第64話 悪癖を持つ男
シノブがリディアに構いながら朝食を取っていると、カツヒトが二階から降りてきた。
彼女が起き出したのも遅かったが、彼はさらに遅く、ほとんど昼に近い時間帯である。
「おはよう、カツヒト。随分ゆっくりだな」
「おはよう。夕べが遅かったんだから仕方ないだろ。ご主人、俺にも彼女と同じものを1つ」
「判りました」
手慣れた調子で注文しつつ、彼女の向かいの席に着く。
そして、欠伸を噛み殺すカツヒトに水を運んできたリディアが、そのまま彼の膝の上に飛び乗った。
シノブがそれを見て眉をしかめる。
「懐かれているんだな……」
「まぁ、盗賊から助けてあげた事もあるし」
「それにしても……まさか手を出していたりしないだろうな?」
「ヒドイ言い掛かりだ! 俺はまだ童――いや、いい。なんでもないぞ」
「フム? 私には男性の機微という物は判らんが、経験が無い事を恥じる事はないだろ?」
「いいから、放っておいてくれ!?」
シノブにからかわれているのは理解しているが、つい反応してしまうカツヒト。
ここは男にとって、譲れない何かがあるのだ。
「それよりすぐ朝食を取るのか? 先に顔を洗って来い」
「俺は食べてから洗う派なんだよ。前に虫歯がひどくなった時があってね。食後に毎回歯を磨くのが面倒で……」
「なるほど。先に顔を洗うと、食べる前と食べた後の2回、磨く必要が出てしまうからか」
「そう、おかげで間食は減ったけどね」
リディアの頭を乱暴に撫で回しながら、カツヒトは嫌そうな顔をしていた。よほど痛い思いをしたのだろう。
「それで、今日の予定は?」
「なんだ? 付いてくる気か?」
「そりゃ、昨日のような事もあるからね。君は腕は立つが脇が甘い」
「む、そうだろうか……」
思わず自分の脇の辺りを眺めるシノブに、そうじゃないとツッコミを入れてから、カツヒトは言葉を続ける。
「俺と君は同期でこちらに来たが……あの時の事は忘れるな」
「……もちろんだ。忘れたことなど、一度も無い」
森を出て、協力者を名乗る男の屋敷に誘われ、部屋に入って薬を盛られた。
この世界では油断一つが命に関わる。
昨夜は宿の雰囲気に流され、うっかりと観光客気分に浸ってしまったのが失敗だった。
シノブもその点は重々承知している。
「だから、これ、この通り」
軽く腰の剣を叩いて、警戒を緩めていない事を主張する。
「他にも短剣も隠し持っているぞ」
「それは……まぁいいか」
一見幼げな少女が短剣を隠し持っているという事実に、警告しておきながらやるせない気持ちになるカツヒト。
そこへ主人が朝食のトーストセットを運んできた。
今日のメニューは定番の目玉焼きにトースト、サラダとコンソメスープのセットである。そこに豆茶がおかわり自由だ。
レモンと油と酢、それに塩コショウでさっぱりと味付けしたドレッシングをサラダにぶっかけ、口の中に勢いよく捻じ込んでいく。
「今日は知人に手紙を渡しに行こうと思う。それが本来の目的だからな。なので目的地は冒険者ギルドだ」
「ほう……ふぃるふぉ――ぐほっげほっ!?」
口一杯のサラダに盛大に咽ながら、カツヒトが咳き込む。
膝の上のリディアが、急いで水を口元に運ぶ。実に甲斐甲斐しい。
「カツヒトおにいちゃん、慌てて食べるから……」
「す、済まない。少々ドレッシングが気管に入ってしまったようだ――」
言い訳しているが、咳き込んだ理由は別にある。カツヒトにとって、現在冒険者ギルドは鬼門なのだ。
アキラと違い、彼の場合は顔までは知れ渡っていないが、キフォン、ニブラスと相次いで惨劇を巻き起こしたのは事実だ。
それゆえにギルドに行くと、いつ犯罪者として逮捕されるか心配になるのである。
そんな訳で、彼は冒険者ギルドに立ち寄らず、このキフォンまで戻ってきたのだ。おかげでアキラの痕跡であるクジャタの噂や、砂漠の惨事は彼の耳に届いていない。
「そ、そうかギルドか……すまないが今日は俺も用事を思い出した。同行できそうにない」
「そうなのか? 旅慣れているようだから、ギルドにも詳しいかと思って期待していたのだが」
「う、うむ。実に残念だ」
シノブは冒険者としての資格は持っているが、本来騎士団に加入していて、ギルドとのかかわりはあまり深くない。
それにこの旅の間も依頼を受ける目的などが無かったため、ギルドにはあまり立ち寄っていなかった。
彼女の情報網でも、キフォンでアキラが『やらかした』程度の情報しか入ってきていないのだ。
結局シノブは一人で冒険者ギルドに向かう事になったのだった。
