第34話 リリパット
裏ぶれたバーのカウンターで、キツイ酒を一気に呷る。
焼けるような喉越しに、一瞬咽そうになるが、そこを我慢して一息に飲み下す。
アルコールに焼けた息が溜息のように漏れて、じれた気分が少しだけ高揚する。
「親父、もう一杯だ」
「お客さん、いい加減にした方がいいですよ? もう10杯は飲んでる」
「構わないさ」
そもそも俺は酒に酔えない。
毒無効の特性を付与してあるので、酔う事ができないのだ。
それなのになぜ、こんな場所で酒を飲んでいるかというと、カツヒトを待つためである。
ここはニブラスから南西に三日ほど進んだ場所にある、クジャタの町。
キフォンほど大きくなく、ニブラスよりは活気がある。そんな中程度の宿場町だ。
もっともニブラスに近い町なので、カツヒトが生きているならまずここに寄るはずなのだが……いまだその噂を聞く事はできない。
「なぁ、槍の男の噂、入って無いか?」
「聞きませんね。その代わり別の噂なら入ってきましたが」
「どんな?」
もったい付けている所を見ると、かなり大きな話なのかもしれない。
バーのマスターはグラスを磨く手を止めてニヤリと微笑む。
「ニブラスの町で魔神が出たそうですよ」
「あ、それは知ってるから」
つーか、それは俺だっての。
被害の程はさすがに気に掛かるが、できるならば無関係で通したい。精神的安寧のために。
「そうなんですか? じゃあこっちはどうでしょう……アンサラの街の領主が亡くなったそうですよ」
「アンサラ?」
一ヶ月ほど前に出奔した土地じゃないか。
領主って確か、シノブを保護してくれてたヤツだよな。亡くなったのか。
「ええ、アロン側の侵攻を受けた事と、魔神ワラキアの出現で心労が祟って、弱ってた体調を更に崩して……だそうです」
「そりゃ……大変だな」
俺の出現って……俺がいなけりゃあの街陥ちてたんだぞ。その心労っておかしくないか?
そもそも身体が悪かったそうだし、寿命だろ、それは。
「それはともかく……シノブ、落ち込んでるだろうな」
「おや、誰か知り合いでも?」
「ああ、女の子がな。無駄に頑張り屋だったから、少し気になっただけだ」
「会いに行ってあげないのですか?」
「俺が行くと迷惑になるさ――」
ニヒルに笑ってグラスを掲げてみせる。
そもそも俺が行けば、パニックになる。いや、顔を変えてるから意外と大丈夫かも?
そんな事を逡巡していると、背後から肩を叩かれた。
考えていた内容が内容だけに、一瞬バレたかと身体を硬直させる。
「よう、兄ちゃん。景気良さそうに飲んでるじゃないか。俺たちにもおごってくれよ」
そこにあったのは見知らぬ顔だった。
どうやらグラスをカパカパ空けまくっていたので、ゴロツキに目を付けられたようだ。
人数は四人。
「いや、余り景気がいい訳じゃなくてな」
「それだけ杯を空けておいてよく言うぜ。なぁ、一杯でいいからよ」
ちらりとマスターの方に目をやると、揉め事は他所でやって下さいと言わんばかりの、迷惑そうな表情をしていた。
どちらも一応客なので、余計な口出しはしない方針のようだ。
「一杯でいいのか?」
「ああ、このジョッキでな!」
そう言って男が掲げたのは、エール酒用の大型ジョッキだ。
これ一つで五百ミリリットルは入る物だ。俺が飲んでいたウィスキーならボトル半分は入る。
それをゴロツキの仲間四人分。
「少しばかり杯が大きいな――」
「ゴチャゴチャ言ってんなよ。ちぃっとばかりおごれば、痛い目を見ずに済むんだ」
俺の肩を掴んでいた手に力が入る。
普通の人間なら肩が砕けるかと思うほどの剛力なのだろうが……
「はぁ、親父。彼等に一杯ずつ」
「いいんですか?」
「ただし普通のグラスでな」
「おい、ケチケチするなよ!」
「そっちこそ、あまり欲張ると儲けを逃す事になるぞ」
「なんだと……」
「俺の財布にゃ、そこまでしか入ってねーんだよ」
ジャラリと財布をカウンターに乗せて、中身の無さをアピールする。
それを見て男は床に唾を吐き出し、俺のとなりに腰掛ける。
「けっ、シケてやがんな、貧乏人が」
「その通りさ。だからこれで見逃してくれや」
「いいさ、とっとと失せな」
許しが出たので俺は肩を竦めて店を出る事にした。財布に残っているのは、これで銅貨が3枚。
これは後で金貨に【練成】しておくとしよう。贋金ユーザーまっしぐらである。
寒風吹きすさぶ街路に出て、コートの合わせを閉じる。
「うへ、さっぶ――」
季節はまだ夏と言っていい時期だが、さすがに夜も更けてくると気温は下がる。
宿への道すがら、食堂の窓なんかを覗いてカツヒトの姿を探してみるが、やはり見当たらない。
そんな事をしていたから足元が留守になっていたのだろう。
うっかり柔らかい何かを踏みつけてしまう。
一瞬、動物の糞かと思ったが、確かな弾力を持つそれは明らかに違う。
よく見ると、そこにはボロ切れを見に纏った小さな少女の姿があった。
「おい、こんな所で寝てると風邪を引くぞ」
無言で立ち去ってもよかったのだが、少女と知って見過ごすのは後ろめたい。
そんな俺の優しさからの言葉だったが、返ってきたのは言葉ではなく……空腹の腹の音だった。
「お腹、減った」
「そうか、食堂はそこだ」
「お金、無い」
「そうか、俺も無いぞ」
「…………」
「………………」
お互い無駄な緊張感を孕ませたまま、視線を絡ませる。
お互いに無言。ただし周囲には盛大に腹の音が響いている。
睨み合う事数分。先に根負けしたのは俺の方だった。
「はぁ、まったく……」
溜息一つ吐いて、財布の中の銅貨に軽く指を触れる。
一瞬で【練成】を発動させて、銅貨を金貨へ変化させた。
すでに何度も行っているので、慣れたものである。
「来い、一食だけならおごってやる」
「感謝!」
ガバッと身を起こす少女。
その身長は1mにようやく届こうかという程度の小さな身体だった。
「小人?」
「そう、小人族」
「へぇ、初めて見たよ」
エルフやドワーフという種族なら、比較的人里に降りてきている。
地の妖精の血脈を持つグノーメ族も稀に見かける。
だが小人族はその性質からして、なかなかお目にかかる事はできないのだ。
なぜなら彼等は、ひたすら放浪する性質を持っているからだ。
旅を好み、旅に生き、そして旅に死ぬ。
生来の旅人。それが小人族である。
「わたし、リニア。魔導師」
「珍しいな。小人族で魔導師とは……俺はアキラだ」
「ん、よろしく」
こんな感じで、俺はもう一人の問題児と出会ったのである。
ホビットヒロインって見た事が無かったので……