第五話 氷の従者と単純な王女様
「──う、ん? もう、朝か」
再び異世界召喚されるという衝撃的な出来事が起こった、翌日。
見覚えのない高級感漂う内装に、改めて勇者として召喚された事に実感を持った俺は、内心でげんなりしながらベッドを降り立つ。
欠伸混じりに部屋を出ると、ちょうど千秋達も廊下に現れた所だった。
「おはよー、春斗」
代表して挨拶をする千秋に、俺は片手を上げて答える。
「おう、おはよう。千秋達も今起きたところか?」
「そうだよー。はぁ〜、早く朝ごはんが食べたいなぁ。冬海ちゃんもそう思うでしょ?」
「まあ、確かに。ここの料理は美味しかったですしね」
昨日食べた料理の味を思い出したのか、ニヤニヤと頬が緩む冬海。
「やっぱり、冬海ちゃんも食べたかったんだね! 冬海ちゃんは食いしんぼー」
「ち、違いますよっ! それに、私だけじゃなくて、龍牙さんも涎を垂らして想像してました!」
「え、僕!?」
「つまり、みんな食いしん坊って事だねー」
「待って! 千秋が考えているような事はないから──」
ガヤガヤと雑談を始めた三人を尻目に、俺は昨日から道案内をしてくれているメイドに声を掛けた。
「そういえば、昨日からずっと貴女が案内してくれていますけど……」
俺の言葉を聞いたメイドは、三つ編みで背中まで下ろしている深い藍色の髪を揺らしながら、能面のような冷淡な顔つきで折り目正しく一礼をする。
髪と同色の怜悧な瞳を伏し目がちにすると、彼女は淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「はい。勇者様方の御世話をさせていただく事になりました。私の事は、どうか一従者として扱いくださいませ」
「いえ、そう言われても。これから長い付き合いになるんですし、せっかくですから名前を教えていただけないでしょうか?」
「私の事はお気になさらず。勇者様方の御手を煩わせないようにいたします」
「うーん……」
明らかに仲良くする意思表示を感じさせない機械的な言葉に、思わず俺は腕を組んで唸ってしまった。
確かに、今の所メイドと俺達の距離感は彼女が告げた通りだろう。
客観的に見て、魔王討伐の使命を託された勇者様と、探せばいくらでも転がっている一人のメイド。
私等の些事に囚われず、貴方達は勇者としての責務を全うしてください、と言いたいのだろうな。
しかし、そんな他人の言葉は関係ない。俺が名前を知りたいから名前を知る。ただ、それだけだ。
……まあ、知りたいのには、もう一つ大きな理由があるんだけど。
『──世界のためには、わたし一人の意思等必要ないのですよ、春斗様』
不意に蘇った言葉に、俺は内心でため息をつく。
一緒に戦乱を駆け抜けた仲間。
職務に忠実になり過ぎたせいで、自分の本心を押し殺してしまった聖女。
いつも薄っぺらい笑顔を浮かべていた彼女を、目の前のメイドを見ていると思い出したのだ。
このまま目の前のメイドを放置していると、いつか心に限界が来て壊れてしまうのではないか、とどうしても見て見ぬ振りはできなかった。
軽く頭を振って抱きそうになる哀愁を捨て去った俺は、咳払いを一つ落としてメイドの目を見つめる。
「コホン。俺の名前は峯岸 春斗。あっちにいるのは、友人の千秋に冬海に龍牙だ。改めて、俺達がこの世界に呼び出された勇者候補なんだが、俺達はどこにでもいる一般人とそう変わらない。だから、そう畏まらなくてもいいぞ」
俺の言葉遣いが変わった事に、メイドは僅かに片眉を上げた。
しかし、直ぐに無表情に戻り、慇懃な礼を示して口を開く。
「勇者様方の御名前は、記憶に留めておきます」
そう告げると、メイドはくるりと踵を返して歩きはじめる。
慌てて彼女に続く俺を見て、千秋達も会話を中断して追随。
「それで、名前を教えてくれないか?」
隣に並んで囁くが、メイドは俺を一瞥もしない。
「どうしても、知りたいんだ」
彼女と重ねて見てしまうから、必要以上に仲良くなろうとしてしまう。
その内ここを出ると決めているのに、これが自己満足だと理解しているのに。
大きく揺れ動く自分の心を感じて、思わず俺は自嘲の笑みを浮かべる。
「──」
そんな俺の様子を見たメイドは、歩くスピードを上げた。
しかし、すれ違いざまに囁かれた言葉。集中していなければ、逃していたであろう発言。
確かに、彼女の口から聞く事ができた内容を小さく反芻する。
「クリスティア、か」
「どうしたの、春斗?」
「いや、なんでもない」
不思議そうな千秋に首を振りつつ、俺はどこか寂しげなメイド──クリスティアの背中を見て、一つの決意をするのだった。
