第142話 南部の闘争
主人公は出てきません。ご注意ください。
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南部西方。ニブラスからアロン共和国各所へつながる街道。
平原をまっすぐに伸びるこの街道で、アロン共和国軍と南部解放軍の小競り合いは続いていた。
数に勝る共和国軍が進軍するのを、解放軍がその機先を制して撹乱し、足止めしている状況だった。
だが、それだけでは時間を稼ぐ事しかできない。
援軍の当てがない以上、解放軍はここで共和国軍を追い返さないとニブラスの町まで攻め上がられてしまう。
とは言え、やはり数は力。解放軍はじりじりと押し戻され、崩壊の危機に瀕していた。
「いいか、正面から当たるな! 奴等の鼻先を掠めて右翼に回るんだ! 赤竜の牙は俺について来い!」
ガロアの指揮で冒険者とニブラス守備隊の混成部隊が、迎撃を行っている。
だがその成果は芳しい物ではなかった。
元々が協調性に薄い冒険者達との混成軍。ガロアの指揮力で、どうにか戦線を維持できているような状況である。
正面からの衝突を避け、まるで果物の皮を剥くように軍の表面を削り取る事で、どうにか戦線を保っている状態だ。
その日も数時間に渡る合戦を繰り広げ、どうにか日没による痛み分けで生き延びる事ができたのだった。
「次だ、早く次の患者を連れてこい」
「もたもたしてるんじゃないわよ! 早くしないと私が眠れないじゃない!」
夜に入っても、作業がなくなる訳じゃない。
治癒魔法が存在するこの世界では、多少の怪我は魔法で癒せてしまい、翌日には戦場に立てる。
だが、それとて無限ではないのだ。魔力の限界や時間など、個人の治癒力に限界は存在する。
「イライザ。お前はいいから口を出すな」
「なによ、先生だって疲れてきてるじゃない」
すでに数十人に治癒を施しているため、疲労の色は隠せていない。
その表情も、見て判る通り、今はフードすらつけていないのだ。
大量に怪我人が出ると予想されるとあって、ガロアは賢者と呼ばれるロメイに協力を申し出ていた。
だが、彼は当初その出自から、その協力を断っていたのだ。
それでもしつこく食い下がるガロアに、ロメイは自らの出自を晒す事で追い払おうとした。
しかしそれでも、ガロアは引き下がらなかった。彼が魔族と知り、それでもなお彼の治療能力を欲したのである。
「脅威に感じる魔族一人よりも恐ろしい相手と戦おうってんだ。今は魔族だのなんだのは関係ねぇ!」
そう宣言して、彼を魔族として堂々と仲間に紹介した。
冒険者達も当初は反発もあったが、そこはイライザ達と同じく、命のかかる戦場では種の違いを意識する余裕などなくなっていた。
命を救われてまで、過去の反感を引きずる物も少なかった。そもそもそのような偏見が薄いのが冒険者の長所だ。
生き延びる事こそ最優先。信頼できるなら、仲間が魔族かどうかなど気にしない連中だった。
無論、そこにガロアの推薦という後ろ盾の効果があったのも大きかった。
こうしてロメイはコーネロとイライザを率い、遠征軍の後方支援として参戦する事になったのだ。
「ほら、お前はこれをガロアたちの所へ運べ」
「これ何よ」
「疲労を取る効果のある薬湯だ。奴は一日中指揮を執っていたのだから疲れているはずだ」
「そ、わかったわ」
ツボに入った怪しい臭いを放つ液体が満ちた壷を、イライザに押し付ける。
これはロメイが彼女を追い払おうとしているのではなく、本当にガロアの疲労は限界に近付いているからだ。
ついでにその補佐をしている元傭兵のオルテスや、彼女の兄コーネロが翌日の作戦を立てているのだ。
ここの補佐はパリオン老人でも事が足りる。
「水で三倍に薄めて飲むように」
「ハイハイ」
そう適当な返事を返しながら、イライザは簡易に設置された治療所を後にしたのだった。
街道沿いに設置されたテントの一つを潜り、イライザはガロアの元へ訪れた。
中では実戦経験のあるオルテスと情報源たるイリシア、その護衛のアルフレッドが頭を突き合わせて作戦を検討していた。
「奴らは大軍だ。ここでわざわざ迂回する必要なんてないだろ。だったらこっちは二隊に分かれて――」
