第二話 魔王と勇者
あれから、王女様に連れられ謁見の間へと入場した俺は、玉座に座っている人を見て思わず身構えそうになった。
謁見の間の両端には直立不動で並んでいる、白銀の鎧を身に纏った騎士達。
謁見の間は段差になっており、その上には貴族と思わしき人達が値踏みするように俺達を観察している。
そして、鋭い眼光が特徴の宰相らしき老人を自然に従えているのが、不敵な笑みを浮かべている玉座に座っている人。
恐らく玉座に座っているのが王様だろう。
肘掛けに腕を置き頬杖をつくその姿は、どこか王者の風格を醸し出している……いや、王者というよりは覇者だろうか。
実際に、横目で見ると千秋達がガチガチに緊張している事がわかる。俺もポーカーフェイスを保つのが精一杯だ。
正直、王様をこの目で見るまではどこか気が抜けていたと思う。
だが、あの強い信念が篭った翡翠色の瞳と目が合った瞬間、そんな余裕を感じる事ができなくなった。
はぁ……俺もまだまだだな。ここは敵地とわかっていた筈なのに、前線から遠のいて平和ボケしていたらしい。
そんな事を思いつつ俺は瞳を閉じて、意識を切り替える。
そして、再び目を開けた俺はこちらを愉快そうに見つめている王様に微笑む。
そんな俺の挑発の意を込めた笑みを見て、王様は益々愉快そうに笑みを深めていく。
これで少なくとも俺を侮る事はしないだろう。あまりやりたくなかった手段だが、言質を取られて傀儡にされるのは困るからな。
いや、王様の笑みを見ていると対応を間違ったかもしれない。今思えば、傀儡の振りをして適当に逃げれば良かったかも……。
そんな風に自分の軽率さに内心で頭を抱えている間に、俺達をここまで案内した王女様が一歩前に出る。
「ローザイト王国王女、プルネリア・ローザイト。勇者様方をお連れいたしました」
「うむ、ご苦労」
宰相からの労いに短く頷いた王女様は、楚々とした足取りで玉座へと向かっていく。
そして、王女様は玉座へとたどり着くと王様に深々と一礼してから、宰相とは玉座を挟む反対側へ並び控えようとする。
しかし、段差を登る時に王女様は転びそうになったのかたたらを踏む。
「あ……も、申し訳ありませっ!」
静寂に包まれている謁見の間に、やたら大きく響いた王女様の足音。
謁見の間になんとも言えない雰囲気が流れだし、それを理解した王女様が顔色を真っ青にして謝罪をするのだが、途中で舌を噛んだらしい。
真っ青だった顔色を瞬く間に赤色に染め直した王女様は、涙目で口許を両手で抑えている。
そんな王女様の間抜けな姿を見て、宰相は呆れたようにため息をつく。
宰相の気持ちはわからないでもない。これから重要な話し合いが行われるのに、王女様のせいで雰囲気が台無しだからな。
まあ、俺としてはドジな所があるのは可愛いと思うが。
そんな風に思っていると、王様は王女様を面白げに一瞥してから口を開く。
「俺の名前はオーギュスト・ローザイトだ。よろしく頼む」
「では、国王陛下と。申し遅れました、私は──」
「ああ、そんな堅苦しい言葉はいらん。もっと普段通りに話してくれ」
続いて自己紹介しようとする俺の言葉を遮り、王様──オーギュスト様がそんな要求をしてきた。
助けを求めて宰相に目を向けるも、彼は諦めたように首を横に振るだけ。
なお、王女様はいまだに涙目で口を抑えているので、役に立ちそうにない。
……仕方ない。少しだけ砕けた物言いにするか。
「では、オーギュスト様と」
「……今はそれでいいか」
数瞬の間の後にそう呟いたオーギュスト様は、俺や謁見の間に来てからずっとガチガチに緊張している千秋達を見回していく。
やがて、オーギュスト様は俺達を見た後に申し訳なさそうな表情を浮かべ──
「まずはお前達を召喚した理由からだな。結論から述べるとお前達にはある者を殺して欲しい」
──そう告げるのだった。
オーギュスト様が告げた殺伐とした内容に、時が凍ったのを感じた。
初めはその内容を理科できなかったのかキョトンとしていた千秋達は、段々と顔色を真っ青にしていく。
そして、そのままオーギュスト様に食ってかかろうとしていたので、俺は横から手を突きだしそれを制する。
