第160話 突然の別れ
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その部隊は隠密裏に、また大急ぎで編成されていた。
軍上層部にすら内密に編成された、一種の私兵団とも言える部隊。それがクラウベルから出発したのは、シモンズ議員とトラリス老人の面会した翌朝である。
その時間差の無さから、この部隊の目的がいかに迅速に達成せねばならないのかが見て取れる。
「急げ、急げ、急げ! 山脈越えまで三日以内で進むぞ!」
先頭に立つ隊長が、街を出てから、そう叫んで部下を叱咤していた。
巨大な荷馬車に、用意された覆い布。それを牽く馬は泡を吹きかねないほどの強行軍を強いられている。
騎乗する兵達も、馬が往復保つとは思っていない。片道だけでも保ってくれれば、帰りは別の馬を途中で買うつもりで、鞭を入れていた。
「この作戦は速さが鍵だ。余計な邪魔が入る前に完遂するぞ!」
「おう!」
隊長らしき男の声に、部下が勇ましく答える。
その隊長も『邪魔』が一体何なのか、正確には口にしていない。
それは彼ら自身、この任務が国から差し止められかねない自覚があるという証拠でもあった。
その決意あってか、予定通り三日後には山脈に差し掛かる。
山道を少し登ったところで、その変貌振りを彼等は目にする事となった。
切り立った山脈は軍を始め、人の足を拒絶するように存在していた。
それがある意味、アロン共和国の西側の防御の役割を果たしていたともいえる。
しかし、その山脈がまるで両手を広げて迎え入れるかのように切り取られていた。
崩落していた、ではない――切り取られていたのだ。
まるで冗談のように垂直に山が抉られ、地上より少し高い位置で一直線に削り取られていた。
その表面はまるで石壁のように平坦に切り抜かれており、それがこの事態を起こした現象が、どれほどの破壊力を秘めていたのかを窺わせる。
軍用のスパイク付きの靴や蹄鉄でなければ、足を取られていたかもしれない。
「これは……報告にはあったが、一体なにがあったというのだ……」
隊長はそのあまりに非常識光景に絶句し、壁面を撫でるように調べる。
壁面はただ削られただけでなく、溶けて焼き固められたようになっていた。これならば、部隊を通過させても問題があるまい。
「いや、何があったかを詮索するのは俺の役目じゃないか……進むぞ!」
「……ハッ!」
隊長の言葉に、同様に呆気に取られていた兵士達も我に返る。
彼等の役目はこの山脈を超えて、輸送部隊をキメラの死骸の元へ届ける事。そしてそのままニブラスに奇襲を仕掛ける事である。
異常現象を調査するのは管轄外だ。
「この先はエルバハどもの生息圏だ。総員、監視体制を密にせよ」
魔王の配下、エルバハ。東方魔王ネフィリムの眷属で巨人族。
その性質は残忍で、力を何よりも至上の物と考えている。
それ故に非力な人間に関してはエサとしか見ておらず、彼等がこの地に生息していたことも山脈越えを妨げていた一因である。
この先はそのエルバハの生息圏になるのだが、この有様ではその存在すら怪しい。
それでも全滅したという保障がない限り、警戒する必要はある。
幸い、エルバハ達の襲撃も、他のモンスターの襲撃も発生せずに山脈を超える事ができた。
いや、ここまでの行程を考えると、山脈に差し掛かってからの速度が圧倒的に速い。
これは滑らかと言えるほど平坦に切り抜かれた地面のせいだ。
凹凸がほとんど存在しないため、馬の脚や荷車への負担が軽減し、行軍速度が大きく上昇したのである。
