第145話 議事堂襲撃
◇◆◇◆◇
その日の前夜、クラウベルに届けられた報告により、議会は全議員を緊急招集した。
かつて、このアロン議会を壊滅寸前まで追いやったバケモノ、魔神ワラキアが再び現れたという報告が入ったからだ。
ワラキアは既に自然災害よりも無軌道な、破壊の権化と認識されている。
一応賞金は掛けられてはいるが、あの魔神を討伐できる人材など、彼等には思いも付かなかったのだ。
アロンが誇る剣聖、絶圏の勇者ウェイルですら、おそらくは敵わないと思われている。
いや、例え三人の勇者が健在だったとしても、ワラキアに敵うかどうか不明……そう認識されていたのだ。
大陸中央に位置する三大国。
その一つを一夜にして滅ぼすなど、かつて世界を危機に陥れた五大魔王ですら、可能かどうか怪しいのだから。
豪奢な装飾が施され、巨大なシャンデリアによって皓々と照らされた議場で、延々と口論が続く。
白熱する議論はまったく収拾の目途がつかず、結局招集された議員は宿舎に宿泊して、翌朝もう一度議論を交わすという事になったのだ。
だが翌朝になっても、喧々囂々の討論は、果てもなく続いていた。
「そんな化け物がハギス近郊に現れたと言うんです! ここは一致団結して防衛線を敷き、ワラキアに備えるしかないでしょう!?」
「あのワラキアに生半可な軍事力など通用するものか! 下手に手を出さずに静観すべきだ!」
「そもそもアロンという土地に固執する事は無いですわ。国民すべてを避難させればよろしいでしょう?」
「そんな非常識な提案が実行できると思っているのか!」
「この大陸は誰の物でもありません。我々がどこへ避難しようと、咎められる筋合いはないのです」
「この大陸は誰の物でもなくとも、このアロンの地は我等の物だ!」
国民を守るため戦線を敷き、徹底抗戦すべきという保守議員と、余計な手出しをせず経過を見るべきという穏健派。
更には国を捨てて逃げろという自称左派議員の主張は千々に乱れ、全くまとまる気配は見えなかった。
そんな中、一人悠然と欠伸を噛み殺す議員がいた。
ロジェムス・レイノルズ議員だ。彼は夜間に叩き起こされて、怒声飛び交う議場に引き立てられ、非常に不機嫌だった。
元々国政に興味のない彼は、前回のワラキア襲撃の際は議会を欠席していたために難を逃れていた。
だが議員の数が激減してしまった今、この会議を欠席する訳にはいかず、強引に引き出されてしまった。
彼の密やかな楽しみだった使用人の拷問。そのメイドも自ら命を絶つ直前の有様。補充の当てがない今、あのメイドでできるだけ長く愉しまなくてはならない。
女の悲鳴を聞かずに床に就くなど、彼としては子守歌の無い夜のような物だ。
妙に寝付けず悶々として、ようやく眠りに付けそうになったところを会議の再開と叩き起こされた。これで不機嫌にならないはずは無い。
「まだ決まらんのかね?」
近くで怒声を発していたノーマン議員に、その脂肪たっぷりの贅肉を揺らせながら、投げ槍に尋ねる。
その態度にノーマンは一度唖然とした表情を浮かべはしたが、相手がレイノルズと知るとかろうじてその怒りを収める事に成功する。
レイノルズの資産は彼の代になって急激に目減りさせてはいるが、それでも彼がアロン有数の資産家であることは変わりない。
下手に目を付けられては、彼とて無事で済む保証は無かった。むしろ彼の嗜好が、親友の娘に向かう事だけは断固として阻止せねばならない。彼女は今、非常に微妙な立場にいるのだから。
「もう少し危機感を持たれた方がよろしいのではないでしょうか、議員?」
「危機感? ワラキアがこのクラウベルまで攻め上がってくるはずがないだろう?」
「なんの保証があって――! いや、失礼。ですが万が一に備えるのが我ら議員の役目ですので」
「そもそも、ヤツも前回の襲撃で留飲を下げたでしょうに。これ以上アロンを攻撃しても無駄だとわからんのかね? まったく世には無能が多くて困る」
それはお前の事だ――と、危うく口に出すところだったノーマンは、一度深呼吸をして再び気を落ち着かせた。
代々の世襲議員の中でもレイノルズの一族は折り紙付きに危険な一族だ。
その権力と言い、性癖と言い、有害の一言に尽きる。
彼を敵に回して、その害意があのイリシアに向かってしまっては、事態の収拾が難しくなってしまう。
ただでさえ彼女の独断で南部独立などという運動に加担しており、現在ノーマンの立場は微妙になっている。
一度、二度と大きく息を吸い、それでも気の昂ぶりを覚えたノーマンは、本格的にクールダウンする必要性を覚えた。
「失礼、少しお手洗いに向かわせていただく」