「な、なんで春斗──」
「まだ話は終わっていない。話を続けてください、オーギュスト様」
「確かに話が早急すぎたな。……まずは前提から話すぞ。お前達の世界ではどうなのか知らないが、この世界には『魔物』と呼ばれる存在がいる。その魔物達は世界共通の敵なんだが……」
「オーギュスト様?」
そこでオーギュスト様は言葉を区切り、表情を曇らせた。
そんなオーギュスト様の姿を見て、途中で話すのを中断した事を不思議に思ったのか、改めて話を聴く体勢に入っていた千秋達は首を傾げている。
まあ、俺はこの後に続く内容の見当がおおよそついているが。
そんな俺の考えを肯定するかの如く、オーギュスト様はうんざりとしたような口調で続きを話す。
「魔物達が世界中で活発化しているという報告を受けているんだ。その原因を突き止めようと星詠みの巫女に予言して貰うと、どうやらある存在が魔物を使って世界征服をするらしい」
「ある存在、ですか?」
恐る恐るといった様子でオーギュスト様へと尋ねる冬海。
その問いに頷きを返した後、オーギュスト様は口を開く。
「俺達はこの存在を『魔王』と呼ぶ事にした。つまり、お前達に殺して欲しい者とは──魔王だ」
「魔王……」
その内容を反芻するように呟きを漏らした冬海は、やがて視線を俯かせて項垂れてしまった。
まあ、気持ちはわかる。いきなり魔王を殺せと言われても納得できないのが普通だ。
むしろ、取り乱さないだけ千秋達は凄いと思う。
それにしても、前の異世界の時みたいに戦争に駆り出されなくて喜ぶべきなのか、それともまた異世界召喚された事に嘆くべきなのか判断に迷うな。
「それで、お前達を召喚した理由だな。魔王の存在を知られたのはいいのだが、どうやら奴にはこの世界のあらゆる攻撃が効かないらしいんだ」
「それも巫女の予言で?」
「ああ。だから俺達は巫女の予言に従い異世界人であるお前達を呼びだした」
「ど、どうして僕達が選ばれたんですか!?」
「お前達が選ばれたのは偶然だ。恐らくこの世界の意思に選ばれたのだと思うが」
「そんな……」
必死な形相で龍牙がオーギュスト様に叫ぶも、そう返されてへなへなとその場に座り込んでしまった。
冬海も俯いたまま微動だにしておらず、この場にどこか鬱々しい雰囲気が流れだす。
それに対して、瞳に絶望的な色を宿す龍牙を見て、オーギュスト様は歯痒そうな表情を浮かべる。
「本音を言うと、お前達を巻き込みたくなかったんだ」
「……どういう事ですか?」
冬海達に比べて幾分か顔色が良い千秋がそう尋ねれば、オーギュスト様は真面目な顔つきに変わって口を開く。
「この世界の問題はこの世界の住人でなんとかする──そう思っていたんだが、俺達では魔王と同じ舞台に立つ事すら許されない」
「オーギュスト様……」
「だから、この世界にお前達を召喚した事については後悔していない。……お前達にとっては俺達の事情なんか関係ないだろうがな」
そこで言葉を区切ると、瞳を閉じたオーギュスト様。
そして、再びオーギュスト様が目を開けたかと思えば、おもむろに玉座を立ち上がり俺達の方へと近づいてくる。
唐突な行動に周囲が唖然とする中、俺達の元まで来たオーギュスト様は深く頭を下げたのだ。
「いきなり何を!?」
「俺はどうなってもいいから、どうか力を貸してくれないか。頼みの綱はお前達しかいないんだ……頼む」
そう告げて頭を下げたきり、オーギュスト様は動かない。
周囲の人達も右往左往していて事態の収拾がつかず、宰相にとっても予想外だったのか慌てた様子でこちらへと駆け寄ってくる。
王女様も宰相が動く事で我に返ったようで、やや遅れて転びそうになりながらも追走していた。
「オーギュスト様!? 直ちに頭を上げてください! 国王である貴方様が頭を下げるなど周りへの示しがつきませんぞ!」
「そうですよお父様! 頭をお上げになってくださいませ!」
「黙れ! これは俺なりの誠意なんだ! 俺達はもう誰かに縋るしか方法が残っていないんだ。今更そんな体裁等気にしていられるか!」
「お、お父様……!」
