第十七話 見送りに鬼の森
あの後出立の準備を整えた俺達は、現在城の入り口でネリアとクリスティアから別れの挨拶を交わしていた。
ネリアは傍から見てもわかるほどの心配そうな表情を浮かべて俺達を見つめており、クリスティアはいつも通りの無表情で見送りをしている。
「う、うぅ……本当に大丈夫でしょうか? あ、危ないと思ったら直ぐに逃げてくださいね!」
「大丈夫だよネリアちゃん、私達はしっかり訓練したんだから!」
千秋の手を取り今にも泣き出しそうな顔をするネリアへ、千秋は安心させるように微笑みかけて自信満々に頷く。
それでも不安の表情が取れないネリアに、龍牙が力強い笑みを浮かべると口を開く。
「大丈夫だよネリア。僕達なら無事にここへ戻ってくるから」
「龍牙……」
龍牙の言葉に絶対戻ってくるという想いを感じ取ったのか、ネリアの顔が少し和らいだようだ。
まあ、ロドリグより強い敵が出てきたら流石にお手上げだが、俺達が向かう場所は首都近くの森の中なので大した敵はいないだろう。
ちなみに、この二週間で仲良くなった龍牙はネリアの事をすでに呼び捨てで呼んでいる。
「安心してくださいネリアさん! もし危なくなっても私の【雷の霰】で素早く倒しますから!」
「冬海……」
冬海もネリアへ声を掛けると腕で弓を射る仕草を取ると茶目っ気ぽく笑みを浮かべ、その姿にネリアの表情が段々と笑顔になっていく。
「ネリア」
「お兄様……」
最後に俺がネリアを呼ぶと振り向き、俺の顔を見るとまた泣き出しそうになる。
そんな泣き虫な姿に内心で苦笑いをして腕を広げた瞬間に、我慢できなくなったのかネリアは涙を目の端に滲ませながら勢いよく飛び込んできた。
「おっと──」
「お兄様ぁ! うぅぅ……」
「──ネリアは甘えん坊だな」
「ぅぅっ……お兄様ぁ……」
胸へ飛び込むネリアをしっかり抱き留めると、俺の事を呼びながら嗚咽を漏らし始めた。
泣き出したネリアの頭を優しく撫でて慰めながら、ネリアの様子に目を丸くしている千秋達に少し待つように目配せを送る。
右手で頭を撫でるのと一緒に、左手で背中を軽く叩いてネリアをあやしている内に、落ち着いてきたのかネリアはおずおずと胸の中から潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
「ほら、そろそろ行かなきゃいけないから、な?」
「…………はい」
俺の説得に暫し沈黙した後に頷くとネリアはゆっくりと俺から離れていき、せめて笑顔で送り出そうとしたのか俺達へ微笑みかけるが、先ほどまで泣いていたので泣き笑いのような微妙な表情になっている。
そんなネリアの健気な姿に俺は優しい笑顔を返すと、今度は姿勢良く静かに佇んでいるクリスティアへ声を掛ける。
「クリスティアも見送りありがとうな」
「……いえ、御武運を」
俺のお礼の言葉に数瞬の間視線を泳がすと、やがてクリスティアは何事もなかったかのように短く頭を下げてきた。
──クリスティアも変わったよな。
この二週間で一番変わった事といえば、やはりクリスティアだろう。
二日目の別れの挨拶を切っ掛けに俺が諦めずに声を掛けていると、徐々に返事をしてくれるようになったのだ。
まだ表情は固いがいつかは心から笑ってくるといいなと密かに思っている。
クリスティアの言葉に手を振って応え、俺達はネリアとクリスティアに見送られながら城から旅立つのだった。
──鬼の森。
ローザイト王国の首都『セレネルム』の北東に位置するこの森は『小鬼』の住処になっている。
森の広さは大陸中央にある『大森林』とは比べるまでもないが、ローザイト国の中で見るとそれなりの大きさを誇る。
この森では主に首都で登録した初心者『冒険者』や、入隊したばかりの新人騎士達が殺し等を含む実戦経験に馴れるために使われるようだ。
森に出てくる魔物は森の名前になっている小鬼を初めとした『小鬼剣士』『小鬼魔道士』『小鬼斧士』等……多種多様なゴブリン達の生息地になっている。
そんなある意味初心者の登竜門と呼ぶべき場所に俺達は足を踏み入れていた。
時間帯は昼間を過ぎた頃なので、降り注ぐ陽の光が森の木々を照らしており、見晴らしも悪くない──森にしてはだが──ので不意打ちされる危険性等はなさそうだ。
森の中に穏やかな風が吹くと土の臭いが風に乗って運ばれて、このままピクニックをしていても違和感のない雰囲気に、千秋達は周囲を楽しげに見渡している。
そんなどこか緩い千秋達の様子に初めての実戦で仕方ないとはいえ、俺は思わず眉間に皺を寄せてしまう。
──あいつ等、ここが魔物の住処だとわかっているのか?
