第154話 新たな同行者
ネフィリムは地面に寝そべり、肘を立ててこちらに腕を突き出してくる。
体重に押し潰された巨大な肉球が脇からはみ出し、胸元には深い谷間を形成している。
俺は勝負に応えるべく正面に寝そべると、その光景を真正面から目に入れることになった。
「うっ!?」
ラキアそっくりの美少女のそんな姿に、不覚にも興奮を覚えやや内股になってしまう。
それを見てリニアが割り込んできた。
「ハイハイ、ちゃんと勝負用の台を作るので、その上でやってください。ご主人は胸に注視しないように」
「だ、だれが見とれてるって証拠だよ!」
「ハッハッハ、この姿はラキアにそっくり故、致し方あるまいよ! さすがは俺の見込んだ女だ!」
「うっさい、お前は黙ってろ」
リニアの茶々にネフィリムが自信満々に応える。
しかし彼女の主張も的を得ている。変化させるなら別に女にする必要は無い。
これには、俺には俺の理由が存在するのだ。
ネフィリムはラキアに惚れ込んでいる。そしてラキアは俺に惚れている。
俺もラキアの好意はうれしく思っている。だがそこにネフィリムが割り込んでくると、いわゆる寝取られが発生する可能性がある。
そこで俺はヤツをラキアそっくりに変化させた。寝取られる元凶を、それこそ根こそぎ消失させたわけだ。
そしてヤツ自身の不満を逸らすために、外見を好み通りに設定したのである。
だが、考えてみれば、それと対峙するのは俺本人。その美貌を超至近距離で真正面から目にしないといけない。
それは大変目の毒と言える。
そんな俺の微妙な行動を、リニアは目敏く見抜いた。
小さくとも彼女は歳を経た女性。自分の主人が他の女に視線を奪われるのは不快だったに違いない。
少しふくれっ面で呪文を詠唱し、黒光りする正方形の台座を作り出した。
その艶やかでヒビ一つ無い材質は、見るからに頑丈そうだ。
「黒曜石で台座を作っておきました。この上で勝負をつけてください。ご主人は胸に目を向けちゃダメですよ?」
「ヤメロ。こいつは東天魔王で、男だぞ」
「それでも、です」
見るとシノブもリニアのセリフで状況を察したのか、ぷっくりと頬が膨らんでいた。
ラキアは頬に手を当ててクネクネしている。正直キモイからやめておけ。
「そんな事よりホラ! 勝負しようぜ勝負!」
ネフィリムは腰に手を当てて、勝負を急かす。その姿は実にラキアっぽい。性格も彼女に……ある意味似ているのかもしれない。
俺は大きく息を吐き、気を落ち着けてから黒曜石の台座に肘を置いた。
ネフィリムも俺に応えて、肘を置いて手を組み合わせる。
「よし、カツヒト、合図してくれ」
「お、おう……」
ちょっと視線の泳いでいたカツヒトが慌てたように返事をした。
そう言えばこいつの好みはラキアだった気がする。彼女が仲間に入ってからは覗きというチョッカイを掛けないようになっているからだ。
ラキアが俺に好意を向けているので、今までは自制をしていたようだが……ここに瓜二つの女性が登場したのだから、心を揺さぶられているのだろう。
カツヒトが一目惚れするのも判らないでもない。元男だが。
「いいか? カツヒトが『始め』と言って手を離してから、力を入れて倒し合うんだぞ」
「おう、承知した!」
お互いに右腕を組み合い、左腕は台座の縁を持ち力を入れやすいように支える体勢を取る。
肉が……台に乗って……いや、なんでもない。
俺の逡巡には気付かず、組み合った手の上にカツヒトが手を置いた。両者の準備が整っている事を確認するためだ。
「では行くぞ……『始め』!」
カツヒトの合図で俺は左手で身体を支え、右手に力を入れる。
同時にネフィリムも同じ行動を取った。
お互い万を超える筋力の持ち主だが、俺とヤツでは桁が違う。
その結果は推して知るべし。つまり……台座が粉々に砕け散ったのだ。
ゴバッと派手な音を立てて、黒曜石が砕け、周囲に飛散する。その破片はもはや砂と言っていいほど細かく粉砕されていた。
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ。この黒曜石、わたしの魔力を思いっきり込めて、鉄より固くなってたはずですよ?」