そのオーギュスト様の悲痛な叫びを聞いて、王女様は口許に手を当てて大きく目を見開く。
宰相もオーギュスト様の言った内容に思う所があるのか、どこか沈んだ表情を浮かべる。
まさか、王様であるオーギュスト様がなんの戸惑いもなく頭を下げるとは……。
正直、俺としては頭を下げられた所でなんとも感じない。
でも、周りに部下がいる前で頭を下げられる王様は、個人的にとても好ましく思う。こんな王様に会うのは初めてだよ、全く。
「この国を守るためなら俺はなんだってする……靴を舐めろと言うなら幾らでも舐める……死ねと言うなら喜んで死ぬ。だから、どうかお願いします。助けてください」
オーギュスト様の涙声混じりの懇願に、周囲は自然と押し黙っている。
その文字通りの決死の願いにどう答えようか頭を悩ませていると、隣に立つ千秋の纏う雰囲気が変化するのを肌で感じた。
それと同時に感じる嫌な予感に従い目を向ければ、そこでは決然とした表情を浮かべた千秋が、オーギュスト様を真っ直ぐに見つめていたのだ。
「頭を上げてください、オーギュスト様」
「お前は……」
オーギュスト様はそんな千秋の表情見て困惑気味になり、周囲も場の雰囲気を読んだのか固唾を呑んで見守っている。
一体何を言うつもり……まさか、千秋の奴──!
千秋がこれから告げる内容に思い当たり愕然としている間に、彼女は強い意志の秘めた瞳でオーギュスト様を射貫いた。
そして、千秋は胸の前で拳を握りながらたどたどしく自分の想いを伝えていく。
「私、正直今もこの状況をよく理解していません。気が付いたら突然この世界に連れてこられて、そしたらいきなり魔王を殺せって」
「……すまない」
「私は今、理解できない出来事に恐怖を感じています。貴方達に対して怒りを抱いています。今すぐ家に帰してと泣きわめきたい気持ちがあります。……どうして私達が選ばれたのって恨みもあります」
「……俺には謝る事しかできない」
そう呟いて表情を曇らせるオーギュスト様に対して、千秋はあくまでも穏やかな表情をしていた。
そんな言葉と表情が噛み合っていない千秋の姿を見て、オーギュスト様は戸惑いがちに眉を寄せる。
「一気に色々な感情が混ざって今の自分の気持ちが殆どわかりません。でも、そんな私にもわかった事が一つだけあります」
そこで言葉を区切る千秋。
そして、穏やかな表情を慈愛の微笑みに変えた千秋は、自然と周囲の視線を集めながら高らかに声を響かせる。
「それは、オーギュスト様がこの国を好きって事です」
「俺が?」
「はい。王様でもあるオーギュスト様がここまであっさりと頭を下げるのは、それだけこの国を本気で救いたいからなんだって思ったんです。こんなにもオーギュスト様が一生懸命になれる国ってとても素敵な所なのかなって」
「……」
「そんな素敵な国を私は魔王から守りたいです! ……私はまだ魔王を殺す覚悟なんてありません。もしかしたら何もできないで足を引っ張るかもしれません。でも、それでも! そんな私にも手伝える事があるならできるだけ手伝いたいです!」
そう一息で宣言すると、千秋は不安げな顔つきでオーギュスト様を窺う。
すると、暫くして千秋が言った事を脳の理解が追いついたのか、オーギュスト様は顔をくしゃくしゃに歪めて号泣しはじめた。
「──あ、ありがとう……! 本当にありがとう……!」
何度も涙声でお礼を告げて頭下げるオーギュスト様。
それを見て触発されたのか、謁見の間にいる貴族達や騎士団。
そして、宰相や王女様に至るまで誰一人例外なく、全員で千秋に深々と頭を下げて感謝を示していく。
そこかしこで漏れる嗚咽の音に、慌てた様子で頭を上げるように頼んでいる千秋を、俺は眩しさから直視できず目を逸らした。
千秋の言っている事は理想論だろう。
オーギュスト様が嘘を言っている可能性もあるのに、そう易々と願いを聞くなんて俺にはできない。
だが、千秋はそういう人を疑ったり自分に得があるか計算せず、自分の想いのままオーギュスト様達へと伝えた。……その結果が目の前に広がる光景だ。
──やはり、千秋は凄いな。
人々を希望で照らすその姿は、かつての俺とは違って紛れもなく勇者だった。