「どうぞ、ご随意に」
防衛線を敷き、その後は様子を見るべしという、主戦派と穏健派の中間の意見を持つ彼の同志は少ない。
目の前の危機に対し、過剰に反応するか、守りに徹するか、危機感を持てずにいるか。そういう人間が大半だったのだ。
ノーマンの精神は、前夜からの口論で大きく擦り減っていた。
そんなノーマンが退席した事を受けて、一人の議員が発言を求めていた。
彼は徹底抗戦すべしという主戦派の一人であり、最も過激な意見を吹聴していた資産家の議員だ。
かつて発生したワラキア襲撃を受け、激減した議員を補充するため追加当選した議員でもある。
「皆さん。ここで一つ、私に提案があるのですよ」
自信満々に胸を張ってそう主張を始める議員。
彼は芝居がかった仕草で大きく手を振り、一人の人物と、巨大な、布に覆われた物体を議場に招き入れた。
「紹介しましょう。我がアロン錬金術協会会長のトラリス会長です」
「初めまして議員諸君。この度は私の研究を発表する場を用意していただき、恐悦至極」
他の議員の言葉を待たずに、トラリスは言葉を発した。
その態度はあからさまなまでに慇懃無礼。
「かつて我が国はワラキアの被害を受け、亡国の危機に瀕した。その記憶は諸君らも新しいと思う。だがその猛威に怯える日々もここまでだ」
大仰なセリフに胡散臭そうな表情を見せる各議員。レイノルズはそもそも興味すら持っていなかった。
そんな議員の反応にも頓着せず、自信満々に巨大な物体に掛けられた覆いを取り払う。
「これが我等錬金術協会の研究の成果だ!」
取り払われた布の下から、巨大な紫水晶塊が顔を出した。
「説明しよう。最近になって、南部の冒険者達の間で【火球】を封印したマジックアイテムが出回っている事はご存じだろうか? これはそれを大幅に強化した物体である。一定空間内に物質を高密度で圧縮する事で、物質は巨大な熱量を発生させることになる。これは【火球】の爆圧を内側に向ける事で、その現象を利用した――」
意気揚々とアイテムの説明を始めるトラリス。
その説明を受けて、彼を紹介した議員が口を挟んでいく。
「これは火球を密集発動させて効果範囲内火力を極限まで引き上げた物です。その分サイズが大きくなってしまいましたが、これならばワラキアにも有効な効果を発揮する事ができるでしょう」
「まさか、これでワラキアを撃退しようと……?」
「ワラキアとて、しょせんは召喚された人間に過ぎません。倒せない存在ではないはずです。ましてや我々にはこの切り札がある!」
「無茶だ! 奴はトーラスのあの爆発の中を生き延びているのだぞ!」
「なにか対策を打っていたのかもしれません。忘れないでください、ワラキアは人間なのです!」
拳を握って力説する議員。その勢いと、巨大な水晶柱の威圧感に次第に議場の空気が流されていく。
「ワラキアを倒す――その偉業を成せば、そのアロンの功績は大陸全土に鳴り響くでしょう!」
議員の熱のこもった演説に、残された議員たちは完全にその気にさせられてしまう。
答えの出ない議論を延々と続けてきた疲労が、答えを急がせた可能性もあった。
進行を取り仕切る議長が、ここで決を採るべく声を上げた。
「そろそろ案も出尽くした頃ですし、採決に移りたいと――」
木槌を叩いて場を静め、そう宣言しようとした時、そこに突如爆音が轟いた。
「な、なんだ!?」
「地震か?」
「バカを言うな。このアロンでは地震は起きぬ」
グラグラと地面が揺れ、壁がひび割れ、天井が崩れ始める。
「ひ、ひぃいいぃぃぃぃ!?」
かつて体験した事のないほど巨大な振動に、議員の何人かは狼狽し出口に殺到しようとする。
レイノルズもまた、未知の脅威にさらされ、慌てふためいていた。
とっさに机の下に、その巨体を詰め込もうとしたところは、他の議員よりマシな対応だったかもしれない。
だがその行動が彼の命運を分けたとも言える。
地震でひび割れた天井がシャンデリアを支えきれず、議場に崩落していく。
その真下には、先ほどまでトラリスが自信満々に紹介していた巨大な紫水晶が存在していた。
直後、議場は烈火のごとき炎に包まれた。
◇◆◇◆◇
俺とカツヒトは一直線に議事堂へ向かう。
無論そこには警備の兵が存在していて、俺達の侵入を頑なに阻んでいた。
「待て、この先は立ち入り禁止だ!」
悪鬼の仮面と能面で顔を隠した、見るからに不審な俺達に対し、一応は警告の言葉を発する警備兵。
任務に忠実な彼の態度に、苛立った俺も少し冷静さを取り戻した。
彼の職務はこの建物を守る事で、あの惨劇に関わっていた訳ではない。
その警備兵を殺戮に巻き込むのは、さすがに惨いのではないだろうか?
