第175話 魔王の宿命
いつもより少し長いです、ご注意ください。
時は過ぎ、すでに日も暮れているが、レーバー城塞都市の周辺はいまだ喧騒に包まれていた。
それは街から逃げ出した住民たちが行き場をなくし、街の周囲で野宿を始めてしまったためだ。
他の町に逃げればいいと思うかもしれないが、何の用意もなしに数日もかかる隣町に向かうとなると、確実に野盗やモンスターの餌食になってしまう。
街中にいたくない、しかし逃げる先もないということに気付き、逃げることも戻ることもできなくなり、立ち尽くしてしまっていた。
そんな行き場をなくした住民たちが街を取り囲むように散らばっているのだが、一方向だけ、住民がいない場所があった。
それは街外れにある迷宮、すなわち魔王城のあった方角である。
今回の騒動の元凶と思われているだけに、さすがにその近くに避難しようとする人間はいないようだ。
「つまり、この周辺には人目がないってことだな」
俺は人気のない迷宮の入り口――地面に空いた穴の近くまでやってきていた。
いつもなら帰還する冒険者でごった返しているところだが、今日に限っては違う。
街中の騒動が迷宮内まで伝わったのか、潜っていた冒険者たちは早々に戻ってきていた。
おかげで今は、迷宮内に人はいない。
迷宮の出入りを見張る兵士から、そんな話を聞いていた。
あとはその見張りの兵士をどうにかしてしまえば、迷宮を地に埋めることは容易い。
「お? なんだ、お前は。もう他の冒険者は街に戻っちまったぞ!」
一人迷宮に向かってやってきた俺を、警戒する見張り。
状況を考えれば当然の話かもしれない。魔王復活が危ぶまれる状況で、不審な男が元魔王城の迷宮にやってきたのだから、警戒して当然だ。
「待て待て、俺は別に不審人物じゃないぞ!」
不審なことに変わりはないんだが、ここでそれを素直に口にする必要もない。
俺は両手を挙げて、抵抗の意思がないことを示し、見張りの男に近付いて行った。
「じゃあ、いったい何だってんだ」
俺を調べるため近付いてくる見張り。その油断が命取りだ。
いや、別に油断していたわけではないのだろう。しかし俺の【錬成】は手に触れる空気すら変質させることができる。
俺の周囲にはミコラス侯爵を眠りにつかせた睡眠毒が広がっていた。
「ん……ぐ、なに……」
疑問に思う暇もなく地に膝をつき、崩れ落ちる見張り。
膝をついたまま手に持った槍を俺に向かって突き出してくる辺り、実に訓練が行き届いている。
だがそれも、俺が普通に人間だったらの話だ。
胸元に突き出された槍は、しかし強化された服すら貫くことができず弾き返される。
鎧すら来ていない俺に槍を弾かれ、驚愕の表情を浮かべる見張り。
しかし彼が意識を保っていられたのは、そこまでだった。
驚愕したまま力尽き、倒れ伏した。これで邪魔者はいなくなったことになる。
顔を別段隠していなかったのだが、この暗がりだから、明確に覚えられてはいないだろう。
俺は見張りを安全な場所まで移動させてから、迷宮の入り口のそばまで戻ってきた。
あとは俺が迷宮を処理してしまえば、この街の富は抑制されることになる。
そしてなんらかの異変が起きれば、今のように気軽に出入りする冒険者も減るはずだ。
「で、その方法なんだが……」
要は迷宮の資源、つまりモンスターの数が減れば、レーバー城塞都市に流入する富が減る。
ならばモンスターを俺が討伐しきってしまえば、問題解決となるわけだ。
それにしばらくすれば、迷宮は再びモンスターを生み出すため、再び富は戻るという寸法である。これで街に流入する資源を制御しようと考えていた。
「本来なら俺一人ではどうにもならん問題なんだが――」
俺が一人で迷宮に突っ込んだところで、俺のいない場所から次から次へモンスターが生まれてしまえば、延々とイタチごっこを演じる羽目になってしまう。
迷宮からモンスターを一掃するには、個の戦力ではなく面の制圧力が必要になる。
それを補う手段として、俺は先に入手した魔法に思い当たったのだった。
