プロローグ 異世界召喚
現在、俺──峯岸 春斗──はため息をつきたくなるような気持ちでいっぱいだった。
辺りを見渡すと、どうやらここは神殿内のようで、喜色の笑みを浮かべた金髪碧眼の美少女が佇んでいる。
その美少女の周囲で歓声を上げている、ローブに身を包む二十人ほどの集団。
嬉しそうな様子を見せる美少女達に対して、俺のすぐ側にいる三人の友人達は、呆然と立ち尽くしていた。
改めて周囲の状況を認識した俺は、今度こそため息をついてしまうのだった。
──さようなら、俺のスローライフ。
──静かな余生を送りたい。
そんな夢を密かに掲げていた俺は、今年で高校二年へと進級した。
進級してからまだ一ヶ月しか経っていないが、高校一年生時のクラスメイトもいたので、クラスには上手く馴染む事ができた。
特にこれといった事件も起きておらず、春の穏やかな陽気に平穏を感じられる余裕さえある。
このまま平和に高校を卒業して、穏やかな余生を過ごす事ができればな……。
何故このような夢を持ったのかと言えば、なんて事はない。かつて異世界召喚された経験があるという、それだけの話だ。
異世界ではあまり良い思い出がない……よく戦争に駆り出されていたからな。
今では平穏な日常が凄くありがたく感じられるようになったよ。
そんな事を考えつつ、俺は学校の帰り支度をしていた。
今日は用事があるので気持ち早めに準備していると、背後から馴染みのある声が掛けられる。
「やぁ、春斗。今日よかったらどこかに寄り道しないかい?」
「あー、悪いな。今日は野暮用があって無理なんだ。また今度誘ってくれ」
「そうなんだ……残念だけど、用事があるなら仕方ないね」
振り向いて告げた俺の言葉に、友人である夏樹 龍牙は残念そうに肩を落としていた。
龍牙の場合、その高い身長のお蔭で落ち込んでいても様になっているな。
清潔感のある茶髪に、タレ目気味の鳶色の瞳。
足もモデルのように長いので、学校の女子達に人気だと言うのも頷ける。
ちなみに、俺の背丈は龍牙より頭一つ分低い。
少し長めの黒髪に、同色のやや鋭い瞳。
顔立ちは客観的に見て整っている方だろう。流石に龍牙には負けるが。
龍牙とは高校に入ってからの付き合いだが、出会ってから割と直ぐに意気投合してプライベートでも会う仲だ。
そして、龍牙以外にも仲の良い友人が二人いるのだが……
「あいつ等はどうした、龍牙?」
「多分もう直ぐで来ると思うよ……ほら、噂をすれば」
そう呟いた龍牙が教室の入口に目を向けたので、釣られて後を追うとちょうど二人の生徒が教室に入ってくる所だった。
暫く見ていると向こうも俺達に気が付いたのか、手を振りながら近づいてくる。
「春斗、龍牙君! 今日は一緒に帰らない? 最近駅前で美味しいクレープ屋さんができたんだって!」
元気よく朗らかな笑顔で話しかけてきたのは、清水 千秋。
女子としては高めな背丈に、腰の辺りで切り揃えられている綺麗な漆黒色の髪。
強い意志を感じさせる、黒曜石のような涼しげな瞳。
そして、きめ細かな白い肌に均整の取れたスタイル。
まさに、理想のお姉様を体現したような姿をしている。
その容姿から初めて会う人にはクールな印象を持たれがちだが、そんな事は全くない。
見た目に反して千秋は可愛いものが好きだし、感情表現も豊かだったりするのだ。
それに、相談等に親身になってくれる親しみやすい一面もある。
そんなギャップ等もあり、本人の知らない所で男女共に絶大な支持を得ているらしい。
千秋とは家が隣同士の幼馴染みで、昔から一緒によく遊んでいた。
小さい頃はいつも千秋の世話をしていたからか、当時の千秋は俺を兄のように慕ってどこへでも付いてきたものだ。
それにしても、改めて見ると千秋は本当に綺麗になったよな。
幼馴染みとしては鼻高々な一方、兄替わりを務めていた身としては、将来千秋と結婚する奴を見極めてやらねば。
人知れず決意を新たにして千秋を黙って見つめていると、恥ずかしかったのか彼女は段々と頬を赤らめていく。
「ど、どうしたの春斗。私の顔に何か着いてる? そんなに見つめられると恥ずかしいよ……」
まさか、正直に将来の旦那について考えていたとは言えない。
なので、この場は適当に言い繕う事にする。ついでに千秋をからかおう。
「ああ、悪い。千秋に見惚れていた」
「み、見惚れっ!? そ、そんな事より! 春斗はクレープ屋さんに行けるの?」
俺の言葉に耳まで真っ赤にした千秋が、あちこちに視線を飛ばしながら話題を逸らしてきた。
やっぱり千秋は弄りがいがあるな。
そう思いつつ俺が行けない趣旨を伝えると、千秋はとても残念そうに項垂れてしまった。
そういえば、千秋は甘いものが凄く好きだったな。よくスイーツ巡りに付き合わされたりもしたっけ。
幸せそうな表情でスイーツを頬張る千秋の姿を思い出している俺を尻目に、一緒に教室に入ってきた生徒が千秋に慰めの声を掛けている。
