第77話 泥の中の納品
3日後、俺達は小舟に装備を積み、ダリル傭兵団の駐留する砦へ向かって船出していた。
なぜ小舟で行かねばならないのかと言うと、放水によってルアダン南方が水に沈み、一帯が完全に沼のような状態になってしまったからだ。
この結果、ルアダンは完全に孤立集落と化し……まぁ、集落と言うほど小規模ではないし、即座に困る物もある訳ではないが、往来には非常に苦慮する事となった。
泥に沈んだ森林地帯は干潟のような状態になって、まともに歩いていくのが苦労する有様になっていたのだ。
それで船に装備を乗せて砦へ向かう事になったのだが……
「なぜ俺が船を牽かねばならないのだろう……?」
「す、すまないアキラ。やはり居候の私が船を牽こう」
「いや、シノブみたいな女の子に船を牽かせて俺が上でふんぞり返ってるなんて、人に見られたらすっげー外聞が悪くなるから。むしろこういう場面こそ奴隷の仕事じゃないかね?」
「そうしたいのは山々ですけど、わたしがそこに行くと――溺れますよ?」
俺は胸のあたりまである泥を掻き分けながら、小舟を牽引していく。
この高さまで泥が来ると言う事は、リニアがここに入れば確実に沈む。彼女の身長は1mにも満たないのだから。
「そうなるとシノブでもかなりの重労働になるよな。やっぱそこで休んでろ」
「だが、私も体を強化してもらったから、泥を掻き分けるくらいどうと言う事ないぞ?」
「それは俺も同じ。というか俺の方がよっぽど強化値が高いから、安心しろ」
シノブの30倍にも及ぶ数値を叩きだす俺ならば、泥の中と言えどちょっとした向かい風程度の抵抗に過ぎない。
しいて言えば、纏わりつく汚れが不快なだけだ。
「よく考えたら、そこに手の空いているのがいるじゃないか。なぁ、カツヒト?」
「俺が手隙に見えるのなら、アキラは視力を強化し直した方がいいぞ」
大きな布で装備品を包み、それが船から零れ落ちないように必死に支えているカツヒトが、そう返してくる。
【アイテムボックス】という能力がある俺たちにとって、こういう演出は本来必要ないのだが、装備の量があまりにも多い。
これを手ぶらで運べるとなれば、目を付けてくる連中もいるかもしれないのだ。
特にシノブとカツヒトは、家具選びの際に【アイテムボックス】を持っていると公表したので、すでに何人かの商人が協力してもらえないかという打診があったほどだ。
なぜ2人の【アイテムボックス】だけ公表したのかと言うと、こういう仕事を請け負っている以上、大量の荷物を運搬する場面が多く訪れると推測したからである。
その場合に備えてに、前もって【アイテムボックス】を持つ仲間がいる事を知らせておくと、面倒が少なくなると判断したのだ。
急場でいきなり、『実はこの2人、【アイテムボックス】持ちなんですよー』なんて言うよりは、不自然じゃないだろう。
そんな訳で2人には10個ずつの装備を【アイテムボックス】に仕舞ってもらい、残る10個を船に乗せて運んでいるのだが、そこはそれ、鎧とか盾と言うモノは存外にかさばる。
作った小舟が手漕ぎボートレベルの小さな物だったのも失敗かもしれないが、これ以上大きいと不自然に思われる。
結局小さなボートに3人が乗り、1人が牽引する形にしたが、そこに10個の装備を捻じ込むと、やはり狭かった。
それで、ボートから零れ落ちそうになる装備を押さえるのが、カツヒトの役目となったのである。
これは単純に手足の長さの問題からで、最も長いカツヒトが押さえるのが適任だったから……いや、俺の手足があいつより短かったとか、そういう事は……ちくしょう!
