第157話 怪人遭遇
カツヒトとどっちが先に怪人を捕まえるかという勝負が始まった。
奴の活動時間は夜間なので、まずは前準備から始めよう。
とにかく被害者が町から逃げ出すという特性上、目撃証言が極限まで少ない。
人当たりのいいシノブにギルドでの聞き込みをやってもらう。
俺は賞金首なので、ギルドでの聞き込みはなるだけ遠慮したい。先程のラキア達の登録も、かなり心配だったくらいだ。
リニアはオバサン受けが良いので、町の商店を回ってもらっている。
子供と見紛う外見は相手の油断を誘うため、オバサン相手には実に都合がいい。
そして俺は知人の店を訪れていた。
武器屋の爺さん、パリオンの店である。しかし門前には相変わらず、留守の張り紙があるのみだった。
「あの爺さん、結構出歩くんだな……」
あの爺さんがこの町に詳しいのは確かなので、会えなかったのは少し残念だ。
ならば別の情報源を訪ねるのも悪くない。
俺は港に足を向ける。向かう先は漁師のモリスの家だ。
結局あのオッサンの安否は、ここまで確認できていない。往路でトリスちゃんが楽しそうにクリスちゃんと遊んでいたのは見ているので、無事だとは思うが。
呼び鈴を鳴らして家人を呼び出すと、運がいいのか悪いのか、モリス本人が出てきた。
「おっす、オッサン、元気だったか?」
「ゲェ、ワラキア!?」
ドアを開け、俺を見た直後、オッサンはそう叫んだ。
幸い、この近辺には人目が無かったので、大事にはならずに済んだ。
「あー、できれば大声で叫ぶのはやめてくれると助かる」
「ああ、その……悪ぃ」
顔を見て叫びはしたが、オッサンの顔に嫌悪感はあまりないみたいだ。
「前は悪い事をしたな。元気だったか」
「俺の船があの程度で沈むはずが無いだろう。それにトリスも運よく町の中にいたからな」
「ああ、町中はそれほど被害は無かったんだっけ」
「周辺の交易路が水没しちまったけどな! まあ、中に入れ。一杯飲んでいけ」
「お前、いつもそれだな……」
俺を家の中に誘い、早速酒瓶を取り出すモリス。
室内にはトリスちゃんの姿はない。
「トリスちゃんは?」
「今はキフォンの知人の家に避難しているよ。ついこの間まで共和国軍が迫ってきてたからな」
「へぇ? そういえばこの街は最前線でもあったんだっけ? でもキフォンも危ないだろう?」
「今は向こうに前線が移っちまったからなぁ。向こうが危なくなったら、またこっちに戻ってくるだろう。なにより釣りができるからな」
トリスちゃんは釣りを始めていたのか。やはり漁師の子は漁師なんだな。
それにしても彼女はいまキフォンにいるのか……丁度カツヒトも向かっている事だし、万が一は無いだろうと思うが、少し心配だな。
モリスは俺に酒を注いだカップを寄こし、自分も酒杯を呷る。
「なんにせよ、いい後継者が見つかったじゃないか。それより今日は別の用事があってな」
「なんだよ。旧交を温めようってわけじゃなかったのか?」
「いや、それもある。何せあんな別れ方だったから、気にはなっていたんだ」
シーサーペントの事件の時、船から湖に飛び込んでサヨナラ、だったからな。
「まあ、それはな。お前さんがワラキアって話を聞いて、それ以降もあちこちで騒動を起こしているのを聞いていたから、俺は心配してなかったが」
「そこは少しくらいは心配してほしかったな」
「そんな心配が必要なわけないだろう」
俺の肩を叩き、ガハハと品のない笑いを上げるモリス。下品な笑いではあるが、その豪放さは俺にとっても悪い気分じゃない。
俺もその勢いに応え、酒杯を呷る。
「それでな。今日はほら、例の『怪人』について話が聞きたくてさ」
「怪人? ああ、例の『リッパー』か」
「それだ、それ。そいつの賞金を狙おうと思ってよ」
「賞金首が賞金首を狙うのか? そりゃまた皮肉が利いてるな」
口元を袖で拭い、酒を注ぎなおす。その後顎に手を当て、思案し始めた。
「そうは言ってもなぁ。噂になっている程度の事しか知らんぞ?」
「今はそれでもありがたいんだよ」
「そうだな……」
モリスは少ない噂を掻き集めて、情報を知らせてくれた。
件の怪人は夜にしか姿を現さない事。町の外輪部、つまり娼館等が配置されている、治安のあまりよろしくない場所によく出現しているらしい事。
