第148話 巨人の住む山脈
ようやく懐かしの豆腐小屋が見えてきた。
リニアが作った雑な小屋だが、待っている女たちがいると思うと実に感慨深い。
だが、感動の再会を喜ぶより先に、あの謎の壁を立てた理由を問い質す必要があるだろう。
あの壁の影響で、無駄な労力を消費したのは間違いないのだから。
そんな覚悟をして小屋に近付いて行くと、こちらに気付いたのか小屋から少女達三人が飛び出してきた。
言うまでもなくシノブ達だ。シノブはまるで、子犬のようにこちらに駆け寄ってくる。尻尾があれば、さぞ盛大に振りたくられていた事だろう。
リニアとラキアも、満面の笑みでこちらにやってくる。
「お帰り、アキラ! 遅かったから心配したんだぞ!」
「ご主人、待ちかねましたよ! これは何かのプレイですか? 放置とか、そういう?」
「アキラアキラ、さっきの一撃はよかったぞ、もう一度我の膜をブチ破る勢いで――」
感慨を台無しにするリニアとラキアだが、その調子の良いやり取りすら懐かしい。
いや、それより……
俺は改めて目の前の少女たちを見る。
スラリとした手足、シミ一つない美しい肌、健康で生命力あふれる笑顔。
俺が目にした、あの凄惨な死体達とは対極に位置する姿。
突如として俺の脳裏に、レイノルズ邸で見た首のねじ切れた小人族の少女の姿が思い浮かぶ。
その他にも手足を失い、壊れた人形のように打ち捨てられていた人間族の少女の姿も。
名も知らぬ彼女達には悪いが、シノブ達のその姿を見て、俺は心が癒された気分になった。
気が付けば、俺は手を広げシノブとリニアを胸に掻き抱き、その温かさを堪能していた。
「ちょ、あ、アキラ……!? どうしたんだ、いったい?」
「うひょあ! ご主人、こんな昼間っから大胆ですよ? ひょっとして長く離れていたので、ついにわたしの魅力に気付きましたか?」
「ずるいぞ、アキラ。我も! 我も熱い抱擁を所望する!」
シノブは素直に驚愕を表に出し、リニアは少し茶化すように陽気を装っている。
ラキアは……まぁ、こいつの能天気にも癒されるモノはある。
こうして触れ合う事で、俺は再び、彼女たちの大切さを実感していた。
「カツヒト、アキラはどうしたんだ?」
「んー、まぁ、ちょっとな。戦場の経験がないアキラには少しキツイ光景を目にしたんだ」
「キツイ……? そうか」
確かに俺はこれまで数多の災害を振りまいてきた。中には虐殺紛いの行為も行っている。
死なせた人の数はレイノルズの比ではないだろう。だが、それを直接目にする機会は、幸いにも少なかった。
それを差し引いたとしても、あの光景ほど凄惨な物は無いだろうが。
俺の今までの戦いで遭遇したのは、殺し、殺される関係がほとんどだ。
戦いの結果命を失い、無残な屍を晒す。だがそれは戦いの結果である。
あのような、人を、命をもてあそぶ悪意を目にしたのは初めて……いや、トーラス崩壊のあの時以来か。
あの光景は俺のトラウマでもある。救えなかった命を、どうしても思い出してしまう。
だからこそ……ここに、腕の中で暖かな体温を放つ少女達が愛おしい。
「……無事でよかった」
俺は思わず、そう口にしていた。
無論、彼女達に危害を加えうる存在など、それこそ勇者かドラゴンでも持ってこない限りはありえないとわかっている。
それでも思わずそう漏らしてしまうほど、衝撃を受けていたのだ。今まで自覚はなかったが。
何も言わず、俺の背をポンポンと叩くシノブ。
リニアもいつになく優しく、俺の背を撫でる。その感触に俺は間違いなく安堵を感じていたのだった。
無駄に結界を立てた事を叱責するつもりが、思わず縋りついてしまい、少々バツの悪い表情で俺は小屋の中に戻った。
食料の調達は無事完了している。あとは念のためそれをシノブやラキア、カツヒトに振り分けておけばいい。
だがお互いに報告すべき事がある。
シノブ達は結界を張った理由。俺達はクラウベルを焼いた理由。
それを互いに報告し合う。
「ついに首都まで焼いちゃいましたか、ご主人」
「ついにとはなんだ。それにクラウベルなら既に一度攻撃してるぞ」
「そこは自慢になりませんよ」
キフォンの近郊でカツヒトと訓練した時に放った衝撃波。あれでアロンの議員は半数まで減じている。
今回の事件でアロンの議会は致命的なダメージを受けていた。
ただでさえ減少していた議員数がさらに減少し、国体を維持する数を維持できていないのだ。
現在はノートン議員が主軸になって、穏健派を組織して立て直しに奔走しているとか?
