第92話 待ち合わせの法則
「それじゃ出発するぞー」
バーネットのその掛け声と同時に、馬車が動き出す。
クジャタの町を出るのに検査などはないので、そのまま門をくぐって街道へ出た。
このまま商隊は東へ進み、キフォンの手前で北に折れる予定だ。
俺達は商隊の後ろに着いて、後方の警戒に当たる。
そんな俺に前方担当のバーネットが近づいてきた。やたら艶々しているのが……気持ち悪い。
「昨日はあんなに急いで帰らなくても良かっただろう?」
「寄るな。俺は男色家は嫌いだ」
「それは少し違うな。俺はどっちでも行ける。男の方がやや好みなだけだ」
「世間ではそれをホモというんだ!」
正確にはバイである。どうでもいいことだが。
俺は隣にいたリニアの背後に隠れようとするが、彼女の背丈では盾にならなかった。
リニアは俺とバーネットのやり取りに、昨夜の事態を素早く把握したようで、ニンマリとした笑みを浮かべていた。
こういうイタズラに関する察しの良さは、小人族特有の感覚だ。
「済みませんが、ご主人の尻はわたしの物ですので、色目を使うのはおやめくださいな?」
「む、そうだったのか? それは失礼したな」
「ええ、いずれはじっくり開発しますので」
「その時は俺も呼んでくれ。経験は豊富だ」
「それはわたしもですよ」
非常に不本意な会話を交わしてくれるが、バーネットを追い払ってくれるのはありがたい。
俺としては色々と言いたい事はあるけど、奴を遠ざけてくれたのだけは感謝しなければならないだろう。
リニアは俺の方に向き直り、花のように可憐な笑顔を浮かべた。
「ご主人、また一つ貸し、ですからね?」
「お、おう。この礼はいつか精神的に返す」
「肉体的にお願いします」
「まだそれを言うのか……」
「わたしは本気で狙ってますからね」
イタズラっぽく笑う茶目っ気ある表情に、迂闊にも少しドキッとしてしまった。
子供みたいな身長のくせに、こういう時は妙に色気ある仕草をして見せるんだよな、コイツ。
それはそれとして、俺は話しておかなければならない事があった。
先日バーネットの性癖が明らかになる前に話していた事で、これはシノブやカツヒトに伝えておかなければならない。
「そうだ、シノブ。この間の盗賊達な」
「む、なにか判ったのか?」
何やらカツヒトと魔法絡みのディスカッションをしていたシノブが、こちらに駆け寄ってくる。
その仕草を見ると、お尻に尻尾が生えてそうな気がしてきた。犬の尻尾が。
「ああ、どうやら連中、元々はもっと北の方を根城にしている奴らっぽくでな」
「北? と言うとクジャタのそばではなく、ルアダンのそばの?」
「ああ。で、そう言う裏の連中の話によると、最近若い男女がそいつ等と接触していたらしい」
「男女? まさか!?」
「多分、想像通り。おそらくはコーネロ達だな。それで、だ。俺もよく覚えていないんだが、襲撃の時背後から斬りつけてきたのがあいつ等だったような気がする」
「わたしやカツヒトならともかく、なぜアキラを狙うんだ?」
「そりゃ……砦の時に、俺が吹き飛ばしたからじゃないかな?」
あの時、苛立ちまぎれに威嚇で石を投げたら、衝撃ですっ飛んでった連中だ。
俺の記憶にないのも、奴らが俺を憎むのも……まぁ当然の帰結だろう。
早朝の涼しい空気の中、シノブとリニアを従え、馬車に追従する。
クジャタの町の周辺は草原が続いていて、見晴らしは良い。ここで奇襲を受ける事はあまり無いだろう。
町から少し北東に移動すると、格闘家と戦ったあの山があるけど、今回の旅ではそこに行く予定はない。
山に住む盗賊団をリニアが駆逐してから、この近辺の治安は非常に安定しているはずだ。
本来クジャタは前線に近く、両国の小競り合いの多い地域だったが、ファルネア帝国が南の砂漠に軍を進め、なぜかこの隙をアロン共和国が突かないという膠着状態が続いているからだ。