確かに今は森の入り口付近なので敵もそうそう現れないだろうが、いつ何が起こるかわからない敵地に周囲の警戒もしない千秋達に自然とイライラしていくのがわかる。
実際に周りの気配を探っても小動物一体感じないし、耳を済ませても遠くから生き物の歩く音等も聞こえない事から安全だとは理解しているのだが……。
千秋達に注意するか、一度痛い目にあわせてから体感してもらうか内心で逡巡している内に、ロドリグが千秋に声を掛けてしまった。
「ほら、お前達。お遊び気分でいるのはそこまでだ。もっと周りを警戒しろ」
場所が場所なので声を潜めて注意するロドリグの言葉に、千秋達はハッと意識を戻すと慌てて周囲を見回して警戒を始める。
やっと戦闘に意識を傾けた千秋達の姿に内心で安堵の息を漏らしながら、辺りを調べて魔物の痕跡を探していると木の表面に刃物で切りつけた痕がある事に気が付く。
「これは……」
傷の高さや刃物で傷を着けた事から、この辺りはどうやらゴブリンの縄張りのようだ。
ゴブリンは自分の縄張りを示すために木に傷を着ける習性があるらしく、恐らく初心者冒険者を追いかけてここまできた後に傷を着けたのだろう。
傷を見つけた事をロドリグへ告げると、ロドリグは千秋達を呼び戻して全員で木に近づく。
「ほう……珍しいな、この辺りに傷があるとは」
「そうですね……そうすると、あっちの方向でしょうか」
ロドリグの言葉に冬海は頷きを返し、傷の場所からゴブリンが向かった場所を推測して森の奥を指し示した。
俺の考えた事と変わらない結論を出した冬海に感心すると同時に、冬海が一番図書館に篭っていた時間が長かった事を思い出して納得する。
冬海の推理に千秋は何故か偉そうに腕を組むと何度も頷いており、龍牙は素直に感心した表情を浮かべていた。
「よし、じゃあこのゴブリンを追ってオレ達も森の奥へ向かうぞ」
この後はどうするのかと俺達が目をロドリグに向けていると、ロドリグはそう告げて森の奥へ足を動かすので、各々で返事をすると俺達も彼の後を追うのだった。
「──いたぞ。あそこだ」
暫く森の中をできるだけ足音を立てないように進んでいた俺達は、ロドリグが指さした方向へゆっくりと目を向ける。
そこには、ちょっとした木々の開けた場所で呑気に座り込んでいるゴブリン達の姿が目に入ったのだ。
数は棍棒を持つゴブリンが三体にゴブリンソードマンが二体、ゴブリンメイジも一体。
ゴブリン達は各々が武器を手に持ちながら、車座になって座り込んでぎゃあぎゃあいっている。
好き勝手に声を上げているその姿に、俺は昔いたコンビニの前でたむろする不良達を自然と思い出した。
「ゴブリンが合計で六体いますね……内訳はどうします?」
「そうだな……」
近くの茂みに隠れた俺達が誰を相手にするかロドリグへ尋ねると、ロドリグは顎に手を当てて考え込む素振りを見せながら俺達の顔を順番に見回す。
俺も千秋達の様子が心配なり目を向けると、千秋は始めての実戦に緊張しているのか杖を強く握り締めて顔がこわばっており、冬海は顔に笑みを浮かべているが額には汗を滲ませているし、手も震えているので痩せ我慢をしているとわかる。
