第31話 試射会
漁師のおっさんの娘トリスの話によると、父親はこの辺りでは有名な網元だったが、シーサーペントの騒ぎ以降漁に出る事もできず、仲間の漁師達も毎日酒場で飲んだくれる始末だそうだ。
その状況で父親のモリスの機嫌がいいはずもなく、そんな空気を察したトリスが誰か退治してくれる人を探して彷徨っていた所をカツヒトが見つけたらしい。
娘の連れてきた冒険者がシーサーペント退治を引き受けてくれるとあって、父のモリスの機嫌はすこぶるいい。
「いや、本当に引き受けてもらえるたぁ、こっちも願ったりだ。船を出すくらいの協力は惜しまねぇぜ!」
「シーサーペントって実際に見た事はないんだけど、どれくらいの大きさがあるんだ?」
早速家の中に招かれ、酒盃を差し出されながら、威勢のいい言葉を吐くモリス。いいけど……まだ昼間だぞ。それにカツヒトは未成年だ。
シーサーペントに関しては、俺も噂や常識の範囲でしか知識はない。これはカツヒトも同じだったようで、興味深げにオッサンの話を聞き入っている。
こっそり酒盃に伸びるカツヒトの手は俺がブロックしておいた。未成年が飲む酒に、いい酔い方ができるはずもない。
「ああ、形はそうだな……海蛇をそのままでかくしたようなヤツだ。全長は50m程だったか。胴の太さも5mはあったぜ」
「50mか、けっこうでかいな。直接見た事があるのか?」
シロナガスクジラですら2、30mしかないのだ。それを超える巨大生物となれば、けっこう所ではない。
だがモリスは顎を撫でながら、自身ありげに頷いて見せた。
「ああ、ある。その時は対抗手段なんてなかったから、尻尾を巻いて逃げ出したがな。だが大きさだけなら俺の船も負けちゃいねぇ」
元々この近辺には湖が存在し、そこで漁をして暮らしていたモリスには他の漁師に比べて一日の長がある。
彼の持つ漁船は他の漁師より一回り以上大きく、十人程度で乗り込んで数日に渡って船を出し、漁をしてくるのだ。
だからこそ禁漁のダメージが人よりも大きいと言える。
「それに俺たちが乗り込み、シーサーペントと退治するのか。ひっくり返ったりしないだろうな」
「そりゃあ、俺に対する侮辱だぜ。キッチリ距離を保ってみせるさ」
カツヒトのような近距離戦型だと近づいてもらわないと話にならないが、それはすなわち船の危機に直結する。
いかな頑強な船といえど、クジラよりもでかい質量の前では木っ端同然なのだ。
とはいえ、そこまでの大きさとなると俺の弓でどうにかなる相手かどうか不安になるが……
「普通は魔法使いが主力になるんだが……兄ちゃんの弓で大丈夫なのかい?」
「それに関しては任せろ」
威力が足りなければ、その場で更に【練成】強化してしまえば良いだけの事だ。
本来こういう真似は出来ないのだが、俺だけの特権である。
それに最悪の場合は投石という切り札もある。
山の形すら変えた投石ならば、シーサーペントといえど耐え切れまい。
「まぁいいさ。じゃあ出発は明日の朝でいいかい? こっちは早く漁を再開したくてうずうずしてるんだ」
「ああ、じゃあ明日の早朝に」
「よっしゃ、そうと決まったら景気付けに一杯――」
「悪いがこの後も用事があってな」
弓の試射くらいはしておかねばならない。いきなり実戦で利用するほど、俺も自信過剰じゃないのだ。
「そうか? 残念だな……しかたねえ、一人で飲むか」
「結局飲むのかよ! いいけど明日に残るような飲み方はするなよ」
「こちとら漁師を始める前から酒を飲んでるんでぃ。そんな下手な飲み方しやしねぇよ」
自信満々で胸を叩いて見せるモリス。見るからに自重しそうにない。
だが仮にもこの近辺でもっとも腕利きの漁師だ。言葉通り、下手な事にはなるまい。