それは中央部付近で噂を聞かない事から推測できた。
「そこまではわりと予想通りなんだよな。被害者は?」
「ほぼ全て、って言うか、全員が町から逃げ出しちまってはっきりしねぇなぁ」
「なんかこう、ヤバい相手じゃないだろうな? 年頃の仲間とかいるから気になるんだが」
「というと?」
「ほら、コートの前を開くと全裸の変態とか?」
「そういうのと出会っただけで町から逃げるか?」
言われてみればその通り。何があったら町から逃げ出すか、そこも問題だな。
怪人と言っても死者が出ているわけじゃないので、命の危険はない。あとはシノブ達を連れ歩くため、貞操の危険に気をつけねばならないが、その危険もなさそうだ。
「まあ、いいか。出現場所がわかっただけでも儲けものか。サンキューな、オッサン」
「あー、まあ適当に気をつけてな?」
「雑な心配をどうも! もう少し真剣に心配してくれたら、感激したんだがな!」
「今更魔神ワラキアに何を心配しろってのよ」
とりあえず、聞きたい事も聞いたので、俺はモリスの家を辞すことにした。
このオッサンも元気そうだったので、それを確認できただけでも収穫だったと言える。これは後でカツヒトにも報告してやろう。
その日の夜。
俺達はさっそく夜の裏通りに網を張っていた。
相手が相手なので、シノブとリニアにはバックアップに回ってもらっている。
俺は体型のわかりにくいマントを羽織り、頭をフードで隠して通りを歩いていた。
わざわざマントを羽織ったのは、相手がどんな標的を襲うか、わからないからだ。
男を襲うのか、女を狙うのか。大柄な方がいいのか、小柄な相手を狙うのか。
犯人の嗜好が全く分からないまま、囮捜査に踏み切った状態だ。
「まあ、俺が標的ならばまず安全なんだけどな」
敵がどういう攻撃を仕掛けてくるのかわからないが、俺の防御力を突破できる攻撃ができるとは思えない。
しかも俺は毒を無効化できるので、そっち系でも安全だ。
街路にはなぜか、娼婦の姿も見て取れる。賞金を懸けられるほどの怪人がいるにもかかわらず、警戒している素振りが無い。
「なあ、なんで普通に客取ってるんだ?」
「ん? そういうあんたも普通に出歩いてるじゃない」
街角で客を取っているらしい娼婦に、俺は試しに声をかけてみた。
こういう場所で商売しているなら、新たな情報を持っている可能性もある。
だが、娼婦は突然声をかけた俺に不審がることもなく、平然と答える。
「俺はほら、男だし?」
「それは別に安全の条件じゃないよ」
男も襲われているらしいから、娼婦の言う事も事実だ。では襲われる条件とは何だろうか?
俺はそれを特定すべく、思考を走らせた。だがそれを柔らかな感触が妨害する。
「それよりさぁ……余裕があるなら一本どうだい? あんた優しそうだし、サービスするよ?」
俺の腕を抱きかかえ、胸元を押し付けながら、しなだれかかってくる娼婦。
肘の辺りにはバッチリとアレな感触が存在している。それはシノブやリニアでは味わえないものだ。
いやリニアにはまだ可能性が残っているが、身長差や全体的なボリュームなどの問題がクリアされていない。
シノブは……絶望的だ。
「何だったら割引もしてやろうかい?」
「そ、それは心惹かれるな……」
ラキア顔負けのスタイルを持つ娼婦に、俺の理性は大きく揺らぐ。
娼婦に腕を引かれ、俺はフラフラと路地へ入ろうとしたところで……妨害が入った。
「はい、そこまでー」
「アキラ……」
「ちょ、え? ま、待ってこれは違うから!」
乱入したのは無論、シノブとリニア。
娼婦から俺の腕を奪還し、自分の胸元に抱え込むリニア。
確かに多少柔らかな感触は存在しているが、あからさまにその位置が低い。しかも体全体のボリューム不足で物足りない。
実に残念だ。
そんな俺を、どこか泣きそうな表情で俺を見るシノブ。
まるで父親の浮気を目撃したかのような表情である。
その視線を向けられて言い訳というか、弁明をしない男はいないだろう。
「うちのご主人の処理はわたし共が受け持っておりますので、外野の方はご遠慮ください」
珍しくキッとした敵意あふれる表情を娼婦に向けるリニア。シノブは俺の反対側の手に抱き着き、所有権を主張していた。
確かにこの二人を放置して娼婦になびくとか、無いな。
