第136話 神の奇跡と軌跡
――深夜。
忍び込む、不審者の気配で俺は目を覚ました。
そいつは足音を忍ばせ、小屋の中を徘徊する。リニアが作り出したばかりの雑な造りをしている真四角い建物の中を。
ここは居間と二つのプライベートスペースに区切っただけの建物だ。
俺達はそれぞれ【アイテムボックス】という能力を持っているので、貴重品などは存在しない。
その侵入者は、しばらく建物内をうろついた後、俺の部屋へと入ってきた。
床に敷いた毛皮の上で毛布をかぶって眠る俺に向かって一直線にやってくると、おもむろに毛布を剥ぎ取りズボンへと手を掛けた。
事、ここに到って俺はさすがに目を覚ましたのだ。
「おい、何をしている……ラキア?」
「ん? 温泉と言えば深夜の『お楽しみ』と聞いたのだが」
「そんな話聞いた事もないわ!」
さすがにズボンを引き下ろされた状態では跳ね起きる事ができないので、頭を叩いて妨害した。
彼女の生命力はかなり高いので、この程度ではタメージを負わない。
「いった! 何をするのだ、アキラ」
「この機会だから言っておくぞ、ラキア。俺はお前とだけ、そんな関係になるつもりはない」
「なぜ? 我はそれなりに魅力的なはずなのだが……」
なぜ俺が拒否するのか判らない。そういう顔で彼女は首を傾げる。
確かに彼女は美しい。ここに来た頃の俺ならば、喜んで食われていただろう。
だが今の俺は、その時の俺じゃない。
「そうだな。お前は俺を受け入れる事はできるだろうし、俺としてもお前に好かれている事は単純にうれしい。でも受け入れてしまったら、シノブは? リニアはどうなると思う?」
「むぅ、シノブは乙女ゆえ、いきなりこのサイズは不可能だろう。リニアも体格的に全部は難しいか」
「物理的な話だけじゃ無くてだな……つまりお前だけと結ばれてしまったら、残り二人の心情はどうなるかという話なんだ。それにお前とそうなってしまったら、俺はきっとお前だけを特別扱いしてしまう」
一人だけと肉体関係を結べば、必ずその一人を特別扱いしてしまう。
それでは他のを差別してしまうと言う事に繋がるのだ。
付き合いの長いリニアや同胞のシノブがそれを是とするはずがない。すなわち、『俺達』という関係の崩壊である。
仲のいい姉妹のような三人がぎくしゃくしてしまう。それは俺にとっても悲しい出来事だ。
「だからな。今、俺はお前だけを特別扱いする訳には行かない。それが俺の考えだ」
「うむぅ……言いたい事はわからんでもないが、それでは辛かろう?」
「お前らに争われる方が、俺としては辛いんだよ。察してくれ」
今のこの関係を、俺は楽しんでいる。それを一時の欲情でぶち壊してしまいたくない。
だからラキアにも、納得して我慢してもらわねばならない。
ラキアもシノブやリニアとは仲がいい。きっと理解してもらえるはずだ。リニアはともかく、シノブは男女の関係になるには早すぎると俺は思っている。
彼女は身体も心も、まだ幼い。まるで父親みたいな考え方だとは思うが、もう少し彼女の成長を待ちたいと思っている。
「ふむ、つまり――三人一緒なら問題ないのだな!」
「は?」
ラキアが捻り出した結論は、俺の予想の斜め上を行くものだった。
「要はあの二人が受け入れられないのが問題なのであろ? ならば、できるように鍛えてやればよい。なに、任せろ。我はサキュバス族ぞ。そのような鍛錬の知識も身に付けておる!」
「いや、それは……間違いじゃ、ないの、かな? え?」
えーと、確かにラキアに鍛えてもらえば、少なくとも身体の方の問題は解決するだろうが……それでいいのか?
