第152話 第三の魔王
俺の放った一撃は、エルバハの住む三つの山ごと山脈その物を斬り裂き、消滅させた。
今回はしっかりと世界に被害が出ないように、衝撃波の出る角度まで計算しておいたので、他に被害はないはずだ。
エルバハももちろん、この破壊の中を生き延びれるはずもない。これでこの一件はカタが付いた……はずだ。
「これでよし」
「『これでよし』じゃなぁーい!」
一仕事終えた顔で額の汗を拭う俺の後頭部を、リニアが思いっきり引っ叩いた。最近、遠慮がなくなってるな、お前。
もちろん主人に害を加えようとした事で、隷属の首輪が彼女の首をぎりぎりと締め上げているのだが、彼女も生命力の桁が半端ないのでまったく成果を現していない。
「これ、つけてる意味があるのか?」
「ぐおおおぉぉぉぉ……」
本来なら俺に攻撃したバツとして、デコピンの一発でも入れて折檻する所であるが、俺を殴った拳の方がダメージを受け、リニアは地面を転がりまくって苦痛にのたうっていた。
自爆なのだが、まあこれはこれで罰という事にしておこう。
「それはともかく、いきなり何をする」
「な、なにじゃありませんよ。山を斬り飛ばすなんてぇ」
地面にへたり込んだまま、涙目になってこちらに抗議してくるリニアだが、これが一番確実、かつ手っ取り早いことに間違いはない。
「だがこれでエルバハは全滅しただろ?」
「生態系が全滅してますよ!?」
「……その時はその時で」
リニアの言う通り、確かに山に住みついていた生態系には犠牲になったことになるか。
希少な生物がいた場合、ヤバい事になったかもしれない。次回からは気を付けよう、次回から。俺は過去は振り返らない主義なので。
「や、やってしまったことはしかたないじゃないか。それよりこの村人の処置はどうする?」
「いや、そういう問題じゃなく……なんだ、お前ら……」
唐突に巻き起こされた大災害に、ジャック達ライカンスロープは戦慄の表情を浮かべていた。
そこで俺は少し思案する。こいつらに俺の正体を明かしていいかどうか。
彼等は人間から迫害されるライカンスロープ種。いつもはその正体を隠して、人間の中に紛れ込むことで生活を維持している。
つまり、俺達と同じような立場と言える。
「ふむ……なら明かしてもいいか?」
「いいのか、アキラ? 俺達の立場的には黙って立ち去った方が――」
「ここまで首を突っ込んでおいて、今更だろ」
今になって慎重論を主張するカツヒトを一言で黙らせておき、俺はジャック達に向き直った。
「改めて自己紹介しようか。俺の名はワレキ・アキラ。これは知っているな?」
「あ、ああ……」
「世間では『ワラキア・キラー』として有名なのは?」
「は? なっ、ワラキアだと!?」
一瞬、俺の言う事を理解できなかったのか、疑問符を飛ばした後、絶叫するジャック。
無論、それを聞いていた村人達は顔面蒼白になる。
なにせ彼等は俺という脅威に対し、明確に敵対したのだから。
「そ、そんな……ワラキアだなんて……」
「村は……もう、終わりだ!」
「あ? 終わりもクソも、人攫いに生贄を繰り返した村が続くわけないだろ」
この一件は近隣の治安組織に報告しないといけないだろう。それがアロン共和国なのか、南部独立同盟なのかわからないが、この近隣を守る組織はあるはずだ。
そうなれば、ライカンスロープの連中も正体を明かさねばならない事態になる。
「お前達、獣人の姿は完全に自分で制御できるのか?」
「そ、それは大丈夫だが……」
俺の質問に答えるジャック達だが、完全に腰が引けてしまっている。
まさか奪還作戦に割り込んできた旅人が、世界を恐怖に陥れている当人だとは思わなかったようだ。
「じゃあ、お前たちがこの近辺の役人に突き出せ。お前等がライカンスロープである事は内密にしてな」
「隠しきれと?」
「そうじゃないと、コイツ等の方が大義名分を立ててしまうからな。獣人が近くに住み着いたから、捕まえましたって主張されたら、お前達の方が悪人にされかねない」
「ああ、それもそうか」
ライカンスロープはモンスターに分類されている。
人間である村人とライカンスロープが対立した場合、治安組織は無条件で村人を助ける側に回るだろう。
