第174話 当然の帰結
方針は固まった。
まず迷宮から湧き出す資源をどうにかしなければならない。
そのためには迷宮の資源を制御する必要がある。迷宮の資源とは、すなわちモンスターの素材だ。
これを制御することで、レーバー城塞都市に流入する富を制御できる。
その後、ワリオをミコラスと同じように無力化すれば、問題はなくなるはずだ。
ワリオの拠り所であるミコラス侯爵はすでに無力化してあるので、派手な動きはしないと思うが、放置しておくと新たなよりどころを見つけ出す可能性がある。
そうなると元の木阿弥なので、奴にはご退場いただく必要があった。
迷宮の方はすでにアイデアがあるのだが、問題はワリオにどう接近するかである。
料理番として接近するのはすでにミコラスの領地で行っている。
俺はその足でミコラス領を飛び出し、このワリオ伯爵領にやってきているので、一般に広がっている情報よりかなり先行しているといえる。
だがその情報も一日二日あれば、追いついてくるだろう。
つまり明日か明後日には、ミコラス侯爵が眠りについて目を覚まさなくなったことが伝わるはずだ。
その前に事を収めないといけないのだが、料理番として潜り込むなら、少なくとも一日は時間がかかってしまう。
その間に情報が届けば、ワリオに警戒されてしまう。
被害を最小限に、というのは皇帝と交わした約束なので、余計な被害を出すわけにはいかない。
それがここまで面倒だとは思わなかった。
「そうなるとやはり忍び込む必要とかあるよなぁ」
城塞都市、というだけあって、レーバー城塞都市は強固な街壁と砦を併せ持っている。
この街はミコラス侯爵領とは別の意味で最前線だ。ミコラス侯爵領が他国への最前線だとすれば、この街は魔王への最前線である。
もっとも、その魔王は二十年ばかり前に討伐されているのだが、その復活を恐れる気配は、いまだ蔓延している。
特に、南方魔王復活、央天魔王復活、東方魔王復活と続いてしまったため、その気配はより濃く街を漂っていた。
「それでも元居城のダンジョンに潜るってんだから、冒険者ってのはタフとしか言いようがないな」
怖いもの知らず、というわけではないのだろう。むしろ日常的に命を懸ける戦いをするだけあって、一般市民よりも恐怖というものについて熟知しているはずだ。
それでも一獲千金の夢を捨てきれず、いつ死んでもおかしくない死地に足を踏み入れていくのは、称賛に値する。
「バカともいえるけどな」
そういった連中の中には、明らかに身の程を弁えていない若手も存在している。
そんな連中にまで称賛を贈る気は、俺にはない。
往来を行きかう冒険者の中には、そういった輩も散見できていた。
「今から迷宮に行ったら夜になっちまうじゃないか」
俺がこの街にやってきたのは、昼を回ってからだ。
その時間になってようやく迷宮に足を運ぶ冒険者も、少数いた。
その連中は、総じて若手だったり無駄にやさぐれた連中だったりと、見るからにうだつが上がらない風体をしている。
あれでは間違いなく、長生きはできまい。
迷宮内に日は射さないとはいえ、夜はモンスターの領域なのだから。
「ま、今の俺には関係ないけどな」
この街のダンジョンはそれほど大きなものではない。
元が城なのだから、天然の坑道が迷宮化した物よりはかなり小規模だといわれている。
規模が断言できないのは、踏破した者がいないからだ。現在の攻略はおおよそ半分程度と予想されていた。
それでも攻略が進まないのは、生み出されるモンスターがそれなりに手強いからだ。
そんな迷宮にモンスターが活発になる時間に挑むようでは、奴らの命運は推して知るべし、だ。
そんなことより、目下の課題はまずワリオに近付く方法である。
ミコラスの異常は、おそらく明日の朝にでもワリオの耳に入るはず。ならばそれまでに事を済ませ、この街を出ておきたい。
だというのに、名案が全く思いつかなかった。