「【偶像製造】があるからな!」
この魔法でゴーレムを大量に作り、迷宮に送り込めば、一晩もあれば制圧できるはずだ。
倒したモンスターは持って帰ってくるように命じておけばいい。
それを俺の【アイテムボックス】に収納しておけば、問題はない。
「問題はどれくらいの魔力を籠めればいいかだけど……まあ、ありったけ込めれば問題ないか」
数は多いほどいい。数が増えればそれだけ早く事が済む。そして早く事が済めば、人目に付く心配も減る。
今は人がいない迷宮とはいえ、あまり時間を掛けたくはない。
そう判断して、ありったけの……は、さすがに危なそうなので、少し強めの魔力を込めて魔法を発動させた。
「いざ来たれ、我が下僕よ……偶像!」
少しばかり興が乗って、余計なセリフをつけてみたりしたが、魔法は問題なく発動した。
俺の目の前の地面が大きく抉れ、代わりにゴーレムが姿を現した。その数……一体。
「お、おい……ちょっと待て!?」
ただしその一体は、際限なく巨大化していき、全長百メートルを遥かに超える巨人と化した。
どうやら俺が注ぎ込んだ魔力は『その数を増やす』方向ではなく、『際限なく巨大化する』方向へと向けられたらしい。
「こ、これは少しばかり、想定外?」
この大きさでは、迷宮の入り口に入ることは到底不可能だ。
しかし、その質量は充分に凶器である。石や岩でできた百メートル超の巨人。いや、二百メートルも超えているかも? とにかく、その重量がどれほどのものか、俺には想像もつかない。
しかし、迷宮を支える床が耐えられないであろうことは、想像がついた。
「ま、制圧するのも踏み潰すのも同じか。要はモンスターの討伐ができなくなればいいわけだし」
気分を切り替え、俺はゴーレムに命令を下す。
そう、気軽に……
「よし、ゴーレム。いけ」
「――――――――!!」
俺の命令を受け、ゴーレムは声なき声で返事を返す。そして命令通り……進みだした。
一歩踏み出し、迷宮をあっさりと踏み抜く。多少身体が傾いだりしたが、どうにか体勢を取り直し……さらに進み始めた。
「ちょ、待てって!?」
しかしすでに俺の声はゴーレムに届かない。なにせ百メートルを超える巨人である。一歩で五十メートル以上は進むのだ。俺が気付いた時にはすでに三歩進んでおり、声の届く範囲を超えていた。
ゴーレムは凄まじい速度で進んでいく。まさに進撃の勢いである。
瞬く間にその姿は小さくなり、やがて沈み込む様に消えていった。どうやら大陸中央の巨大湖の中に足を踏み入れたらしい。
「……ま、いっか。迷宮は壊れたことだし?」
壊れてしまったのは仕方ないが、迷宮が破壊されてはこの街の富は失われたも同然。
だが掘り返せばモンスターの死骸が埋まっているため、急激に衰退することはないはずだ。
それに、ゴーレムも土でできているわけだし、やがて水に溶けて土くれに戻るだろう。
ならば、これはこれで、解決の一つの形といえる。
意気揚々と俺は避難民たちが集まっている場所に戻った。
先のゴーレムはこの辺りからでも見えたらしく、不審な俺の姿を見て、避難民たちは警戒の色を漂わせていた。
だがそこに現れたのが泥だらけの一人の平凡な男と知るや、安堵の息を漏らして自分たちの用へと戻っていった。
俺もゴーレムが迷宮を踏み潰した際に巻き上がった土埃を頭から浴びており、泥だらけになっている。
それが騒動に巻き込まれ、命からがら逃げだしてきた感じを醸し出していて、おかげで怪しまれることはなかった。
あとは翌日に街を捨てて逃げる市民に紛れれば、怪しまれず街を離れることができるだろう。
うなだれて悄然としたそぶりを見せつつ、顔を隠す。その俯いた顔には、『計画通り……』という黒い笑みが浮かんでいた。多少計画とは違う結末ではあるが、目的は達成している。
砦を吹っ飛ばしたのも、ゴーレムが目立ってしまったのも、少し余計だったではあったが……おかげで迷宮から人払いもできたし、迷宮を処理することもできた。
俺にしては最小限の被害で事を収めて回れていると言えよう。多分?
