第51話 警戒する者達
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ファルネア近衛大隊三軍と途中で合流したアンサラ防衛隊は、およそ一月の期間をかけて南方砂漠へ到着した。
人目に付かぬ様にとの皇帝の命があったため、正規の装備は荷車に隠し、傭兵のような格好で演習を演じての行軍である。
実力、プライド共に高い近衛大隊の兵にとって、傭兵に身をやつすのは非常にストレスのかかる派兵であったと言えよう。
ましてや、プライドの塊たる指揮官、グラッデン侯爵のストレスたるや、今にも爆発せんばかりであった。
「ようやく砂漠か……よし、様子見に一戦交えるぞ」
「なりません、閣下! 我らはあくまで足止めに徹するだけのはずです」
「うるさい、ラッセル! 貴様上官に逆らう気か!?」
上官としてマシな服装を着せられてはいたが、それでもグラッデンの美意識からすれば、許されざる襤褸を着ての行軍と同議である。
アンサラと言う西の交易点の領主に収まったはずなのに、埃っぽい砂漠への派兵。
更に皇帝自らが発した、『貴様は代役だ』とも受け止められる命令。事実その通りではあるが……とにかく彼は、今回の任務が気に食わなかった。
「それは、陛下のみならず『鉄壁』シュルジー卿をも敵に回す行為です。それでも進軍を命じなさるか?」
「……くっ!」
シュルジーの【鉄壁】の能力については、同じ戦場にいたグラッデンも熟知している。
とにかく攻撃が通じない。
剣も、魔法も、毒も――なにもかもが、だ。
それは彼の持つ、とてつもない数値の生命力から来る防御力のせいなのだが、それを破る術はグラッデンには存在しなかった。
ここで悪戯に兵力を減じ、それをシュルジーに引き継がせたとなれば、その責任を取らされ処罰されるのはグラッデンの方である。
「ええぃ、ならば斥候を放て! やつらの動向を探るくらいはやっても良かろう!」
「はっ、直ちに人員を選定いたします」
気の抜けた声でラッセルが返事を返す。
このアンサラの現親衛隊長は生まれも子爵家で育ちも悪くないのに、なぜか市民に交わって過ごすのが好きな変わり者だ。
それは前アンサラ親衛隊長が召喚者だった時の薫陶を得ているからだろう。
それを思うと、グラッデンは更に苛立ちを募らせた。
異世界人の思考に染まった部下を叩き斬りたくなるが、庶務能力の高い彼を処分する訳には行かない。
身分もあり、能力も高い部下は貴重なのだ。
「それにしても……静かだな」
「はい、魔王の領域とは思えぬ平穏さです」
本来この砂漠はサンドワームと呼ばれる、全長10mにも届く巨大ミミズや、一刺しで人を死に至らしめる毒蠍や鉄蜥蜴などが大量に生息していたはずだ。
事実一ヶ月前まではかなりの生息数があったのだが、これはアキラの【創水】乱射事件で大半が討伐されてしまったいた。
生き残った生物達も、12万トンという水が押し寄せてきたために、水没して軒並み死亡している。
つまりこの砂漠は名実共に死の砂漠となっていたのである。
「嵐の前の静けさと言うやつか……魔王ガルベス、何を企んでいるのか……」
その魔王は一ヶ月前にすでに流れ弾で死亡しているとも知らず、グラッデンはその影に脅威を覚えていた。
「復活の報がもたらされて一ヶ月、奴が砂漠から動かぬ理由……ラッセル、何だと思う?」
グラッデンは、副官のラッセルに意見を求めた。
彼はこういう、人の話を聞くと言う点では優れた指揮官ではある。もっとも人と認めるのが貴族だけなのだが。
問われたラッセルは顎に手を当てて、状況を整理し思考する。
「そうですね……万全で復活したのなら、動かぬ理由がありません。逆説、動かぬのは万全ではないという事ではないでしょうか」
「万全ではない?」
「【ダウジング】でもたらされるのは、あくまで限定的な文字情報に過ぎぬと聞き及びます。ならば『復活はしても動けぬほど衰弱している』などと言う可能性も、無きにしも非ずと言う訳ですね」
「なるほどな。ならば今こそ攻め時だということか」
「閣下――」
「判っている。ええい、シュルジーめ、なにをノロノロしておるのか!」
色気を出した所を窘められ、その苛立ちをまだ来ぬ勇者に向けるグラッデン。
その様子を見て、ラッセルはこっそりと溜め息を吐いたのだった。
斥候を出して2時間ほどもした頃であろうか。
部隊は野営地の設置に入っていたのだが、そこへ不意に派手な爆発音が轟いた。
一足先にテントへ入り、水を口に運んでいたグラッデンは、その音に慌てて飛び出す。
「何事だ!?」
「判りません、かなり離れた場所で爆発が起こったようです!」
見張りの兵が問いかけに答え、一方を指差す。
その先にはもうもうと砂煙が立ち上り、巨大な爆発が発生したことを示していた。
距離にして、およそ五キロほどであろうか?
「まさか、敵も隠密に工作員を差し向けていたのか……? にしては、距離が――」
「閣下、ご無事で!?」
「おう、ラッセルか。遅いぞ」
「申し訳ございません、テントで休んでおりました」
外輪部で本格的な砂漠ではないにしても、ここは日差しが厳しい。
内陸育ちのラッセルなどは、かなりきつい環境のはずだった。
「ここは敵の目の前だ、腑抜けるな」
「はっ、肝に銘じておきます!」
「斥候はどうした?」
「まだ戻ってきてはいないようです。別の小隊を偵察に差し向けましょう」
「そうしろ」
ラッセルに横柄に答えた直後、砂漠が突如として燃え上がった。
「なっ!?」
その余りの火勢に、遠く離れたこの野営地ですら熱気で煽られ、まともに立つことができない。
やがて炎は捩れ、縒り合わさり、絡み合い、炎の柱と化して天に伸びていく。火災旋風現象である。
「これは……炎の蛇……!?」
「魔王の攻撃――いや、防壁なのか?」
まるで砂漠への侵入を妨げるかのように立ちはだかった炎の壁に、ラッセルは防壁と判断した。
それに驚愕したのはグラッデンである。
「馬鹿な――この外縁から魔王城まで、まだ50kmはあるぞ……この距離で感知したと言うのか!?」
「判りません、ですが、そうとしか思えません。このタイミングで砂漠への侵入を防ぐ【火壁】を立てるなど……それもこのような大規模且つ高火力に――」
実際はアキラが戯れにはなった【点火】が、魔王城の痕跡ごと焼き払っているのだが、炎の壁の向こう側までラッセルたちに気付くはずも無い。
彼らから見れば、魔王が炎の壁を建てて、彼らの進入を防いだとしか見えなかったのである。
「仕方あるまい、この野営地を引き上げ距離を取る。こちらに気付かれているのならば、真っ向からぶつかるのは危険だ」
「はい、監視要員を残し、本隊を後方へ移動させましょう」
こうして、対魔王軍は膠着状態に陥った。
勇者シュルジーが到着しても、その炎は静まる気配を見せず――結果、一年に渡って、軍をこの地に貼り付ける事になったのである。
これにて今章は終了となります。
次はトップランナーの次章を一区切りしてからになるので、再開は三週間後くらいでしょうか。
それまでしばらくお待ちください。