第112話 勇者の記憶
騎士達と別れてからは、なんの問題も無く……いや、多少のゴタゴタはあったが、まぁ、問題なく旅は進んでいた。
盗賊に襲われて、リニアが魔法の制御に失敗して俺とカツヒトが吹っ飛んだり――
猛獣に襲われて、リニアが魔法の制御に失敗して俺とカツヒトが吹っ飛んだり――
ラキアとリニアに襲われて、怒ったシノブに俺と何故かカツヒトまで吹っ飛ばされたりした程度だ。
ラキアの夜這い騒動以来、監視と言う事でシノブが俺と同室で眠るようになったのだが、これがもう……生殺しである。
年頃の少女が無防備な姿で眠っていると言うのは、なかなかに刺激が強い。シノブが子供体型で無かったら、俺が暴発していた事であろう。
かと言って自己処理すら監視の目の中では難しいと言うのだから、色々と問題も出てきている。
なお、カツヒトはバーネットからお薦めのお店に出かけてからツヤツヤしている。
食われたのか……と最初は疑ったのだが、どうやら俺が求めていたタイプの店も網羅していたらしい。なぜ俺の時にそこを薦めなかったのか、一昼夜掛けて問い詰めたい気分である。
いや、やっぱりよそう。問い詰めてる最中に食われるかもしれない。
そういう理由で、個人的には悶々とした旅となりつつあるのだが、旅程自体は何の問題も無く消化していった。
そんなある日、俺はふと気になった事をラキアに尋ねてみた。
「なぁ、ラキア。お前さ……この間の勇者様とやらには全然反応しなかったよな?」
「んー? そうだな。我もその辺りの記憶は少し曖昧でな」
「と言うと?」
「ほら、勇者と会ったのって死ぬ直前であろう? 色々と憶えているのだが、実感が今一つ沸かなくてな……」
そう言えば勇者とこいつが戦ったのは、すでに十五年ほど前まで遡らないといけない。
人間でも記憶が薄れるほど長い時間だ。
当時の記憶が、もはや記録と化していてもおかしくはない長さだ。
「なんだか、やたら硬い奴とやたら激しい奴がいて、交互に攻め立ててきて大変だった記憶はある」
「そ、そうか?」
言いたい事は判るが、どうしてそう……言葉の取捨選択がイヤラシイのだろう。
ここら辺がサキュバスの性質なのだろうか?
「あ、そう言えば視界の隅でチョロチョロしてた奴がいたな!」
「そいつがウェイルか?」
「そこまでは知らん。が、相性が悪かったのだろうな。飛ばした瓦礫なんかはヒョイヒョイ受け流していたのだが、我の攻撃ってほら……範囲攻撃ばっかりじゃない?」
「あー、それで」
周辺をまとめて吹き飛ばすラキアの特性を考えれば、受け流し特化と言うのは非常に相性が悪いだろう。
そのせいで勇者ウェイルは彼女の記憶から消え去っていたのか。
そう言えば俺を狙っているであろう勇者たちだが、その実態についてはほとんど知らない。
ある意味勇者に一番詳しいであろうラキアに、この機会に聞いておくのも悪くないだろう。
「そういえば……ん、なんだ?」
そこで俺は服の裾を引っ張る感覚に振り向いた。
いつの間にか、服を掴んで引っ張るシノブの姿があった。その表情はこれ以上ないくらい膨れている。
「あー、シノブ?」
「むぅ、気にするな。だが気は付けろ」
「いや、訳がわからないから。まぁいい、シノブも勇者と戦った経験があるんだろ?」
「ん、確かに何度も剣を交えた仲だな」
そう言えばシノブも勇者とは浅からぬ縁か。彼女も交えて話をした方が、より詳しい事が聞けるかもしれないな。
だってラキアはアホの子だし……
「少し勇者とか言う連中について聞いてもいいか?」
「ああ、あいつらか。うん、いいぞ」
「我にも聞け! なんでも答えてやるぞ」
両者のお墨付きが出たので、俺は遠慮なく尋ねる事にした。
「まず、能力だな。俺もラキアも勇者と言う連中に狙われる身だ。敵を知り、己を知ればって言うじゃないか」
