、あそこ、左手のアプローチの奥にある、あのマンションよ」
雪乃ペンギンが羽で指したマンションは五~六階程度の小洒落たマンションだった。大きくはないが決して安くはないマンションだ。自分の住んでるアパートとのランクの違いに唖然とする。
「ここでいいよ。下ろして」
「あ、あぁ」
言われるままに足を止め、彼女をマンションのエントランスへと続く石床に下ろした。
「送ってくれてありがとう、おじさん。またねー」
「ああ」
雪乃ペンギンは羽を振ってから、エントランスの扉に向かって歩き出した。
扉は自動ドアのようだがガラス張りではなく中の様子は見えない。
どうみても普通の人間用の高級マンションで、灯りに照らされた通路を歩くペンギンの後ろ姿は不思議な光景だった。
ペンギンが扉の前にたどり着く前にドアが開き、中の明るいロビーには黒っぽい制服姿の男性が待っていた。その男性が雪乃ペンギンへ何かを話しかけている。
雪乃ペンギンがドアの内に入るとその姿はスカートをはいた女の子に一変した。それは、あっという間の出来事だった。
スカートからすらりと伸びた細い脚の高さしかなかったはずのペンギンは、どこにもいない。制服男が、細い手足で長い髪の女の子にお辞儀しているのを最後にマンションのドアは閉まった。
そして、マンションの表は薄暗さを取り戻した。
静かな夜はいつもと変わりなく、少し前にペンギンがエントランスに向かって歩いていたアプローチには、ファンタジーな要素は欠片も残ってはいない。呆気ないほど簡単に日常が戻っていた。
しかし、景色が日常に戻ったからといって気分まで簡単に切り替わるわけではない。雪乃ペンギンといた時の自分は、かなり興奮していたのだと今になって気づいた。それが突然抜け落ち、戸惑いと喪失が残った。
ただぼんやりと家へ足を向ける。意識しなくても足は家へと動く。
不思議な休日は、こうして終わった。
月曜日こそ休日のテンションを残し、いくらか感情も不安定だったが、いつもの仕事をこなせば元の生活に戻っていた。さして感情を荒げることなく、嫌みな上司は無視するのみとばかりにやり過ごす。
そして、あの日の出来事は夢でも見ていたんじゃないかと思うようになっていた。ペンギンがいた形跡もなく、だいたいペンギンが喋ったりするはずがなく、他人見えないペンギンが自分だけに見えるはずがない。そんな特別な何かが、自分にあったりはしないのだ。
自分の日常に何の変化もなく、上司はやっぱり鬱陶しいばかりで世界が突然変わったりはしないのだと思った金曜日。
「おじさーん」
アパートの戸の前で雪乃ペンギンが羽を振っていた。
驚くよりも、思わず笑ってしまう。
「なんで笑ってるの、おじさん?」
「なんでもないよ。お前、このクソ暑い道路をその短い足で歩いてきたのか?」
「そうよ、すっごく暑かったんだからね。それなのに短い足とか、おじさんは女性に対して全然なってないよね、もうっ。早く中に入れてよ」
頭でクイッと戸を示す態度は図々しさが満載だったが、やはりペンギンだとおかし可愛い。
「今開けるから、そこ退け」
鍵を取り出しガチャガチャやってると、三つ向こう隣の扉が開いて女性が出てきた。あそこは空き部屋だったはずだが、いつの間にか新しい住人が住んでいたらしい。手にゴミ袋を持っているところからゴミ出ししに出てきたようだ。だが、明日はゴミの日じゃないぞと思って見ていると。
「おじさんっ」
強めの呼びかけに視線を落とす。そこでは雪乃ペンギンがそっぽ向いてズンズンと身体を揺らしていた。どうやらムクれているらしい。何をやっているのか。
だが、そのコミカルさに思わずクッと声が漏れる。
口を押さえてゴミ袋を持った女性の方に目を戻すと、女性はこちらに胡散臭そうな目を向けていた。
雪乃ペンギンの姿は普通の人には見えないのだ。独り言をブツブツ言って笑っている状態では、不審人物と思われても無理はない。明日はゴミの日じゃないと声をかけてご近所づきあいを開始するには不適当な場面だ。
すみやかにドアを開け、雪乃ペンギンを足で促し部屋に入った。
それからも雪乃ペンギンは何度もやってきた。
曜日が決まっているわけではなく、思いついた時にふらりと寄ってるようだ。