ネリアと合流して朝食を摂った俺達は、訓練場へと案内された。
天井は吹き抜けになっており、天から太陽が光を注いでいる。
学校のグラウンドの五倍以上は大きいので、沢山の人達が羽を伸ばして訓練をできるだろう。
地面は砂や砂利が含まれており、風に運ばれて土の匂いがやってくる。
いっそ清々しいほどに巨大な訓練場で佇むのは、腕を組む筋骨隆々な男。
彼は俺達が現れたのに気が付くと、笑みを浮かべて近寄ってきた。
「ようこそ、皆様。私、ローザイト王国の騎士団長を務めております、ロドリグ・ベーメンブルクと申します」
騎士らしく敬礼して告げた男──ロドリグは、どこか申し訳ない表情で俺達を見回していく。
「と、言いたい所なのですが。実は私、敬語が苦手でして。申し訳ないのですが、普段通りの話し方でもよろしいでしょうか?」
その言葉に、俺達は互いの顔を見合わす。
特に問題はないようなので、ネリアに許可を貰ってから頷く。
「ええ、構いませんよ。私達にとっても、これからお世話になる人に畏まられたら居心地が悪いですし」
「本当か! いやー、助かったわ。オレって堅苦しい言葉が苦手でよ。お前達から許可を貰えて良かった!」
少年のような笑顔を向けながら、バシバシと俺の肩を叩いてくるロドリグ。
嬉しいのはわかったから、肩を叩くのをやめて欲しい。
さっきから叩かれている場所が痛む。痛みで笑顔が崩れていないか心配だ。
一頻り喜びを表現して満足したのか、ロドリグは千秋達の方に向かっていった。
引き攣った笑みを浮かべて対応している千秋達を尻目に、俺は肩を回しながらため息を漏らす。
「はぁ……」
「大丈夫でしたか?」
「ん? ああ、平気平気。心配してくれてありがとうな」
ネリアに笑顔を向ければ、慌てた様子で首を振ってきた。
「とんでもありません! 勇者様方に何かがあるのは困りますので!」
「んー。まあ、そうなるか」
「はい?」
「いや、なんでもない」
首を傾げるネリアを誤魔化しながら、俺は内心で嘆息した。
やはり、俺達は勇者として大事にされるようだな。
それに関しては特に問題はない。この世界にとって必要なのは間違いないのだから。
ただ、勇者として働く気がない俺からすれば、微妙に罪悪感に駆られるのも事実だ。
いやまぁ、だからと言って勇者をする気はさらさらないのだが。
考えていても仕方がない事なので、話を逸らすついでに辺りを見渡す。
「そういや、他に人はいないのか?」
上手く誤魔化せたのか、ネリアはああと頷いて説明する。
「彼等は他の訓練場にいますよ。元々、ここは実力のある限られた人しか使えない場所ですから。今回はちょうど良かったので、この訓練場を解放する事になりました」
そう告げると、ネリアは胸の前で拳を握り込み、満面の笑みと共に腕を振り上げた。
「ですから、春斗は安心してロドリグに叩きのめされてください!」
「……」
物騒な言葉を聞き、無言で距離を取った俺。
そのまま呆れた表情で白けた眼差しを送れば、初めはキョトンと可愛らしく小首を傾けていたネリアは、やがて自分が何を口走ったのか理解したようだ。
瞬く間に顔色を真っ赤に染め上げ、両腕を振り回しながら飛び込んできた。
「ち、ちちち違うんですっ! ロドリグはとても強いから、安心して胸を貸してもらうつもりで訓練していただこうという意味で! け、決して春斗が痛めつけられるのを望んでいる訳ではありませんから!」
「ネリア……」
ネリアの身体を受け止めて真面目な表情を作り、その宝石のような蒼い瞳をのぞき込む。
自分の気持ちが伝わったと思ったのか、ぱあっと顔を輝かせていくネリア。
「は、春斗……! 私の思いが伝わってくれましたか!」
ネリアの言葉に、一転して顔に沈鬱の色を宿した俺は、辛そうな様子で目を伏せて口を開く。
「俺、痛みつけられるのは嫌だな……」
「ま、全くわかっていないではないですかー! ですから、私はそんな事を思って──」
服の襟を掴んで前後に揺さぶってくるネリアだったが、ようやく自分が俺に抱き着いている事に思い当たったようで、耳まで真っ赤にして驚くほど素早く後ずさった。
表情をコロコロ変えるネリアを微笑ましく思いながら、俺はできるだけ爽やかな笑顔を浮かべて告げる。
「ネリア。真っ赤になって可愛かったぞ?」
「なっ、ななななな!?」
言葉になっていない言葉を漏らしたネリア。
自身の身体を抱いて警戒するように俺から距離を置き、真っ赤な顔のまま可愛らしく睨んできた。
うーうーと小動物のように唸るその様子があまりにも面白く、俺はつい腹を抱えて笑みを漏らしてしまう。
「そ、そんな警戒するなって……ぶはっ」
「む、むー! 私をからかったんですね! 春斗はいじわるです!」
