第172話 ミコラスの災難
俺は案内されるままに領主館の厨房へと訪れていた。
この街は交易のための中継点であると同時に、最前線だったこともある街だ。
そういった歴史があるからこそ、意外と実戦を想定した造りになっている。
領主館は領主が暮らす館であると同時に、最前線の指揮所でもあった。
戦場を想定した構造なので、当たり前のように屋敷の横には兵士の詰め所が設置されている。
本来ならば詰め所内部の厨房だけで兵士の胃を満たせる程度の処理能力があるのだが、今回は街の全兵力が動員されているため、その処理能力を超えてしまったらしい。
なので料理も領主館でも料理を作り、それを兵舎の方に提供することになっている。
「とはいえ、なんだこれは……」
大鍋に水をぶっこみ、そこに肉と野菜を叩き込み、塩と胡椒、雑なソースで味付けする。
これに固いパンを炙ってチーズを絡めたものと、適当に野菜を刻んだサラダが今日の昼食である。
「せめて出汁くらい取れよぉ」
これじゃ野営の保存食と変わらない。
俺は廃棄される予定の牛の骨を回収し、軽く砕いて野菜くずと一緒に布袋に詰め、スープの鍋で煮出しておいた。
これで多少はましな味になるはずだ。
半ば乾燥した固いパンも、保存用のベーコンを炒め、その肉汁を塗ることで多少は柔らかくなるだろう。
そうして一時間も必死に調理した頃だろうか。俺は、はたと我に返った。
「いや、何やってんだ俺は」
本気で料理してどうするんだ。俺の役目は領主の居場所を調べ、そいつに制裁を加えることである。
だというのに、このままでは料理をするだけで退去させられてしまう。
かといって、今唐突にここから抜け出すのも、目立ってしまう。
どうしたものかと周囲を見回していると、一か所だけ別の料理を作っている一角があった。
「あの一角だけ、妙に豪華だな」
そこだけは贅沢に肉と油を使い、野菜も新鮮なものをふんだんに使っていた。
調理台の脇にはワゴンがおかれており、高価そうなワインとグラスも載せられている。
「ああ、あれかい。あれは領主様の食事さ。まあ当然なんだけどいいモン食ってるよねぇ」
俺の横で肉を切り分けていたおばちゃんが、俺の独り言を聞きつけ、会話に参加してきた。
こういう時、話好きのおばちゃんというのは、いい情報源になる。情報の信憑性も相応ではあるが。
「へぇ、でも結構な量ですね」
「武人さんだけあって、大喰らいなんだよ」
女性が多い今回の依頼、男なのに手際がいい俺は、彼女に何かと気にかけてもらっていた。
だからこそ、俺は天然の監視網に置かれているといっていい。
ここを出るためには、このおばちゃん監視網をどうにかしないといけない。
「そうだ、俺ちょっと行ってきます」
「どこへ?」
「領主様に献上したい料理がありまして! 上手くいくと料理番に雇ってもらえるかもしれないし」
「はぁ?」
この世界の人間は食べない珍しい料理、それを俺は知っている。
毎日のようにラキアに出している白子の料理。それを領主のミコラスに出してみようと思う。
本来捨てられるはずの部位だが、逆に言えば、この料理がこの世界にないという証明でもある。
もちろん、その食感は唯一無二だ。上手くいけば気に入ってもらえるかもしれない。
「ちょっとすみません、この機会にお出ししたい料理があるんです!」
「な、なんだお前――」
怪訝そうな顔をする男……おそらくはここの料理長なんだろうが、彼の目の前に白子を取り出して見せる。
「なんだ、魚の精巣じゃないか。こんなもの、食えたモンじゃないぞ」
「いや、それが意外とうまい調理法があるんですよ」
そう言い置いて、俺はかまどにフライパンを置き、そこにバターを投入する。
本来なら勝手に食材を使うことはできないのだが、ミコラスも彼らの料理のバリエーションに飽きがきていたらしく、それを知る料理長は面白そうな顔で様子を見ていた。
パチパチとバターの油が跳ね始めたフライパンに白子を投入し、軽くソテーして塩コショウで味付けする。
最後にレモンをひと搾りして、皿に乗せ、料理長に差し出した。
「ほう……こんな食材にこんな料理がねぇ?」
フォークでひと欠け刺して口に運ぶ。しばらく咀嚼した後、その味に驚きを示す。
「生臭いだけかと思ったが、意外といけるな。スパイスで臭みを消しているのか。それとレモンの風味がいい風味を出している」
「本当だったら衣をつけてあげておくと、もっと臭みが抑えられます。それでいて中は溶けるような口当たりになるので、ぜひ領主様にご賞味いただければと」
「俺たちの料理に飽きてたみたいだし、悪くねぇな……よし、一品作ってみろ。ただし俺の目の前でだ。毒を入れられちゃかなわねぇからな」
「はい!」
俺はそう答えると、料理長の目の前で鮭の白子のコートレットを仕立て上げた。本来白子ではそう呼ばないらしいが、この際そこはアバウトでもいい。