なんでも砂漠に魔王が復活して、炎の城壁を築いて軍を防いでいるらしい。
アロン側としても魔王の復活はさすがに見逃せない事態らしく、このファルネアの進軍は黙視しているのが現状なのだとか。
その間隙を突いてアロンはニブラスやキフォンの復興に力を注いでいるらしい。
それらの兵力の内、何割かは独立派に引き抜かれているとか、いないとかいう噂もある。
とにかくこの近辺は一時的に非常に安定した状況にある。戦争も遠退き、盗賊もいなくなったのだ。
そうなると冒険者も食うに困る状況になるのだが、草原には角兎や狼と言う猛獣もそれなりにいるので、何とかやりくりはできている。
というか、あの格闘家を倒せる人材とか、そうそういないだろうし。
「どうしたんだ、いきなり遠い目をして」
俺が当時を思い出していると、カツヒトまで俺の所にやってきた。
こいつはリニアと俺の出会いについて、話は聞いているが、詳細までは知らない。
「ああ、あそこの山でかなり腕の立つ格闘家とリニアがやり合ってな」
「それは……彼女の復讐の?」
「そうそう、お前とはぐれた間の出来事」
「なんか、はぐれたのは俺が悪いみたいに言ってないか?」
「気のせいだろ」
こいつが元の町に戻るという手段を取らなければ、はぐれる事は無かったのは確かだけどな。
まぁ、はぐれた時の対応としては間違っていないので、運が悪かったとしか言いようが無い。そういう事態を想定して、前もって相談してなかった俺達が悪いのだ。
そこでふと思いついた。今回の旅もはぐれた時の事を相談しておいた方がいい。
二度あることは三度あるかもしれないのだ。まだ一度だけだが。
「そうだな、あの時みたいにはぐれる事もあるかもしれないし、今後はぐれた場合の事も話し合っておこう」
「アキラとカツヒトみたいに?」
「カツヒトさん、迷子になったんですか?」
「俺じゃない、アキラが迷子になったんだ!」
「テメ、この期に及んで俺を裏切るか!?」
俺がカツヒトに掴みかかろうとして、カツヒトはその手を払いのける。
槍まで使って攻撃を往なすのは卑怯だと思うぞ!
俺とカツヒトの醜い争いは次第にヒートアップし、傍から見れば目にもとまらぬ攻防を繰り広げているように見えた。
このままではまた要らぬ災害が起きかねないところで、シノブが俺とカツヒトの間に割って入り、スパンと頭を叩いて止めてくれる。
「二人とも、いい加減にしないか! 他の人が見てるじゃないか」
言われて周囲を窺ってみれば、俺達のじゃれ合いを見て、傭兵達が唖然とした表情でこちらを眺めていた。
バーネットが進み出て、俺に向かって話しかけてくる。
「いや、驚いたな。カツヒトは前から知っていたが、アキラも相当な腕じゃないか。粗削りだが、手の速さは凄まじい物があるぞ。そういえばこの前も盗賊相手にも活躍していたな」
俺の力量については、あの夜襲の時に披露している。
これは剣を打つなら剣を使う事で理解が深まるという、もっともらしい言い訳を付けて、それなりに修練を積んでいた事にしてごまかしておいた。
そのせいでそれなりに俺が戦えるというのは、傭兵団でもある程度周知されているのだ。
だが落ち着いて俺の動きを見るのは初めてだったので、改めてその動きの速さに気付いたらしい。
「ま、まぁ、身体は結構鍛えているからな」
「そうなのか? 見た目華奢だから、技術先行の剣術かと思っていたよ」
「ハハ、冒険者を見た目で判断するなよ? 後、さりげなく尻に触ろうとするな」
こっそりとボディタッチを要求してくるバーネットを、すげなく追い返して配置に戻る。
カツヒトの余計な茶々入れのせいで肝心の話が全く進んでいないのだ。
「ゴホン。とにかく、いつも一緒にいられるとは限らない。これは俺とカツヒトの経験からして明確な事実だ。そこで合流地点を前もって決めておこうと思う」