「アキラの場合、己を知る部分に既に問題が……いや、それはいいか。まず勇者が各国に一人ずついたのは知っているな?」
「ああ」
「彼らは突然変異的に生まれてくる、この世界の超常能力者の一種だ。さっき話題になってたウェイルは剣術と受け流しに特化した能力者だ。白兵戦限定なら厄介極まりない剣士だったぞ」
ラキアも受け流しは得意だったと言っていたな。
「ただ少し……いや、かなり女好きでな。戦場で口説かれた事も何度か……」
「よし、殺そう」
「いや、それはやめてくれ」
うちの子をナンパするなんて、なんてクソ野郎だ。今度会ったら取っちめてやる。
「これは冗談じゃなく、国際的な問題になるんだ。現にトーラスの勇者が死んだ事でかの国は軍事的に不安定になって、召喚なんて物に手を染める様になってしまった」
「トーラスの勇者はラキアと相打ちになったんだっけ?」
「ウム、我の放った【局地噴火】の魔法の直撃を受けて黒焦げになりながら襲い掛かってきたぞ」
「それを防ぐために『鉄壁』と呼ばれたシュルジーがいたはずなのだが……」
「そいつはチョロチョロしてた奴を守ってた」
なるほど、話に聞く限り、『鉄壁』が仲間を守り、『破鎧』が攻撃役。『絶圏』は遊撃と言う感じだったのかな。
だが範囲攻撃を専門とするラキアにとって遊撃が意味を為さなくなって、否応なく『鉄壁』が『絶圏』を守ると言う展開になってしまったのか。
「だがそれだと『絶圏』が避難して、『鉄壁』が『破鎧』を守っても良かったような気もするんだが……」
以前聞いた事があるのだが、『鉄壁』が生命力――つまりは防御力特化。『破鎧』は攻撃力特化の勇者だったか。
「アキラ。それは最後の魔王との決戦の場で、一人逃げ出したと判断されてもおかしくないぞ。彼は逃げたくても逃げられない状況にあったとみるべきだ」
「あー、権力者のしがらみって奴か……」
戦後の権力闘争を考えれば、例え不利でも逃げる訳には行かなかった。
国の威信を掛けて贈り出された異能者が、最終決戦で逃げたなんて言われたら、国の名折れになってしまう。
それこそ戦場に、立ち生き延びる事だけを考えて、絶望的な戦いを続けていた事になる。
そう考えれば、ウェイルとやらも可哀想な存在になってくるな。
「私も直接会った事は無いが、『破鎧』と呼ばれた勇者タロスは、いわゆる脳筋だったらしくてな。『守られてばかりじゃ攻撃はできん』と言って飛び出したそうなんだが……?」
「そんな感じの事を言っていたような、言っていなかったような……?」
シノブに話を振られて、ラキアは首をかしげて顎に手を当てる。
その姿は深窓の令嬢が思い悩んでいるかのようにも見えるほどに、華やかだ。眉間に寄った皺すら蠱惑的に見える。
「あ、そうだ。こう言ってたんだ! 殴られる前に殴りゃ問題ないだろうって」
「そいつの脳ミソは確実に皺は無いな」
「我も思わず同意してしまった」
「うん、ラキアの脳ミソも心配だ」
シノブは年上のリニアには『さん』付けで呼ぶが、再生したばかりで実質年下のラキアには『さん』を付けずに呼び捨てる。
というか、夜這い事件以降は結構辛辣である。仲が悪い訳ではないのだが、リニアとの対応とは明らかに違う。
「まぁ、そんな無茶した結果が相打ちなのだから、良いんだか悪いんだか。その後の展開を考えれば悪かったのかもな」
「だが、あの状況が続いていれば、間違いなく我が勝っていたぞ! なにせ『絶圏』と『鉄壁』の攻撃は我には通らなかったのだからな」
「ラキアの生命力なら、さもありなんだ」
だがその生命力をぶち抜いた勇者がいたのだ。
正直言って、死んでくれて助かったとしか言いようが無い。さすがに俺の生命力まで抜けはしないだろうが、カツヒトやシノブだと危険だったかもしれない。リニアなんて以ての外である。