無論、過激な反対派も多いらしい。
「というわけで、アロンはしばらく機能不全に陥ると思う。しかしあの爆発……俺用の兵器が開発されていたとはな」
「でも議事堂一つ焼く程度の爆発なら、ご主人の脅威にはならないでしょう?」
「まぁ、今のところはな。でもこれから先はどうなるか……」
「そんなに深刻なんです?」
リニアは愛らしく首を傾げて疑問を呈する。
彼女は知らない。その破壊力を求めた先になにがあるか。俺達のいた世界では、それこそ一撃で地形が変わるほどの爆弾を生み出している。
水素爆弾に至ってはその破壊力に上限は存在しないとまで言われている。核融合反応を起こした、俺のトーラス王国を崩壊させた爆発がいい例だ。
同じ物をこの世界の人間が開発できないという保証はどこにもない。
「人間の狂気に果てはないぞ」
「そういうものですか?」
なんにせよ、いきなり核兵器なんてものを開発できるとも思えないが、それでもしばらくはおとなしくしておいた方がいいだろう。
それにこの場所もシノブ達の話では第三者に発見されているらしい。
「ここも人に見つかったとなると、そろそろ潮時かなぁ?」
「いかにもモラルの低そうな人達でしたからね。わたしがか弱い女性だったら、今頃口にできない目に遭わされてましたよ?」
「そんな事は無いぞ。少なくとも私は断固として抵抗して見せる」
シノブはグッと拳を握り締めて決意表明しているが、正直問題はそこじゃない。
俺達だけで寛げなくなった事が問題なのだ。
「ちょうど食料も手に入れた事だし、そろそろ出発するのもいいかもしれないな」
「少々名残惜しいな」
予定より少々短いが、それでも一週間以上は滞在している。
そろそろラキアの疲労も抜けているだろうし、出発には良い頃合いだろう。
「えー、我はもう少しごろごろして怠惰にしていたいぞ。シノブ達も調きょ――もとい、訓練が終わって無いし」
「今さらっと調教とかいいやがりましたか?」
「き、気のせいである」
「それはいいから。とにかく、ルアダンの家も放置したままなんだ。それに早く帰ってお前の部屋も用意しないと」
「我の部屋!?」
ガタリと音を立てて席を立つラキア。いや、お前部屋一つで何うれしそうにしているんだ?
仮にも魔王だったのだろう? 自室の一つくらい、持っていただろうに。
翌日、俺達は豆腐小屋を後にし、ルアダンへの帰途に就いた。
さすがにアロケンの城下町による勇気は持てなかったので、大きく迂回しながらの行軍である。
総勢五人しかいないので、全員を荷車に乗せて俺が牽いている。しかし、その速度は馬車よりも遥かに速い。
「ご主人、この先をまっすぐ進むとクロルという町があります」
ナヴィゲーションは例によってリニア。この世界についての知識は彼女任せと言っていい。
もう一人現地人はいるのだが、残念ながらどうしようもないほどにアホの子だ。
「クロル? それはどんな町だ?」
「ニブラスの北にある港町ですね。元々は宿場町だったのですが、湖が町の近くまで迫ってきたので、最近港町として再出発したとか」
「へぇ……」
快調に飛ばす俺の荷車は噴泉地域を大きく迂回し、アロケンのあった位置よりもさらに南まで到達していた。
本来なら馬車で三日はかかるであろう距離を一時間少々で走破した計算になる。
時刻としては昼過ぎ。
そろそろ休憩を挟みたいので、町に寄るのもいいかもしれないが、考えてみればすでに食料はあふれんばかりに携帯している。
寛ぐという観点では町の中で羽を伸ばすのが普通なのだろうが、俺達の場合、いろいろと後ろ暗い事も多い。
下手に町に立ち寄るより野営する方が寛げるくらいである。
「食料はまだあるし、町は迂回しておくか。クラウベルで騒動を起こしたばかりだし」
「こうしてご主人は人里に近付けない身体になっていくのですね」
「人を犯罪者みたいに言うな」
「紛う事無き賞金首ですよ、ご主人は」