そうなればこの連中がやらかした罪は見逃されてしまう可能性がある。
だからジャック達は人間として、彼等を役人に突き出してもらわねばならない。
ジャック達が人間だと思われているなら、村人達がいくら彼等をライカンスロープだと主張しても、それは罪人の戯言として一蹴される。
そのためには変身しないという条件が必要だ。月を見ようが、銀を押し付けられようが決して変身しなければ、彼等は人間として扱われる。
だから変身を制御できるか聞いておいたのだ。
「そんな! これが知れたら村が取り潰しに――」
「知るか。じゃあ俺に殲滅されたいか? 村がああなるけど」
まだぐちぐちと訴えてくる村人に、俺は背後の山脈――いや、元山脈を指さした。
連なる連峰を南北にすっぱりと切り分けられた、不自然な大自然の光景が、そこにあった。
「言っとくが、お前等に容赦する義理は俺にないからな?」
「ひ、ひいぃぃぃ」
芋虫状態に縛られた村人の顔を覗き込むように、俺は凄んで見せた。
正直言うとこんな連中に情けを掛ける手間すら惜しいので、敵に回るならはっきりと敵に回ってくれれば、後が楽だ。
だが、俺に凄まれた村人は小便を漏らして黙り込んでしまった。
「じゃあ、俺達はもうこの場を去るぞ。知っての通り、いろいろと後ろ暗い立場だからな」
「あ、ああ。今回は本当に世話になった。俺達の力が必要になったらぜひ頼ってくれ。歓迎する」
「そうだな。そういう機会があれば、頼らせてもらうよ」
「魔神ワラキアに俺達の力なんて必要ないかもしれないけどな」
ジャックはそう言うと、笑いながら右手を差し出してきた。
俺はその手を、少し驚いた気分で見つめる。彼は俺がワラキアと知って、なお平然と接触を求めてきた。
畏れるでもなく、媚びるでもなく。こういう反応は実は珍しいかもしれない。
俺は獣人達と固く握手を交わし、その場を――立ち去ろうとして気が付いた。
「あれ、ラキアは?」
「そういえば見かけないな。崖を駆け下りるまでは近くにいたのだが」
シノブがキョロキョロと周囲を見渡し、ラキアの姿を探す。
あのトラブルメーカーが姿を消すのはいつものことだが、旅行中に姿を消されるのは正直困る。
「困るが……まあ、ラキアの事だから大丈夫か」
あれでも央天魔王と呼ばれる存在。無頼漢に手を出されたとしても返り討ちにできるし、むしろ喜んで『食べる』可能性もある。
ならば心配するだけ無用か。シュルジーのような規格外生命体がそこらにゴロゴロいるわけでもないだろうし。
「あいつの事は、まあいいか。腹が減ったら勝手にこっちを見つけるだろうし」
「それはいくらなんでも、無責任じゃないか?」
「だって央天魔王だぞ? シノブ、正直に言うがあいつはお前でも手に負えない」
「うっ、それはそうだが……」
「ネコみたいな奴だし、腹が減ったら向こうから顔を出してくるさ」
サキュバス的な意味で。
もちろんシノブ達の手前、強引に迫るようなことはなくなったが、あいつの腹を満たせる料理は俺しか作れない。
こうして俺達は真っ二つになった山脈を背に、そそくさとその場を立ち去ったのだ。
◇◆◇◆◇
山脈が突如斬り裂かれた、その夜。
切り裂かれ、ほぼ垂直に近い断面の一部が唐突に崩れた。
中腹に近い位置の壁がガラガラと崩落し、その奥から赤い瞳の巨人が姿を現す。
「おいおい、なんだよ? せっかく目を覚ましたってのに、傅く配下も居やしねぇ」
身長十メートルを超える偉丈夫。その口からは、やけに不調法な言葉が吐き捨てられる。
巨人は目の前の切り立った崖を見下ろし、訝し気に首を傾げた。
「妙に騒々しかったから目を覚ましたんだが、なんだ、こりゃあ……?」
彼がこの地を最後に見た時、そこは平凡な、だが嶮しい山中だったはず。それがまるで切り抜いたかのように歪な形を見せている。
とりあえずこの場に留まっても意味はないと断じ、目の前の崖に身を躍らせる。
高さはそれほどではない山の中腹部分とは言え、安易に飛び降りていい高さではない。
その高度は優に百メートルを超える。
しかし、その巨人は何ら恐れる風もなく、宙に身を投げ出してみせた。
