第164話 異世界初の有人ロケット
正面からもうもうと沸き立つ砂煙の向こうから、巨大な蜘蛛が滑るようにこちらに向かってくる。
その大きさは俺の予想よりも遥かに大きく、近づく頃には天を見上げるほどの巨体になっていた。
「来たぞ! 前衛、構え!」
レヴの号令により、最前線に立つ戦士達が盾を掲げる。
そこへサンドランナーと呼ばれる巨大蜘蛛が足を振り上げ、殺到してきた。
そのたった一振りで数人の戦士が吹き飛ばされ、後方へと消えていく。だがおよそ十人がかりで蜘蛛の突進を受け止めることには成功していた。
「よし、止めた!」
後方に控える遠距離担当の冒険者達から、歓声のような声が上がる。
そして間髪入れず、攻撃魔法と矢の一斉砲火が降り注いだ。
サンドランナーの起こす砂煙と、魔法による爆炎。双方の効果により一時的に視界が塞がれ、その巨体を見失う。
しかし、しばらくして煙の向こうに、蠢く姿が確認された。
「まだ生きているぞ。油断するな!」
再び轟くレヴの声。それとほぼ同時に、サンドランナーの長い前足が振り抜かれた。
再び吹き飛ぶ前衛達。その数はすでに半数にまで激減している。
「俺も出る……レヴ、他の戦士を退かせてくれ。邪魔になる!」
俺の剣は衝撃波すら伴う。近くに一般人がいれば、危険極まりない。
だがその事実を知らないレヴは、前進する俺を見て驚愕の声を上げた。
「待て、アキラ。お前は盾も持っていないじゃないか!?」
今の俺の姿は一般人と大して変わらない旅装に、刀を一本差しただけの軽装だ。
これでサンドランナーの巨体を抑えられるとは、普通は思わない。
だがそこはそれ。俺も能力だけなら超絶の戦士である。
再び振り下ろされるサンドランナーの前足を、刀で受け止めその攻勢を受け止めた。
「なっ、バカな……!?」
驚愕に見開かれる、レヴの瞳。それを見て俺は、少し調子に乗っていたと気付いた。
ここしばらくは、俺達だけとか、事を大っぴらにできない獣人達と行動を共にしていたため、自重という文字がかなり薄れていたみたいだ。
見ると、シノブとリニアも『あちゃー』という表情で頭を抱えていた。
しかしそこは付き合いが長く、機転の利く、頼りになるリニア。すぐさま俺のフォローに言い訳を考えてくれた。
「ご主人……いえ、アキラはほら、いつもわたし達の荷車を牽いてくれているので、腕力が凄いのですよ!」
「そ、そういうものか? いや、あれは桁が違うと思――」
「荷物もありますからね! しかも女三人に少し前まであと二人いたんです。それくらいは朝飯前ですとも!」
「そうか……?」
リニアの勢いに負けて、半ば強引に合意させられるレヴ。
さらに尻馬に乗るようにシノブも加勢してくれた。
「それにアキラは剣術スキルもあるからな! 上からの衝撃を横に受け流していたんだ。私も見てたぞ」
「そういえば持ってるとか言ってたな――アキラ、右だ!」
二人のフォローに気を取られた隙に、サンドランナーは横薙ぎの一撃を加えてきた。
この攻撃は俺にとって天敵である。体重の軽い、しかも踏ん張りの効かないこのツルツルした地面では、衝撃を受け止めることもできない。
うっかり受け止めれば、その末路は後ろに吹き飛ばされた前衛達と同じである。
ちなみに前衛達はガラス状に固まったエリアを越え、砂に埋まって足が天を向いていた。俗に言う犬神家スタイルだ。
まあ、死んではいないだろう。何人かは足がバタバタ動いていたし。
ともかく、迫る前足が問題だ。受け止めることはできない。避けるには滑る地面が機動力を奪い、間に合わない。
この大質量攻撃を受け流すほどの技量は、今の俺にない。
ならばできる事は一つだけ。迎撃するのみだ。
どっちにしろ、この新しい武器の性能は試さねばならない。
俺は刀を握り直し、一瞬でそれを斬り上げた。
衝撃波が砂を巻き上げ、再度視界を塞ぐ。これは幸いだったと言える。おかげでレヴ達に俺の攻撃を見られずに済んだのだから。