そういえば俺は、アロンで賞金が復活していたのだったか。ならば余計に立ち寄れないじゃないか。
「クロルの西側に山脈地帯があります。荷車だと少々厳しい道になりますけど……」
「その時は【アイテムボックス】に荷車をしまい込んで、足で乗り越えればいい」
「便利ですね、その能力」
リニアの言う通り、実に便利ではある。だが本来はこんな使い道はできるはずがない。
【アイテムボックス】の内容量は筋力×五キログラムまでの重量となっている。荷車をしまい込むとなると、カツヒトの元の筋力値クラスの力が必要になってしまう。
それは能力の無駄遣いに他ならない。数十トン単位の収納力を持つ俺だからこそできる荒業である。
俺はリニアの指示に従い、進路を山脈へと向ける。
標高は千メートルを超えるかどうかという、やや低めな山が連なっており、この地形はトーラス王国が存在した頃は東方の要害として重宝されていた。
山に巣食うモンスターが互いの侵攻を阻んでいたのだろうだ。
「この山脈に入って、クロルを過ぎた辺りで再び街道に戻りましょう」
「私は西方が主な活動地帯だったから、ここは初めて見る」
「俺もだ」
リニアの言葉にシノブとカツヒトがポツリと呟く。そこへリニアの不穏な言葉が追い打ちをかけた。
「噂ではエルバハと呼ばれる巨人が巣食ってるそうですけど、ご主人なら何の問題もないですね」
「おぉい!?」
モンスターの巣窟かよ! なんてところに案内しやがる。
「でもおかしな話で、昔はそんな話は無かったんですよ。ここ二、三十年でしょうか?」
「ここ二、三十年? エルバハ?」
そこで妙な反応を示したのは、ラキアだ。
こめかみに指を押し当て、何かを思い出そうと眉間にしわを寄せている。
「何か心当たりがあるのか?」
「んー、どうにもモヤモヤして――」
「一発殴ると思い出すとか?」
「我は壊れた魔道具ではないので、ぜひともやめていただきたい!」
両手で頭を抱えながら俺から距離を取るラキア。
彼女も俺のゲンコツにはダメージを受ける。
そんな仕草を見せるラキアに自然と笑いが漏れる。しかしそれを遮るかのように、男の悲鳴が響いてきた。
「ひ、ぎゃあああぁぁぁぁぁ!?」
「グガアアアァァァァァァァァァァァァ!」
魂消るような絶叫と、それを掻き消すかのように、轟く咆哮。
明らかに命の危険を知らせるそれを、俺は聞こえなかった振りをして通り過ぎようとした。
「アキラ、今の声――!」
まじめなシノブはいちいち反応している。しかしよく考えてほしい。今の声は明らかに男。しかもオッサンだ。
俺の食指は全くと言っていいほどに、動かない。
「何をしている、アキラ。助けに行くぞ!」
「おい、またか、カツヒト……」
早速ビーストベインを構えて荷台から立ち上がるカツヒト。この正義バカはいつまでたっても懲りないな。
だがそれにシノブが続いたとなると話は別だ。
「アキラ、さすがに私も見過ごす事はできない。先に行くぞ!」
「お、おい……」
カツヒトと並んで馬車を飛び降りていくシノブ。
カツヒトが正義バカなら、シノブは超ド級のお人好しだ。悲鳴を聞いて、駆け付けない訳がない。
「はぁ……まったく」
「なんだかんだ言っても、結局荷車を止めるんですね、ご主人」
「シノブは見捨てられないだろう?」
「危険はないと思いますけどね」
「それでも、だ」
何かと隙の多いシノブの事だ。人質とか取られたらあっさり身動きが取れなくなる。
それはカツヒトも同じ事だ。
「む、なんだ、暴れるのか?」
「そうなるな。人助けだからお前は手を出すなよ?」
「なぜだ!」
「お前が助けに行ったら、シノブも救助を求める者も、まとめて一緒くたに吹っ飛ばすだろ」
ラキアの魔法は範囲という面で優れているが、反面精密さに欠ける。
こういう場面で使うと、悲鳴を上げた対象まで一緒に吹き飛ばしかねない。
俺は溜め息を吐きつつ、シノブ達の後を追ったのだった。
背後で含み笑いしているリニアは、あとでオシオキだ。コンチクショウ!