「うーん、やはりここは力押しで行くしかないのか?」
そんな真似をしたら、余計な死者が出かねないのだが、どうにもいいアイデアが思い浮かばなかった。
俺がうんうんと頭を悩ませていると、通りの奥で奇妙な騒動が耳に入ってきた。
角から覗いてみると、民家の前に一台の豪華そうな馬車が停まっている。
そのそばでは強張った表情の娘と、その肩を抱いて涙を流す母。
「ごめんね、エレン。母さんたちが不甲斐ないばかりに!」
「そ、そんなこと、ないよ……ご領主様のお召しだもの。断れないわ」
「でも、でも――」
「年季が明けたら、すぐ戻ってくるから。たった三年じゃない」
「ああ、エレン!」
うん、なんていうか、説明的な別れをありがとう。
どうやら庶民の娘がワリオに見初められ、奉公という名の身売りをする羽目になっているようだ。
あの家族には悲劇的な出来事だろうが、俺にとっては渡りに船といえる。
馬車の車体の下にでも張り付いていけば、ワリオ伯爵のそばまで運んでくれるという寸法だ。
問題は、どうやって人目を忍んで馬車の下に潜り込むか、だ。
「やはり不審な行動を隠すには、不審な騒動を起こすのが一番かな?」
気を隠すには森という話も聞くし、注目を避けるならばより大きなものに注目させるというのは、理にかなっている。
この街中で一番目に付くのは、やはり領主の住む城塞だろう。
人の流れは街のすぐ外にある迷宮に向かっているため、視線の向きとしては逆方向になるが、その大きさのインパクトは他の追随を許さない。
「あれがいきなり爆発したら、そりゃ注目されるだろ」
俺の力なら、ここから投石すれば屋根の一部を吹き飛ばすくらいは、わけない。
問題はあまり派手にやると、余計な死人が出かねないということである。
「ま、屋根の一部くらいなら大丈夫だろ」
俺はそう判断すると、手ごろな石を一つ拾い上げた。
もちろん投石するためのものだが、このまま投げても、途中で大気摩擦により焼け溶けて蒸発してしまう。
そこで+30ほどの強化を施し、強度を増しておく。
それから周囲を見回し、だれもこちらに注目していないことを確認した上で、その石を屋根に向かって投げつけようとした。
その時、俺の背後でガチャリと扉の開く音。そして俺の後頭部にぶち当たる感触。
狭い路地裏からのぞき込んでいたのが、運の尽きだった。
俺の数少ない弱点として、体重の軽さがある。背後から不意を打たれ、俺は大きく体勢を崩した。
崩した態勢のまま、放たれた石は一瞬して音速の壁を突破し、まさに光の矢と化して城塞に向けて飛来する。
そして狙い過たず……城砦の上半分を木端微塵に吹き飛ばした。
「……………………は?」
いや、確かに屋根を狙って投げつけたが、背後からの奇襲は想定外だ。
そのせいもあって、うっかり手元が狂って城塞のど真ん中に命中しただけである。俺は野球などの経験もないため、元々コントロールはよろしくなかった。
それに石も、屋根を吹き飛ばすくらいの力は込めたが、城塞丸ごとなんて、そこまでの力を込めていなかったはずだ。
「なんで?」
俺は首を傾げて状況を分析する。
しかしそんな落ち着きを見せているのは俺だけで、周囲の人間はそれどころではなかった。
なにせ、街の中央に聳え立つ砦が、一瞬にして一階より上が粉砕されてしまったのだから。
「な、なんだ! なにごとだ!?」
「ままー、おしろがきえちゃったよ?」
「ひぃぃぃぃ! もしやこれは、魔王復活!?」
「終わりだ! レーバーはもう終わりだ!」
「助けて、シュルジー様!」
城塞の粉砕から、一瞬の沈黙。その後、目が覚めたかのように騒動は広がっていく。
いや、もはや騒動というレベルではない。パニックといっていい。
目抜き通りを往来していた馬車は、一斉に向きを変え、街門に向かって殺到しようとする。
もちろんゴミゴミと入り組んだこの街の通りでは、そんな広さなどあろうはずもない。
