第44話 出立
シリアスな上にちょっと長いです。
◇◆◇◆◇
シノブは義父に呼ばれ、寝室に赴いた。
部屋に入ると得も云われぬ悪臭が鼻を突く。
これは死を間際にしたものがよく放つ、死臭だという事がシノブにはよく判っていた。
戦場で何度も嗅いだ臭いだ。
「お呼びですか、お義父様」
「来たか、シノブ。まだワシを父と呼んでくれるのだな……」
ベッドの中から響く、弱々しい男の声。すでに身体を起こす力がない事は、シノブにも理解できていた。
だから無断で部屋の中に進み出て、ベッドの脇に立つ。
「そんな……見ず知らずの異界人である私を養子に迎えようと、お義父様が奔走した事はよく知ってます」
「お前が召還者という事で、結局かなわぬ夢だったが……な」
上等な毛布の下から、干からびた枝のような腕が伸び、その腕をシノブの手が優しく包み込む。
互いの温もりをゆっくりと確認し、男――レナレス=ヴァン=アンサラ伯爵はサイドテーブルを指差した。
「そこにな……書状が二通入っておる。うち一通をそれを……ある男に届けてほしい」
「書状ですか?」
言われサイドテーブルの引き出しを開けてみると、そこには二通の書状が収まっていた。
表書きによると、一通はキフォンの街のガロアという人物宛てだった。
「この人物は?」
「腕のよい冒険者じゃよ。ただ、少しばかり悪癖があるがな」
昔を思い出し、くすくすと含み笑いを漏らす伯爵。
その表情は、ここ数日で最も晴れ晴れとした顔だった。
「めぼしい新人を見つけては言い掛かりをふっ掛けてな。わざと揉め事を起こし力試しをしよるのだ。本人曰く『顔を売るなら喧嘩するのが一番早い』だそうだ」
「それは……確かに敵の顔はよく憶えますが――なんというか、力尽くですね」
「最初は争い、次に仲直りすれば、普通より早く友となれるのだそうだよ。そうやって、人脈を作っていくのだ、とね」
「なんとも……コメントし辛い人物のようですね」
「ハハハ。それでもう一通の書状だが――」
そういわれて、シノブはもう一通の書状に目を通した。
そちらは無地の封筒に入れられており、封もされていない。
「中を見てもよろしいのですか?」
「かまわんよ。元々お前宛だ」
わざわざ自分に手紙を書くなど、なんと酔狂な……そう思ってはいたが素直に中を見る。
伯爵のする事だ。何か意味があるに違いないと、そう考えていた。
取り出した書状を見て、シノブは目を剥いた。
その端正な顔に、ありありと驚愕と困惑が浮かんでいる。
「お義父様……これ、は……」
掠れた声で疑問を呈する。
それもそのはずで、書状の一番上、最も見やすいところには、こう書かれていたのだ。
「解任状だよ。お前の親衛隊長のな」
「なぜです!」
叫ばずにいられなかった。自分は彼のため、身を粉にして働き尽くしてきたはずだ。
それが、この命の危機に際し、解任されるなど――ありえぬ、と。
「ワシはな。お前を手元に引き取った事を後悔しているのだよ……」
「私に至らぬ所があったというなら、直します。ですから――」
「お前に至らぬ所など、ある訳も無かろう? ワシが後悔しているのは……お前を、この街に縛り付けてしまった事だ」
一年半前のトーラス王国崩壊。
その事件により、多くの召還者が死に、少数の召喚者は自由を得た。
だが、アンサラ伯に仕えたシノブは、ほとんどこの街から出ていない。
「お前とて、帰る場所があったはずだ。追いたい男もできたのだろう?」
「そ、それは……」
「トーラスの術師が死に、無限に近い術式の中からお前達を送り返す術を見つけ出すのは、不可能に近い」
「ええ、知っています」
召喚術には術者特有の癖がある。
