第113話 エルフとの邂逅
その日の野営で俺達が久しぶりに夜番に立つことになった。
これは俺が、『森の中の警邏も経験しておきたいから、俺達も混ぜてくれ』と主張した影響もある。
なぜこんなことを要求したかと言うと、人目につかない場所でリニアの指輪を調整したかったからだ。
この指輪を付けてから、リニアの魔法制御能力は格段に落ちた。
理由は単純で、指輪の強化能力が高すぎたからだ。
指輪を外して魔法を使えばいいだけなのだが……だが彼女は頑ななまでに、指輪を外そうとはしない。
そこにどう言う想いがあるかくらいは俺にも理解できるのだが、このくらいの事、融通聞かせて欲しいモノである。
とにかくリニアが外そうとしない以上、その性能を調整してやる必要がある。
元々生命力の強化が主目的だったのだが、肝心の魔力が不安定では本末転倒なのだ。
リニアの生命力は基本値が22。これに+50が加わって2582が現在値だ。
充分桁外れな数値なのだが、シノブ達が3000を超えている事を考えるとやや見劣りする……いや、するのか?
調整のためにそばに控えるリニアは、能力を下げられると言うのに特に気にした風にも見えない。
彼女にしてみれば、『俺から授かった指輪』が大事なのであって、そこに秘める能力は二の次なのだそうだ。
「考えてみれば、お前って結構生命力はあるのな」
「小人族は別に打たれ弱い訳ではないですからね。筋力と魔力は致命的ですけど」
「それってどっちも攻撃に関する能力値だよな?」
「基本、平和的な種族なんです」
だからこそ魔法抵抗力に影響する精神力と、逃げ足に直結する敏捷度が伸びたと言うべきなのだろうか。
指輪の調整と言う事で、現在俺とリニアは2人だけで商隊を離れている。
件の夜番はカツヒトとシノブに任せっきりだ。ラキア? 奴は――もう寝た。
【錬成】の場面は人に見られると困るからこその処理だが、シノブ辺りは二人っきりになる事に僅かに抵抗を見せていた。
彼女もラキアの夜這い事件以降、少し神経質になっている。
なんだかリニアとこそこそ話を交わして、ようやく納得したようではあったが。
たいまつの明かりに照らし出され、転がっていた丸太に腰を掛けて片膝を抱えるリニアは、改めて見るとかなり美少女である。
サイズが通常の三分の二程度しかない事が実に悔やまれる。後、残念系な性格も。
とにかく、このままでは何だか変な気分になりそうな気がしたので、とっとと調整を済ませてしまおう。
現在のリニアの魔力はこの世界においてならば、かなり……というか、超一流レベルの魔力ではある。
だが俺達のような桁外れの人材の中にあっては、やや物足りなさを感じる程度の力加減なのだ。
彼女の魔力では俺やラキアはもちろん、精神力が最も低いカツヒトにすらダメージを与える事ができない。
それは【魔力強化】を使用しても変わらない。その程度には力が劣るのである。
現状、彼女はラキアの【淫夢】などのスキルに対抗できる唯一の人材である。
俺はラキアに悪意があるとは思っていないが、だが万全の信用もまだ置いてはいない。
いざと言う時に彼女を止めれるリニアは、非常に重要な鍵を握っていると思っている。
その彼女がラキアを止める手立てを持たないと言うのは、少しばかり不安なのだ。
せめて牽制できる程度の威力を放てるようになってもらわないと、困る事態も起きるかもしれない。
そのためにはラキアの魔法抵抗力――精神力の半分。5000程度の魔力は欲しい。
リニアには【魔力強化】があるので、基礎魔力が2500になるよう調整すればいい。リニアの基礎魔力が704、【魔力強化】で1408、これが5000を超えるのは……指輪の上昇値が能力の強化値に繋がる訳だから……
「うーん、計算式が面倒くさいな。+28くらいか?」
「ですねぇ」
指輪を+28まで強化すれば、上昇値は14になる。その上昇値14が能力の強化に使われるので、1408を+14強化すれば5346で、目的数値に到達できる。
同様に生命力も9805まで上昇するので、ラキアを相手にすると考えれば、いい線かもしれない。
「切りのいい所で+30としておくか。魔力が最大7116まで上がるぞ。生命力なんて13050だ」
「やった!」
ピョンと跳ねて喜びを表現するリニア。丈の短いズボンから覗く絶対領域が実に眩しい。
手早く指輪の強化値を調整していると、胸元にリニアが興味深げにすり寄ってくる。手の位置も俺の太股の上に置かれ、実にキワドイ。
ふわりと香る石鹸の匂い。彼女達女性陣は毎日のように風呂に入っているので、実にいい香りがするのだ。
不覚にも、最近処理に困っている部位に血流が集まるのを自覚した。
「おい、近いぞ」
「んふふ~、ドキッとしました?」
胸元で悪戯っぽく笑うリニア。それを見て俺はようやく気付いたのである――コイツ、挑発してやがる!?