俺の一閃によってサンドランナーの前足が一本斬り飛ばされ、高々と宙に舞う。
やがてそれは地響きすら立てて地面へと落下した。
サンドランナーは声を上げない。前足を斬り飛ばされるという深手を負って尚、その八つの瞳に感情は浮かばない。
だが前足を失った戸惑いは、行動に出ていた。足を一本失った事で行動のバランスが崩れ、動きが止まる。
その時俺の背後から、またしてもレヴの声が聞こえてきた。
「あ、おい!?」
「私も加勢してくる!」
一緒に聞こえてきたのはシノブの声。おそらくはこの砂埃に紛れ込む事で俺の攻撃を、自分のものへと勘違いさせようという配慮だろう。
砂埃の中に俺とシノブがいれば、サンドランナーはシノブが倒したという事にできる。実に気の利く、いい嫁である。
こんなことは本人の前では、恥ずかしくて口にできないけどな。
シノブが俺のそばまでやってきたのは、気配でわかった。
彼女ならば、多少の無茶も耐えられるだけの耐久力がある。
ならばこの魔剣レーヴァティンの付加能力も試しておいてもいいだろう。
俺は【天火】の魔法をレーヴァティンにかける。
本来ならば剣に炎が纏わりついてとんでもない事になるのだろうが、レーヴァティンは【天火】の魔力を根こそぎ吸い取っていく。
そして半透明な紫色の刀身が赤く輝きだした。
「お? おお……?」
その現象に、俺も戸惑いの声を漏らした。
だがいつまでもためらってはいられない。巻き上げた砂は次第に晴れはじめ、こちらの影が向こうから見えるようになってしまう。
そうなったらせっかくのシノブの気遣いが無駄になる。
「よし、シノブは姿勢を低くしておいてくれ」
「わ、わかった……でも、それ、大丈夫なのか?」
俺の暴挙に慣れているはずのシノブですら、この状況に不安を感じている様子だった。
まあ、初めて見る剣が唐突に赤く輝きだしたら、誰だって狼狽する。俺だってさっきまでしてた。
「きっと大丈夫……だったらいいな?」
「いいな? ってなんだぁ!?」
俺の安請け合いに律儀に突っ込みを入れるシノブ。
しかし俺は彼女を無視して跳躍し、手にした剣を振り下ろす。
眼下には固まったままのサンドランナーの首があった。
蜘蛛の首は意外と細い。その構造上、最も脆い急所でもある。
そしてサンドランナーは、俺を跳ね飛ばすために前足で薙ぎ払える範囲まで近付いてきていた。
それは俺にとっても、一跳びで懐に飛び込める距離だ。
俺の跳躍に再び地面が爆発する。
「ぷぁっ!?」
その砂埃をまともに浴びて、シノブが可愛らしい悲鳴を上げていた。
だが今はそれどころじゃない。目の前の蜘蛛の首を落とすのが最優先。
レーヴァティンの刃は、まるで霞を斬るかのように抵抗なく、蜘蛛の首を斬り落とす。
レヴ達ならば傷一つつかないほど頑丈な外皮が、手応えをまるで感じさせることなく斬り裂かれた。
そしてその直後。
首の半ばまで斬り進んだところで、刀身が爆発した。
いや、中に封じ込められていた【天火】の魔力が、破壊の炎に転換されて一気に噴出したのだ。
視界が一気に紅に染まり、飛び交う砂が焼け溶け、砂嵐が灼熱の爆炎へと変わる。
そして俺は――空を舞った。
クルクルと回転しながら、無作為な方向へと飛び回る。
やがて眼下は砂から緑へと変化し、森に変わっていく。
この状況はあれだな。バランスの悪いロケットなんかがこんな挙動をするのではなかろうか?
レーヴァティンに込めた【天火】の炎がまるでロケットエンジンのような役割を果たして、俺の体を宙へと舞い上げたのだ。
運が良かったのは、刀身がほぼ横に向いた時に炎が解放された事だろう。
もし真下を向いた時に解放されていたら、俺は今頃お星さまになっていたはず。
「そういえばこの砂漠、前に来た時も空を舞ったっけなぁ」
前の時は圧縮した【創水】の魔法だった気がするが、まあ魔法が違う程度の問題だ。
眼下の景色から砂漠を超えて森のある方向にまで戻されたことになるが……これはアンサラの北西にある森じゃあるまいか?
