黒殻の地で ①
黒殻都市『イルムガント』
四大都市の一角を占めるこの大都市は、今日も大きな賑わいをみせていた。
もうすぐ日が暮れる時間になるが、人々の喧騒は治まる気配がなく、むしろ酒場や娼婦街に人が集まり、昼間とは違った熱気が町にあふれていく。
そんな都市の、昼間でさえ薄暗い路地裏の一角。今ではすっかり暗くなってしまった道を、黒髪の美少年(自称)であるオレ――ユート・シラサギは、全速力で駆けていた。
「あぁーもぉー! しつけぇぇぇぇぇ!!!」
後ろからは「待てやゴルァ!」「殺すぞクソガキャァ!!」と、オレの疾走を応援してくれるような暖かい声援が飛んでくる。
肩越しに振り返ると、人相の悪いおじ様方がナイフ片手に追いかけてきていた。
「いい加減諦めろよ!? 時間は有限だぜ、人生諦めが肝心って教わらなかったのか!?」
「黙れボケぇ! だったらてめぇが諦めて俺たちにおとなしく捕まりやがれコラァ!」
なんなのこの人達。語尾で悪態つかないと喋れないの?
夕暮れの街中で、明らかに堅気じゃないおっさん三人との逃走劇。
オレ、いったいなにやってるんだろ……
何故こんなことになったのか。ことの始まりは、三十分前に遡ることになる――
「はぁ、急に財布の中身が倍になる魔法覚えてーなー」
三十分前のオレは、軽い財布を手で弄びながら、中央通りを宿に向かって歩いていた。
黒い軽装に、無造作に腰に吊った長剣。この辺りでは珍しい黒髪を後ろで縛り、黒い瞳が凛々しく輝く。それがオレの外観だ。
顔の作りは整っているといっていいだろう。婆ちゃんのお墨付きだ。
そんなことを言ってくれたのは婆ちゃんだけで、今まで彼女が出来たことも無いが、オレの顔は整っている。
俺は婆ちゃんを信じるのだ。
職業は冒険者――己の命をかけて金を稼ぐ仕事である。
今日も庭の草むしり、軒下のねずみ退治、ペットの捜索など大仕事を終えて帰る途中であった。
…………。
こんな日もあるさ。何とか宿代は稼いだのだ、明日また頑張ればいいや。
自分で自分を慰めながらとぼとぼと歩いていると、正面からいかにも高価な鎧を身に着けた一団が歩いてきた。
先頭の禿頭を筆頭に扇状に広がって歩いており、邪魔なことこの上ない。
――ヴァルハラ騎士団。
実際は騎士でも何でもない冒険者のギルドなのだが、自主的に街の警護などを引き受けるため、いつの間にかそう呼ばれるようになったらしい。
この街で最大派閥のギルドで、所属メンバーのレベルも段違い。
その威圧感に、ちらほら見える同業者は道を譲るように脇にそれていく。
もちろん、オレはそんな連中とは違う。
逸れるどころか壁と一体化するように張り付き、隠れて一団が通り過ぎるのを待っていた。
しかし、そんなオレの努力も虚しく、向こうの方から声をかけてきやがった。
「ユート・シラサギ!!」
声でけぇんだよ、鼓膜破れるわハゲ!
そんな言葉が喉まであがってきたがグッと堪え、愛想笑いと共に振り返る。
「あ、アレクシスさん、こんにちはー……」
思いっきり引きつった笑顔と声で返事をしてしまった。
禿頭――ヴァルハラ団長であるアレクシスは、そんなオレの様子などお構いなしに近づいてくる。
「久しいな、ユート・シラサギ。どうだ、我等がギルド、ヴァルハラに入る決意はできたか?」
「い、いやー……そんな、オレなんかがヴァルハラに名を連ねるなんて、恐れ多いというかなんというか……」
そうなのである。なんの因果か、オレはギルドの勧誘を受けているのだ。
なんの因果っていうか、原因は一つなんだけどね? このおじさんが、オレと自分の娘が恋仲であるとか勝手に勘違いしてるんだけどね?
