第98話 運命の出会い
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ニブラス近郊の人目の少ない山の中。そこはモンスターが徘徊する危険地帯だ。
故に往来する人影もほとんどなく、近付く者すら稀である。
だが半年ほど前の津波事件で、ニブラス周辺の街道が泥に埋まると言う事故が起きた。
これにより、滅多に使われなかった周辺の街道が見直され、その先に繋がる村落の存在価値が大きく上昇する事になる。
この山にも少数ではあるが人が通るようになり、その岩の隙間を縫うように伸びる山道には、轍の痕が刻まれるようになった。
そんな往来が少ない山道で、唐突に地面が盛り上がったのは深夜を回ってからの事だ。
山道の中央が小さく盛り上がり、モゴモゴと動いて土を掻き分ける。
そうして地面から出てきたのは、幽鬼のような細く華奢な腕だった。
腕はしばし海草のように左右に揺れて、彷徨い動き――唐突に周辺の土を跳ね上げて、地中から何者かが顔を表した。
「ぷはぁ! フハハハハ! 央天魔王、ラキア=ナイトミスト! 華麗に、復! 活!」
両手を万歳のような形にして土から現れたのは、十代半ばから後半に差し掛かろうかと言う少女の姿だった。
彼女は頭に乗った土をパタパタと叩き落としてから、傲岸不遜な態度で周囲を見渡す。
……もっともその身体の胸から下は土の中だったが。
「むぅ、死ぬかと思ったわ。まさか復活地点が地中の中に移動していたとは……さすがに我も想定外」
もぞもぞと土から這い出してきたその姿は、まさに絶世と言っていい美貌を誇る全裸の少女だった。
小柄ながらもメリハリの利いた体型をしており、必要なところに必要なだけの肉を乗せたスタイルは、妖艶とも言える雰囲気を纏っている。
大き過ぎず小さ過ぎない絶妙な大きさの胸の頂上には桜色の頂点が乗っており、その色合いは薄く、乙女のような風情すら漂わせていた。
腰も大きく張り出し、一足ごとに柔らかそうに弾んでいる。
その頭には羊のような大きな角を持ち、背中と腰の中間辺りには小さな蝙蝠の様な羽も生えている。
明らかに人ではない姿。だが、それでいて背徳の美を体現している者。
蠱惑的な肢体も、そして月光をキラキラと跳ね返す輝く銀髪も、薄い褐色の肌も……今は全て、泥で汚れていたが。
「うぬぅ、木の根がこんなところまで!」
がに股になってどこかから何かを掻きだす姿は、美少女としての尊厳を大きく破壊していた。
「ふぅ……まったく、アレだから人間は恐ろしい。相打ち覚悟とか謀略とか、平気でやりおる。こちらが油断したら、あっという間に寝首を掻きに来るのだから恐ろしい」
ぶつくさ言いながら口にするのは、死の寸前まで戦っていた男達の姿。
およそ二十年前のあの戦い。勇者と呼ばれる連中は、こちらの攻撃を無効化しつつ相打ち覚悟の突撃を掛けてきたのだ。
「だから人間を隔離して接触しないようにしていたのに、なにが『人食いの魔王』だ。誤解もいい所であるぞ」
彼女は人間の恐ろしさを、その長い寿命から散々学んでいた。
どんな逆境にあっても打開策を打ち出し、しかも突然変異的に生まれてくる『勇者』とやらを押し立て攻め上がってくる。
勇者が現れない時は『召喚者』なる者すら使役して、魔族に抗してきたのだ。
だからこそ、彼女は人間に敵対しないよう、適度に距離を置くべく隔離した。
だが人間側はそれを由とせず、隔離され、帰らぬ人々を『食われた』と判断したのだ。
結果、彼女は魔王と認定され、人類の敵にされてしまった。
「うむ。人間コワイ。ラキア覚えた。よし、もうアレだ。我は魔族である事を隠して隠遁するぞ。田舎で細々と暮らして畑でも耕す。今、そう決めた!」
仁王立ちのままグッと拳を握り締め、決意表明する魔王ラキア。
しかし、いまだ全裸なので、まるで痴女である。
「しかし他の連中はまだ復活しておらぬのか。あれほど『人間、甘く見るな。復活手段は確保しておけ』と忠告してやったのに。時期的に南天くらいは復活してそうなのだが……気配はないな」
いかに魔王とて、まさかすでに討伐されているとは思わなかっただろう。
それだけ、魔王と言う存在は異端であり強大だったのだ。
「ま、先に復活できたのは幸いじゃな。今なら魔族と疑われる事なく、市井に混じれると言う事じゃし……そうと決まれば、まずは……風呂と服か?」
彼女に正確な時間は判らないが、復活には十年以上の月日が必要になるはずである。
それだけ時間が立てば、人間の警戒心も薄れてくる頃合いだ。
他の魔王が先に復活して暴れまわっていたら、警戒心もきついだろうが、十年の平穏で人心が緩んでいる今ならば、容易に人と混じる事は出来るだろう。
「そうと決まれば近場の町に……ん? 誰か来るな?」
当時は人気のない山の中を復活ポイントに選んでいただけあって、ここに人が通るとは思いもよらなかった、魔王。
実際はワラキアの大崩壊事件で集落の位置が変わり、さらには洪水騒ぎのせいで往来が増えつつあり、復活位置がニブラス近郊に接近してしまっていたのだ。
山道を登ってきたのは、二十人程度の集団だった。
全員が粗野な雰囲気の革鎧で武装しており、中には義手義足の者も複数いる。
「ふむ、傭兵団かの?」
ラキアはそう見立てて、人里の位置を聞くべく大股で近付いていった。全裸で。