アパートのドアの前で待っていて、こちらに気づくとブンブンと羽を動かして迎えてくれる。
それを見ると、疲れて重い身体にも力が戻って来るようだった。
早く早くーと急かされながら鍵を開けるのもいつものことと思うようになり、非現実な存在が自分の生活に溶け込むのにそう時間はかからなかった。
時々やってくる女子高生ペンギンと他愛ない話をしながらアニメを見る。雪乃ペンギンはアニメが大好きだったのだ。
ビール(雪乃ペンギンは麦茶)とつまみでアニメをみて一時間半もすればペンギンをマンションまで送っていく。
彼女がマンションに入っていく時の数秒の女子高生な後姿を眺めてはどんな顔をしているんだろうと思いはしたが、不思議とそれを彼女と一緒にいる時に考えることはなく当然尋ねることもしなかった。
そんなある日。
突然の出張で十日も働き詰めやっと解放されて家に戻った夕方、玄関扉の前でポストから落ちたらしいチラシをかぶって横たわる黒いものがあった。
「雪乃!」
慌てて駆け寄り雪乃ペンギンを抱き起こすと、彼女はゆっくり首をあげた。そのこちらを見上げる様子は億劫そうで弱々しい。
「もう、帰ってこないのかと、思った」
途切れ途切れに口にした言葉は、動きと同様に小さく細い。それに、埃をかぶっているのか彼女の身体はいつもの感触ではなくザラついている。こんなに埃をかぶった状態なのは……。
嫌な感じに急き立てられるようにして家の中へと入った。だが、出張で家を開けた後だ。家にあるのはビールくらいで、彼女にやれるものなど何もない。
一体どうしてこんな状態なのかと訊いてみれば、雪乃は火曜日の夜からずっと家の前で待っていたという。今日は金曜日で、すでに四日目だ。
「ずっと!? 何も食べてないのか! 飲み物は?」
「うん。食べてないし、飲んでない」
「家に帰ってまた来ればよかっただろ? 近くにコンビニあるんだから食べるくらいしろよっ」
グラスに水をくみ、雪乃ペンギンに飲ませる。水道水だが嫌がっている場合ではないのか彼女はグラスに口を付けた。
彼女用のグラスからしょんぼりと水を飲む姿はとても悲しそうで、キツく言いすぎたことに気づいた。
だが、玄関で横たわる雪乃を見た時の衝撃は残っていて、優しい言葉に変えてはやれなかった。怒鳴ってしまいそうな声を何とか抑える。
「どうしてコンビニに行くなり、家に帰るなりしなかったんだ?」
「だって、その間におじさんが帰ってきてたら困るもん。チャイム押せないからドアの前で待ってるしかないし……」
「チャイム押す時くらい女子高生の姿になればいいだろうが。お前、マンションでは人間の姿になってたんだから、人間になれないわけじゃないんだろ?」
「だって……」
「だって、何だ!」
「だって………………人の姿だと、かわいくないもん」
開いた口がふさがらなかった。
かわいくない、だから、ペンギン姿のままで待っていたという。
お腹もすいて喉も乾く、四日も絶食することを選ぶ理由が、人の姿だとかわいくない、から。意味がわからない。
意味はさっぱりわからないが、彼女が一生懸命だというのはわかった。
ペンギン姿の雪乃に軽くかけた『かわいい』という言葉が、彼女にとってどれだけ重要だったのか。
「一週間くらい飲み食いできなくても、私、大丈夫だもん」
項垂れた状態でボソボソと言っているが、一週間も断食して大丈夫なはずはない。だが、雪乃なら本当にやりそうな気がした。
馬鹿だなぁ。
「わかった、わかった。俺が悪かった。四日も待たせて、悪かったな」
雪乃の頭をなでてやると、ザラリとした。指に感じるのは彼女の上に積もった塵で、彼女が動かずにいた証だ。ドアの前でいつものように立って待っていたのだろう。それが横たわっていたという事は、それだけ力尽きていたという事で。
「とりあえず何か口に入れないと、な。ちょっとコンビニ行ってくる。普通の弁当は不味いだろ。栄養ドリンクがいいか? それとも、動物病院に行った方がいいのか?」
「病院は行かない。出かけるの? 私も一緒に行く」
「おいおい、動くなよ。そこのコンビニに行って来るだけだ。ほんの数分で帰ってくるから」
「私も行く。私、大丈夫だもん。全然、平気だもん。一緒に行く」