「無茶言うんじゃねぇ。ただでさえ少ない部隊を二つに分けるつもりか?」
「真っ直ぐ来るのが分かっているのなら、こちらも待ち構えて寡兵での一点突破で指揮官を狙うのはどうだ」
「それ、自殺したいってのかよ?」
有効な計画を立てる事も出来ず、喧々囂々の口論を展開している五人に、イリシアは溜息をついて声をかける。
「ハァ、邪魔するわよ、兄さん」
「イライザか。騒々しくて済まないな」
「別にいいわよ。これ、先生から疲労回復の薬湯だって」
「ああ、助かるよ」
壷を抱えたまま中に入り、チラリと中を見渡す。
四人の男が口論する中、その話題に必死について行こうとしている少女が一人。
騎士のアルフレッドがその彼女に振り返り、助言を乞うた。
「イリシア様、何か良い案はございませんでしょうか?」
「私は戦いは専門じゃないので……でもこのままじゃ危険なのはわかるのですけど、どうしたらいいかなんて、とても……」
「共和国軍の動向は?」
「今のところ、動きはありませんわ。ウェイル卿が出てきていないのが救いですね」
「あれが出てきたら、私共では手も足も出ませんね」
「そこはどうにかするさ」
ガロアは肩を竦めて口にするが、その表情には疲労が色濃く浮かんでいた。
テーブルの上に置かれた地図をどけて薬湯の壷を乗せる。
そこでイライザは世間話程度の感覚で、話題を振ってみた。
「どんな感じよ、状況は?」
「良くはねぇよ。前もってわかってた事だけどな。ここじゃ、罠を仕掛けるのも一苦労だ」
彼女の問いに、ガロアは渋い顔で答える。
周囲は見晴らしの良い草原。軍は街道沿いに展開。策を弄して足止めするのが難しい状況だ。
イリシアもここまでの侵攻は監視していたが、この近辺は似たような地形が多いため、ガロアの意思で結局町に近いこの場所を戦場に選んだのである。
「下手をすれば、いくつかの町は放棄する羽目になるかもな……」
「そんな、ニブラスを救うために私は参加したのですよ!」
「わかってる、わかってはいるんだが……」
ニブラスを放棄する案も考慮に入れるガロアに、イリシアは食ってかかる。
現実的なガロアと、理想家……いや、夢想家のイリシアでは意見が食い違うのも当然。
そんな二人を尻目に、イライザはテーブルの上の配置図を一瞥する。
「ふぅん……戦力差はほぼ三倍?」
「そうだな。この戦力差なら籠城するのが一番なんだが……」
「援軍の当てのない籠城する気?」
「だよなぁ」
籠城とは援軍が期待できて初めて機能する。
その当てもなく籠城しても、状況は悪化する一方なのだ。
だがイライザは鼻を鳴らしてガロアに嘲りの視線を向けた。
「見た所……アンタ達って嫌がらせって物を理解してないわね」
「嫌がらせって、おい」
「別に軍で動かそうとするから、そんな馬鹿正直な作戦しか思いつかないのよ」
ビシリと、音が鳴りそうなほど鋭くガロアの鼻先に指を突き付けるイライザ。
そんな彼女を、兄であるコーネロは驚きの目で見る。
「イライザ、何か案があるのか?」
「軍隊で動いても勝ち目がないのなら、軍隊で動かなければいいだけじゃない」
「ハァ?」
イライザの主張に首をひねるガロア。
物わかりの悪い生徒に言い聞かせるように、イライザは腰に手を当てて解説する。
「こいつら大勢で押し掛けてきたんだから、ご飯もいっぱい持ってきてるんでしょ。それを焼き払っちゃえばいいのよ」
「それが出来りゃ、苦労しねぇよ」
「できるわよ。私と兄さんなら」
「ハ?」
「できるわ。私達は先生から寄生生物を植え込まれているわ。身体能力は前とは比較にならない」
寄生生物によって治療された影響か、コーネロ兄妹は常人離れした身体能力を手に入れていた。
だからこそ、この最前線のこの治療所に連れてこられたのだ。
だが彼等は能力は優れていても一般人である。隠密行動は得意ではない。
「素人に焼き討ちなんてできる訳ないだろ」
「だからこそ、オルテスがいるんじゃない」
元軍属かつ元盗賊のオルテスなら、隠密行動からの不意打ちも得意だ。
彼等も疲労の極致にあるが、それでも他の部隊よりは消耗が少ない。
それは彼等が指揮部隊として、後方に控えていたからである。
「まだ疲労の少ない少数の部隊で夜襲の焼き討ちか……」