ギルドの位置は前日門番から聞いていたので、迷うことなく辿り着く事ができた。
定番のスイングドアを押し開けると、内部は活気の満ちた喧騒で包まれている。
昼時となると、本来なら冒険者も出払っていて、落ち着いた雰囲気になる事が多いのに、だ。
シノブは手隙のカウンターに歩み寄ると、受付嬢に話しかける。
近付いてきた小柄な人物が、年若い少女と知って受付嬢は驚いた顔をした。
今のシノブの格好は頭からマントを被った、不審人物でもあるのだ。
「すまないが、ここにガロアと言う冒険者は居ないだろうか? 手紙を一通預かっているのだが」
「ガロアさんですか? 申し訳ありませんが、身元を確認させていただいても?」
身元不明の人物に、居場所を教える訳には行かないからだろう。この主張ももっともなので、シノブは自身の持つ冒険者カードを差し出した。
「シノブさん……アンサラの騎士様ですか? そのような身分の方が使いっ走りなんて――」
「よく見てくれ。元騎士だ。今は解雇されて一介の冒険者に過ぎない」
「へぇ、ならケンカを売っても大丈夫そうだな」
その時、シノブの背後から野太い声が掛けられた。
シノブは瞬時に、声の位置は彼女の頭のかなり上で、相手の体格は相当なモノがあると推測する。
それが足音一つ立てず、気配すら殺して背後に回り込まれた事に驚愕していた。
「レディの背後に忍び寄るなんて、マナーのできていない男だな」
「そいつぁすまねぇな。この通り野卑な男なもんでね」
驚愕を押し隠し、ゆっくりと振り返る。
マントの下ではすでに剣の柄に手を掛けている辺り、今のシノブには油断が無い。
背後には、巨大な戦斧を腰に吊るした男、ガロアが立ち塞がっていた。
「お嬢ちゃん、見かけはかなり無害そうだが……結構やるだろ。どうだい、一手手合わせしねぇか?」
「なぜ私が見ず知らずの男と手合わせせねばならないのだ?」
「あー、そりゃ失礼。俺はお嬢ちゃんがお探しのガロアだ。ほら、これで見ず知らずじゃない」
シノブが受付嬢に目配せすると、彼女も小さく頷いて見せた。どうやら目当ての男で間違いがないようだ。
獣のような身ごなしの巨漢。これが養父の言っていた男か、と納得もした。その技量は確かに一流の域にあるのだろう。ギルドに入ってから警戒している彼女の背後に忍び寄るなど、一般人ではとても真似できない。
そして、その悪癖も、充分に思い知らされた。
養父……正確にはそうではないが、レナレス=ヴァン=アンサラは言っていたではないか。
――目ぼしい者に喧嘩をふっ掛けて、縁を繋ぐ、と。
「つまり、私の立ち居振る舞いは眼鏡にかなったという訳か」
「あん?」
「いや、こちらの話だ。いいだろう、相手になってやる。だがここではギルドの迷惑になるから表へ出ろ」
「そうこなくっちゃな」
パチンと指を鳴らして表へ歩み出る。重い武装を背負っているというのに、金属の音一つ立てない。
彼が動くと同時に数人の男が表へ飛び出していった。おそらくは野次馬だろう。
「何度もこういうのがあるのか?」
「ええ、数日に1度は。ここのところ増えてますね」
受付嬢に話を聞くと、困ったような顔で肯定して見せた。
「ギルドとしては、止めるべきなんじゃないのか?」
「それが……まぁ、いろいろありまして……」
歯切れの悪い答えを返してくるが、これは自分が口出しする事ではないかも知れない。そう思い直して外へ歩み出た。
巻き込まれた以上、口出しする権利くらいはあるとは思うが、ここは無粋な気がしたのだ。
表では、すでにガロアが体をほぐして待ち構えていた。
周囲のやじ馬どもはすでに賭けすら始めている。どうやらこれは、恒例行事のようだった。
「よし、んじゃいっちょ始めるか!」
「ああ、私はいつでも構わないよ」
大戦斧を引き抜き、構えを取るガロア。
それに呼応して、腰を落として剣に手を掛け、抜き放つ体勢を取るシノブ。居合の構えではあるが、剣が両刃なので今一つ効果が薄いのが悩みだ。
それがシノブの構えであると納得したところで、ガロアは野次馬に声を掛ける。
「誰か合図をくれ。戦いじゃそんなモンは存在しねぇが、こういうのだったらありだろ?」
「ああ、試合だからな」
「じゃあ俺がコインを飛ばす、地面に落ちたら開始って事で!」
「任せた」
野次馬の一人がその声に応え、コインを一枚中に弾く。
ゆっくりと、それは宙に舞い――地に落ちた瞬間、シノブとガロアは弾けたように飛び出したのである。
続けざまに再登場。
彼の悪癖にも理由はありますが、その説明はもう少しお待ちください。