しかも何を考えるか判らない脳筋野郎。できる限りお近付きになりたくない人種である。
「彼等もさすがに当時のままじゃないだろうが……というか、ヒドラのブレスに対応できているらしいから、範囲魔法に対抗する手段を編み出しているんだろうな」
「うぬぅ、だが我は負けぬぞ!」
「いや、すでに一回負けてるから」
変な対抗心を燃やすラキアをシノブが宥める。
彼女は妙なライバル心を持っていても、世話焼きなところは変わらないから安心できる。実に良い娘である。
その後も勇者の話を聞き出したりしている内に、次第に空気は肌寒くなり、やがて目の前に鬱蒼と広がる大森林が近づいてきたのだった。
ユークレスの森。
元トーラス王国北部に広がる大森林である。
ただしエルフがそこの自治権を持っていたため、実質的にはトーラス王国の領土ではなかった。
召喚者達が集められ、周囲に侵攻作戦を開始した時ですら、頑としてその侵攻を跳ね除けた、質実剛健な連中でもある。
現在はトーラスはすでに無いが、両側に広がる大国、ファルネア帝国とアロン共和国によって侵奪を受け、ゲリラ戦で抵抗しているのが現状なのだ。
「エルフは魔法にも優れているので、今回運び込む紫水晶を有効に活用してくれるでしょう」
「あー、そうか。ルアダン的には、ここの連中の抵抗が激しければ激しいほど、南部の戦乱が楽になる……?」
「まぁ、そういう目論見もあって私に依頼が回ってきた面は、否定できませんね」
キオさんが人の悪い笑顔を浮かべながら、俺が辿り着いた推論を保証する。
つまりは、これも南部独立の作戦の一部って事になるのか。
ダリルに一杯食わされたのかもしれないな。
「エルフ達は紫水晶をどう使うんだ?」
この質問は俺が錬成師だから出た質問だ。
他者が何をどう使うかは、気になる所である。
「基本的には魔力を貯蔵する性質を活かして、外部魔力として持ち歩くことが多いですね。この魔力を貯めた状態の紫水晶を蓄魔石と呼びまして。それに水晶に魔力を籠めるのが、子供たちの魔法の練習にもなるんです」
「ふむ……こわい棒みたいに魔法式そのものを籠めるって事はあまりしないのか?」
「それは魔法を使えない人にとっては便利なのですが、エルフはほとんど魔法が使える種族ですから」
「ああ、バリエーションを考えると、ただの魔力タンクにした方が便利なのか」
こわい棒のように攻撃魔法を籠めてしまうと、攻撃魔法しか使えなくなってしまう。
だが多数の魔法を自在に使えるエルフが魔力タンクとして利用するなら、使う魔法は自由自在に変更できる。
状況に応じた取捨選択ができるようになり、汎用性が増すのだ。
だからこそエルフにとっては、この紫水晶は垂涎の的になる。
連戦が続くこの北部では、魔力量を気にせずに済むようになる意義は大きい。
街道はやがて細くなっていき、森に入る時には既に獣道と同然なくらいまで狭まっていた。
馬車一台がギリギリ通れるかという道幅に苦労しながら、森の中へと突入する。
車輪にも長く伸びた草が絡みつき、その行き足は目に見えて鈍り始めた。
「ほら、がんばれ! もう少しだから!」
草を引き千切りながら進む馬にも疲労の色が見え始める。
そんな馬をキオさんが叱咤しつつ進む事、数時間。
陽が傾き始めた所で俺達は夜営をする事になった。
森の中だから薪の心配はいらないが、代わりに火の心配はしなければならない。
燃え移らないように、広めの空間を見つけ、草を毟り、ようやく火を熾すカマドを設置する。
野原でする野営と違い、周囲は障害物も多いので、見張りも大変だ。
そして夜露が枝を伝って落ちてくるため、平原と違い寝袋一つで寝る訳にも行かない。
そんな今までと一味違う苦労をしながら、森の夜を過ごしたのだった。




