第32話 釣り船
翌朝、モリスの漁船に乗ってシーサーペント討伐に乗り出した。
漁船は各所が鉄で補強された大型船で、結構頑丈な作りになっていた。
「いや、兄ちゃん達が討伐を引き受けてくれて助かったぜ!」
「つーか、予想以上にゴッツイ船だな」
「おう、10人の漁師と合同で漁に出てたからな! 船の大きさも頑丈さも折り紙付きだぜ」
「まさに、おあつらえ向きって奴だな。それでカツヒトは一体なにやってるんだ?」
船の舳先の方ではカツヒトが何か釣竿のような物をいじっていた。
その手付きは地味に熟練を感じさせている。
「漁船に乗って沖に出たんだから、久しぶりに釣りでもと思ってね」
「久しぶりって……趣味?」
「うむっ! 長物の扱いなら任せたまえ」
慣れた手付きで餌を取りつけ、竿を一振りして趣味の世界に没頭している。
こいつはシーサーペントを討伐しに来たという緊張感がないのか。
いや、本当に無いかも知れん。今回のような相手には、こいつでは出番がないからな。
「お、そっちの兄ちゃんはなかなかイケる口だな。俺も本職として負けられねぇ!」
「いや、お前は操船しろよ」
「どうせウロウロしてても見つかるモンでもねぇ。ここまで来りゃ、向こうの方から見つけてくれるさ」
おっさんも船の碇を降ろし、船倉から釣竿の予備を取ってきて、餌を付けはじめた。
確かに当てもなく湖面を彷徨い続けるのも、精神に来る。ただでさえ、なれない船の揺れは三半規管にダメージを与えてくるのだ。
自分を強化して以来最大のダメージかもしれないぞ、この揺れは。
とにかく、ここはカツヒトを見習って、じっくり待ちの体勢に入るのも有りかも知れない。
「はぁ、俺の分の竿もあるか?」
「下の物置に余ってるから、好きに使ってくれ」
おっさんの許可を貰ったので、俺も倉庫へ竿を取りにいく。
そこには様々な漁具が、乱雑に放置されていた。
手近に有った竿を取り上に戻ると、すでにカツヒトが最初の一匹を釣り上げていた。
「む、先に当たりを引かれたか。やるな……」
「一般人に負ける訳にはいかんのだよ。長物使いの名に掛けて!」
釣り上げたイワナを掲げながら、漁師のおっさんに勝ち誇っていた。
ふん、調子に乗っていられるのもここまでだ。俺の能力値の高さを見せ付けてやろう。
「よし、カツヒト、勝負だ。どっちが多く釣果を上げれるか」
「ほう、見たところアキラは素人のようだが、ビギナーズラックなんて当てにならないものだぞ」
「抜かせ、俺の能力の高さを見せてやる。負けたら晩飯おごれよ?」
「いいぞ、今日は宴会だな」
こうして俺とカツヒトの勝負は開幕したのだった。
2時間が経った。
カツヒトはすでに8尾のイワナやヘラブナを釣り上げ、余裕綽々の表情である。
話に聞くと、どうやらもとの世界でも釣りが趣味だったようで、休みのたびに出掛けていたそうだ。
漁師のおっさんも6尾を釣り上げている。ここらはさすがプロと言うところだろう。
対して俺は未だに0である。
餌ばかりを奪われ続け、俺のストレスはもはや限界寸前だ。
「くそ……こんなはずでは」
「ん~、どうしたアキラ? 先程の自信はどこへ行ったのかなぁ?」
「くっ――」
カツヒトがかつてないほどいやらしい表情をしている。
こいつ、性格は良い方だと思っていたが……考えを改めねばなるまい。
「今日はおっさんも一緒に飯を食うかい? トリスちゃんを連れてきても良いよ」
「お、そうか? 悪いな、おごってもらって!」
「お前ら……もう勝った気でいやがるのか!」
「そうだね、いつまでという期限も切ってなかったけど、あと一時間で終了ということでどうだい?」
「昼飯もまだだし、それくらいが潮時かもな」
「よぅし、見てろよ――おっさん!」