この癖により、接続する世界に個人差が出るのだという話だった。
だがその術者が死んでしまったため、彼らは送り返す道標を失ってしまった。結果、トーラスの召喚者達は、元の世界に戻る術を失ってしまったのである。
それでも、帰還を諦めず旅を続ける召喚者の話は、各地で耳にする。
シノブであっても、本心は帰還の道を探したかったはずなのだ。それを伯爵は、常々心苦しく思っていたのだ。
「もっとも、その『追いたい男』があの魔神ワラキアとはなぁ……」
「お言葉ですが、アキラはそれほど悪い男では――」
「知っておるよ。お前の選んだ男だ。それに戦乱を終わらせてくれた。ワシにとっては、まさに英雄と呼んでいい」
「お義父様……」
「ワシには、妻と息子がおった。それをあの戦乱で失ってしまった……」
唐突に、遠い目をして語りだす。
否、彼は最近、昔を語ることが多くなっていた。それがシノブには死を覚悟したかのように思えて、不安で仕方ない。
「召喚者など、目の前におったら切り捨ててくれる……当時はそう思っておったものだ」
「それは……」
言葉を失い、絶句する。
シノブはまさに、その最前線にいたのだ。彼女が切り捨てた兵の中に、義父の息子がいたのかもしれない。
そう考えると、身体の震えが止まらなくなった。
「だが実際、ワシの目の前に現れたのは、年端も行かぬ、隷属の首輪を付けられたお前だった。それを見てな。自分の過ちに気付いた……気がしておったのだろうな」
「私は……お義父様に救われたんです」
「そう思ってくれるのはありがたい。お前たちとて、戦いたくて戦った訳ではないと、その時ようやく悟ったのだよ」
そこで彼は喉が渇いたのか、震える手を水差しに伸ばした。
シノブがその意を汲み取り、すばやく口元へ水を運ぶ。伯爵は一口だけ口に含み、再び言葉を紡いだ。
「ありがとう。だが、お前を娘として迎え入れたのは失敗だったと思っておる。召喚者でも住み良い町を……そのためにはトップが召喚者であれば、事は進みやすい、そう思っておったのだ」
「お義父様は私のために、本当に尽くしてくださいました! 私はその恩を何一つ返せていない!」
「その結果、お前はこの街を離れる事ができなくなってしまったではないか。その書状は、お前をそのくびきから解き放つためのものだ」
「ですが……」
なおも抗弁しようとするシノブを見て、伯爵は溜息を吐いた。この強情な娘はこの程度では納得しない事はよく知っている。
だから事の次第を話そうと、決めた。
「ワシの死後、このアンサラは他の貴族の管轄になる」
「ええ……おそらくは、そうなると思っていました」
伯爵には跡を継ぐものがいない。
シノブをその座にと思っていたようだが、彼女は召喚者である。それを貴族位につける訳には行かない。その反発が、彼女の養子入りを妨げていたのだ。
そして、跡継ぎがいないならば所領は国が召し上げることになり、代わりの貴族が管理することになる。
それは当然の成り行きだった。
「後に来るのはグラッデン侯だ」
その名を聞いて、シノブは顔をしかめずにいられなかった。
戦場で何度も名を聞いた。制圧地を蹂躙する酷薄な人柄だ。そして純血主義により、召喚者を誰よりも憎んでいる。
「それで私を解任すると……」
「あやつは……グラッデン侯は良くも悪くも古い貴族だ。お前は真っ先に槍玉に上がるだろう」
「そ、それでも……私はこの街を離れたくありません」
「ワラキアを追え。あの者の元ならば、国とて迂闊には手が出せん。そう、してくれ……」
侯爵に捕まった同郷の者がどうなったか、人伝にだが耳にしていた。
年齢性別を問わず拷問に掛けられ、責め殺される。男はまだいい。女ならば更に玩ばれ、心身を潰されるのだ。