ビッチになったシノブなんて見たくないぞ、俺は。
「フフフ、つまるところ幼子に覚えさせるように『教育』してやればよいのだ。我の初めての弟子と言う事になるな!」
なんだか別方向に不安を残した気もしないでもないが、納得したラキアは俺の上からピョンと飛び降りた。
そのまま出口の方へ、軽快な足取りで向かっていく。出口付近でこちらにクルリと振り返って、親指を立てた。
「任せておけ、アキラ。あの二人は、我が責任をもって仕込んでおいてやろう。お前が肉に溺れる日も遠い未来ではないぞ!」
「い、いや、俺はそこまで……」
「ハハハ、楽しい事になって来たぞ!」
「だから待てと――」
俺の言う事も聞かず、ラキアは部屋の外へ、闇の中へと消えていった。
そしてしばらくして隣の小屋から、妙に艶めかしい声が響いてきたのである。
……あの二人には明日謝っておこう。
翌日、意外な事にシノブかリニアが怒鳴り込んでくるかと思っていたのだが、そんな事も起こらず、いつも通りの朝食を迎えていた。
二人ともやや顔が赤いし、膝が笑っている気がしないでもないが、とりあえず怒っている風には見えなかった。
「え、ええっと……その、二人共?」
「だ、大丈夫だぞ、アキラ。きっと私はお前を受け入れるようになって見せるから。無理はしてないから!」
赤い顔のまま、シノブは拳を握り締めて力説する。
一方リニアの方も……
「確かに意気込みだけでは、容量は増えませんからね。さ、サキュバス式のテクニックを学ぶというのも、いい機会かもしれませんし」
とか言って、怒っている風ではなかったのだ。意外である。
だが二人共、疲労の色は隠せない。
「いや、いいけど……無理はするなよ? ダメだったら普通にラキアを止めればいいだけの話なんだから」
「ここが女の意地の見せ所なのだ!」
「そうです、ご主人を満足させられない奴隷に、存在価値はないのです!」
「あ、そぉ?」
まぁ、幸いと言うかなんというか、疲労に効きそうな温泉が目の前である。
どうせ二週間程度ここに逗留するつもりなので、その間頑張ってもらうのもいいかもしれない……のかな?
朝食を終えて、シノブ達は温泉に向かっていった。
ラキアによると湯にふやけた身体が丁度いい塩梅なのだとか。無理はさせないように言い置いて、俺は俺でやりたい事を始めておく。
カツヒトは修行とか言って、俺の闇影を持って狩りに出向いている。
闇影による強化値減少-60の効果で、ビーストべインの+30が消え、残ったマイナス分がカツヒトの強化値を+40からさらに-30する。結果、奴の強化値は10程度まで下げる事ができるのだ。
+10と言えば、2.5倍の身体能力と言う事になる。
一流の身体能力を持つカツヒトならば、それだけでも充分な効果を得る事ができるだろう。
それに闇影であるならば、危機に陥れば手放せば元の力を取り戻す事ができる。
修行に使うには、ある意味都合がいい装備だった。
それはさておき、今回俺が目指すべきは、【世界錬成】スキルの汎用性アップだ。
俺としては是が非でも、筋力だけとか、生命力だけの強化を行えるようになっておきたい。
なぜか生物に掛けると、部分的強化がまるで成功しない。
リニアの指輪では成功していたのだが、これは指輪と言うアイテムの特性なのか、生物に掛けるという行為が生物のランクそのものを引き上げてしまうからなのか、よくわかっていない。
「つまり、指輪にはパラメータを別個に上昇させる能力があるからできるとか、そういう意味かな?」
とりあえず実験体その2として、近くの森から捕まえてきたカブトムシに話しかけながら、目標となる能力を決める。
やはりカブトムシと言えば筋力上昇である。
だが、昨日のようにいきなり+99まで上昇させると、逃がした時、どこかで迷惑な事態を起こすかもしれない。
そこで半分の+50程度に抑えて実験してみようと思ったのだ。
+50と言えば、倍率にして117倍である。
カブトムシ程度の力が117倍になっても、大きな迷惑はかけないだろう。
「という訳で――目覚めるのだ、カブトムシよ! この俺の力で!」
俺の力を受け、カブトムシはその潜在能力を大きく開花させ……巨大化した。
「おおぅ!?」
大きさにしてせいぜい5センチ程度のカブトムシがいきなり117倍の大きさに膨れ上がったのだ。
そりゃ驚くに決まっている。
なんと6メートル弱のカブトムシが誕生し、無論の事、俺の手からは飛び出していく。
こんな見ただけで異常な生物、放置しておくわけにはいかない。
俺は拳を握り締めて、殴りかかろうと立ち上がったが、カブトムシはそんな俺の思惑を無視して甲殻を広げ、内翅を広げて飛び上がる。
だが俺もまた進化しているのだ。
とっさに転がっていた石を拾い上げて投げつけようとした。これを見て、カブトムシが危機を察知し、その巨体を翻し回避行動を取る。
巨体を支えるだけの突風を巻き起こすカブトムシ。その突風が、俺の視界を奪った。
視界が一瞬封じられた。カブトムシが俺から逃げ出すには、その一瞬で事足りたのだ。
即座に高度を上げ、螺旋を描きながら俺の視界から消え去っていく。
上空の雲の向こうにまで消えられては、俺の視力をもってしても捕らえる事ができなかった。