俺は覚悟を決めて、モリスに交渉を申し出た。
何も釣果を譲ってもらおうという訳ではない。もっとマトモな交渉である。
「オッサン、俺にこの竿を売ってくれ。タダとは言わん、銀貨10枚でどうだ?」
「10枚!? そんなボロにか? その値段だと、2本は新規で買えるぞ」
「構わん、今必要なんだ」
「そりゃ貰えるならもちろん貰っておくが……」
「よし、交渉成立だ!」
これでこの竿は俺の物だ。
こいつをどう使おうと、俺の自由である。
俺は早速、【練成】を使って竿の性能を強化し始めた。
俺の【練成】はあらゆる能力を引き上げる事ができる。釣竿の能力を引き上げれば、釣果は増すはずだ。
あと一時間で8尾……いや、カツヒトは2時間で8尾釣り上げたのだ。後1時間も有れば4尾釣るかも知れない。
ならば俺の勝利ラインは12尾釣り上げる必要があるという事になる。手加減している余裕はない。
とりあえず竿の性能を+99まで強化し、餌を付けて投入する。
この竿の性能ならば、魚も入れ食いになるに違いない。
そう確信して、俺はニヤリと笑みを浮かべた。
「見てろ、カツヒト。しょせん貴様は脇役よ……主人公には勝てない定めなのだ!」
「そんなこと誰が決めたのかな? っと、9尾目ヒットだ!」
「くっ」
焦るな、この竿ならば必ずや、当たりは来る。
なにせ+99にまで強化したのだ。そこらのボロ竿に負ける訳がない。
内心焦りまくる心を宥めながら、一心不乱に水面を睨みつける。
その時、今までピクリとも動かなかった浮きの動きに変化が現れた。
最初はぴくぴくと震えるように。
そのあまりの微細な動きに、水面の揺れかと勘違いしたが、やがてどぷんと一気に沈みこみ、竿が折れるかと思うほど強烈な引きが腕に掛かった。
「うおっ!」
「アキラ!?」
その引きのあまりの強さに、俺は身体ごと持っていかれそうになるが、漁船の縁に足を掛け、なんとか踏みとどまった。
「来た来た来た――来たァ! 見ろ、カツヒト。こいつは大物だ!」
この引きの強さは、まるでカジキマグロのようなパワフルさが有る。
いや、実際に釣ったことないけどな。
「というかその引きは普通じゃないだろう! 船まで引っ張られてるぞ!」
カツヒトが悲鳴のような声を上げる。
確かに碇を降ろした船がまるで玩具のように引きずりまわされている。
だが+99に強化された竿は折れることなく、俺の力を伝えていた。
魚と釣り人の、限界ギリギリの凌ぎ合い。これこそが釣りの醍醐味である。
「この……いい加減大人しく、しやがれぇ!」
セーブしていた腕力を解放し、全身の力を使って竿を引く。
だがこの獲物は、恐ろしい事に俺の筋力に抵抗してみせたのだ。
12万を超える俺の豪腕に。
「なっ、こいつ――」
信じられない現象に、俺自身が言葉を無くす。
だがそれも一瞬、再び引っ張られ始めた竿に我を取り戻し、足を縁に突っ張って今度は背筋まで用いて、渾身の力で竿を引っこ抜いて見せたのだ。
すると――
まず、目の前に水の壁が立ち上がった。
続いて、巨大な尖塔のごとき巨体が湖面から現れる。
釣りあがったのは――シーサーペントだった。
「おお!!」
「まさか――シーサーペントを釣りやがったぁ!?」
おっさんの絶叫が船に響く。
そして俺の渾身を受けたシーサーペントは宙を舞い……そこで、針が外れた。
どうやら俺が使っていた竿はカツオ等の一本釣りに使うみたいな、返しの付いてない針が付いていたようだ。
やけに餌があっさり持って行かれると思ったら……
針の外れたシーサーペントは、そのまま長々と空を飛んで――ニブラスの街に落ちたのだった。
「あ」
船の方が沈むだろとか、針に引っかかった程度で投げ飛ばせるかとか、そういうツッコミは無しの方向でお願いします。