「お義父様……ですが……」
「おそらくはこれが、ワシの遺言になる」
「そんな! きっと快復します」
「この身体はお前より付き合いが古いのだぞ。もうろくに言うことを聞かんのは、身を持って理解しておる。だから、ワシにこれ以上後悔させんでくれ」
猛獣の下に彼女を残したとあっては、悔いが残る。そう伯爵は言っているのだ。
それをシノブもよく理解していた。
「ですがキフォンまでとなると、かなり時間が掛かってしまいます。それまでお義父様の身体は――」
「ああ、おそらくは持たん。これが最後の面会になるだろう」
「……………………」
最愛の義娘を解き放つため、彼は覚悟を決めたのだ。
死の間際まで一緒にいてほしいはずなのに。
「わか、りました……」
「ガロアは冒険者として頼りになる男だ。お前も自由に生きてほしい」
「はい……きっと……」
大粒の涙を浮かべ、嗚咽をこらえる愛娘を、力の入らぬ腕で掻き寄せ、抱きしめる。
これが、ワラキア伯レナレスとシノブの、最期の面会となった。
旅立ちの日、街門には見送りの数名が待っていた。
鍛冶屋のウォーケン、八百屋のサリー、部下のラッセルと他数名。
召喚者である忍は、貴族達よりも市井の者に人気があった。ここにいるのは、その代表格たちだ。
「よう、シノブ嬢ちゃん。こんなにゆっくりでいいのか?」
「かまわない。侯爵が来るのは、まだ数日後だ」
引継ぎのため、侯爵のやってくる日取りが早まった。だがそれでも数日の猶予はある。
「そうか。ああ、これ――餞別だ。嬢ちゃんには要らないかも知れんけどな」
そういって差し出したのは、やや長めの長剣。
「アキラと共に鍛え上げた奴だ。あの野郎、それでも手加減してやがったんだぜ」
差し出されたのはバスタードソード+16。店の看板でもある名剣だった。
今、シノブの腰には+30の付与を施されたアンスウェラーがある。これは見るものが見れば、とんでもない魔剣と気付くだろう。
だからこそ、おいそれと抜く訳には行かない。それを危惧して、この剣を差し出してくれたのだ。
「そっちのより、そいつくらいの剣が必要になるかも知れんと思ってな」
確かに人類の限界を超えた剣を振り回せば、目立って仕方ない。
それに気付かなかった時点で、彼女も結構なうっかり者である。
「私はただの八百屋だからね。餞別ってもろくなモンが渡せないけど」
サリーは、そういって保存食の入った袋を手渡してくれた。
アキラが残していった野菜を干して、保存食に加工した物だ。
「とんでもない、食べ物は武器より大事だぞ」
「ありがと。でも、あなたがいなくなると、アキラを巡るライバルがいなくなっちゃったわね」
「い、いや。私はそんな……」
顔を真っ赤にしている段階で、もうバレバレだ。
続いて部下達。
餞別や挨拶を交わし、最後に副官のラッセルが出てきた。
シノブよりもかなり年上の二十歳半ばの青年だ。
「隊長……」
「街を頼んだぞ」
「任せてください。さすがに今まで通りとは言えませんが」
「後任がグラッデンのクズ野郎――おっと。まぁ、あの男だからな。しばらくはやり難いだろう」
「隊長が自由すぎたんですよ。普通の軍隊に戻るだけです。たった二年半でしたが……楽しかった」
「ここは……私の第二の故郷だよ。だから、頼む」
「はい。隊長もお幸せに」
「はは、アキラはまだ見つかってもいないぞ」
軽く笑って、馬に跨る。
後ろ髪を引かれる思いはまだある。それでも、義父が残してくれた自由だ。
この街に残っては、それが台無しになってしまう。
流れ落ちる涙を隠すように、シノブはキフォンへと旅立ったのだった。
メインヒロイン、起動。
でも再登場はもうチョイ後。次回、主人公がやっと出ます。