いや、彼女は彼女で実に魅力的ではある。それでもシノブ達の好意を裏切るほどの魅力ではないのだ。
「あー、そういうわけで悪いけどまた今度な」
「なんだ、ちゃんと相手がいるんじゃないか。まったく、こんな場所うろつくんじゃないよ」
「悪ぃ。例の怪人捕まえようと思っててさ」
「怪人? 子供連れでこんな所を? それこそ論外だね!」
子供のようなリニアと、まだまだ子供のシノブ。その二人を引き連れてこんな場所をうろついているのだから、娼婦の警告も的を射ている。
その好意の大きさを忘れて、彼女にふらついてしまったことは反省せねばなるまい。
俺の両腕を抱えて威嚇する少女達を見て、娼婦は呆れた表情で手を振りながら立ち去っていった。
「ちょっと、もったいない気もするけどな」
「ご主人?」
「いや、なんでも……」
娼婦にしておくのはもったいないほど、さばさばした雰囲気の女だった。
彼女なら商売抜きにしても、いい酒を飲めただろう。
また出会う機会があれば、一杯奢っても構わないと思えるくらいだ。
「ほら、お前らも手を放してくれ」
「今回は怪人退治ですからね? 余計な人に目をやっちゃだめですよ?」
「アキラ、信じてるからな!」
「シノブのはちょっと重いかなぁ」
「なにがだ?」
首を傾げて見せるシノブだが、今はそれどころではない。
まずは標的を発見しなければ、カツヒトに先を越されてしまう。
奴には釣りの時と言い、負けが込んでいる気がするので、年長者として負けるわけにはいかないのだ。今度こそ!
シノブ達を路地の陰に追いやり、俺は再び夜道を歩き始めた。
そうやって徘徊することしばし。その時は唐突に訪れた。
ある路地に入って、シノブ達の監視の目が途切れた一瞬。その瞬間を突いて、そいつは俺の前に現れた。
街灯の明かりすら届かない路地の影。その中からふらりと現れた、長身の男。
コートの上からでもわかるほど、分厚い筋肉の質感。
「おま――」
俺が誰何の声を飛ばすその隙に、するりと俺の懐に入り込む男。
完全に懐をに潜り込まれ、間合いを支配された。その技量は俺の戦闘スキルを遥かに上回っている。
男は俺の顔に手を伸ばし、頭を固定する。
「な、なにを――」
『する気だ』という声は出す事ができなかった。
外見通りの筋力でがっちりと固定された俺は、気が付けば男の接近を許していた。
俺の反射能力が劣っていたわけではない。男の『虚を突く動き』が俺を上回っていただけだ。
気が付けば……俺の唇は、男によって塞がれようとしていた。
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
凄まじい嫌悪感と、バーネットの悪夢がフラッシュバックする。
俺は無意識に近い領域で拳を振り回し、男を攻撃していた。
だがその攻撃が当たる直前、男は姿を消していた。
「なっ!?」
拳だけでなく、巻き起こった衝撃波すら、かすりもしていない。
放たれた衝撃波は街路を抉り、街の外壁を粉砕して町の外まで突き進んでいく。ここが外縁部に近い場所でよかったというべきだろう。
追撃を放つべく男の姿を追うが、その巨体は路地の陰に溶けるように消えていった。
後に残るのは、泡立った肌と、表現しがたい悪寒のみ。
「あ、アキラ! 無事か?」
「ご主人、さっきのはひょっとして?」
「言うな!?」
俺は口元を袖で拭いつつ、リニアの言葉を遮った。ぎりぎりで難は逃れていたのだが、まるで奪われたかのような敗北感が残っている。
それに、今の光景を他者の口から伝えられるのは、精神的にキツイ。いや、俺のストレスはすでにオーバーフローしている。
なるほど、被害者が全員口をつぐんだまま町を去ったわけだ。こんな被害、誰にも報告できない。
「とにかく……今日は宿に帰ろう……」
「そ、そうだな……今日の事は無かったことに」
「そうしてくれると助かる」
「ご主人、口直し、口直しを!」
「ああ、リニアさん、ずるいぞ!?」
「落ち着けセーフだったから! それを受け入れたい気持ちは確かにあるが、今は一刻も早くこの場を離れたい」
俺はシノブ達の行動を待たず、足早にその場を離れていった。
こうして俺は、怪人キス魔チャックと遭遇したのだった。
チャック(封じる)とリップ(唇)とくれば、こういうオチにならざるを得ませんよね?w