「元気を出してください、千秋さん。また次の機会に誘えばいいのですよ」
「……うん、そうだね。次はケーキバイキングにでも誘ってみるよ!」
「その意気です!」
落ち込んでいる千秋を慰めているのが、東 冬海だ。
平均的な背丈に、肩にかかるぐらいの茶色がかった黒髪。
星屑が散りばめられたような琥珀色の瞳。
全体的に人懐っこそうな顔立ちをしており、見る人に快活な印象を与える美少女である。
そんな見た目に反して冬海はとても真面目な性格で、誰にでも丁寧な言葉遣いをする事で有名だ。
また、その真面目さからか学年委員と生徒会を兼任している。
そうした冬海の頼りがいのある姿勢から、生徒だけではなく教師からも信頼されており、色々な事を頼まれたりするらしい。
冬海とは中学生の時から知り合いだったが、仲良くなり始めたのは去年に冬海の仕事を手伝ったのが切っ掛けだ。
あの時の冬海は涙目でオロオロとしてて凄く面白……可哀想だったな。
とまあ、そんな感じで冬海の仕事を手伝った時から仲良くなり始め、千秋達に紹介するのにも時間は掛からなかった。
俺が内心でそんな事を考えている間に、冬海に慰められて立ち直ったようで、千秋は笑顔で次に行く場所を龍牙達に話している。
クレープ屋に行けないのは残念だけど、今日は外せない用事があるからな……。
そんな事を思いつつ教室に掛けてある時計を見た俺は、鞄を持って立ち上がる。
「じゃあ俺は用事があるから先に帰るな。千秋はクレープを食べすぎるなよー」
「ちょっと春斗、それどういう意味!?」
「千秋はいつも食べすぎるからしっかり見張っておいてくれ」
「ははは、そうだね」
「大丈夫だよ! いっぱい食べても太らないから!」
「……くっ!」
不満げに頬を膨らませた千秋を努めて無視して俺が頼めば、龍牙は苦笑いしながら頷いてくれた。
そして、女性が怒りそうな事を言ってドヤ顔をする千秋に、それを聞いて拳を握って悔しそうな声を上げる冬海。
そんなある意味いつも通りな三人の姿に、思わず苦笑いしてしまう。
千秋って甘いものが好きだけど、今まで体重を気にした事がないらしい。
前にそれを知って冬海が愕然とした表情を浮かべていたな。
まあ、冬海の気持ちもわからないでは──っ!
「春斗? いきなり立ち止まってどうしたんだい?」
「龍牙! 今すぐ千秋達を連れてここから逃げろっ!」
突如として嫌な予感を感じた俺は、不思議そうに近づいてくる龍牙へと叫ぶ。
そんな俺の焦燥感が篭った叫びを不審に思ったのか、まだクラスにいる生徒達が怪訝そうに見てくるが、そんな事に構っている暇はない!
しかし、千秋達は教室を出るどころか、俺の元へと集まってきてしまう。
「いきなり何を言っているんだい? 教室を出ろって……二人は何かに気が付いた?」
「いえ。特に異常は見当たりませんが」
「私もわからないよ。春斗の勘違いじゃない?」
千秋達がそう言ってくるが、三人が近づいてくるにつれて俺の嫌な予感は急速に膨れ上がっていく。
まずいまずいまずい……この感じはあの時と同じだ。
こうなったら千秋達には悪いが無理矢理にでも──
「な、なんだいこれは!? 一体何が起きているんだい!?」
「わぁ、床が光っているよ春斗! ど、どうすればいいのかな?」
「と、とりあえず落ち着きましょう! まずはここから一旦出れば……あれ、出られない!?」
──遅かったか……。
俺達を起点として出現した光り輝く魔方陣を見て冬海が脱出を図るも、透明な壁に囲まれてそれも叶わないようだ。
この後の展開を予想して思わず項垂れる俺や、理解不能な状況に右往左往している千秋達等お構いなしに、魔方陣の輝きは増していく。
そして、お互いの顔が見えなくなるほどの輝きになった瞬間、俺は身体に浮遊感を感じるのだった。
浮遊感はすぐになくなり、足が地面に着く。
しかし、足元からは先ほどまで感じていた木目調の感触ではなく、何か石のような感触が返ってきた。
魔方陣の輝きが完全に収まると、唖然としている千秋達の様子が目に入る。
まあ、気持ちはわからないでもない。さっきまで教室にしたのに、気が付けば知らない場所にいるのだからな。
俺の視界に映るのは高貴な雰囲気を醸しだす美少女と、ローブを着た二十人ほどの集団。
俺が周囲の状況を確認している内に、暫し呆然とした様子だった美少女は、やがて傍から見てもわかるほどキラキラとした笑みを浮かべる。
そして、美少女は鈴が鳴るような声でそっと呟く。
「あぁ……遂に逢えました──勇者様」
どうやら今の言葉は俺以外に聞こえなかったらしい。
それにしても……勇者、か。
呆然としたまま動かない千秋達。
歓声を上げながら、お互いの肩を叩きあっているローブの集団。
そう呟いて瞳を閉じた後、安堵したように胸に手を当てる美少女。
三者三様な様子を見つつ先ほどの言葉を思い返した俺は、自然と憂鬱な気持ちになっていくのだった。
──今度は勇者か。