「ああ、悪いな。だがこちらもレイノルズ議員に早急に会う用件があるんだ」
「今非常に重要な要件を取り扱っている最中だ。もう少し待て。なんだったらそこの店で待っていればいい」
警備の男が指差した先は、一軒のカフェは存在していた。
無論、議事堂内にも飲食店が存在するが、全ての人間が建物内に入れる訳ではない。
そう言った人間が待機するための店が、近隣に設置されているのである。
「そうか、邪魔したな」
「後その仮面は外した方がいいぞ。怪しすぎる」
「いろいろと都合があってな」
「……そうか。まぁあのレイノルズの関係者ならそう言うのもあるかもな」
何か言いたそうに、警備兵は俺の事情を察してくれた。
サディストで有名なレイノルズの関係者ならば、顔を隠さねばならないような事態になってもおかしくはないと思ったようだ。
そして彼も、レイノルズにはいい感情を持っていないらしい。だが彼は一介の警備兵。議員に口を出す訳にはいかない。
そこへ一人の男が出てきたのを目にした。
「どうかしたのかね?」
背の高い老紳士風の男は、警備兵ともめている俺達を見て、そう声をかける。
警備兵はその男を見て、最敬礼して見せた。
「これはノーマン議員!? 会議はまだ継続中のはずでは?」
「ああ、少し連絡を取りたい相手がいるのでね。それと秘書に話を通しておきたくて」
ノーマンと言う男は議員の様で、彼の秘書はその近所のカフェに待機していたようだ。
そこへ向かう途中で、俺と出会ったという事だろう。
「知人の娘に、手紙を送りたいのだよ。通してもらっていいかな?」
「はい、どうぞ! でも会議中に抜け出すのは感心しませんね」
「ハハ、済まないね。少し会議の展開が停滞していてね……」
互いに軽口とわかっているので、気安い態度を返している。
このノーマンと言う議員は、比較的身分を気にしない性質の様だ。
俺もこういう人当たりのよさそうな善良な議員には顔を覚えて欲しくないので、その場をそそくさと立ち去る事にした。
無論ここで引いてやる気はない。
確かにここでレイノルズを襲撃すれば、余計な被害が拡散してしまう可能性があるのだ。
ならば、獲物を巣穴から引っ張り出す必要がある。
「人目の付かない場所に行くぞ、カツヒト」
「なにかするのか?」
「敵を巣からあぶり出す。そうだな……軽く建物を揺らしてやればいいか」
「揺らすって……どうするつもりだよ?」
そこで俺は少し考えた。地面を揺らす事自体は簡単だ。
だが周囲に被害を与えない方法となると……
「そうだな。軽くジャンプして、中庭に投石してみるか?」
俺の投石は山の天辺を削る程度の威力はある。それを中庭に叩き込めば、結構な地震が起こるだろう。
そうすれば、中にいる議員たちは慌てて外に避難してくるはずだ。
その混乱に乗じて、レイノルズを拉致してから『折檻』してやればいい。
「ふむ……ならジャンプするのではなく、俺が打ち上げてやろう」
打ち上げとは手を組んだ上に足を掛け、そのまま上に向かってトスする様に跳ね上げてもらう方法である。
ハギスの近くではジャンプした事でクレーターを作ってしまったので、それを懸念しての提案である。
「お、カツヒトにしてはなかなかいい提案だな。それならクレーターができる事は無いか」
「俺だって学習しているのだ」
鼻高々と言う表情で答えるカツヒト。俺達は早速その方針で行動を開始した。
人目の付かない場所を選び出し、カツヒトに打ち上げてもらって中庭に投石する。
狙い通り、凄まじい振動が周辺に響き渡り、議事堂からワラワラと人が飛び出してきた。
「よし、狙い通り――」
俺が成功を確信した瞬間――議事堂が火柱に包まれたのである。
はい、やらかしましたねw
次の話で一旦章を閉じます。