しかし、龍牙はいつも通りの穏やかな顔をしていて、その様子に俺は内心で首を傾げてしまう。
俺が龍牙の姿に疑問を感じている内に、内訳が決まったのかロドリグは一つ頷くと俺達へ目を向けて口を開く。
「今回はゴブリンメイジは千秋に任せて、残りの三人でそれ以外のゴブリンと戦ってみてくれ」
「ロ、ロドリグさん……」
なんでもない事のように告げるロドリグの言葉に、千秋は顔をこわばらせたままロドリグへ声を掛けるも、恐怖を感じているのか声が震えてしまっていた。
そういえば、初めてロドリグと模擬戦をした時も、千秋は人に攻撃するという行動を怖がって中々魔法を使う事ができなかった。
俺達の説得と、ロドリグに何回も無理矢理撃たされる事で段々と馴れていったが、やはり実戦となると躊躇をしてしまうようだ。
現に、今の千秋は顔を真っ青に染めて過呼吸気味になっている状態だ。
千秋の予想以上の拒否反応に掛けるべき言葉を迷っているロドリグを尻目に、俺は千秋へ近づきそっと抱き締めて耳を胸に当てる。
唐突な俺の行動にロドリグは目を丸くし、冬海達からも視線の注目が集まる中、顔を青くしながらも俺を見上げてきた千秋に安心させるように微笑みかける。
「安心しろ、千秋。俺がついてるから、ゆっくりと深呼吸しろ」
「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ」
俺の言葉に無言で頷くと、ゆっくりと深呼吸を始めた千秋に耳を俺の左胸に当てて心臓の鼓動を聴かせる。
一定の速度を刻む心臓の鼓動に千秋は段々と落ち着いていき、顔色も血色が良くなっていく。
やがて、千秋はゆっくり俺から離れると抱き締めた時に落ちた杖を拾い、俺達を見回して静かに微笑んだ。
「ありがとう、春斗。……うん、もう大丈夫だから、落ち着いた」
「なら良かった」
千秋の言葉に嘘はなさそうなので安心して安堵の息を零している間に、俺達のやり取りに一段落ついたと思ったのかロドリグが俺達へ声を掛ける。
ちなみに、俺達のやり取りを見て妄想に浸りたいが、場所が場所だけに妄想に耽れない事に冬海は凄く残念そうな表情を浮かべていた。
「落ち着いたなら、そろそろ戦闘を始めるぞ、準備はいいか?」
「了解です」
「春斗のお蔭で私は大丈夫です」
「正直手がまだ震えてますが……頑張ります」
ロドリグの言葉に俺達は返事をするが、龍牙が何も言わない事に気が付く。
不思議に思った俺達が揃って顔を龍牙へ向ければ、当の本人はキョトンとして首を傾げていた。
「ん? 皆、どうしたんだい?」
「いや……何でもない」
一見何でもなさそうな龍牙の言葉に咄嗟に取り繕うと、どうやら上手く誤魔化せたようで龍牙はゴブリン達の方へ目を向けた。
──嫌な予感がするな。
龍牙と会話を交わしていく度に、胸中にどんどん嫌な予感が湧き上がっていき、先ほどの言葉に一気に膨れ上がってしまう。
昔からこの勘には助けられたので、それに従い龍牙の様子をそれとなく見守っておく事にする。
「じゃあオレはここでお前達の様子を見守っているからな。──健闘を祈る」
ロドリグの言葉に静かに頷いた後、俺達は茂みから飛び出していったのだった。