第171話 ミコラス領侵入
俺は皇帝たちと別れた後、帝国この東部にあるミコラス侯爵領へと向かっていた。
この領はかつて、トーラス王国との中継点に当たり、交易で栄えていた街でもある。
しかしトーラス崩壊によってその交易は途絶え、経済的には少しずつ凋落しつつある。
そんな状況だったから、目の前に降って沸いた無統治地域に興味を持つのは当然と言えた。
特にその地域との経済に依存して成り立っていた街だけに、逆に所有欲を掻き立てられてしまったのかもしれない。
傾いた経済を立て直すため、余計に領土欲に駆られているのだろう。
「ま、シノブたちも待たせてることだし、手早くぶっ飛ばすとするか」
軽い駆け足程度の速度で街道を駆け抜けていく。とはいえ俺の駆け足なので、その速度は推して知るべし。
さすがに音速突破とはいかないが、高速道路を走る車くらいの速度で街道を走破していた。
ちなみに残してきた三人を思い浮かべる時、真っ先にシノブが脳裏に浮かぶのは、彼女が一番常識人だからである。
なにかとトラブル大好きなリニアや、面倒しか巻き起こさないラキアに、残った面子を統率しておけとはとても言えない。
途中で数名の旅行者を吹き飛ばしたりしながら街道を疾走し、しばらく進むと目の前に高い城壁を持つ都市が見えてきた。
あれがミコラス侯爵領の首都、イコラである。
今回は俺という災害の仕業に見せかけねばならないため、別に姿を見られても構わないのだが、街中に入るまでは別問題だ。
確実にミコラス侯爵にダメージを与え、引退に追い込むまではその存在を知られない方が警戒されずに済むのは確実。
ならば土煙を上げて街に迫るなんて真似はできない。
俺は足を止め、一般の旅行者を装い、門へと近づいていった。
だが本来旅人を受け入れる門は勢い良く閉ざされて行っている最中で、門番たちも街に逃げ込もうとする旅人を抑え込もうと必死の形相だった。
無論、街に逃げ込もうとしている旅人も必死だ。
「なあ、一体何があったんだ?」
俺は門から離れた場所で跪き、神に祈りを捧げている旅行者を捕まえて、事情を尋ねることにした。
一見したところ、徒歩の行商人らしい善良そうな男だ。
「何って……あんた、さっきの地響きを聞かなかったのかい? しかも西からバカでっかい土煙が舞い上がっているし、その前は火の玉が帝都の方に飛んでいくのも見えた。何が起きてるのかさっぱりわからないが、何かが起きてるのは間違いないんだ」
「へ、へぇ……」
どれもこれも心当たりがある。
地響きというのは、俺の走る時に起きる地面をける時の音、土煙はその際に巻きあがった物だろう。帝都に向かって飛ぶ火の玉は言うまでもない。
どうやら俺が街に入るより早く、俺が起こした騒動を聞きつけ厳戒態勢に入ったようだ。
「面倒なことになったな……」
「ああ、本当に面倒なことになった! 噂じゃ、あのワラキアが直接帝都に乗り込んできたんじゃないかって話だ」
「そ、そりゃタイヘンだな」
証人の主張は、間違ってはいない。俺自身が乗り込む意図はなかったとはいえ、結果的にはそうなってしまったのだから。
「このままじゃ、帝国もトーラスみたいになるんじゃないかって噂まで出てきている。もうだめだ、おしまいだぁ……」
いや、さすがにあんな虐殺は二度としたくねーよ。
しかしこうして俺が情報収集している隙に、城門は完全に閉ざされてしまったようだ。
絶望に咽び泣く旅行者の声が、閉ざされた門の方角から聞こえてくる。俺が来るのが、そんなに絶望的な状況なのかよ?
