第96話 遠征軍の末路
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南方砂漠、ファルネア帝国軍駐屯地。
その野営地で、アンサラ派遣隊副長のラッセルは、一通の手紙を受け取った。
送り主はキフォンの街のガロア。彼の街でも高名な冒険者だ。
「……ふむ、最後の鍵を口説き落としたか。さすがサリーさん。相変わらず、訳の判らないカリスマがあるな」
それは独立のための最後の鍵、世界最強の諜報能力を持つイリシアを引き込んだことを告げる手紙だった。
これにより独立派は万全の態勢を取れるようになった事になる。
「後はこの魔王の存在だけが問題なのだが……動くタイミングはこちらに任せる、か」
いまだ砂漠には巨大な炎の壁が立ち塞がり、彼らの侵攻を押し留めている。
魔王ガルベスの脅威が取り去られない限りは、独立派も具体的な動きを行うのが躊躇われるのが現状だ。
「だが、むしろ今こそがチャンス、か? どうせここの戦力だけでは、ガルベスは抑えきれない。アロンが動いてない以上、俺達はしょせん当て馬に過ぎない。そしてファルネアも建前だけの派遣を行っているが、それが大きな軍事行動を妨げている」
魔王ガルベスを討伐するならば、ファルネア帝国だけでなくアロン共和国の力も必要になる。
そのアロン共和国は、今を持って軍を派遣する気配が無い。これは魔王にまともに対処する気が無い証明でもある。
そしてファルネア帝国もまた、本格的な派遣ではないのだ。
ファルネア帝国の勇者と呼ばれるシュルジー卿が、いまだ到着していないのだから。
両者とも、まともに対応する気が無い。あわよくば、魔王ガルベスと魔神ワラキアを噛み合わせようと言う小癪な思惑が透けて見える。
「たった二十年弱だと言うのに、ガルベスを甘く見ているのか、敵が動かないと確信しているのか……とにかく、今がチャンスであることには変わりないか。アンディ、いるか!」
ラッセルは決断を下し、副官のアンディを呼びだす。天幕の外で待機していたアンディはその声に応え、中に入ってきた。
「お呼びですか、隊長?」
「俺は『まだ』副長だよ、隊長はグラッデン殿だ。それより……」
「――ついに、動きますか?」
「ああ。これよりアンサラ派遣部隊は、アンサラまで退避し、そこで防戦の構えを取る。グラッデン殿は追ってくるだろうが、直属の兵がいなければ手出しできまい」
「むしろこの遠征軍その物が動かないか、心配ですね」
グラッデンはアンサラの派遣部隊の隊長であり、なおかつ、南方遠征軍の副軍団長である。
軍団長たるシュルジーが未到着のため、現在最大の権力を持つのはグラッデン本人だ。
ここでアンサラ派遣隊と言う自分の手駒に逃げられるのは、彼の面子を大きく損なう行為に当たる。
「目の前の魔王を放置して裏切り者を追うとか、さすがにそこまで愚かではあるまい。悪いがこの状況は利用させてもらう」
「それでも追っ手は皆無ではありますまい」
「おそらくはな。アンサラまできつい鬼ごっこになるだろう。夜明け前に出発するぞ、兵に準備させておけ」
「ハッ!」
こうしてアンサラ派遣隊は南方遠征軍より離反した。
明け方、アンサラ隊の離反を知ったグラッデンは、まさに狂乱した。
自身が送り出した部隊が魔王を目前に逃げ出したのである。それはグラッデンの体面を大きく傷つける行為だった。
「ラッセルの隊が消えただと!? 一体どういう事だ?」
「それが、どうやらアンサラ隊のほとんど全員を引き連れて、街へ帰還したらしく――」
「バカな、この非常時に街に戻って何をする気だ! 魔王は復活を遂げ、目の前で炎の壁を建てて我らを挑発しているというのに!」
「そこまでは、さすがに……」
「おのれ! これは明白な反乱である。ラッセルは、いや……アンサラはファルネア帝国に叛意を翻した! 至急総力を持ってこれを追討する!」
「閣下、そのような事をすれば内戦になります!」
「軍規を守らず逃亡するような兵に何の価値も無いわ!」
明け方、仲間が消えている事を知り、慌てて報告に上がったアンサラの残存兵は、グラッデンの怒りに平伏するしかない。
自分がなぜ取り残されたのか彼はいまだ理解していないが、それは彼がファルネア帝国への帰属心の強い、グラッデンと似たタイプだったからである。
そういう人材をラッセルは意図的に選り分け、少し離れた場所に配置させていた。
報告に上がった兵に酒杯を投げつけ、怒りを露わにするグラッデン。その直撃を受け、頭から血を流し悶え苦しむ兵士。
その顔はかつてアキラを取り調べた、横柄な兵士のそれであった。
「このような事が本国に知られれば、いい恥さらしだ! いいか、シュルジー卿が到着するまでにアンサラ隊を討伐し事態を収拾する! 騎兵をすべて集めろ、歩兵は足が遅いから要らぬ。事は一刻を争う」
「は、はい!」
「それとそこのアンサラの裏切り者は首を刎ねておけ!」
「し、しかし彼は……」
「アンサラは我に反旗を翻したのだ! ならばそこの者も反逆者に他ならん!」
「……了解しました」
「ひ、ひぃぃぃぃ!?」
グラッデンは間をおかずラッセルの後を追う。それは騎兵中心で組まれた、速度重視の殲滅部隊だったのだ。
一つラッセルの読みと違う点があるとすれば、それはグラッデンがありったけの騎兵を追討に持ち出した事である。
ガルベスが既に存在せず、戦力を集中させるという点では、非常に理にかなった戦略ではあった。