「召し上がる直前にレモンを絞ってかけるといいんですけど、その具合は俺じゃないとわからないので……」
「そうか、ならお前も一緒にこい。レモンはこっちで絞った物でも構わないか?」
「もちろんです、お願いします」
当初の予定ではレモン汁に眠り薬を混ぜ込み、二、三年寝ててもらおうかという算段だった。
これはシュルジー戦で毒の調合に自信を持ったからこそ、思いついた作戦だ。
これならば一般市民に被害を出さず、皇帝の臣下にも被害を出さずに、ミコラスの動きを封じることができる。
奴が目を覚ました時はすでに和平交渉は締結され、少なくとも西部戦線は沈静化していることになる。
そこへ強硬派のミコラスが口を出したところで、賛同するものは少ないだろう。
「まさに完璧な計画」
「あん? なんか言ったか?」
「いえ、完璧な料理ができたと、自画自賛しておりました」
「そうか? まあ、一般人にしちゃいい料理だとは思うけどよ」
屋敷の最も高い部屋へワゴンと一緒に案内され、俺は料理長と、酒を管理するソムリエの四人で一緒にミコラスの部屋に入る。
そこにはいかにも武闘派貴族という風情の、体格のいい男が仁王立ちになっていた。
「ム、もう昼食の時間か。ご苦労」
「はいミコラス様。本日は少々趣向を変えた料理を用意させていただきました」
「ほう? ワラキアとやらを始末する前祝いにはちょうどいいか」
どうやらこの男は俺と正面から戦うつもりらしい。どおりで領内の全戦力を結集させているわけだ。
だがこの程度の戦力なら、俺の敵ではない。とはいえ、正面から戦うとなると、これでも全く足りない。
もっとも戦うとなると、尋常じゃない被害が出るから、やるわけにはいかないが。
「ゴホン……こちらのレモンをお召し上がりの直前にお掛けください」
「コートレットか? だが――」
「中身は鮭の精巣でございます。本来なら捨てられるような部位ではございますが、調理次第ではこのように極上の味に仕上がります」
「この私にゴミを食らえと?」
食材を聞いて、不快気に眉を顰めるミコラス。それを見て俺は、彼の機嫌を損ねてしまったことに気付いた。
機嫌を取るために、慌てて俺は言い繕う。
「それは違います、閣下。これは今は確かにゴミでしょう。ですがこの調理法が知られれば、それこそ各地で食されるようになります。一匹辺りからとれる量を勘案すれば、高級食材になるといってもいいでしょう」
「ほう?」
「そしてそれを真っ先に口になさる閣下は、まさに流行の最先端にいるといっても過言ではないはず」
俺が捲し立てたことを吟味し、固いあごヒゲを撫でてこちらを睨め付ける。
しばらく悩んでいたようだったが、フンと鼻を鳴らして椅子に座る。それを見て料理長はテーブルに料理を並べていった。
「なかなかに口が回る。いいだろう、どうせ戦場に出れば、何でも口にせねば生き延びられん」
「は、恐れ入ります」
持参したレモン汁で最後の仕上げを行い、提供した。
最初は恐る恐るという雰囲気で口にしていたミコラスだったが、一口味わった後は怒涛のような勢いで口に放り込みだした。
「フム、意外と良いな。クリームのような舌触りが悪くない」
そんなことを口にしながら、食事を続ける。俺もここで一つ息を吐き、安堵した。
しかし、おかげで奴は完全に油断している。
室内には料理長とワインを供するソムリエ、そして俺とミコラスの四人だけだ。
毒見される危険を最初から考慮していたため、料理にも調味料にも毒は仕込んでいない。
しかしここに俺がいるだけで、計画は成功したも同然である。
シュルジーを倒した時と同じように、室内の空気を【錬成】して、睡眠毒へと変質させる。
さすがに料理長とソムリエを何年も眠らせるのは酷なので、最初は普通に数時間で目が覚める弱い物を。
空気を変性させて数秒、効果は瞬く間に効果を発揮し、ミコラスと料理長、それにソムリエの三人はほぼ同時に崩れ落ちた。
毒が効かない俺は、一人平然と室内に佇んでいる。他に動くものは誰もいない。
俺は今度強めの睡眠薬を作り出し、ワインに仕込む。
それをミコラスの口に流し込み、確実に嚥下したことを確認する。今回の薬は数年は寝込む物だ。これでミコラスだけは目を覚ますことはなくなった。
問題があるとすれば、解毒魔法をかけられた場合だ。
これで数日で目を覚まされては、すべてが台無しになってしまう。
そこでこいつ指にあった指輪に、魔法抵抗力を強化する効果を付与しておいた。
おそらくは領主としての証になるであろう印章の入った指輪。これを外すことはほとんど考えられない。
ついでに偽装情報も付けておいたので、印章指輪が魔道具になったと見抜かれる可能性も低いだろう。
「くくく、完璧だ。もう俺は怪盗にでも転職した方がいいのではなかろうか?」
あまりのスムーズさに、俺は自画自賛の声を漏らす。