「なんにせよ、どうにかして街に入らないとなぁ」
「どうやって入るつもりだよ。あの門は破城槌の攻撃にも耐えれるようになってるんだぞ」
「なんでそんな頑丈なんだ?」
「ここは元々国境付近の領地だからな。防衛のための備えはしてあるんだ。だからこそ、近隣で一番安全な場所でもある」
「そこへ逃げ込めなかったから絶望してるってわけか」
「ああ、そうだよ! まったくワラキアってやつは迷惑ばかりかけやがる!」
「なんか……スマン」
謝る筋合いはないのかもしれないが、俺は何となく頭を下げておいた。
そんな俺を『わけがわからないよ』と言わんばかりの表情で見る旅商人。
俺はそんな旅商人を放置して、門の方へ向かっていった。
すでに並ぶ列は乱れているため、そばに寄るだけなら特に問題はない。
そばまで近寄って分かったことだが、確かにこの街の城壁は堅固だった。
外から見るだけでは厚さまではわからないが、十メートルを超える高さを支えているのだから、その頑丈さも知れる。
しかも頂上付近は乗り越えを防止するためのオーバーハングになっており、はしごなどを使ってここを乗り越えるのは一苦労だと理解できた。
「ま、飛び越えてもいいんだけどな」
俺の跳躍力なら、この高さを飛び越えることなど走高跳のハードルくらいの難易度でしかない。
もっとも真昼間からそれをやらかした日には、瞬く間に衛兵だの防備軍だのに取り囲まれてしまうだろう。
それに人一人を打ち上げるための蹴り足は、相応に派手な音を立てるし、クレーターなどもできていた。北の町では、それで騒動になった経験もある。
「となると穴を開けるしかないわけだが……」
俺の【世界錬成】は接触でしか発動できず、しかも影響範囲は視界によるものが大きい。
この壁がどれほどの厚さを持っているのか分からない以上、壁に直接触れる必要がある。
しかし今の状況で壁をペタペタ触っていたら、それこそ不審人物まっしぐらだ。
「いや捕獲されるのも、一つの手か……いやいや、そうなったら今度は牢から抜け出すのが面倒じゃないか」
結局のところ、街に入るまでは人目を忍んでの行動になるのだから、夜を待った方がいいということか。
俺はそう考えると、野宿のための場所選びを始めたのだった。
夜になって、門の前で騒いでいた連中も諦めてその夜の寝床を探し始めていた。
三々五々に散っていった旅人たちが、そこかしこで野営を始めている。
これなら多少街壁に近付いたとしても怪しまれることは無いだろう。
俺は日中はそういった連中に紛れることで注目を逸らしていた。
しかし今はその集団を離れ壁沿いを移動していた。
「さすがにこの辺まで来ると、人目はないか」
集団から抜け、門から離れるにつれ、人はいなくなる。
連中も街に入るのが目的のため、入り口が離れるほど人がいなくなるのは道理である。
だが俺にとって門など、ちょっとした地面のでっぱりと大差ない。
とこからでも飛び越えることはできるし――
「穴を開けることもできる、と」
完全に人目が無いことを確認し、壁に手を当てて【錬成】を起動させた。
驚いたことにこの街の城壁、厚さが四メートル近くある。
だが接触さえしてしまえば、【錬成】の効果は伝達できる。
人一人が通れる程度の穴を作り、街の内部に侵入した。その痕跡が残らないように、再度壁を作り直しておく。
これもカツヒトと侵入したクラウベルでの手法と同じだ。
「さて……まずはどうするか?」
目的はここの領主をぶっ飛ばす……場合によっては暗殺も視野に入れている。
しかし民衆や臣下に被害を出さないと皇帝と約束してしまった。すでにいくつかの譲歩を約束しているが、これを値切られるネタにされても困る。
「領主館ごと吹っ飛ばすとかなら楽なんだけどな。正面から殴り込んだら、死人が出るだろうなぁ」
しかも俺の襲来を察知して、私設軍を動かして門を封鎖する有様だ。運がいいというか、悪いというべきか。
とにかく、ミコラス侯爵とやらを確認できる位置に近付く必要がある。
「そうだな、まずはギルドに行って見るか。運が良ければ領主館での仕事があるかもしれん」
領主館と言っても領主だけが住んでいるわけではない。大量の食糧の搬入や清掃など、下働きの代用のような仕事が舞い込むこともある。