なんにせよ、町の周辺がこの有様なので、最近はギルドが土魔法と火魔法の使い手を募集して、街道の整備に乗り出している。
土と火がメインなのは、土魔法使いが【土壁】で地面を持ち上げて道を作り、周辺を火魔法の使い手が焼き固めて泥の侵入を防ぐなんて言う方法を取っているからだ。
現状は、高位の火魔法使いであるシノブに何度かギルドから連絡があったくらい、人手が足りていない。
「おかしいな。火を消して町を救ったはずなのに……」
「洪水の方が大災害だっただけですね。人死にが出なかったのが救いです」
「それは火事で人がいないと判っていたから、やったんだぞ」
「消火の人が何人か流されたようですが、元々水魔法の使い手だったので、【水中呼吸】の魔法持ってて助かったみたいですよ?」
「ぐぬぬぅ……今後は慎重に行動しますよっ!」
リニアにやり込められる展開もいつも通りだ。
そんな仲の良い様子を見て、シノブはやはり不審な表情をしている。
「やはり2人はタダならぬ仲だったりは――」
「絶対ないから安心しろ!」
「いえ、タダならぬ仲になる予定ですので!」
「え、どっち?」
シノブにはリニアの持つ複雑怪奇な感情については話しておいた。なので、彼女がなぜ俺にアタックを掛けているのか、その理由は知っている。
そもそもシノブもリニアも、俺に助けられた事がきっかけで好意を向けてくれている点では、同様の存在だ。
シノブはあっさりと理解を示して、気長に和解する事に同意してくれた。実に素直ないい子である。
少しだけトゲが取れたリニアと、それを受け入れているシノブの姿に自然と笑みが浮かんでくる。
やはり女の子は仲良くしてくれないとな。
そう思いながら、ざぶざぶ泥を掻き分け砦へと向かう。
少々浮かれていたせいか、泥がかなり遠くまで飛び散ってしまった気がするが、あまり気にする必要も無いだろう。
砦は強化した城壁のおかげで、泥の侵入を受けずに済んでいた。
表面に焼け焦げた跡が残されているところを見ると、火災はかなりきわどい局面まで進んでいたらしい。
城門で俺たちの顔を確認した見張りが、門を開いて歓迎してくれた。
開いた城門から泥が内部に流れ込み、その流れに乗って俺達も城砦内に雪崩れ込む。おかげで俺は頭の先まで泥に染まってしまった。
傭兵である彼らにとって、装備は生命線とも言える。この惨状の中、それを届けてくれたのだから、彼らとしても感謝の念しか沸かないところなのだ。
「この状況の中、よく来てくれたな!」
城砦内で復旧の指揮を執っていたダーズが、仕事を放り出して俺の元へ駆け寄ってくる。
聞く話によると、彼は副長のもう一つ下くらいの立ち位置で、結構上な立場の人間なのだとか。
そんな人間を俺のような鍛冶師の交渉に出向かせると言う点で、どれだけ彼らが追い詰められていたかがよく判る。
シノブの剣はそれだけの脅威になるのだ。後、おまけでカツヒトも。
「よう、そっちの様子はどうだった? かなり手酷くやられたみたいだったが」
「幸いにも怪我人はない。運良く鉄砲水が発生してくれて助かった。いや……あれはアキラが開けた穴から鉄砲水が発生したのだから、アキラのおかげと言うべきかな?」
「それは……そうかもな」
「それでも、この泥には頭を悩ませているがな!」
穴を開けただけでなく、トドメに貫通させたのも俺だ。結果的には同じなので否定する必要も無い。
生きていれば儲け物の傭兵業をやっているだけあって、その点では彼等もサバサバしたモノだ。
「それで犯人だが――」
「ああ、案の定出火前にコーネロとイライザ……あんた達の依頼人の姿を見たっていう証言が出てきた」
コーネロとイライザ。シノブ達に復讐の助っ人を依頼した2人組の名前だ。
カツヒトの話によると、彼らは行商人の子だったが、親には付いて行かず町で父の帰りを待っていたのだそうだ。