「なんだ。鉄程度なら俺にとっては粘土みてぇなモンだぞ?」
「そうだな。俺にとっても固いってほどじゃないよな」
「うぐぅ……まさかそんな結果になるとは」
落ち込むリニアだが、彼女を慰めるのは後回しだ。今はこの筋力バカとの勝負をつけるのが先決である。
「ほら、次は俺が強化してやっから、次の台座をさっさと作れ」
「ご主人、意外と容赦ないですね……」
そう言いつつも次の台座を作るのだから、彼女も律儀だ。
今度はそれに+99の強化をしてから再勝負に挑む。
カツヒトの『始め』の合図と同時にお互い力を入れる。
強化台座はミシリと軋んだ音を立てたが、今度は耐えることができた。
俺も容赦なく力を入れたのだが、驚くべき事にネフィリムはその攻勢に耐えてみせる。
馬鹿げた筋力と【肉体強化】という能力によって、俺の攻勢に踏みとどまれたのだろう。
しかし、それも一瞬だけだった。
反撃する余裕も無く、なす術もない。ネフィリムの腕はほんの数秒耐えた後、台座に押し付けられることとなった。
「勝負あり!」
「どうやら俺の勝ちだな。異論はあるまい?」
「むぅ……ない。まさかここまでの剛力の持ち主とはな。俺の完敗だ」
思いのほか素直にネフィリムは負けを認めた。
この男、力こそ至高と考えているだけに、強者は素直に認める気質のようだ。
そういえば勇者を語る時も、こいつはラキアと違って笑いながら話していた。タロスと言う男を認めていたのだろう。
「まさかタロス以外にここまでの力を持つ者がいるとはな。あの山脈を切ったという話も得心が行く」
「認めてくれるか?」
「おう、こうなったら仕方ない。お前を仲間として認めよう!」
「ハァ!?」
「俺を負かしたのだから、認めるのは当たり前だろう? お互い認め合ったのならば、それは仲間だ。何だったら伽の相手をしてやってもいいぞ?」
そんなうれしくもうれしくない宣言をしてくれるネフィリムだが、それに敏感に反応したのがシノブとリニアだ。
「そんなふしだらな真似は私が許さん! アキラの貞操は私のモノ……じゃなく、私が守る!」
「シノブの本性駄々漏れの発言は置いておくとして、物事には順番というモノがあるのですよ! 筆頭奴隷のわたしを置いてお情けを頂くなど、許されざる行為です!」
突然いきり立った二人はネフィリムに対して戦闘体勢を取る。
リニアは指輪をはめた腕を前に突き出し、シノブもアンスウェラーを引き抜き、ネフィリムに向ける。
そんな二人を見て、ネフィリムも不敵な笑みを浮かべた。
「しょせんこの世は弱肉強食。弱者は強者によって蹂躙されるのみ。女の魅力もまた同じよ」
「いや、お前は男だったろ、さっきまで」
「それはそれ、これはこれ! 女の悦びと言うのも一度は味わってみたいのだ!」
「ヘンタイか!?」
どうやら俺がこいつを女に作り変えたおかげで、怪しい嗜好に目覚めたようだった。
いや、こいつ自身が強者だったが故に、弱者に回った際の立ち回りがわからないのかもしれない。
とにかく正直言って、気持ち悪いので遠慮していただきたい。いくら外見美女とはいえ、元は身長十メートルのマッチョなのだ。
「とにかく! シノブとリニアは俺の大事な――えぇっと、仲間だ! 俺を主と認めるのなら、彼女達の意向は最大限尊重しろ」
「ム……それならば仕方ないな。年功序列も組織の維持に必要な要素だ。お前がそういうのなら、配慮しよう」
やはり、こいつは強者に対して聞き訳がいい。こいつが魔王と呼ばれるようになったのは、こいつを倒せるだけの強者が人間にいなかったのもあるのだろう。
唯一認められる強者には、殺されてしまったので従順になる暇がなかったと言うわけだ。
こうして俺はこの旅の間で、二人目の……魔王の仲間を迎え入れることになったのだった。
◇◆◇◆◇
アロン共和国、評議会。
先の魔神ワラキアの襲撃により、議会の議員数は更に減少してしまった。
新規の議員を補填するため、粗製濫造とも言える勢いで議員を迎え入れていたが、その結果更に魔神を招き入れる結果になったことで、追加の議員を増やす事に二の足を踏んでいた。