もしそういう仕事にありつけたなら、領主を目にする機会もあるかもしれない。
なにより内部の構造を知る機会にもなりうる。
「いや、それより宿が先か」
すでに街の灯りも消えていて、街角は闇に包まれている。
クラウベルの時はカツヒトが一緒だったが、今はいない。こんな場所で一人で夜を明かすなんて、虚しくて仕方ない。
「こうなると、あいつも懐かしくなってくるよな。どこで何をしてるんだか」
俺以外はすべて女という状況。唯一の同性だったカツヒトとは、なんだかんだでよく一緒にいた。
そこには同性故の気安さなどもあり、ある意味俺の安息の場でもあったのだ。
「いなくなってからわかる、ありがた味ってやつか」
宿を探しつつ、ひとりごちる。まだ別れて数日しか経っていないのに、すでにカツヒトを懐かしく思う自分に少し驚いていた。
とはいえ、今は目の前の問題を解決することが先決だ。
店仕舞い寸前の門前宿に滑り込み、その日の宿を確保したのだった。
翌日、俺はギルドに足を向けていた。領主館に関わる仕事が無いか、それを確認するために。
おなじみのスイングドアを開けると、ホールにいた冒険者の視線が一斉にこちらを向く。
だが俺の姿を確認すると、それぞれが喧騒の中に戻っていった。
「ワラキアってのは今どこにいるんだよ!」
「仕事のキャンセルってなんだよ! ハ? 相手の出発がキャンセル? 知るか、こっちは金が要るんだ!」
「困るんだよ、門を開いてもらわないと! 今日中に出発しないと違約金が……」
どうやら門を閉ざされた影響が、ここにも波及しているようだ。
俺は周囲の喧騒を無視して、依頼を貼りだしている掲示板に向かっていった。
貼りだされている依頼所に目を通していくと、炊き出しの手伝いという依頼があった。
これは私設軍をすべて動かしているために、いつもの厨房要員では手が足りなくなってしまったからである。
もちろん軍というからには、輜重隊も存在するので食事の供給も自前でできる。
だが待機状態にまで食事を供出していては、瞬く間に消耗してしまう。人も資材も。
だからこそ、使える労力はすべて使う。
今回は料理のできる冒険者という力を使用することにしたようだ。
募集は十人以上。ここに貼りだされているということは、まだ満席ではないはず。
「すまない。あそこにあった厨房要員募集の依頼なんだが……」
俺はカウンターに足早に向かい、背後を親指で示しながら、受付嬢に確認を取る。
書類作業をしていたその女性は、俺の声に即座に反応し、別の書類を確認していた。おそらくは、その書類があの依頼の物なのだろう。
「あ、はい。まだ受け付けていますよ。特に冒険者さんは料理という技能を持っている人はあまりいなくて」
冒険者だからといって料理ができないわけではない。むしろ野営する機会が多い分、街の男たちよりはマシかもしれない。
しかし大雑把でも許容してしまうことが多いため、まともな兵站では通用しない程度の者が大半だ。
さすがに食事と言われて焙っただけの肉とか出されたら、兵士も怒るだろう。
「俺もプロってわけじゃないけど、多少手の込んだ料理なら作れる。多分大丈夫だと思う」
「ならお願いできますでしょうか? ワラキア騒動のため、主要軍事施設に出向きたいという冒険者の方は少なくって」
「ああ、ちょうど良かったよ。あ、これが俺の登録証」
「はい、お預かりします……ワレキ・アキラさんですね。確かに依頼受領いたしました。場所はご存知ですか?」
「ああ、領主館なら目立つからな。そこに向かえばいいんだよな?」
「『厨房の依頼で』と言えば伝わるはずです。それではよろしくお願いしますね」
そう切り上げると、受付嬢は再び元の書類仕事に戻っていった。
門が閉ざされた影響で、多数の依頼のキャンセルが発生したようで、それらの書類が大量に回ってきたみたいだ。
間接的とはいえ俺のせいなので、少々心苦しい。
「じゃ、いってみるよ」
「はい、お気をつけて」
厨房仕事に武運は関係ないと思うのだが、彼女はそれが気付かないほど忙しなくペンを動かしていた。
これ以上邪魔しては悪いので、俺は足早にその場を去ったのだった。
お待たせしました。また2日に1度のペースで投稿していこうと思います。