「無論、向こうだってこの状況を私達がどうにかするには、そう言う手に出るしかないとわかってるはずだわ。だからこそ監視も厳しい」
「だよな。結局監視の目に引っかかって、追い払われるのがオチだ。それどころか、こっちの余剰戦力を消耗させることになってしまう」
「普通の手ならね。でも先生なら?」
元魔族軍で名を馳せたロメイなら、多彩な魔術を使いこなす事ができる。
中には姿を消す魔法もあるかもしれない。
「確かにあの先生なら、そう言う手も使えそうだな……」
「それともう一つ、こっちが優れている点は?」
「そりゃ、この姫さんの偵察能力……まさか!」
ガロアはそこでイライザの言いたい事を察し、驚愕する。
この部隊の総大将とも言えるイリシアを、よりによって夜襲に引っ張り出そうというのである。
だが、アルフレッドがそれを察して、猛然と反論を始めた。
「彼女がいれば、敵の監視を掻い潜るのも楽になるわね」
「認められん! イリシア様はニブラスにとって大事な御身、いやニブラスその物と言ってもいい! それを夜襲に引っ張り出すなど――」
「このままじゃ、そのニブラスその物が消えてなくなるわよ?」
「それでも――」
なお言い募ろうとするアルフレッドをイシリア本人が制する。
「続けてください。私もただ『見るだけ』の女では居たくありません」
「いいのかしら?」
「命を懸けているのは、私だけではありませんもの」
「イリシア様!?」
アルフレッドが悲鳴のような声を上げる。
だがイリシアは生来の頑固さを発揮して、引く気は無かった。
結局、夜襲にイリシアが参加するという事で、事態の打開を図る事になったのである。
黒い服に油壷を抱え、数人の男女が夜の草原を駆け抜ける。
運動能力に劣るイリシアはイライザの背に背負われている。
この夜襲に参加しているのは彼女とコーネロ兄妹。それにオルテス、ガロア、アルフレッドとロメイ。
反乱軍の主軸と言ってもいい人材たちである。
どのみち彼等にとって、翌日の戦闘を超える事は難しいと判断していた。だからこそ、ここで一発逆転の賭けに出たのだ。
イリシアは背負われて移動しているので、常に【千里眼】を発動できる。その情報の元、オルテスが接近ルートを選定し、夜陰に紛れて行動する。
重装備のガロアもアルフレッドも、この夜襲に備えて極力金属装備を廃していた。
「止まってください。夜警が来ます。巡回ルートから外れないと」
「承知しました、姫。どの方角が安全ですか?」
「少し遠回りですが、右側に――」
「いや、下手に動くな。今【認識阻害】の魔法をかける」
ロメイの魔術ではこの人数に【透明化】を掛ける事はできなかったらしい。
だが、代わりに認識を阻害する魔法で、疑似的に透明になる事ができる。
それも静止していればの話だ。移動すれば、その足音や草の動きなどで、存在を検知される可能性がある。
全員がその場で息をひそめ、その目前を夜警の兵士が通り過ぎていく。
視界から消えるまでその場に静止し、ようやく一息ついた所で、再び行動を開始した。
やがて目の前に、馬車に積み上げられた輜重車が見えてくる。
ガロアがそれに火縄と油壷で簡易の時限装置を取り付ける。オルテスも、他の馬車に罠を仕掛けていく。
こちらは糧食に油を染み込ませ、覆い布を取ると発火する仕掛けだ。こうする事で、確認に来た兵士を巻き込む事ができる。
ガロアの時限装置で火を放ち、確認するためにやってきた兵士を仕留めに掛かる、そんな仕掛けを施していた。
優秀な監視の目と、それを欺く魔法、そして嫌がらせに特化した思考を持つイライザ。
それらの能力が噛み合って、この日の夜襲は見事成功する事になる。
食料を失い、士気を落として攻め手を失った共和国軍は、結局この場でしばらく立ち往生する事になった。
撤退まで追い込めなかったのは解放軍にとっては致命的ではあったが、なぜか共和国軍はこの後すぐに撤退を開始した。
これはアロン共和国が、北部戦線に対魔神ワラキア用の防衛線を張るためだったのだが、それは彼女達の知る所ではなかったのだ。
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イリシアの挿絵の可愛さと言ったら……!