山中で夜営する必要があるかと思っていたが、その夜のうちに山脈の切れ目を通り抜ける。
その行軍速度に隊長本人も驚いていた。
「よし、山は越えたか……想像より早く超える事ができたか」
「この平坦さですからね。馬の脚にも負担がかからないので、いい抜け道になりますよ、ここは」
「なおさら我ら共和国が抑えねばならん地形と言うわけか」
珍しく部下の軽口に応えながら、隊長はさらに指示を飛ばす。
この先からは二手に分かれて行動せねばならない。
「第四小隊は情報通りの場所に行ってヒドラの死骸を回収。そのまま輸送班の護衛に付け。第三まではこのままニブラスに奇襲を仕掛ける」
「ハッ! あの遠見の巫女に一泡吹かせられると思うと、笑いが止まりませんな!」
「甘く見るな。この状況すら連中には知られている可能性がある。速さこそ、あの女の監視を超える手段だ」
作戦立案からここまで三日。ニブラスに向かう時間を考えても、五日以内。
この進軍速度ならば、相手が対応する暇すらない。ましてやイリシアは今、キフォン近郊にまで出陣している。
この奇襲に対応はできないだろう。
だが時間をかけてしまうと、イリシアを始めとした防衛部隊がニブラスに帰参してしまう。
そうなれば、この少人数では対応できず、蹂躙されるのはこちらになる。
隊長はそれを恐れ、進軍を急がせていた。
別動隊と別れ、一路ニブラスへと向かう。
途中、早馬がヒドラの回収に成功したと報告を持ってきたので、作戦は順調に推移していた。
時刻は深夜。翌朝早くにはニブラスに到着できるだろう。
「この襲撃……いける!」
隊長がそう確信した時……彼は空を舞った。
突如ニブラス方面から襲い掛かってきた、正体不明の衝撃波。
それはニブラス北側の街道を抉り、そこを南下していた襲撃部隊を木端の如く吹き飛ばした。
石畳すら剥ぎ取り、大地を抉るその衝撃に、人間が耐えられようはずもない。
襲撃部隊三個小隊は、残らずその災禍に巻き込まれ、全滅したのだった。
◇◆◇◆◇
俺達がニブラスを出て一日が経った。
その間背後から感じる視線は存在しない。やはりあの怪人はニブラスから出る気はないようだ。
「どうやら追ってはこないようだな……」
「そうだな」
俺の横に並んで荷車を牽いていたカツヒトが、ポツリとそう呟く。
こいつは町を出る前からやや不審な行動を取っていた。なにかあったのかもしれない。
「どうかしたのか?」
「ん? ああ、いや……」
ちなみに荷車の上には、腰を抜かしたシノブとリニアが載っている。
昨夜何があったのか察したラキアが二人の襟首をつかんで抗議していた。
「ずるいぞ、二人とも! 我ですら直接食ったことが無いというのに」
「いや、食ったわけじゃ……むしろ食われた方で。あと揺らさないでください、あちこちに響きます」
リニアがラキアに苦情を申し立てているが、エキサイトしたラキアはどうも聞き入れそうになかった。
そんな騒々しい後ろを無視して、カツヒトは俺に話しかけてきた。
「なあ、アキラ」
「ん、なんだ?」
「俺は……本当に済まないとは思うんだが……」
「だから、なんだよ?」
何か言いにくい事があるのか、カツヒトは思い悩んでいた。
厚顔無恥、とまでは言わないが、図々しいコイツが言い淀むというのは珍しい。
「俺は、アキラ……お前たちと別れて修行の旅に出ようと思うんだ」
「ハァ!?」
唐突に別れを口にしたカツヒトに、俺は思わず奇声を上げた。
なぜいきなり修行に出るという話になるんだ? 俺達と一緒にいても充分修業はできるのじゃないか?
