第16話 乗合馬車
アンサラ近郊で魔神ワラキア出没。
その報は一瞬にして大陸中部を駆け巡った。
おかげで各要所を守る検問が激しく厳しくなり、東へ行くのも一苦労の有様だ。
俺は今、アロン共和国の西方地域を公共馬車に揺られながら移動している。
この近辺は前線から比較的離れているため、こういった公共機関が生きているのだ。
特に街道沿いは比較的治安も安定しているため、こういうサービスも成り立っている。
「お兄さんも一緒にどうかね?」
そう言ってお茶の入ったカップを差し出して来たのは、六十を超えている様に見える老婆だった。
隣には孫娘も連れていて、一緒にお茶を飲んでいる。
俺は一瞬躊躇した。
この世界に来て最初に口にした水に、睡眠薬を仕込まれていたせいだ。
アレで、俺はこの世界の善意に疑問を持つようになってしまったと言える。
だが今の俺は、毒物すら無効化できる。
そう強化してあるので、例えこの茶に毒が入っていようと問題ない。
「あ、ありがたく頂きます」
少しつっかえながらも、そう返しておく。
下手に揉め事は起こさない方がいいのだ。何せ俺は意図せずして時の人なのだから。
「おいしいですね。これ」
「でしょう。うちの菜園で取れたハーブを煎じたものなんですよ」
「へぇ。そちらはお孫さんですか」
「ええ、この子の親元へ送る途中なんですよ」
菜園と言うのは悪くない。
こう見えても一年とは言え、農家を営んでいた身である。
たった一年、されど一年である。
畑+30では作物は凄まじい速さで生育したため、十年分ほどの経験は積んでいるのだ。
「ああ、どうなってるかなぁ、俺の畑」
「あら、畑を耕していたんですか。お兄さんはこのアロンへどんな御用で?」
農民がその土地を離れるのは珍しいので、婆さんは俺に興味を持ったようだった。
季節は秋。
少し肌寒くなってきたこの時期、マフラーの変装が自然に見えるので実に助かる。
「ええ、少し事情があって土地を離れる事になりましてね」
「まぁ!」
「ほら、アンサラの辺りにいたんですよー」
ここは隠さず、あえて地名を出す。
あの土地に『俺』が出没した事は結構なニュースだ。
その結果――
「ああ、魔神が現れたと言う地域ですね。畑はその時に?」
「ええ、手放すことになってしまいました」
魔神によって畑が無茶苦茶にされ、生活が行き詰った若者。
婆さんはそう勘違いしたようだ。
俺は嘘は言って無いぞ?
「それは大変な目にあってしまいましたねぇ。ところで、噂の魔神は見た事がありますか?」
「見た事はありませんねぇ」
鏡は山小屋にも置いてなかったからな。
普及してない訳じゃないが、意外と高いのだ。
欲しいと思うことは何度かあったが、強化した影響か俺はヒゲも髪も伸びなくなったので、鏡はそれほど必要としなかった。
「あら、少し残念ね。噂の魔神の姿をお聞きしようと思ったのですけど」
「はは、悪趣味ですよ。それにそんなに大した姿はしていないって話です」
サリー以外にはまったくモテなかったしな……あはは、どうせなら顔も作り変えりゃ良かったぜ。
って、マジで出来るんじゃないか、それ?
「そうなんですか? 噂によると、それはもう恐ろしい姿で、討伐に向かった騎士団が逃げ出したほどだと」
「誰だよ、そんなこと言ったの……」
俺の容姿はそこまで酷くないはずだぞ。日本でも至極一般的な顔付きだったはずだ。
まぁ、騎士団が逃げ出したのは事実だが。
今の俺は旅装用のマントとマフラー。
それに【アイテムボックス】を偽装するためのずた袋と、護身のための鍬+50を持ち歩いている。
見るからに落ちぶれた農民風なのだ。
一体これのどこが恐ろしいと言うのか?
俺がそんな世間話に華を咲かせていると、突然馬車の足が止まった。
公共用の馬車は雨避けの幌くらいは付いているが、普段は剥き出しの荷台だ。
周囲の様子は手に取るように判る。
前を見ると、数人の男達が道を塞ぎ、剣を持って近付いてきている。
振り返ると、後ろも、これまた四人ほどの男に塞がれていた。
「――盗賊、か」
「ああ、リディア、こっちへ!」
「お婆ちゃん!」
老婆と孫が、抱き合うようにして震えている。
どこが『街道沿いは治安が安定している』だ。舌の根も乾かないうちに出やがったじゃないか。
こう言う追い剥ぎに出会った場合、彼女達のような存在は例外なく殺される場合が多い。
人質の価値もなく、奴隷としても売り物にならず、性的な欲求を果たせる年齢でもない。
彼女達は、彼等にとってゴミ同然なのだ。
「おう、命が惜しかったら大人しく金をだしな。身ぐるみ置いてきゃ、助けてやらん事もないぞ」
白々しい、助ける気なんて欠片も無い口調。顔を隠していないのも、その証明だ。
御者は壮年の男一人で、戦えるような風情じゃない。
今も震えて身動き一つ取れない状況だ。
護衛も、こんな街道で盗賊に遭うとは思っていなかったのか、雇っていないようだ。
つまり、馬車側としては打つ手無し。
「――どうすっかな?」
ここで盗賊を倒すのは簡単だが、それだと下手をすると俺の身元がバレてしまう。
なんとか極秘裏に事を収める方法はないか、灰色の脳細胞を空周りさせていると――
「貴様等、そこまでだ!」
そんな声が飛んで来たのだった。
見ると、馬車の後方――盗賊達の更に後ろから現れた、騎士っぽい装束の少年が一人。
槍を持ち、鎧を纏ったその姿は、きちんと訓練を受けた正騎兵のそれだ。
だが問題が一つ――
「トーラス王国の紋章?」
その騎士が胸に着けていたのは、滅んだはずのトーラスの紋章。
そしてその顔は――黒髪、黒瞳の日本人特有の物だった。
「誰だ、テメェ!」
「我が名はスゴウ・カツヒト。今は亡きトーラスの召喚者だ」
十六、七歳に見える少年は堂々と、そう名乗った。
このご時勢に、トーラスの召喚者だと。
「アホだ。アホがいる――」
「罪無き民を虐げるとは見捨てておけん! ここは俺が相手をしよう!」
俺の嘆きが聞こえなかったのか、少年は馬の腹に一蹴り入れて、颯爽と盗賊へと踊りかかったのだった。