方向転換しようと立ち往生する馬車に、逃げだした別の馬車が追突し、積んでいた荷物が崩落する。
その崩落に巻き込まれた人々が怪我を負い、更なる悲鳴を生み出していた。
「ぎゃああああああ! 誰か、誰か助けて!?」
「足が、俺の足が!」
「待ってろ、すぐ助け――うわぁ!」
「なんだ、魔王の復活か! もうこの街を襲ってきたのか!」
「ままー、ぱぱー! こわいよぉ!」
各所で巻き起こるパニックにあって、俺はようやく自分の計算違いに思い至った。
そうだ、俺は石を『屋根が吹っ飛ぶ程度』の力で投げつけた。しかしその石には、+30という強化が掛けられていたのだ。
投げ放たれた石は『屋根が吹っ飛ぶ程度』プラス『+30された石の攻撃力』が加算され、俺の想像を超えた威力を発揮したということになる。
「そっかぁ、そういうこともあるんだなぁ」
そういえばかつて、俺はシノブに与えたアンスウェラーを使って山を斬ったことがある。
俺だけの力でも可能な行為ではあったが、やけに容易く切れたと思っていた。実はこういう加算が働いていたのかもしれない。
なんにせよ、街は大パニックになってしまった。
このままここに居座るのも、あまり良策とは言えまい。早々に一度立ち去り、様子を見た方がいい気がする。
俺は馬車の下に潜り込むのを諦め、街門へと向かった。
もちろんそこは、すでにパニック……いや、パニックの震源地と化していた。
街に入ろうとしていた馬車に、逃げ出そうとした馬車が突っ込み、門を塞いでいる。しかもそこにさらに逃げようとした馬車が集まってきたため、二進も三進もいかなくなってしまったようだ。
入ろうとする者と出ようとする者で怒号を飛ばしあい、挙句の果てに手まで出ている。
それを取り押さえようと門衛が飛び出してくるが、そこへ馬に乗って逃げようとした者が突っ込んでいってしまったため、数名が跳ね飛ばされる始末。
さらにそれを取り押さえようと応援が駆けつけるが、今度は見境をなくした民衆に逆に襲われてしまい、混乱は加速度的に増していた。
「うわぁ」
自分がやらかしたことながら、さすがにこれはない。
このままでは街門から、おとなしく逃げ出すなんて真似はできそうになかった。
こういう時は、閉鎖された城塞都市という構造が裏目に出る。出入りできる場所が門しかないため、そこに人が集中し過ぎてしまい、処理の限界を超えてしまったようだ。
「こりゃ、どうにかしないと、街から出ることも難しいな」
といっても、門に乱入して、力ずくで突破するというのも、考え物だ。
なにせそんな真似をすれば、俺がワラキア本人であるということが露呈してしまう。
そして魔王でなく魔神が現れたと知れたら、街の混乱はさらに加速するだろう。
門から出るのはやめた方がいい、ならば別の入り口を作るまでだ。
俺はまた石を拾い上げ、今度は強化せずに投石した。
強化を施されていない石は百メートルも飛ばずに摩擦熱で蒸発してしまう。しかし今俺のいる位置から城壁までなら、それほど距離がない。
軽く投げた石は人の集まっていない場所の壁を粉々に吹き飛ばし、その向こう数十メートルを飛来したところで蒸発しきってしまった。
当初、この破壊の嵐に住民たちは目を丸くしていたが、城壁が破壊され、新たな逃げ道ができたと知るや否や、即座にそちらに殺到していった。
俺も今回はこの人の波に乗って街から速やかに退去する。
「乗るしかねぇ、この人の波に!」
そんなネタをかっ飛ばしながら崩落した壁を踏み越えていく。
門番は慌ててこちらに駆け寄ってくるが、時すでに遅し、だ。連中が駆けつけたころには俺は壁を超えており、その人波を制止しようとした門番もまた、人の波に呑まれていく。
そして人手の足りなくなった街門もまた、捌ききれなくなり住民によって押し流されていった。
こうしてレーバー城塞都市は、その守りをあっけなく失ったのである。
レーバーの受難はまだ始まったばかりだ……!