俺達はその言葉を信じ、モリス宅を辞したのだった。
俺達は町を出て近くの草原にやって来ていた。
ここで獣を相手に弓の具合を確かめようというのである。
「ロングボウ+18か。もう強化してあるのか?」
「ああ、さっさと済ませておいた」
「だが、アキラならもっと強化できただろう? なぜ+18で止めておいた?」
「おまえな……」
悪名馳せる俺達が目立たないようにする為の弓である。
それなのに人類の限界まで強化した弓を持ち歩いていたら、悪目立ちするではないか。
俺だって功名心が無い訳ではないが、それはすなわち過去の悪行がばれる事につながるのだ。下手な物は見せられない。
「どっから漏れたのか知らないが、俺は魔神でお前はその眷属って事になってる。お前の槍だってやりすぎな部類なんだ。これ以上はさすがにまずい」
「む、そうだったな……一体、誰が俺の名前まで広めたんだ……?」
「俺が知る訳ないだろう?」
だが、あの大崩壊事件でも、名前はともかく顔まで知られてしまっている。
しかも事件の張本人が俺であるという事実まで見抜かれているのだ。
誰か俺以外にも生存者がいたのか……それとも、別の手段で監視されていたのか?
「っと、それはともかく……角ウサギだ」
小さな角を持った角ウサギは、新米冒険者の友である。
肉も毛皮もそこそこの値段になり、角は薬に使われる。しかも弱い。
「もっとマシな獲物を狙ったらどうだ。あれじゃ威力を測れないだろう?」
「威力はどうにでもなる。問題なのは命中精度なんだよ」
器用度の高さで強引に命中させるという俺の目論見は、果たして正解なのかどうかが、今回の試射の肝である。
素早く矢を番えられるか、そして的確に射抜けるか。それを見るのが目的だ。
俺はあえて抜き打ちのように矢筒から矢を引き抜き、素早く引き絞ってから首元を狙って第一射を放った。
矢筒から抜かれて、一秒にも満たない時間で放たれた矢は、的確に角ウサギの首元に突き刺さり、そのまま獲物ごと更に遠くへ吹っ飛んでいった。
「む、少し強すぎたか」
「だから言ったじゃないか。弱すぎるって」
ロングボウを高レベルに強化した弓では、角ウサギはオーバーキル過ぎたようだ。
見ると獲物は10mも吹っ飛んで、草むらに転がっていた。
「だが精度は悪くないな。狙ったとおり首元に一撃だ」
「相手は動いてなかったしな。アキラなら当然じゃないか?」
角ウサギは動きは遅くないが、小回りが利く方ではない。体の小ささを除けば、狙いはつけやすい獲物だ。
「代わりにあれなんか狙ってみたらどうだ?」
そういってカツヒトが指差す先には、空を悠々と舞うハゲワシの姿があった。
「距離は遠めだけど、動きは早いぞ」
「飛んでる鳥に矢を当てる難しさを知ってて言ってるのかよ?」
「それも試せばいいじゃないか。なに、降りてきたら俺が切り伏せてやるさ」
「そんな出番は与えてやらん」
上空を舞う事100mくらいだろうか?
通常の弓ならば有効射程の外かも知れないが、高い強化を施したこの弓ならば、狙えるかもしれない。
弓がキシキシと軋むまで引き絞り、満を持して撃ち放つ。
矢は一直線に飛来し、ハゲワシを貫いた。ハゲワシは数mほど上に打ち上げてから放物線を描いて地に落ちてくる。
この距離でも獲物を打ち上げるほどの威力を見せた弓に、満足の笑みを浮かべる。
「命中率、威力ともに申し分ないな」
「この距離を事も無げに当てるとはな。それならシーサーペントにも充分通用するんじゃないか?」
「ああ、そのようだな」
その後、狼や蛇といった獲物を仕留めてから、俺は町に戻ったのである。
これで明日の討伐も問題はあるまい。