だが、グラッデンはガルベスの死亡を知らず、戦力の集中も逆上したが故の判断なので、誰一人これを評価する者はいなかったのだ。
その日の昼過ぎには、ラッセル達アンサラ隊は、すでにグラッデン本隊に捕捉されていた。
歩兵混じりのアンサラ隊は思うように速度を上げる事が出来ず、ついに討伐隊に追いつかれてしまったのである。
「っていうか、騎兵ばかりをあれほど……あれでは砂漠にはほとんど騎兵は残っていないんじゃないか?」
「グラッデンの野郎、よっぽどトサカに来てるようですね。騎兵を総動員してくるとは思いませんでした」
「せいぜい500程度だろうと読んでたのにな」
アンサラ隊の兵は総員でも300しかいない。
これは街の衛視隊も含めた総数で、兵力としては異例の少なさと言える。
街が前線から少し離れた立地にあった事と、前領主レナレスが兵員をあまり保持しなかったのが原因である。
その代わりアンサラはキフォン同様、冒険者が多く流入している。
前線から盗賊に身をやつした兵が数多く出るため、討伐依頼が頻繁に発生する影響だ。
シノブは冒険者を戦力に数えようとはしなかったが、この両方を使ってアンサラは自治を守ってきたのだ。
そんなアンサラの派遣隊は兵力としては雀の涙程度の扱いだったが、それでもこの離反は、グラッデンの面子を破壊するには充分な行動だった。
「目標地点まで、あとどれくらいある?」
馬を走らせながら、副官のアンディに問いかける。
ラッセルはこの派遣を機にいつか離反するタイミングがあると読み、撤退路に罠を仕掛けていた。
そこまでの距離を訪ねたのだ。
「罠を仕掛けてあるのはあの山道ですから――1㎞くらいですかね。あと一息です」
「……歩兵は無理だな」
「おそらくは」
騎兵に対し、歩兵の足の遅さは致命的である。
1㎞先の罠まで逃げ切る事は、おそらくできない。
「しかたない、歩兵部隊は西へ進路を取れ! 西側の森に入れば騎馬の足は鈍る。騎兵はこのまま直進してポイントへ向かうぞ! 敵をこちらに引きつける、隊旗を掲げろ!」
敵を自身に誘導するため、そう命じはしたがラッセルの気分は晴れない。
そもそも敵の方が数は多いのだ。部隊を分断し、歩兵に向ければ、彼らの全滅は免れない。
その後に起こる惨劇を想定し、逃亡半ばにして彼の心は深く沈みこんだ。
「グラッデンがここまで見境ないとは思わなかった。俺の判断ミスだ」
「ラッセル、悔やむのは後だ。せめて歩兵だけでもアンサラに――」
アンディがラッセルを励まそうとしたその時――大地が揺れた。
いや、裂けたと言っていい。
「うおぉ!?」
「なんだ、これは! 何が――起こった!?」
突如飛来した衝撃波がラッセル達の右側をかすめて、後方へとすっ飛んでいく。
それは後方から猛進してくるグラッデン軍に直撃するコースだった。
衝撃波は追撃部隊と正面衝突し、木の葉のように兵士と馬を宙に舞わせる。
地面も抉れ、その十数mはあろうかと言う段差に騎馬がまとめて飲み込まれていく。
逆に砕けた地盤が隆起し、まるで鰐の咢のように軍を喰らい込む。
「なんだ、これは――罠か! おのれ、おのれラッセル! 貴様ああぁぁぁ!」
自身の周囲でゴミのように千切れ飛ぶ部下を見て、グラッデンは怨嗟の声を上げる。
あと少しで裏切者の首を刎ねる事が出来たというのに、突如として地面が――いや、空間そのものが爆発したのだ。
逃げるアンサラ隊を追うため、全速力で駆け抜けてきた追討部隊は、急に止まる事ができない。
それは指揮するグラッデンも同じだった。
部下の半数は、衝撃波の直撃を受けて消し飛んだ。
残る半数も、衝撃波の穿ったクレーターに飲まれて消えていく。落ちた先で跳ね上がった土が覆いかぶさり、生き埋めになっていくのだ。
グラッデンもまた、例外ではない。
かろうじて衝撃波から逃れたものの、目前に開いたクレーターに飲み込まれ、数mも落下して地に投げ出された。
その上に後続の部隊が更に落下し、押し潰される。
トドメは舞い上がった土がご丁寧にも蓋をして、息を塞ぎにかかる。
その惨劇をラッセル達は唖然とした面持ちで見つめ続けた。
そして数瞬後には、追討部隊は一騎たりとも残されていなかったのである。
「なにが……起こった?」
「判りません……ただ、生き延びたのは、確かなようです」
彼らの後方には土と人肉が混じった巨大なクレーターのみが残されていたのである。
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その日、ファルネア王国南方遠征軍は、勇者シュルジーを迎える事無く壊滅した。
いまだ歩兵部隊は万全の状態で残されてはいたが、灼熱の砂漠で騎兵がいないのでは話にならない。
ただでさえ足場の悪い砂漠では、遠距離から魔法でいいように狙撃されてしまうからだ。
ましてやシュルジーとて、無敵の防御力があるとはいえ人間である。
足の速さを補う馬が無ければ、砂漠であっさりと渇き死んでしてしまうだろう。
もはや遠征軍は魔王どころではない。軍を維持する事すら難しいのだ。
遅ればせながら遠征軍と合流したシュルジーは、そう判断してファルネアへの帰投を決断する。
後日、この衝撃波が新たに復活した央天魔王による一撃だと噂され、世界は更なる緊張に包まれたのである。
これにて第9章は終了になります。
またしばらくトップランナーの連載に移りますね。