だがそこへダリル傭兵団が襲撃を掛け、父は町に戻る事が出来なかったとか。
話だけ聞いていると、2人の復讐には相応の筋が通っているようにも聞こえるが、カツヒトも真相までは調べていなかったらしい。
俺はその説明を受けるべく、人目のない場所へダーズを誘い、話を聞く事にした。
ダーズも空気を読んで、依頼料を払うという言い訳を付けて俺達を執務室へ案内してくれる。
「で、真相はどうなんだ?」
「それなんだが……ウチは基本商人の護衛が主の傭兵団で、逆に商人を襲うなんて信じられなくてな。詳しく調べてみたら一件だけ前例があった」
「つまり、お前たちが襲ったというのは事実なのか?」
シノブは乗り出すように、ダーズに詰め寄る。
彼女にとって、自身の行いの正否に関わるのだから、真剣にもなる。
「ああ、確かに襲った。奴隷商人をな」
「なに、奴隷……!?」
ダーズから出た言葉にシノブは驚愕した。
確かにあの2人は商人の息子だったが、それが違法な奴隷だとは聞いていなかったようだ。
つまり、シノブ達は『嘘ではない真実の一部』によって、上手く利用された事になる。
「俺が商人ギルドで確認した情報も……そういう理由で?」
「一応『モノ』を扱っているって事では商人だな。ギルドにも登録されてて当たり前か。扱う品が不法だったが」
「そういえば、わたしの首輪もそういう商人から仕入れましたね」
首の隷属の首輪をトントンと叩きながら、リニアが報告する。
彼女の付けるそれは、世間一般ではもちろん違法な品だ。どこでそれを仕入れたのか謎だったが、この近辺は奴隷商人がうろついていたのか。
ダーズは一枚の書類を取り出し、カツヒトへと差し出す。そこには商人ギルドから取り寄せた、奴隷商ペガーナの情報が記載されていた。
カツヒトは苦い表情で、ダーズの書類を確認する。
商人はその時期によって、取り扱う商品が逐一変更される。
だからギルドには『何を扱っているか』が細かく届け出られる事は、まずない。しかし、その取り扱い額の大きさと頻度、移籍する使用人の多さが突出しているのは見て取れる。
「あんた達は不法な奴隷商を討伐した。それを子供のコーネロとイライザは逆恨みして復讐に走った。俺とシノブは口先で騙され、いいように利用されたと言う事か……」
「この情報は普通は表に出てこない。商人と関わりの深い俺達だからこそ、出してくれた書類だ。調べられなくても仕方ないさ」
ダーズは肩を竦めてカツヒトを宥める。痛い目を見たというのに、寛大な態度だ。感謝しよう。
「あの2人はその後姿を消していてな。復讐を諦めたようには思えないんだが、足取りを確認できない」
「町を巻き添えにする危険もあるというのに火を放ったんだから、当然だろうな。おそらくはすでにルアダン近辺にはいないだろう」
「こちらもタダで済ます気はない。ギルドを通じて指名手配してもらう手はずになっている」
「ま、無難なところか……」
ちなみに俺も指名手配されていたりするけど。顔を変えれるってのはありがたい。
「まぁ、そんな訳で、連中がこの町に近寄る事はなくなったと言ってもいいだろう。もちろん手変え品変え復讐は企むだろうが……」
「連中は大きな町には近寄れなくなった、か。とりあえずは一安心と言う所かな?」
「ああ。あの火事と鉄砲水でもう火計を恐れる必要はなくなったしな。それにリニア嬢ちゃんの作ってくれた城壁も堅牢だ!」
森林火災に耐え、洪水にも耐えた城壁にダーズも大満足の様子だった。
主犯の2人は取り逃がしたが、当面の安全を確保できたことで良しとするべきかもしれない。
何よりギルドを敵に回したら、冒険者の目が厳しくなる。その窮屈さは俺も身をもって知っている。
彼らは今後、真っ当な生活は送れなくなるだろうな。
今章本編はこれで終了になります。
明日、間章を1話を更新して、今章を締めたいと思います。