「おい、聞いたか?」
そこに避難民の囁き声が耳に届いた。俺は聞くともなしに、その声に耳を傾ける。
「ミコラス侯爵が暗殺されたそうだぞ」
「なに?」
「屋敷の自室で、食事中に爆殺だとよ」
「爆殺……まさか?」
「ああ。そういやワリオ伯爵も砦ごと吹っ飛ばされたよな」
「同一犯ってことか?」
「その可能性はあるよな。魔王ミンテの先制攻撃かもしれん」
「バカな、すでに復活を果たしていたと!?」
驚愕の声が俺の元まで届いてくる。
だが少し待ってほしい。俺はミコラス侯爵を殺してはいないぞ。
ひょっとすると俺以外の何者かが、眠らせた隙をついて暗殺を働いたのではないだろうか?
だとすると、俺は良いように利用されたことになる。不逞な輩もいたものだ。
「だがそれだったらさっきのゴーレムは何だったんだ? 迷宮の方から出現したが、あんなの入り口を通れないだろう?」
「ひょっとしたら古い居城を始末して、別の場所に移動したのかもしれないぞ」
「だとしたら、ここにはもういないってことか? そうだったらありがたいんだが」
「ああ、いなくなってくれたら、ここは安泰ってことになるしなぁ。でも迷宮の資源がなくなれば、この先どうなるか……」
そもそも魔王復活自体、間違いである。
砦を吹っ飛ばしたのも、ゴーレムが迷宮を踏み潰したのも、俺の仕業だ。
だがミコラス暗殺は俺のせいじゃない。それに魔王とやらも、迷宮を潰したのでもう復活することもないか?
なら今夜はゆっくりと休むことができそうだ。
俺はそう判断し、荷物から寝袋を取り出して休息を取ることにしたのだった。
◇◆◇◆◇
迷宮最奥部。
光の全くない闇一色の部屋。その床には巨大な魔法陣が描かれていた。
その魔方陣が唐突に光を発しだし、床からずるりと、手が生えてきた。
その手は左右に二度、三度と揺れた後、がっしりと地面を鷲掴みにした。
そして地面から染み出すように、腕が、肩が床からずるずると這い出して来る。
しばらく後には、一人の男が闇の中に立ち尽くしていた。
魔法陣の発する光に照らされ、見事な彫像のごとき体躯が照らし出される。
長く、波打つ金髪を背の半ばまで伸ばした偉丈夫。
美麗な顔を凶悪に歪ませ、悦に入った哄笑を上げ始めた。
「くくくく、くはははは、ははははははははははは! ついに、ついに復活したぞ、この魔王ミ――」
しかし彼が名乗りを上げようとした瞬間、石造りの頑丈な天井が崩落してきた。
彼とて魔王を名乗る身。多少の石が降りかかったところで、なんということはない。
しかしその石の雨を追うようにして襲い掛かってきた破壊の波に、彼の身体は一瞬たりとも耐えることができなかった。
ブチュリ、と水風船の弾けるような音を立てて、平たく潰れる魔王ミ以下略。
その後降りかかってきた石と砂に磨り潰され、かき混ぜられ、跡形もなく土砂と混じる。
央天魔王ラキアの忠告により、以前の死は復活のための儀式を用意していたが、今回の死に備える儀式はもちろん用意していない。
死ねば終わりの状況。その死が復活直後の一瞬に襲い掛かってきた。
再びの復活は、もはや見込めない。
ここに西方魔王ミンテは完全な死を迎え、滅んだのだった。
◇◆◇◆◇
翌朝、俺は街から逃げ出す避難民に紛れ込み、城塞都市レーバーを離れた。
適当に街から離れた頃合いを見計らい、難民の流れを外れて皇都へと進路を変えた。
そこからは、もう手加減する必要はない。
全力とまではいかないが、容赦なく人外じみた速度を発揮して半壊した皇城へ戻ってきた。
そういえば城の壁も直すといっていたのに、放置したままだったな。
「報告のついでに直していくとするか」