「パーティ内恋愛、禁止!」
「……それ聞いたらシノブが悲しみますよ?」
「その自覚があるなら挑発するな」
「なにも最後まで行く必要はないんですけどねぇ?」
「そういうのはラキアで懲りているし、シノブに後ろめたい思いをするのは嫌だ」
「だからこその妥協点なんですけど……まぁいいです。わたしも彼女達は嫌いじゃないので」
そう言うとスルリと俺のパーソナルスペースから抜け出していく。
無駄に流麗な体捌きである。こう言う所に『スキル』の恩恵は現れているらしい。
俺も戦闘系スキルが欲しくて格闘家の男、ヘルヴォルと戦ったりもしたが、残念ながらまだスキルの発現には到っていない。
魔法に比べて戦闘系スキルは取得しにくい感じがするな。
強引に思考を逸らしつつ、調整を終えた指輪をリニアに投げ渡す。
それを不服そうに受け止めながら、リニアは唇を尖らせていた。
「ご主人。指輪を渡す時は、もっとこうロマンティックに、ですねぇ?」
「さっきので空気台無しだから、無しで」
「わわ、さっきのは無しにしてください!」
手を振りながら慌てて見せるが、その動作にも少しばかり媚が見える。というか……これは甘えているのか?
なんだかんだで最近ラキアに掛かりっきりになり、リニアの相手をしてやれなかったからな。こいつも少し舞い上がっているんだろう。
「ほら、シノブ達に見張りを任せっぱなしなんだから、さっさと戻るぞ」
「ご主人、空気読めないとか言われたことありません?」
「わりとよくある」
察しのいい鈍感系とか呼ばれたことは、何度かあるな。思い当たる節は無いんだが……
仲間の待つ場所に戻りながら、俺は首を傾げたのだった。
翌朝、リニアは試しに【点火】の魔法で魔力を調整してみたが、何の問題も無く発動する事が出来た。
一応表向きはリニアが付与術師だと言う事になっているので、彼女本人が調整を行った事になっている。
本来付与には結構時間が掛かるので、このなかなか調整する隙を見つけられなかったタイムラグもいい感じにごまかす要因になったようだ。
その様子を見て、バーネット達傭兵はホッとした表情で喝采を上げた。
「おお、上手く行ったじゃないか! これで魔法に巻き込まれずに済むな」
「失敬な、巻き込んだ事なんてないですよ! ちょっと余波とか輻射熱で炙っちゃっただけで」
「それを巻き込んだって言うんだよ!」
前線を支える傭兵である彼らは、後衛のリニアの魔法の最大の被害者だったと言える。
さすがに直撃させるようなヘマはしていないが、余波で吹き飛ばされるなどは日常茶飯事になっていたのだ。
「ご迷惑をおかけしました。これで安心して魔法が使えるようになりましたよ」
「後衛の安定は俺達の命綱だからな。こっちとしても助かるよ。それに、今まで以上の威力が放てるようになるのは、こちらとしてもありがたい」
ここまでの旅路でバーネットの指揮スタイルは、守勢に秀でた堅実な物だと言うのは理解している。
だからこそ、何が起こるか判らない暴発気味の魔法は戦術に組み込みにくく、彼も苦慮していた事が俺達にも見て取れた。
その心配も無くなったので、彼の浮かれ具合も判らないでもないのだ。
「……いや、なんだか森に入ってから、バーネットが浮かれ気味じゃないか? スキップしそうな足取りだぞ、あれ」
「そうか? そう言えば少し嬉しそうな気もしないでもないな」
俺の横を歩くシノブが、先頭を歩くバーネットを見て同意してくれた。
どうやら俺の思い違いではなかったらしい。
「まぁ、目的地が近いからかもな。もうユークレスの森に入った訳だし」
「あとはエルフの集落まで行って受け渡しを済ませれば、この依頼も終了か」
シノブはホッとした表情で、そう呟いた。
彼女にしてみれば、今回の依頼はダリル傭兵団に掛けた迷惑の返済の為でもある。
この依頼を済ませれば、晴れて彼女は傭兵団と貸し借り無しの立場になれるのだ。責任感の強い彼女からすれば、ようやく肩の荷が下りたと思えるのだろう。
バーネットと同様、彼女の足取りも軽くなる。
それを見て俺の足取りもまた、軽くなる。
そんな浮かれた状況だったからか、俺達は誰一人として襲撃者の接近に気付くことができなかった。
突如として飛来する、丸太の如き鉄塊。
ブォン、と風を唸らせ、回転し、俺の鼻先を掠めて背後の木にそれは突き刺さった。
そう、鉄塊が突き刺さったのである。
刃物ですらない、それが。
何が起きたのか理解が追い付かず、硬直する俺とシノブ。
そこへ追い打ちのように、野太い声が響き渡った。
「招かれざる外つ国の者よ。それ以上先に進む事は罷りならん!」
雷の用に響き渡る胴間声。
それはエルフの住まう神秘的な森には、いささかミスマッチな音程を持っていた。
背後の木に突き立ったのは、よく見れば槌鉾だ。
刃筋を立てる必要も無く、取り回しが良いので、初心者にもおすすめの武器。ただし、サイズが桁外れに違う。
それは本来片手武器であるはずの槌鉾であるにも拘らず、2m近い巨大さがあった。
まるで鉄でできた丸太のようなそれが、木を縦に引き裂きながら突き立っていたのである。
そして森の中から進み出る一人の男。
短く刈り上げた、くすんだ金髪を逆立て、上半身には獣の皮を申し訳程度に纏った、いわゆるバーバリアンスタイル。
その格好に引けを取らぬ、ボリューム満点のエッジの利いた筋肉。
テカテカとした、プラモデルのように黒光りする、日焼けした肌。
そして顔の両サイドから鋭く伸びる……長い耳。
まるで筋肉自慢のハリウッド俳優のような――エルフだった。
モデルはシュワちゃん。
次の話で一旦この章を終わらせる予定です。