第13話 乱戦
俺が見たところ、シノブがああいって残る兵士なんて、三割にも満たないだろう。
たった30人。その程度の歩兵で騎兵500と戦うなんて自殺行為もいい所だ。
それでも彼女はやる。
恩義を感じる領主のために。背後で震える民衆のために。
だから逃げると言う選択肢は存在しない。
生き延びた同郷の存在と言うのは、俺にとって非常に微妙な存在だ。
俺達を踏み台にして生き延びた連中、と言う思いもある。
もちろん、それはヤツ当たりである事も理解している。
でも、彼女はまだ十五歳だ。
二年前から無理やり戦わされてきた彼女に何の罪がある?
見捨てるなんて、出来ようはずが無い。
護るだけの力が、今の俺にはあるのだから。
東に続く街道を進むと、土煙が視界に入ってきた。
街からおよそ20km。道の周囲はなだらかな平原で、騎兵を展開するには悪くない。
ここまでの距離も、軍勢が一晩で無理なく進める距離と言うところだろう。
斥候の言っていた、明日の朝には到着すると言う予想は間違いでは無かったと言う事だ。
道の中央で仁王立ちになって、鍬を構えて敵を待ち構える。
騎兵500に対して、こちらは俺単騎。
まぁ、多少取り逃がした所で、指揮官を倒せばどうにでもなる。
マフラーを引き上げ、いつもの仮面で顔を覆いながら、対策を考えておく。
30分程もそうしていただろうか。
ようやく、敵の先陣が俺の近くまで到着した。
先頭には派手な兜をかぶった男。
そばには軍旗を掲げる旗杖兵。
そしてその後ろに連なる、整然と五列縦隊を取る軍勢。
旗が示す紋章はアロン共和国の軍旗だ。
「何者だ、貴様! 珍妙な仮面をして、怪しい奴め」
先頭にいたハデ兜が、道を遮る俺に怒声を浴びせてくる。
カイゼル髭を生やした、見るからに高飛車そうな男。
シノブとコイツ、どっちを選ぶかと問われれば、答えるまでも無い。
「俺はこの近辺で畑を耕しているものだ。お前こそ誰だよ」
「その仮面は……いや、それより平民がこの私に名を尋ねるか? まぁいい。我こそはアロン共和国、第七騎兵団、団長 ――」
「ああ、もういい。お前の名前に興味は無いし。俺が聞きたいのは、お前がアンサラの街に害を成す存在かどうかだ」
「貴様――学の無い農民風情が私を馬鹿にするのか!」
ジャガイモみたいな顔を真っ赤に染めて、ヒステリックに怒鳴る。
まるでジャガイモからサツマイモになったみたいだ。
「恐れ多くも、我等アロン共和国が貴様等平民を圧政から解放するために、兵力を派遣してきたと言うのに!」
「圧政も何も、アンサラは至極穏やかな街で重税やら徴兵やらの問題は一切無いぞ。お前等が来るまでは」
「黙れ、無学の徒が何を吠える!」
「吠えてんのは貴様だ。このまま大人しく帰るんなら、命だけは助けてやるが?」
意図的に煽るように口にする。
ここで立ち塞がっているのは俺一人だ。
一隊だけを残し、他が街に向かうなんて真似をされたら、後々厄介な事になるからだ。
こいつを煽って、俺に攻撃を集中させ、街へ向かわせない様にしないといけない。
「こ、ここ……」
「こけこっこ?」
「コイツを叩っ斬――ぎゃぶっ」
叫びと同時に俺は駆け出し、ヒゲ親父の頭を鍬で抉り取った。
強化に強化を重ねた俺の身体は、残像すら残してお互いの距離を詰める事ができる。
男はろくな反応すら返せず、無防備に顔を抉り取られて――息絶えた。
「た、隊長!?」
「こいつ、隊長を……!」
「倒せ、この男を殺せ!」
「いいぜ、相手してやる。お前等を畑みたいに――耕してやろう」
たった一人の農民に指揮官が討ち取られたとあっては、部隊の沽券に関わる。
ましてや、彼を補佐する副官にとっては、命に関わる問題だ。
危険な農民を、隊長に近付けたと言うのは責任問題になってくる。
周囲の騎兵達が剣や槍を抜いて、一斉に襲いかかってきた。
俺もできるだけ躱そうとはするが、戦技系スキルを持たない俺は、効率的な回避という物ができない。
「……そもそも躱す必要性すらないんだけどな」
騎士達の全力――騎馬の力を使った突進すらも、俺にとってはそよ風のようなものだ。
せいぜい銀玉鉄砲で撃たれた程度のダメージしか受けない。
ただ、その質量だけは問題である。
槍で突かれれば、身体の軽い俺は後ろに跳ね飛ばされるし、馬に当たってもこちらの方が押し返される。
中には魔法だって飛んで来る事もあった。
だがそれだけである。
俺は跳ね飛ばされた先で鍬を振るう。音速を迫る鍬の一撃は数人を巻き込んで敵を薙ぎ払って行く。
炎や氷、風や石弾の魔法が飛んできても、俺にダメージを与える事は無い。
外的要因でも毒物でもダメージを受けないように、この身体を作ったのだから。
十人、二十人と倒し、百を超え数えるのをやめた所で仮面が壊れ、マフラーが破れ、素顔が剥き出しになってしまった。
「お前、その顔!?」
中に手配書で俺の素顔を知るものがいたのか、驚愕の声が戦場に響き渡る。
「――魔神、ワラキア……」
声自体は小さな、本当に小さな囁きのような物だっただろう。
だが、その呟きは戦場を遍く駆け巡った。
そして兵士達の動きが、一瞬止まる。
ようやく異常に気付いたのだろう。
たった一人で、すでに百の兵士が倒された。
服は破れ、仮面は破壊したが、その身体には傷一つ付いていない。
いや、そもそも槍の刺突を何度受けた?
剣の斬撃を何度受けた?
矢は? 槌は? 斧は? 魔法は?
目の前の男は、何度も致命傷を受けたはずだ。
何度も魔法の直撃を受けたはずだ。
それなのに、なぜ立っている? なぜ生きている? なぜ――傷一つ付いていない?
その疑問が敵軍全体に染み渡り、答えを得るまでにそう時間は掛からなかった。
「ま、魔神だ! 国壊しの魔神が現れたぞ!」
「逃げろ、こんな化け物とまともにやりあっていられるか!」
「逃げるってどこに……魔神と敵対しちまったんだぞ、アロンはもう終わりだ!」
「ち、違う国だ、アロンは魔神に滅ぼされる、ファルネアは魔神が住み付いている! なら他の国に逃げないと――」
蜘蛛の子を散らすように、騎兵が逃げ惑う。
中には味方を倒し、踏み潰して逃走する者すらいた。
その被害は、俺の与えたそれを大きく上回る。
終わって見れば、草原には二百近い騎兵の屍と、馬の死骸。それと放置された糧食だけが残されていた。