雪乃は腕を羽で挟み、重いだろう全身を使って腕にのしかかるようにしてくっ付いてきた。「一緒に行くもん」と繰り返し、置いていかれまいと懸命な様子だ。
ほんのすぐそこのコンビニに行ってくると言っているだけなのに、とても聞きそうにない。
待っていた四日間、彼女は不安で一杯だったのかもしれない。一人で長い長い四日間を過ごしたのだ。
「仕方ないな。お前、ペンギンだと見えないんだよな? じゃあ、一緒に行くか?」
「うんっ」
雪乃はようやく顔を上げた。まだ声は弱いが明るさが戻ってきているようだ。
雪乃を抱えてコンビニへと向かうことにした。
夕方のコンビニは客が多く、腕に抱えたペンギンと喋っていてもチラッと見られるくらいですんだ。
コンビニのレジでは、金を払うためにレジ台に雪乃を置いたのだが、店員は全く雪乃に目を向けない。
「あの唐揚げ、美味しそうじゃない?」
と首を傾げてのかわいい訴えも、店員には聞こえない見えないらしい。
鳥が鳥を食うなよと雪乃に返しそうになるのを飲み込み、金を払うと、雪乃とレジ袋を抱えてコンビニを後にした。
本当に雪乃はペンギン姿だと他人には見えないことを実感した。
あんなに至近距離で雪乃がウロウロしているというのに全く見えてないらしいのが不思議でしかたない。
自分にだけ見えるというのは本当で、だから雪乃は自分に会いに来るのかもしれないとようやく彼女の理由に思い当たった。
女子高生ペンギンが気まぐれにやってきているだけなら、あんな風に必死に待っていたりはしない。
彼女には彼女なりの理由があって、自分のもとに来ていたのだ。
では、自分は?
雪乃ペンギンと家に戻り、コンビニで買った栄養ドリンクだ何だのを次々と飲ませた後、部屋の中で探し物をした。
今まで必要としなかったので奥にしまっているもの。
「ほら、これ。渡しておくから、次に来る時は外で待たずに中に入って待ってろよ。飲み食いするものがなければコンビニに買いに行け」
アパートのカードキーをアニメを見ている彼女の目の前に差し出した。
「それって……ここの、鍵?」
「そうだ。使い方はわかるな?」
「わかるよ。いつも見てたもんっ」
雪乃の調子が戻ってきた。儚い様子もかわいかったが、やはり元気な雪乃の方がいい。
「でも、いいの?」
「鍵、失くすなよ?」
「うんっ」
嬉しそうにカードキーを咥えて部屋を歩き回る雪乃の姿は、危なっかしかったが本当に嬉しそうだった。
口に咥えていると落しそうなので人間の姿になってみろよと言ってみた。
しかし可愛くないと思っているせいか、雪乃は人間の姿になろうとはしない。そう頑なに嫌がられるとますます人間の姿が見たくなってくる。なので鍵を手に持つ姿を見たいと何度も粘ってみると、渋々、要望に答えてくれたのだが。
はじめて見る雪乃ペンギンの女子高生姿に、開いた口がふさがらず、声は出なかった。
雪乃ペンギンは、女子高生だとかわいいという表現が全く似合わないほどのつり目ぎみ美少女だったのだ。
ポカンとしている自分の目の前で、雪乃はさっさとペンギンに戻り、鍵を咥えるとテレビの前を陣取った。その後ろ姿には不機嫌オーラが溢れていた。
我に返って雪乃ペンギンに綺麗すぎて驚いたと言っても、時すでに遅く、雪乃ペンギンは一切聞く耳持ってくれなかった。不貞腐れた雪乃が機嫌を直すには、相応の時間を必要とした。
「雪乃の女子高生姿、また見たいなー」
「嫌。かわいくないもん」
「女子高生姿の雪乃もかわいかった。あの時は雪乃が綺麗すぎて声が出なかったんだって」
「嘘」
「ほんと。雪乃はかわいいぞ」
「……」
「ゆーきのー」
「やっ」
嫌だと膨れたフリで胡座かいた膝に寄りかかってテレビを見ている小さめの雪乃ペンギン。ゆらりと首を動かしてはこちらの様子を伺っているらしいのが笑えてしまう。しかし、うっかり笑っていることに気づかれては、また機嫌が悪くなってしまうので口元を引き締める。
ペンギンがいるファンタジーな世界、それが自分の日常になった。
それはおかしなことだったり面倒だったりするのだが、こんなのも悪くはない。
「スイーツ買いに、コンビニ行くか?」
「うん。行く」
スッタスッタと廊下に歩きだした雪乃ペンギンが、振りかえって早くと催促してくる。
テレビを消し、腰を上げた。
~The End~