もちろん、相手がそんな少女の姿を見咎め無い訳が無い。
「あ、なんだぁ? こんな場所で……先客に襲われたか?」
裸で近付いてくる少女の姿に、最初は訝しんでいた物の、それが絶世と言ってもいい美少女と知り警戒心を弱める。
彼等とて、見かけで強さを判断してはいけない事くらい散々経験していたのだが、女と関わる事の少ない日常がその警戒心を解かせていたのだ。
無言で近付いてきたラキアに男が無遠慮に近付き、下から上へと嘗め回すように眺める。
その視線にさすがに嫌悪感を感じたのか、ラキアは眉をひそめて言葉を飲み込んだ。
「なんだ、誘ってんのか、お前……」
無作法にもいきなり胸をわし掴みにしてくる男。
その行為にラキアはふと、もう一つの重要案件を思い出した。
「そういえば食事がまだだったな」
「飯か? なら俺達が存分に奢ってやるよ! ミルクばかりだけどなぁ!」
獣のごとく押し倒す男。それに蟻のごとく群がる別の男達。
女も――イライザですら、情欲に濡れた目でその群れに参加している。
「さすがに悪食な淫魔族でも、お前達風情はご免被る――」
そう一言呟いて、ラキアは魔力を解放した。
彼女の攻撃の最大の特徴は、強大な魔力による無差別範囲攻撃である。
これにより、絶圏と呼ばれた男は受け流す事も不可能な状態に陥いり、鉄壁と呼ばれた勇者は、彼を守らざるを得なくなってしまったのだ。
結果、鉄壁は絶圏を守り、破鎧と呼ばれた勇者が相打ち狙いで飛び出していく。
その戦術で彼女は破れてしまった。
その彼女の広範囲攻撃が狭い山道で炸裂した。
もちろん逃げ場なんてものは無く、逃げるだけの技量を持つ者もいない。
敵すら魅了して懐に誘い込み、自身もろとも範囲攻撃で吹き飛ばす。それが彼女の戦術だったのである。
全ての敵を吹き飛ばしたラキアは、意気揚々と近隣の町……即ち、ニブラスへと降り立った。
角と翼を幻術で隠し、堂々と街中を闊歩する。全裸で。
十年ぶりに見る人間の町は、だがそれほど進化している風ではなかった。物珍し気に周囲を観察していたが、やがて町の住人もこちらを観察している事に気付く。
泥に汚れた彼女を、盗賊に襲われたのかと同情の目で眺める住人達。
その視線を受けて、ようやくラキアは自分の格好に気付いたようだった。
「うぬぅ、これは服の調達が先か……? だが人里では何を買うにも金がいると聞く。我は金など持っておらぬぞ……何と言う事だ、魔王とまで呼ばれた我が一文無しだと? うあああぁぁぁぁ!?」
頭を抱え煩悶し、やがて地面に両手をついて苦悩する彼女を見て、町の住人は自らの推測を確信に変える。
あの姿は悲劇を思い浮かべてしまったが故の苦悶なのだ、と。
そんな彼女に、一人の男が近寄り、マントをかぶせて裸身を隠した。
「まぁ、あれだ。いくらなんでもその格好は目の毒だ。何があったか知らんが、これでも羽織っておけよ」
「お? ああ、すまぬ。恩に着る」
男は中肉中背の目立たぬ風貌をしていて、ボサボサと伸びた髪が特徴と言えば特徴だろうか?
腰には変わった風体の剣を刺していたが、冒険者特有の張りつめたような気配はない。
一見して人が良さそうな雰囲気だったので、ラキアは彼を頼りにすることを決めた。
「スマヌが、体を洗う場所を探している。後、服も欲しいのだが……」
「……金が無い、と?」
「恥ずかしながら、そうだ」
男はしばし思案してから溜息を吐く。
そうして町の一方向を指差し、彼女に水場を教授した。
「あっちにまっすぐ行くと、湖に出る。そこならタダで身体を洗える。後、服を買う金だが……これでいいか?」
男がポケットの中に手を突っ込んで、取り出したのは、驚いた事に金貨である。
この金貨が二、三枚もあれば一般的な家庭が一月生活できるほどの価値があるものだ。
「こんなに! その、いいのか? 我は返す充てなんてないぞ?」
「別に構わんよ。どうせぎぞ――いや、なんでもない」
「そうか! すまない、本当に恩に着る。そうだ、我の名はラキアと言う。何か困った事があれば、我を訪ねるとよいぞ!」
「はいはい、俺はアキラだ。名前、逆読みなのか……」
「偶然だな! 運命を感じるぞ」
「そういうのは美少女に言われるのが……いや、意外と美人さんだな、お前。薄汚れてはいるが」
そう言われ、ラキアは自分の風体を思い出す。
美男子ではないが、善良そうな……わりと好みのタイプの男を前に何という無様な姿をさらしてしまったのか。
これではサキュバス族の沽券に関わる。
サキュバスは顔の良し悪しではなく、その個人の持つ力に魅力を感じる。
平凡かつ善良そうでありながら、溢れてダダ漏れになっている彼の力は、非常に好みだったのだ。食事的な意味で。
ぜひ一口、試食してみたい。そう考えた。
「む、そうだな……あ、そうだ。時間はあるだろうか? その、水を浴びている間、見張る者がいてくれると助かるのだが……」
「あ? そうか、それもそうだな。美少女が一人昼間っから水浴びとか、良いカモだもんな」
案の定、『不安そう』な顔でお願いしてみると、彼は二つ返事で同意してくれた。
これでこの男と、しばらく一緒に行動ができる。
魅了の力も使ってみたのだが、こちらは効果が無かった。やはり潜在的な力が非常に高いのだろう。
こうして魔神ワラキアと魔王ラキアは、運命の邂逅を果たしたのである。
ようやくヒロインの最後の一人が登場です。