通常の三分の一近い人数で議会を回しているため、保留する案件も増えている。
それはアロン共和国の政治が停滞していると言う事実でもある。
そこへ新たな報告が評議会に届けられた。
議会の議長代理を勤める羽目になっていたノーマン議員は、その急報を議場で耳にする事になる。
「ノ、ノーマン議員、急報です!」
「何事だ。今は大事な疑義の最中で――」
「これはそれを超える大事にございます!」
「なに!?」
報告者の慌てふためいた状態を見て取り、ノーマン議員は議会を一時中断し、報告書に目を通す。
そこには山脈の一部が消し飛ぶと言う、正気を疑われかねない情報が記載されていた。
本来ならば一笑に付して戯言として処理するところであるが、ここ最近はその常識をそれこそ笑って蹴り飛ばすようなバケモノが徘徊している。
「トラキア山脈が……切り裂かれた?」
思わず漏れ出たその言葉に議場が大きくどよめいた。
本来ならば漏らすべき情報ではない。しかし、その突拍子の無さにノーマン議員が思わず声に出してしまったとしても、仕方ないところだ。
これが本来の議会の状態ならば、失態として彼の進退を問われるほどの失敗。
しかし議員の数が激減し、有能かつ人望ある人材はもはや貴重だ。
今彼に現役を退かれた場合、アロン共和国がどこに向かうのか、まったくわからなくなってしまう。
もしとんでもない議員が権力を持ってしまった場合、奴隷制の復活やファルネア侵攻を本格化してしまう可能性も出てくる。
現にその情報を耳にした血気盛んな若手議員が、突拍子も無い事を彼に進言し始めた。
「それは……議長代理、好機ではないですか?」
「好機ですと?」
「そうです。トラキア山脈は今までエルバハが住み着いていたので攻め込むことはできませんでしたが、ここの山脈が切り取られたとなると軍を進めることが可能になります。山脈を越えればニブラスの北に出ることができるでしょう。そうなれば反乱軍の頭を押さえ込む事ができます!」
ニブラスはノーマン議員の親友の娘が反旗を翻し、彼は今微妙な立ち居地にある。
それでも彼が議長代理に選ばれたのは、その清廉潔白な性格と実績ゆえだ。
しかし経験の浅い彼には、その配慮ができない。
「反乱軍のイリシアの情報収集力は確かに脅威です。ですがこれでニブラスを北から急襲すれば、戦力に劣る反乱軍では抑えられないでしょう!」
「落ち着きたまえ、シモンズ議員」
激しく主張を繰り返す新人議員は、先日錬金術組合の所長を議場に連れ込んだ議員と同一人物でもある。
彼は議場爆破の片棒を担いだとして、あれから周辺から非常に厳しい目で見られていた。
その失敗を取り返すべく、更に過激な案を議題に提出するようになっている。
「今の共和国の戦力ではニブラス相手に二正面作戦を展開する余力は無い。それにエルバハの存在もある。連中が山脈横断中の軍に襲い掛かったらどうするのかね?」
「その時はエルバハを撃退すればいいでしょう。どうせ魔王の配下だった連中です。共和国の国土に編入されるとなれば、いずれは討伐する必要があります」
「それすらも今は怪しいと言うのだ。血気に逸るのはわかるが、今はその時ではない。それに山脈を切るような真似を誰ができると言うのかね?」
「それは……ワラキアか魔王本人くらいでしょうね」
「ならば軍隊を送り込めば、その超常の存在が敵になるとなぜ思い至れない?」
「そ、それは……」
「とにかく、今はその時ではない。これ以上この話題を続けるのなら、君の資質を疑わざるを得なくなるぞ」
「そんな、無茶な!?」
議長代理とはいえ議員の一人であるノーマンに、シモンズの議員資質を問う権限は無い。
それでも今は多少強行でも抑えねばならない時がある。今シモンズを野放しにすると非常に危ない状況に陥りかねない。
そう判断して、脅迫めいた言葉を口にした。
ワラキアのもたらした山脈断絶という結果は、思いもよらないところで確執を産んでいたのだった。
◇◆◇◆◇
今章はこれで終了という事になります。
再開は20日頃を予定しています。