「少し前から思ってはいたんだ。アキラが俺達に色々配慮してくれているのは知っている。でもそれはお前の庇護の下で安全に……というのは変わらないんだ」
「ふむ?」
「俺に必要なのは、命の駆け引きが必要な実戦じゃないかと思っている。それはアキラのそばでは経験できない」
確かに俺がそばにいるなら、そんな危険が降り掛かる前に俺が排除してしまう。
カツヒトはその環境が物足りなく感じてしまうのだろう。
もっとも、俺から降り掛かる危険がそれを補って余りあると思うのだが……
「ここまで世話してもらっているんだ、恩知らずと言われても仕方ないと思う。だからビーストベインを返してもいいし、強化も解除してもらってもかまわない」
「そこまで言ったりしないけど……いいのか?」
「それくらいの覚悟はあるさ」
カツヒトがそこまで言うのなら、俺は止める義理はないだろう。
俺としてもカツヒトと一緒に旅してきた経験は、かけがえの無いモノだと思っている。
そのカツヒトがこのままではいけないと決意したのなら、その意思は尊重した方がいい。
「それに……シノブとリニアさんに手を出したんだろ?」
「うっ!?」
「言わば新婚家庭だ。俺が居たら邪魔になるんじゃないか?」
「そんなこと言うわけないだろう」
「そう言ってくれるとありがたいけどな。こっちとしても気を使うんだ」
軽く肩を竦めておどけて見せる。だがそれでも俺の不安は存在する。
「それはいいけど、どこに行くんだ?」
「ここからならキフォンが近い。ニブラスでは戦線がキフォンの近くに迫っていると聞いたから、そこに行ってみようと思うんだ」
「キフォンか……リディアちゃんとかいたな」
「ああ、それにガロアも。どうやら解放軍とやらの実戦部隊は、奴が率いているらしい」
「へぇ? 企んでいたのは知ってたけど、あいつがトップなのか」
南部独立のために、奴が反乱を企てていたのは聞いている。
だがその実戦部隊を本人が率いているとは知らなかった。腕利きとは言え冒険者に軍を預けるとは、キフォンの指導者も思い切ったことをする。
「そうらしい。それでガロアの元に身を寄せてみようかと思ってな。前に声をかけてくれたのもあるし」
「あいつか……まあ、見掛けによらず策謀家であるのは認めるけどな。いいように使われるんじゃないか?」
「その時は悪いが、アキラが助けにきてくれ」
ニヤリと笑うと、こちらに親指を立てて見せる。
だがガロアも一流と名を轟かしている冒険者。その下に付くのなら多彩な経験を積めることは間違いない。
カツヒトの目的である実戦経験という面では、最適な人材と言える。
「わかった。ならお前の世話はガロアに任せるとしようか。ああ、ビーストベインはそのまま持って行っていいぞ」
「いいのか?」
「俺はお前と一緒にいた事を世話してやったとか思ってないからな。強化もそのままにしておいてやる。なんだったら闇影も持っていくか?」
「それは……ありがたいが、いいのか?」
カツヒトの能力は強化されており、その力は桁外れだ。
それを制御するために闇影を持たせておくのも、悪くないと俺は考えた。
「いいさ、また作ればいいし。ガロアの奴によろしくな」
「ああ、伝えとく」
俺とカツヒトは拳を合わせて別れのあいさつを交わす。
そこへ割り込んできた、可憐な声があった。
「なんだなんだ! 武者修行とか言うのなら俺も連れていけよ!」
「ネ、ネフィリム!?」
「カツヒトも水臭いぞ。昨夜は散々相手をしてやっただろう?」
「お、お前!?」
なんだと……ネフィリムとカツヒトが? いつ? 昨夜か?
そういえば昨日からコイツの行動は端々に不審な挙動が見て取れた。
「しーっ! しーっ!? ナイショって言ったじゃないか!」
「何を言う。女を知る上での準備運動みたいなもんだ。黙っておく必要もあるまい?」
「お前! ラキアさんに悪いとか思わないのか?」
「この身体はラキアと同様の作りらしいからな! 本番前に調べておくのは悪くあるまい」
「お前の倫理観が理解できん!」
カツヒトは天を仰いで顔を覆った。
ちらりと荷台に視線を向けると、ラキアがニンマリとした表情をしていた。ついでにリニアも。
「ほう、ネフィリムとカツヒトは結ばれたのか。それはめでたいな」
「リア充ってやつですね。爆発するといいですよ?」
せっかくのしんみりとした別れの場面が、一転ハチャメチャな雰囲気になってしまった。
自業自得とは言え、こいつも報われない。
まあ、カツヒトの外見的な好みがラキアだとは聞いていたので、ネフィリムに惹かれるのもわからないでもない。
それにしても……手が早いというべきか、それともネフィリムに押し倒されたのだろうか?
なんにせよ、こうして俺達の元からカツヒトは別れを告げたのだった。
はい、ボカしてましたけど、アキラは結局手を出していたんですねw
少々短いですが、今章はここで終了とさせていただきます。
次の章が長くなるかもしれない……