そのままズドンと、重々しい音を立てて、着地する。
地面を踏みしめた両足は踝までめり込み、落下の衝撃の強さを物語っていた。
それほどの衝撃を受けても、巨人には堪えた風は見えない。
斬り裂かれたのは山だけでなく、その麓の森林地帯も消し飛ばされている。その痕跡は一直線に、山すら貫き東へと続いていた。
「なんだ、こりゃあ……こんな真似ができる奴なんて限られてるぞ。央天か、それとも俺か……」
「少なくとも、我はやっておらんぞ」
その時、野太い巨人のつぶやきを、可憐な少女の声が遮った。
まるで村娘のような衣服をまとった、美麗極まりない少女が巨人の背後の木の枝に腰掛けていた。
振り返った巨人は少女の姿を見て納得の笑みを浮かべる。
「やはりお前か。央天の」
「我ではないと言っておろうに。それより、お主も目覚めたのだな、東天魔王――ネフィリム」
少女――ラキアの言葉に巨人が不敵な笑みを浮かべる。
筋肉の塊のような胸をドンと叩き、少女の言葉に応えて見せた。
「おうよ。お前の言葉通り、復活の儀を成しておいてよかったわ。あのままでは、タロスとかいう小僧に叩き潰されているところだった」
「それは重畳」
「目覚めていの一番に俺の前に馳せ参じたという事は、ついに俺の嫁になる気になったか?」
「冗談はよせ。お主と我ではいくらなんでもサイズが違いすぎるわ」
十メートルを超える巨人と、一メートル半ばに届くかという少女。
その二人がまるで対等のような言葉を交わす。
それは他者から見れば、常軌を逸した光景に見えただろう。
「お主はサキュバス族だろう。試してみねばわからんぞ」
「物理的な問題だ。それよりお主、生贄を求めるとは下品になったのぅ?」
「生贄ぇ?」
ラキアの言葉に露骨に首を傾げるネフィリム。その姿は本当に事態を把握していない様子だった。
それを察してラキアはさらに追及する。
「エルバハでようやく思い出したわ。あれはお主の眷属じゃろう? 連中、麓の人間共に生贄を要求しておったぞ」
「なんだと? あのクソチビ共が……みみっちぃ真似しやがって!」
ラキアに配下の乱行を知らされ、地面を蹴って怒りを表すネフィリム。
その一撃だけで、足元の地面が深く陥没する。
「連中、どこにいる? 俺自らの手でそんなセコイ真似する雑魚はひねり潰してやる!」
「安心せい。もはや肉片一つ残っておらん」
「あぁん?」
即座に否定するラキアの言葉に、一瞬疑問を浮かべるネフィリムだったが、周囲の様子を見て得心する。
これほどの破壊の猛威に巻き込まれては、如何な巨人族とは言え生き延びれはしない。
「ふん、どうやらお前に世話になったようだな。少々口惜しいが礼は言っておく」
「だから我の仕業ではないというに」
「じゃあ、どこの誰がこんな真似ができるって……ああ、タロスのガキならできるかもしれんな」
「いや、タロスは我が殺した」
「なに?」
「我の城に乗り込んできて暴れたのでな。少々てこずったが」
ラキアの言葉を聞き、ネフィリムはきょとんとした表情を浮かべた後、大口を開けて笑い出した。
「がはははははは! さすが俺の嫁だ、あのバケモノを事も無げに仕留めたとのたまうか!」
「実は苦戦したけどな。シュルジーという男はどうも苦手じゃ。この間も不覚を取った」
「ほう、奴はまだ生きているか? ならばリベンジせねばならぬな」
「別に止めはせんが……今は療養中だぞ?」
「さすがにお前の相手をして、ただでは済まなかったか?」
「いや、アキラにな」
「アキラ……誰だ?」
「我すら手も足も出ん、本当のバケモノじゃ。いや、むしろ神か? ついでに我の婿候補でもある」
「なんだと?」
ネフィリムはラキアの婿と聞いて、鋭く目を細めた。
生まれてこの方、すべてを力でねじ伏せてきた男にとって、ラキアは自らの叶わぬ高みにある存在であり、一目惚れの相手でもある。
その婿と聞いて、黙っていられるような気性ではない。
しかも、彼女すら凌駕する存在ともなれば、一目あってその力を試したいと、そう思った。
「おもしれぇ……なぁ、俺をそいつに会わせてくれねぇか?」
ニヤリと、迫力ある笑みを浮かべ、ネフィリムはそう提案したのだった。