といっても、それを人目がある状況で行うわけにはいかない。
俺の異能は権力者から見ればいかようにも使える万能の異能だ。欲の皮の突っ張った連中の目に触れさせたくはなかった。
「どうせ大っぴらに顔を見せるわけにはいかないし……」
皇帝に直接会うのは難しいだろう。
力ずくで殴りこむことは可能だが、それではただの報告で済まなくなってしまう。
極秘裏に謁見するには、やはりシュルジーの力を借りなくてはならないだろう。
しかしシュルジーも国の要人。奴に会うのも、それなりに苦労する。
シュルジーの住む屋敷は二つある。
一つは家族と住む屋敷で、これは皇都中央付近にあった。
もう一つは奴が仕事中に控える別邸。これは皇城の隣に併設されるように作られた、小さな屋敷だ。
二つはそれほど離れていないのだが、これには理由がある。
勇者という異能者は、権力者からすれば非常に心強く、そして危険な存在だ。
それが己に牙を剥かないよう、家族には人質としての役目もあった。
そのため、家族に逃げられないよう、監視する目的もあるので皇城の近くに屋敷を構えさせられていた。
シュルジーの屋敷が皇城から離れているのも、そのせいだ。そして彼が皇城のそばの屋敷で一人暮らししているのも。
一緒に暮らしているなら、一緒に逃げられる可能性もある。
そこでシュルジーのための家も別に用意されていた。そういう面ではあの皇帝は冷徹な判断をしている。
「なんにせよ、シュルジーの家族に用はないわけだし、奴に直接会いに行けばいいか」
もちろん、これも人目を忍んで会いに行かねばならない。
こういうと、まるで間男のように聞こえるので、非常に不本意である。
シノブがなんだか悪い笑みを浮かべてる光景を思い浮かべてしまったが、今はそれはそれと割り切るしかない。
俺は夜を待って、シュルジーの居宅を訪れた。
「……………………お前か」
ドアノッカーを打ち鳴らして呼び出し、ついでにドアを破壊してしまった。
屋敷の奥からシュルジーが顔を出し、破壊されたドアと俺と認識したところで、非常に渋い顔をしてみせた。
「なんだよ、その意味深な間は? あ、ドアはすまん。後で直しておく」
「そうしてくれ。それにまさか貴様、自分が歓迎される存在だと思ってないだろうな?」
「それを言われるとこっちもつらいが、俺だって用がなけりゃ訪れたくないところを察しろ」
「ふん」
鼻を鳴らして俺を迎え入れるシュルジー。
不機嫌極まりない態度だが、俺とて自分が歓迎される存在でない認識くらいはある。
それでも俺を迎え入れ、茶の代わりに酒瓶を持ち出してくる辺り、こいつは人ができている。
「茶を入れるのは苦手なんだ。悪いが安酒で我慢しろ」
「そっちの方が歓迎だね。お上品な酒は性にあわん」
「そうか。それで今日は何の用だ?」
「皇帝に会いに来た。ミコラスとワリオ。両方カタを付けてきたからな」
「もう、か」
シュルジーは俺の報告を聞き、眉を顰める。
「ミコラス侯爵が暗殺されたという話は、今朝耳にしたばかりだが」
「ああ。俺はそこまでやってないんだが、誰かが便乗したみたいだ」
「便乗? まあ、敵の多い御仁だったからな」
「それで、皇帝に報告に戻ってきたんだよ」
「また殴り込まれては困るからな。よかろう、謁見の手はずを整えよう」
シュルジーはそう俺に告げると、一息に酒を呷ったのだった。
魔王ミ……いったい何者なのか。
いや、もう魔王はこうなるのが宿命なのだろうか?
あと本日より「英雄の娘として生まれ変わった英雄は再び英雄を目指す」のコミカライズ掲載が始まります。
興味を持たれた方はぜひComicWalkerでご覧ください。ニコ静画にもリンクするはず?