第80話 モウ大変
ルアダンの町では、シノブとリニアが子供たちと遊んでいた。
リニアとの確執も徐々に溶け始め、シノブは彼女と一緒に行動する事が増えている。
リニアはその外見から、町の中年達や子供から人気が高い。娘や友達感覚で付き合える年代には、評判が高いのだ。
そしてそれは、シノブにも言える事だった。
彼女の場合、女として求めて寄ってくる者もいたが、それは完全にシャットアウトしている。
あくまでアキラ一筋なのである。
だがそれを除いても、面倒見がよく、生真面目でリアクションの大きい彼女は男女を問わず付き合いやすい。
「あ、シノブ姉ちゃん見つけた!」
「むぅ、見つかってしまったかっ」
今日も町の子供たちとかくれんぼをして遊んでいるのだが、斥候技術の無い彼女は隠れ方がヘタで、子供相手でもすぐ見つかってしまう。
逆にリニアなどは、その経験からか非常に隠れるのが上手かった。
見つけた少年に手を引かれ、待機場所に連行されていく。
そんなシノブに声を掛けてくる冒険者達がいた。
「よう、最近見る顔だな、お嬢ちゃん。どうよ? 俺達と一杯付き合えよ!」
何の工夫も無いナンパのセリフ。三人組と言うのも定番の人数だろう。
シノブの側にも彼等には面識があった。坑道でちょっと小銭を見つけ、羽振りが良くなったため、昼から飲んだくれている冒険者だ。
「いや、今はこの子供たちと遊んでいて……」
「いいじゃんいいじゃん、そんなガキと遊ぶよりもっと楽しい遊び、教えてやるからさぁ」
馴れ馴れしく彼女の肩に手を回そうとしたその時、あとの二人の上に黄色い何かが落ちてきた。
それは『どこからか』飛来してきた、虎だ。人間を超える圧倒的質量に、ナンパ男二人が押し潰されていた。逆に虎は男がクッションとなって、かろうじて生き延びている。
そして、周囲の状況を認識した虎が、野生の生存本能を働かせ、この場所は危ないと認識する。
町中に猛獣が解き放たれれば、この世界でも処分される事は必然だ。何より、目の前にいる少女の戦闘力は、自分を上回っていると本能で感じとった。
一刻も早く、ここから逃げねばならない。そのためには……目の前の邪魔な男達を排除しなければならない。
そう判断した虎は、生きるために近くの人間を攻撃した。すなわち、下敷きになったナンパ男と、その仲間達である。
「危ない、こっちへ!」
反射的に遊んでいた少年の手を引き、回避行動を取るシノブ。
対して、酒に酩酊していた男はそれができず、虎に首筋を噛み千切られる事となった。
「あびゅっ!」
悲鳴を上げようとしたのだろうが、気道まで食い千切られた喉は奇妙な音を立てるだけで終わった。
男はその場に押し倒され、絶命する。
下敷きになった男も胸を潰され、すでに虫の息だ。これで逃げる事ができると虎が判断した時――
シノブは流れるような動きで虎に近付き、腰の剣を引き抜いて、虎の首を撫で斬っていた。
「ふぅ……一体なぜ、虎がこんな場所に……」
シノブは状況の安定を見て、溜息を吐き空を見上げる。
そこには次々と舞い降りてくる、黒い点が見えた。
その日、ルアダンの町では――モンスターの雨が降った。
◇◆◇◆◇
麓の森の中を、俺とカツヒトはずんずんと進んでいく。
かなり乾いてきたとはいえ、大洪水によって足元はぬかるんでいて歩きにくい。
だが俺達の馬鹿げた筋力値や敏捷値が、その足場の悪さを問答無用で無効化し、苦も無く踏破させているのだ。
「牛、いねーなぁ」
「この際豚でもいいんだがな。猪はどうだろう?」
「風味の問題とかあるじゃん? コー○にはやっぱ牛肉じゃないか?」
足元がぬかるんでいるせいで、多くの動物が樹上に居を移している。
それができない動物達は、大半が水に流されてしまっているのだ。
そして人の視界と言うのは、概ね頭上が死角になっている。ついでに言うと、俺もカツヒトも斥候術の心得はない。
つまり、俺達は動物や昆虫たちに、好き放題奇襲攻撃を受け続けていたのだ。
その隙にもバサリと巨大な蛇が俺の頭に降りかかってくる。
これが一般人ならば、抵抗する暇すら無く絞め殺されているところだが、今回はあまりにも相手が悪かった。
まるで帽子を取り払うかのように、振ってきた蛇を毟り取り、後方に向かって投げ捨てる。
木陰から蜘蛛が襲ってきた時は、カツヒトが槍で串刺しにし、そのまま後方へ投げ捨てた。
正面に熊が出てきた時は、襲って来た所を俺がすれ違いざまに熊の尻を蹴り飛ばし、これまた背後へと飛んでいく。
この時、俺達は気付いていなかったのだ。
後方とはすなわち自分たちが来た方向……ルアダンの町があると言う事に。
「そもそも牛のモンスターって何が居るっけ? 俺は学校卒業してからゲームから少し離れてて、そういうのは疎いんだよ」
「ああ、ヤダヤダ。これだからお年寄りは」
「てめー、強化解除するぞ?」
「あ、ごめん、冗談。だからヤメテ。そうだな……有名なところでは牛頭人身のミノタウロス、そういや日本でも地獄には牛頭人身の牛頭がいるな」
「それ、身体は人間じゃないか」