しかもこの一帯は噴泉の影響で常に視界が煙っており、見通しはよくない。
奴が投石を事前に察知する事ができたのは、能力の上昇と共に、危機回避能力も上昇したからだろう。
もはや虫の領域を超越した生物第2号が解き放たれてしまった。
「…………よし、見なかった事にしよう」
全長6メートルのカブトムシを見なかった事にして、俺は次の問題点に取り掛かる事にした。
だが、それより先に騒動を聞きつけたラキアが俺の元へやってきた。
「アキラ、何ださっきの怪生物は!」
「ラキアか? 珍しいな、お前が一番手とは。いつもならシノブが駆け付けて来るのに」
「ん? ああ、あの二人なら、今腰が抜けている」
「……程々にな?」
「任せておけと言ったろう」
さすがに声が漏れるのを防ぐために、リニアが風の結界を張っていたそうだが、その向こうでは色々とハードな『トレーニング』が繰り広げられていたようである。
「さっきのは、昨日と同じだ。ちょっと虫の部分強化に失敗してな」
「やけにデカかったように思えたのだが?」
「うむ、筋力を強化しようと思ったら、サイズがデカくなってしまったのだ」
ラキアは俺の言葉を咀嚼し、額に指を当てて思い悩んでいる。
しばらくしてどういう結論に達したのか、一つ頷いて納得した表情になった。
「……アキラも程々にな?」
「おう、任せろ」
多分、考える事を放棄したラキアは、そう言い置いてシノブ達の元へ戻っていった。
さすが知力1の女。考える事は苦手な様子だ。
これがシノブやリニアなら、一時間は説教を食らうコースである。
結局その日は、強化の方針を考え直すために実験をやめておく事にした。
それに今、俺は一人である。昨晩悶々とした時間を送る事になってしまったのだから、この機会に賢者の扉を開いておくとしよう。
◇◆◇◆◇
その日、アロケンの避難地では、久しぶりのごちそうに歓声に沸いていた。
いつもならば猟熊会辺りのギルドが狩りに出ないと手に入らないような立派な熊が、子供達の前で謎の死を遂げていたからである。
子供達は『カナブンが熊を殺した』と意味不明な事を口走っていたが、この状況で問題になるのは、そこに熊の肉が残されたと言う事実である。
アロケンの崩壊以降、持ち出した保存食を皆で分け合い、細々とした食生活を送っていた町人達にとって、熊の肉は天の配剤とも言えるごちそうだったのだ。
一日がかりで大熊をキャンプまで運び、解体し、毛皮や骨、肉に切り分ける。そして翌日、待ちに待った肉を料理する日がやってきたのだ。
嬉々として熊肉を切り分け、鍋に放り込む大人達、言い分を信じてもらえず不満顔ながらも、久しぶりのごちそうに胸を躍らせる子供達。
そんな避難所にソレが訪れたのは、熊鍋が完成し皆に振る舞おうとした、その時であった。
ブブブブ、とまるで低周波のような羽音を響かせて、巨大なカブトムシが飛来してきたのである。
巨大……と言ってもそれは常識の範疇での巨大ではなかった。
全長5メートル80センチ。ちょっとした民家と同じ大きさのカブトムシだった。
しかもカブトムシと言うのは昆虫の中でも膂力に秀でた種族だ。
自身の体重の20倍の牽引力を持ち、角先で跳ね上げる力は100倍にも及ぶ。
そんなモンスターが襲来してきたのだから、大混乱が起きるのも仕方ない。
「市民を先に避難させろ! 冒険者はどうした? 騎士団だけでは、対応できんぞ!」
副長であるケビンが陣頭に立って指揮を執る。
団長のミッチェルは既に町を離れ、事態を報告すべくアロンの首都クラウベルへ戻っている。
これを言い換えれば、逃げたとも言える。
つまり、今の騎士団の評判は地に落ちているのだ。だからこそ、これ以上無様な姿を晒す訳には行かない。
しかし、目の前に降り立ったバケモノは別格だった。
たかが昆虫と侮るには、その巨体はあまりにも大き過ぎる。
テントはもちろん、避難物資を満載した馬車すら軽々と角で跳ね上げ、放り投げる。
そのありえない光景に、絶望感すら漂わせながら、騎士達が戦列を組む。
背後には逃げ惑う町人達。泣き叫ぶ子供の声すらある。
騎士として、決して逃げる事の出来ない状況。それが尚更、騎士達に悲壮感を漂わせた。
だがその時、一瞬の閃光がその場を斬り裂いた。
音の壁すら切り裂いて飛来した、一匹のカナブン。
それがカブトムシの甲殻を撃ち抜いたのである。
「なっ!?」
驚愕の声が終わらぬうちに、何度も閃光がカブトムシを撃ち抜いて行く。
そしてろくに反撃もできぬまま、カブトムシは息絶えてしまった。
突然の蹂躙劇に、言葉を無くす騎士達。
強大な敵を一方的に蹂躙し、騎士達の目前を悠々と飛び去って行くカナブン。
それを、言葉もなく、なす術もなく、ただ見送るしかできない町人達。
+50のカブトムシでは、+99の強化を施されたカナブンには敵わなかったのだ。
+50では117倍だが、+99では1万2527倍になる。強化の倍率は、数値が大きければ大きいほどに、その効果を上昇させていく。
最強レベルの強化を受けたカナブンは、比類なき力を得ていたのである。
この一件を機に、アロケンの町に虫神カナブンを信仰する宗派、カナブン教が誕生したのだった。
◇◆◇◆◇