「明確な……って言っても、旅をしている以上、ここという地点は決められないんじゃないか?」
「そうだな。例えば今更クジャタに集合とか言われても、俺達はどんどんクジャタから離れていく訳だし」
「そういう固定地点じゃなくて、だな――」
シノブとカツヒトは俺の提案にピンと来なかったらしい。長旅で固定の集合場所を作るのは難しいと言う考えは、俺もよく判る。
だが、仲間とはぐれた場合、最寄りの人里もしくは町に身を寄せて、仲間が来るまで待つ。
この一点を決めておくだけで、はぐれる可能性は大幅に下がるだろう。
「だがお互いが同じくらいの距離の、別の町に身を寄せていた場合はどうする? お互いに向かえを待ち続けていたら、いつまでたっても合流できないぞ」
「それなら、俺がみんなを探しに行くって事で。だれが動いてだれが待つかを決めておけば、待ちぼうけにはならないだろう。それに俺なら万が一の事態にも陥りにくい」
「むしろ万が一の事態を引き起こすのがアキラだな」
「お前はまたそうやって……」
カツヒトが今度はシノブに後頭部を叩かれる。その打撃音はズパンと周囲に轟き、傭兵達を驚かせていた。
だが当のカツヒトが平然としているので、空耳かと元の配置に戻っていく。
わりとよく見る、そんないつもの光景。そんな調子で昼前になり……そこに急に割り込む奇怪な叫びが聞こえてきた。
「グギャアアアアアァァァァァァァ!!」
「な、なんだ!?」
叫びが聞こえてきたのは北の方。
こちらが東進したので北東から北へと方角を変えた、例のあの山だ。
そちらの方面から多くの猛獣達が南に向かって暴走していた。
「獣が……逃げているのか? いや、今はそれより――総員防戦体勢! 夜営待機の連中も手伝ってくれ!」
バーネットが原因よりも巻き起こされる結果を重視し、全員に防戦を指示する。
馬車の中で夜に備えていた夜営組にまで出陣を要請したので、この戦力で押さえるのはかなり難しいのかもしれない。
ただし、それは俺達を除いての話だ。
「キオさんとクリスちゃんは馬車の陰へ。ただし倒れてきた馬車の下敷きにならないように注意を」
獣達はやみくもに南に向かって突き進んでいる。その進路上には俺達の馬車が存在していた。
馬車を急がせても、おそらくあの獣の波は避けきれない。そう判断して、バーネットはこの場での防戦を決断したのだろう。
もとよりこの馬車を襲う気ではないだろうから、通り過ぎるのを耐えきればいいだけだ。
「俺達が流れを反らし、馬車から守ります!」
傭兵達が斜めに陣形を取って暴走に備える。あの陣形に沿って受け流すように暴走を逸らそうという目論見なのだ。
だが――それだと先頭に陣取るバーネットに負担がかかりすぎる。
あの男の性癖は正直好きになれない、というか、天敵なのだが……その性格は悪いヤツではない。ここで怪我をするのを黙ってみるのも気が引けた。
「バーネット。先陣は俺達が引き受ける」
「し、しかし……あの群れだぞ!」
「お前たちはシノブの腕を知っているだろう? それに俺やカツヒト、リニアだっている。あの程度の群れを斬り裂くなど、容易い事さ」
シノブの剣の腕は身をもって知っているだけに、俺の申し出にバーネットはしばし悩む。
その間にも、暴走した群れはこちらに向かっている。ここで言い争う事は不利益にしかならない。
それはバーネットも理解していた。
「判った、任せる! だが無理はするな。怪我をしたら……いや、しそうになったらすぐさまこちらに退いてくれ!」
「了解した。みんな、行くぞ!」
ほとんど俺の独断だったが、3人は文句を言わず、首肯してくれた。
俺達にとっては別に危機感を持つほどのトラブルではないが、その信頼は俺をいい気分にしてくれるに値したのである。