「古代エジプトじゃ、アビスって牛の神もいるぞ。それからモラクスって牛の悪魔も。あとはナンディンとか牛鬼とか……あれは身体が蜘蛛だったか? 件なんて妖怪もいたな」
「お前って妙に神話とか詳しいのな」
「中学の時にちょっとな!」
カツヒトは胸を張って宣言して見せたが、この際あまり有効な情報じゃなかった。
この森に牛鬼だのナンディンだのは居そうにない。
「まぁ、ぶっちゃけ野生の牛が一番可能性が高いよな……お?」
俺はいきなり森が途切れたので、思わず声を漏らしてしまった。
そこは森の中で少し拓けた場所にあり、巨大な岩山がそそり立っていた。
岩山と言っても傾斜のなだらかな平たい築山のような形状で、その上には野生の牛が数頭、群れを成して避難していたのだ。
「なるほど、こういう場所があるならそりゃ避難するよな」
「牛の群れにしては数が少ないのは……多分動ける強い個体はすでに移動したんだろうな」
「ああ、この足場だからな」
俺は膝まで泥に埋まったままの自分の足を見て、溜息を吐く。
後で好きなだけ洗えるとは言え、泥に足を突っ込むのは気分のいい物ではない。
「とにかく、チャンスだ。どうする? 全部倒しておくか?」
俺もリニアに習って【土壁】の魔法くらいは使える。俺の高魔力で岩山の周囲を囲めば、あの牛達に逃げ場はなくなるだろう。
そうして囲い込んだ後でゆっくりと討伐すれば、取り逃す事も無い。
だが……
「全部で六頭か……それに結構デカい個体だよな?」
「牛と言うよりバッファロー系だな。一頭で体重1トンくらいありそうだ。アキラなら収納できるよな?」
【アイテムボックス】の収納量は、筋力値の5倍㎏まで。俺の筋力値が12万だから、収納量は60万㎏、つまり600トンだ。
あの牛ならば、およそ600頭は収納できる。
「そりゃできるけど……必要か?」
体重1トンとは言え、脂肪や骨、血液と言った、食用にはあまり適さない部位も多い。
食肉用の牛で食える部分はおよそ4割程度と聞いた事があるので、あの牛ならば一頭で400㎏は肉が取れる事になる。
四人で食っても一人100㎏だ。
「……1頭で充分だよな?」
「今は馬が一〇〇頭ほど入ってるしな」
「なんでそんなに……?」
「昔アンサラで、ちょっとな」
騎兵用の馬は通常の農耕馬より大型だが、それでも牛よりはかなり小さい。
おかげでそれほど【アイテムボックス】の容量を圧迫せずに済んでいる。
「俺とカツヒトで1頭ずつ。2頭も仕留めれば余裕があるだろう」
「2頭、いるか?」
「余ったら町で売る。非常食に取っておいてもいい」
もともと200近くあった馬の死骸だが、あれから燻製にしたり食べたりして今では半分まで減っている。
意外と肉の消費が激しいので、牛も予備があっても困る事はないだろう。
「それじゃ、行くぞ――【土壁】!」
俺の叫びと共に大地が大きくせり上がり、牛達を囲い込む。
その高さ、400m超……ちょっとやりすぎたかもしれない。
「おい……アキラ……」
「ま、まぁ……これで逃げられる事はない」
「後で消しとけよ!?」
【土壁】の魔法は解除しても、壁が消える訳ではない。
つまりこれを消すには、俺の【世界錬成】を使って、『壁のない世界』を作らないといけないのだ。
「なんて面倒くさい」
「自業自得だ! ほら、行くぞ!」
カツヒトが駆け出し、槍を一閃。
攻撃力1600を超える槍は、カツヒトの4163という筋力も相俟って、凄まじい衝撃波を発生させる。
たった一振り。
それだけで牛の群れは脆くも消し飛び、ズタズタにされてしまったのだ。
直撃を食らった牛は跡形も残っておらず、残りの5頭は発生した衝撃波で引き裂かれた。
そしてその衝撃波はそそり立つ土壁に直撃し――粉砕した。
「おい……いや、まぁいいけど」
「こ、これは……ここまで威力が出るとは思わなかった」
「俺の気持ちが少しは判ったか? ほら、予定外とは言え5頭仕留めたんだからとっとと回収しろ」
カツヒトの筋力でも、牛の死骸を回収する事は可能だ。
別に俺だけが『非常食』を保持する理由なんてない。
俺とカツヒトがいそいそと牛を回収していると……不意に日が差し込んできた。
この囲い込んだ土壁内では、直上からしか日光がが入ってこない。そして今は昼前。陽はまだ少し傾いている。
それなのに、だ。
ふと上を見上げると、土壁がゆっくりと傾いでいくのが見えた。
考えてみれば、土壁の土台部分の一方を、カツヒトが破壊したのである。支えきれると思う方がおかしい。
「おい、カツヒト! 土壁が倒れる!?」
「な、なに!?」
「早く肉を回収しろ! んで、逃げるぞ!」
「お、おおう!?」
肉を回収し、潰れゆく壁とは違う方向の壁に穴を開ける。そこから慌てて駆け出す俺たち二人。
だがこれが致命傷となった。
傾いた土台は、更なる穴を開けられた事で、加速度的に崩壊を進めさせる。
こうしてルアダン近郊で発生した謎の塔は、ほんの数分で倒壊したのであった。
倒れた方向にルアダンが無かったことが、唯一の救いである。