腕を振り上げて怒ってくるが、面白いものは面白いのだ。
ちょっと俺が弄れば、ネリアは打てば響くように反応してくれる。
昨日の様子から少々残念タイプだと思っていたが、ネリアは予想以上に弄りがいがある性格だろう。
ドジで天然が入っており、オマケに自爆属性も完備。
千秋に比肩する……いや、もしかしたらそれ以上の逸材かもしれない。
そんな風に考えながら、俺は手を前に突きだして口を開く。
「すまん、すまん。でも、知ってるか? 弄られた人って、弄った人ととっても仲良くなれるんだぞ?」
「そ、そうなのですか?」
不思議そうに目を瞬かせたネリアへと、俺は大仰に頷いて肯定を示す。
「そうさ。そもそも、仲の良い友人でなければ、こんなやり取りはできないだろ? 俺としても、ネリアとはもっと仲良くなりたいから、こうして弄ったというわけだ」
最後に笑顔で締めくくれば、合点がいった様子で顔色を明るくさせたネリア。
「なるほど……つまり、どんどん春斗に弄られれば、私ともっと仲良くしてくれるんですね! これからも私を沢山弄ってください、春斗!」
「あ、ああ。善処する」
「どうしました?」
無垢な表情で小首を傾げるネリアに、俺は漏れそうになる笑い声を抑えるのに必死だった。
た、単純すぎるネリアが面白い。チラリとネリアの様子を窺うと、目を輝かせて全身から弄ってオーラを漂わせている。
その様子から、俺の言葉を真面目に受け取ったと理解でき、罪悪感と愉快さの半々の割合を抱いてしまう。
ま、まあ。ネリアに言った事はあながち嘘でもないし、場合によっては仲良くなれるから問題ないな。
一頻りこっそり笑みを噛み殺している間に、雑談が終わった千秋達が戻ってきた。
微妙におかしい俺の様子を見て、皆不思議そうな表情を浮かべていたが、気を取り直したロドリグがネリアに声を掛ける。
「龍牙達とも自己紹介を交わしたので、そろそろ訓練に移りたいと思うのですが。よろしいでしょうか、プルネリア様」
「構いません」
小さく頷いたネリアは、澄ました顔で俺達を見回すと口を開く。
まあ、俺を見る時は僅かに頬を赤らめていたが。
「で、では。私はこの辺で一度戻りますね。暫く後にまた来ますので、皆様は訓練を頑張ってください」
「痛めつけられて、か?」
「ち、違います! もう、春斗なんて知りません!」
からかい混じりに告げれば、ネリアは頬を膨らませてそっぽを向く。
そのまま不機嫌そうな足取りで、訓練場を去ってしまった。
ネリアが見えなくなるまで見送っていると、先ほどのやり取りを疑問に思ったのか、目を丸くした千秋が尋ねてくる。
「随分とネリアちゃんと仲良くなってたけど、なにがあったの?」
「大した話じゃないよ。ただ、千秋に匹敵する逸材ってだけだから」
肩を竦めてそう返した俺を見て、ネリアが消えた方に同情した眼差しを送る冬海達。
対して、千秋は俺の言葉がいまいち理解できなかったようで、口許に微笑みを湛えて機嫌よさげに鼻歌を歌いはじめた。
「よくわかんないけど、ネリアちゃんと一緒って事だよね! ふんふふーん、ネリアちゃんと一緒、一緒」
今度は全員で千秋に哀れみの目を向けていくのだが、冬海だけは一転してジト目をこちらに向けてきた。
「どうして、春斗さんまでそんな目をしているんですか」
「いやー、だって千秋があまりにもあれだからさ」
「まあ、春斗さんが言いたい事はわかりますけど」
「それに、冬海だって同じ事を思ってたんだろ?」
「……ノーコメントで」
「あ、あはは……」
冷や汗を垂らして、あらぬ方向に顔を背けた冬海。
明らかに動揺しているその様子が、多弁に冬海の心境を物語っているのだが。
龍牙も千秋のフォローはできないのか、曖昧な笑みでお茶を濁しているし。
やたら鋭い時があるのに、普段の千秋はポケポケだからな。
冬海も大概残念具合が酷いが、千秋はそれ以上の残念さだ。
いやまぁ、千秋は冬海より可愛らしい残念系だから、ある意味そこが魅力的に映るのではないだろうか。
それに比べて冬海の場合は……いや、自爆属性が強い冬海も可愛らしい、のか?
どうでもいい事を考えていると、ロドリグが手を叩いて俺達の注目を集める。
「話は終わったな? じゃあ、今からお前達の訓練を始めるから、オレについてこい」
「あれ? どこ行くの、ロドリグさん? 私達は訓練するんじゃなかったの?」
訓練場とは違う方向に行こうとしているロドリグに、頭に疑問符を浮かべた千秋が問いかけた。
すると、前を歩いていたロドリグは振り返り、どこか悪戯っぽい表情で言葉を返すのだった。
「どこに行くかって、そりゃ決まってるだろ──武器庫さ」