アレクシスの娘――アンネは、斡旋所の受付娘をしている。
斡旋所というのは、まぁ簡単に説明すると、オレ達冒険者と依頼主の仲介役をしてくれる施設である。
大きな仕事となると名指しで依頼を受けるが、それ以外の小さい仕事はこの斡旋所で依頼を受けることがほとんどだ。
そこで受付娘をしているアンネは、アレクシスとの血が繋がりを疑いたくなるような美少女である。
まず髪があるし――当たり前だ――、愛嬌もいい。小柄で一生懸命働く姿は、見ていて癒される。
美人ぞろいの受付娘の中でも、冒険者からの人気は上位に入るだろう。
そしてなにより、その幼い体型に不釣合いなほど大きい胸がgoodだ。
そんなアンネだが、彼女に手を出そうとする勇者はいない。理由は言わずもがな、オレの目の前にいるおっさんが原因である。
「何を言うのだ! 確かに! 今の貴様は未熟かもしれん! だが! はじめから強者である者などいないのだ! 故に! ヴァルハラに入り、その心身を鍛え上げてやろうというのだ!!!」
言葉の区切りでワントーン高くなる声に、怖くてちょっと涙が浮かんでくる。
いやだって、こんな厳ついおっさんが目の前で大声で叫び、ギルドに入れと強要してくる。これ、もはや恐喝だろ。
警備団さ~ん、善良な市民が恐喝にあってますよ~……いかん、この街の警備団は目の前のおっさんだった。
世も末である。
「団長」
アレクシスに近づいてきたのは、色白の、線の細い男だ。
細い目とこけた頬、一見ひ弱そうなイメージを抱く男だが、れっきとしたヴァルハラのナンバーツー、副団長である。
名前は忘れたが……
「どうした、ハンス」
ハンスという名前らしい。
「団長の事情は伺っておりますが、やはり、私は反対です。このような者をヴァルハラに入団させては、全体の品位を疑われます」
「我々は街の警備も任される身、素性も分からぬようなこんな男を入団させるのは納得できません!」
続いて、他の団員もこちらに集まってきてアレクシスに異を唱える。人口密度が急激に高まり、実に暑苦しい。
なにやらひどい言われようだが、実際オレは新参者であるし、ヴァルハラに入団する気もないので心の中でエールを送ることにする。
そうだそうだ、もっと反対してくれ! でも、悪口はもう十分だからな!
その後も反対意見(と、オレへの誹謗中傷)続く中、静かになったタイミングで、アレクシスは重々しく口を開く。
「ハンスよ、お前はなんだ?」
「? なんだ、とはどういうことでしょう?」
ハンスは虚を突かれたように聞き返す。
うん、漠然としすぎてるよね、その質問。
「副団長である前に、ヴァルハラである前に――お前は、冒険者であろう? 確かに、我々ヴァルハラはこの街で大きな役割を持っている。だが、それがなんだ? 他の冒険者を見下す理由になりえるのか?」
アレクシスの言葉に、ハンスは細い目を見開くと、唇をかみ締めて黙り込んでしまう。
え? なに説得されてんの? 頑張れよ色白!
本当は声に出して応援したいが、いま声を上げれば視線がこちらに集まる恐れがあるで、ハンスが盛り返すよう念を送る。
「彼は冒険者であり、私たちも冒険者である。そこに、いったいどんな違いがあるのだ、ハンスよ?」
「……申し訳ありません。私が浅慮でした」
ハンスは自分の過ちを認めるかのように、深く頭を下げた。もっと粘れや!
アレクシスはそんなハンスの肩に手を添えると、顔を上げさせる。
「よいのだ、ハンス。私とて、本来ならお前に説教をできるような立場ではない。自分の傲慢さを省みず、同じような振る舞いをしたこともある。だからこそ、お前達には同じ過ちを繰り返して欲しくないのだ。力を持つ我々は、自分の立ち位置をしっかりと確認せねばならん」
「団長……!」
ハンスは瞳に涙を浮かべ、アレクシスはそんなハンスを見て大きく肯いている。
「お前たちもだ! 心せよ!!!」
「「「「「はい!!!」」」」」
アレクシスの言葉に、団員たちは胸に手を当てて答える。
…………なにこれ。オレ、こんな世界入っていけないんですけど? そもそも、オレの勧誘の話じゃなかったのか?
こっちに意識を向けられても困るが、ここまで無視されると少し悲しくなってくる……。
ヴァルハラに入団したくない理由が一つ増えたオレは、視線がアレクシスとハンスに集まっているこの機に建物の間に体を滑り込ませると、静かに逃走を図る。
後ろを振り返っても、追ってくるものはいない。
勝った――ぐっと拳を握ると、今度は振り返ることなく、全速力で駆け出した。
――今考えるなら、ヴァルハラと遭遇した時点で今日の運勢は最悪だったのだ。
それなら、この後に訪れた不幸も、ある意味必然だったのかもしれない――