しかも勢いはいまだ止まらず、森を飛び越えつつある。
正直降りることは簡単だ。
この剣の向きを上に向ければ、俺の体は反対に下へとすっ飛んでいくだろう。
だがその先はどうなるだろう?
この勢いで地面に叩きつけられれば、巨大なクレーターができるほどの衝撃が発生する。
トーラス王国を滅ぼしたほどの物ではないだろうが、それでも地形が変わるくらいの物ができるはず。
そしてそれを起こすのは、俺自身の体である。正直痛そうだから遠慮したい。
ちなみに下に向ければ、さらに高度を稼げそうだ。でも大気圏を生身で突破したくないので、やりたくはない。
そもそも回転しながら飛んでいる俺に、そんな精密な噴射制御ができようはずもない。
飛翔する俺の勢いはとどまることを知らず、さらに勢いを増していく。
やがてドンと大きな音が響き、俺の日除け用のマントが粉々に吹き飛んだ。
どうやら音速の壁をぶち抜いたらしい。
ひょっとしたら、この世界で初めて音速を超えたのは、俺かもしれない。いや、今までしょっちゅう越えていたか?
なお、衣服は強化が施してあったので、かろうじて耐えている。いい大人が素っ裸にならずに済んで幸いだった。
もし空を、全裸でカッ飛ぶ男が目撃されたら、また怪しい噂が流れてしまう。そしていつの間にか俺のせいにされてしまう。
いや、今回に関しては、紛う事無く、俺そのものの仕業なのだが。
そしてマントが吹っ飛んだタイミングで炎の噴射が止まった。
やがて風景は深い森から整備された街道と田園地帯へと変化していく。
そしてその先には巨大な城砦がそそり立っていた。
いや、あれはむしろ城と言っていい。まるで千葉県にある夢の国を彷彿とさせる立派な城だ。
「おい、ちょっと待て……!」
ここにきて俺は、初めて慌てた声を上げる。
すっ飛ばされた時は二度目という事もあって冷静に観察できていたが、目の前に城が存在し、そこに向かって吹っ飛んでいる状況となると、話は別だ。
今の俺は音速を超えて吹っ飛んでいる。そして城の麓には城下町が広がっていた。
そこに超音速飛行物体が飛来すればどうなるだろう?
ソニックブームにより、町は根こそぎ吹き飛ばされ、多くの死者を出すことは間違いない。
無辜の民が死んでいくのは、さすがに見るに忍びない。どうにかして避けねばなるまい。
じたばたと腕を振り回し飛行経路を変更しようとあがく。
飛行機のように揚力を発生させることができれば、被害を出さずに済むかもしれない。
しかしこの判断は時すでに遅し。充分に加速され、また重力に引かれ下降気味の曲線を描きつつあった俺が高度を取り戻すには、いささか時間を要する。
つまり、俺は身体を持ち上げることはできなかった。しかし衝撃波もかろうじて地上に被害を及ぼす範囲を外れていたのか、せいぜい石畳などを巻き上げる程度で済んでいた。
そして俺は……容赦なく街壁に激突し、ぶち破り、目抜き通りを抉りながら転がり続け、やがて城門へと到達した。
そこで止まればいいのだが、大方の予想通りそこでも止まらず、城門も木端微塵に粉砕し、城の中へと飛び込んでいった。
磨き抜かれた大理石をズタズタに粉砕し、真っ赤な高級そうなカーペットをボロボロに引き裂き、重厚な樫の扉をおがくずになるまで爆砕し、奥の壁にぶち当たってようやく停止した。
そこは豪華な装飾が施された広いホールで、一段高い場所に一人の男が鎮座していた。
その頭上には豪華な王冠が飾られていたので、おそらくかなり身分が高い男なのだろう。
しかもその男のそばには、見た覚えの顔があった。
「な、なにごと……?」
見知らぬ偉そうな男は、呆然とそう呟く。
それと同時に、見た顔の男は悲鳴のような声を上げていた。
「お前は……ワラキア!?」
男は――鉄壁の勇者シュルジーは、とんでもなくダイナミックな登場をした俺を見て、何とも言えない声で悲鳴を上げていたのだった。