とはいえ、俺が余計なことをして回るわけにはいかない。ただでさえ後ろ暗い身なのだから、これ以上は波風を立ててはいけない。
俺の仕業と悟られないよう、もう一工夫しておくのも悪くない。
いくらなんでも眠り続ける領主を怪しまないわけがないのだから、毒や呪いを疑わないわけがない。ならば次は、誰がそれをやったかにも、目が向くはずだ。
皇帝がミコラスを疎んじており、俺が皇帝と和解した事実は、いずれこの領にも届くだろう。
ならば不審なことはとりあえずワラキアのせいという風潮がある現在、俺に疑惑が向くことは避けられない。
それを避けるために、物取りの仕業という偽装を施しておくのも、悪くないと考えた。
俺は部屋の中を物色し、目立つ金品を回収していく。その途中、サイドテーブルの引き出しから、一つの魔法書を発見した。
「なんだ、これ?」
俺は魔法の知識に関しては疎い。こういうことはシノブかリニアの得意分野である。
俺はとりあえず魔法陣を覚え、そこから術式の名前を読み取ることに成功した。
「ふむ、【偶像製造】ね」
そこまで読み取ってから、俺はミコラスの思惑に気付いた。
ミコラスは兵力を集めていた。それは穏健派に寄りがちな皇帝に対する牽制の意味でもある。
しかし実際に帝国に対し行動を起こす事態になったら、やはり兵力不足は否めない。
そこでゴーレムを作り出す術者を確保し、その兵力を補おうと考えたのだろう。
「おっさんも悪いこと考えるねぇ。もらっとこ」
ゴーレムの軍団というのは、俺としてもどこか憧れる面がある。
特に俺たちはシノブもリニアもラキアも、一騎当千の存在ではあるが、やはり数の少なさは如何ともしがたい。
それを補うのに、この魔法はもってこいだ。懐に魔法書をしまいつつ、俺は我ながら悪い笑みを浮かべていた。
こうして、ミコラスの無力化には成功した。あとは速やかに離脱するだけだ。
俺は窓を開けて眼下を見渡す。
さすがに警戒態勢をとっているだけあって、無数の兵士が庭先を往来している。
歩いて屋敷を抜け出すのは不可能に近いだろう。
「フン、なら歩いて出なければいいだけだ」
俺には飛行するような魔法は使えない。しかしそれに準ずる行為はできる。
魔剣レーヴァティン。その刀身に魔力を込め、開放すれば、俺はロケットのように吹っ飛ぶことができる。
もっとも今の状況でそんな物を使えば、この室内の三人は全員消し炭になってしまう。
だからそれ以外の方法で飛ぶことを考えねばならない。
「ま、ロケットがダメなら、ジャンプすればいいじゃないってことで」
俺は足に力を籠め、大きく身を屈めた。
どうせこのまま街を出なければならない身だ。いっそのこと街の外まで飛び出してしまえば、後腐れはない。
強く蹴り出される足、弾丸のように射出される身体。
ドンという衝撃音が鳴り響き、俺は街の外まで飛び出していた。
上空で振り返ると、屋敷の最上部が崩落しているのが見えた。
「あ、あれ? アレなんかヤバくね?」
いや、本当にヤバい。せっかく眠らせたのに部屋が崩れてしまっては、生き埋めになってしまうではないか。
かといって、今更戻ることもできないし、戻ったところで生き返らせることもできない。
「……ま、しゃあねぇか。死んだらそれはそれでってことで。巻き込まれた料理長とソムリエには悪いことしたけど、できる限りの補償を皇帝に出してもらおう」
市外へと吹っ飛びながら、俺はそんなことを呟いていた。
万が一皇帝に不備を突っ込まれたら、収穫サービスを延長することを申し出れば、何とか言いくるめられるだろう。
そんなことを考えながら、俺は地面へと落下したのだった。
◇◆◇◆◇
その日、ミコラス侯爵領の領主館で原因不明の爆発事件が起きた。
原因不明なだけに調査は難航を極め、また被害者であるミコラス侯爵も爆発により死亡していたため、詳細を知ることはできなかった。
しかし前後の状況から、それがワラキアの襲撃であると断定する声が次第に強くなっていく。
やがてそれは、確定した情報として認知されるようになり、この一件はワラキアがミコラス暗殺を企んだものと処理されるようになった。
先の王城襲撃の急報を受け、ミコラス侯爵は領内のすべての兵力を招集。厳戒態勢を引いて対応していた。
しかし、ワラキアは侯爵の先手を取り、屋敷を襲撃。
特にミコラス侯爵は強硬派で有名であり、ワラキアに対しても、断固武力により制裁を行うべしと、声高に主張していたので、この報復と思われる。
この襲撃で室内で食事していた侯爵は崩落した瓦礫に埋もれ、死亡。
さいわい、同室で給仕していた三人のうち二人は運良く難を逃れ生存。だがもう一人の新人料理人が生息不明となった。
しかし世間では、ワラキアに襲撃されて死者二名で済んだことは僥倖だったと、胸を撫で下ろしていたのである。
まずは大人しめの被害から。