第109話 アンサラ北部攻城戦(前)
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アンサラの謀反。
その報はファルネア帝国の帝都に速やかに届けられる事となった。
狂将と謳われたグラッデン侯爵の戦死と共に。
この報を受け、皇帝ミューレンは更に虫の居所を悪くした。
ただでさえ魔神の対処で後手に回る現状。南方の魔王ガルベスはいまだ健在。さらには神出鬼没の央天魔王まで復活。
もはや帝国だけで事に当たる事は不可能。
それなのにアロン共和国は一都市の防衛に、切り札たる勇者ウェイルを派遣。
確かにニブラスの巫女にはそれだけの価値はある。だが、そのニブラスもまた独立の機運に便乗し、アロンに反旗を翻したのだ。
大陸南方を覆う、独立機運。
それによって燻っていた火種が再び燃え上がり始めたのである。
魔王と言う災厄を放置したままで。
この事態に際し、皇帝はすぐさまアンサラの確保に兵を動かした。
ケルヴィン伯爵を頭とした1000の精鋭を率いて、アンサラを鎮圧するように部隊を派遣したのだ。
帝国の全戦力からすれば、1000と言う数はそれほど多い物ではなかった。
事の重大さを考えればこの5倍から10倍は派遣してもおかしくはない。
だが、その戦力が今の帝国には不足しているのだ。
グラッデンに与えた万を超える兵力。この半数がアンサラの謀反の際に消失する事態に陥っていた。
この攻撃は央天魔王による物か、魔神ワラキアによる物か、いまだ正確な判別は付かない。だが帝国にとって、大きな痛手を与えた事は確かである。
元々アンサラの防衛戦力は多くて百を超える程度。
最前線より離れたアンサラでは、多くの兵を常備しておらず、その防衛には最低限度の戦力しか用意されていない。
本来ならこの兵力であっさりと鎮圧できるはずであった。
「陛下は、この機会にアンサラを直轄なされ、対アロンの最前線として砦に再構築なさるお考えらしい」
「アンサラに、ですか?」
軍の中央で戦馬に騎乗するケルヴィン伯爵は、この度の遠征の目的を得意げに副官のトーベに語って聞かせていた。
帝都を出発してすでに二週間。
アンサラまであと少しと言う、深い森の中である。
大陸の南方と中央を分断するように広がる森林地帯。そこを貫くように伸びる街道。
この街道のおかげで、帝国は南方地域との連絡を密に取る事ができると言ってもいい。
それほど重要な道だからこそ軍が往来できるほどに広く、また整備もされている。
だからと言って街道周辺まで完全に整備できる訳ではない。
幅20mにも及ぼうかと言う街道の両脇は鬱蒼とした木々で陽が遮られ、昼だと言うのに肌寒さを感じるほどにしか、気温が上がらない。
「そうだ。いわば南方地域の再編成だな。今回の事でアンサラを起点に、帝国の勢力をしっかりと掌握しようと言うお心なのであろう」
「確かに独立地域は戦乱で兵が少ないですからね。アロンより先に事態を収め、先手を打っておきたいと言う所でしょうか」
「ニブラスまで寝返ったとなれば、アロン側も大きな痛手を受けている事になるからな。アロンの最大戦力であるウェイル卿がニブラスに向かっているという報告もある。こちらもゆっくりはしておれんぞ」
そのウェイルはヒドラと戦い、重傷を負ってしまうのだが、その報告は彼等の元まで届いていない。
アロンとファルネア。どちらが先に南部を平定するかで新たな国境線が築かれると言う、まさに境目にいると――彼らは思っていたのだ。
悠然と歩を進める彼等の前に、その進軍を阻むかのように巨大な壁が立ち塞がっているとの報が入ったのは、まさにその時だった。
「閣下、ご報告申し上げます! 前方に不審な砦が築城されております」
「なに――?」
先触れの報告を受け、部隊の最前列まで馬を進めるケルヴィン伯爵。
軍の進行方向には罠や敵の伏兵に備えて、偵察部隊を展開してある。
彼らが発見したのは森の中に放置された材木や荷車、そして進路上に突如として築城された粗末な砦であった。
軍の戦闘に飛び出した伯爵の目に飛び込んできたのは、森を貫く街道を塞ぐように立ちはだかる、高さ20mにも及ぼうかと言う堅固な城壁だった。
この世界では、土魔法が存在するため、こういった砦の築城は比較的簡易に行う事ができる。
だが、この街道は二週間前までは問題なくアンサラまで通じていた物だ。いくら魔法で補えるとは言え、唐突に現れた砦の存在に、ケルヴィンは目を瞠る思いだった。
「このような要衝に、一体何者だ?」
「砦に掲げられた旗印は『尾を食らう蛇』……あれはダリル傭兵団の物ですな」
「あの蛇野郎か!」
紋章官の資格を持つ副官のトーベが、掲げられた軍旗を見て、駐留している軍隊を識別する。
尾を食らう蛇を掲げるのは、フリーランスの傭兵団でも異色の存在であるダリル傭兵団の物だ。
今でこそルアダンの防衛戦力に収まっているが、元はフリーの傭兵団。しかも『人の嫌がる事』を率先して行うダリルの存在は、アロン、ファルネアの両国で忌み嫌われていた。
今回にしても、帝国の南北を繋ぐ要衝に砦を建築したのだから、その嫌らしさをケルヴィン伯爵は身をもって実感した事になる。
「だが……さすがに砦を二週間ともなると、無理があったようだな。城壁は立派なようだが、肝心の砦がお粗末に過ぎる」
城壁の向こうに見える砦の本体。
それは木造で拵えられた、城壁と比べると、あまりにも粗末な造りの建物だった。
対して建物は心材を土魔法で覆った外壁がそそり立っており、見るからに堅牢そうだ。
外壁の手前には深い堀まで用意されており、砦の本体と比べて攻略に手間取りそうな造りをしているにもかかわらず。
「おそらくは我らの足止め目的で。慌ててでっち上げたのだろうな」
「はい。あれなら城壁さえ突破できれば、陥とすのは容易いかと」
巨大堅固な城壁に比べ、その向こうに見える建造物は木造で、隙間すら散見できるほど粗末。
おそらくは城壁をもって軍を足止めし、その隙にアンサラの防衛体制を整えようと言う魂胆と、ケルヴィンは見てとった。
「閣下、ここで砦を迂回すると言うのは……」
「有り得んな……ふむ。噂の蛇とここで一当てしておくのも、悪い事ではないか?」
二週間の行軍と言うのは、意外と兵士にストレスを与える物である。
ここで一つ、勝利を経験させておく事で、士気を挙げておくのも悪くない。ケルヴィンはそういう選択肢も思い描いていた。
それに砦は街道一杯、すなわち道を塞ぐように立ち塞がっている。城壁の手前の堀も深く、守勢には強そうだ。
だがこの砦を迂回するとなると、森の中を進まねばならなくなる。
軍隊という物は森のような遮蔽物の多い場所での戦闘は、あまり考慮されていない。
「変に森を進軍して側面を突かれると、被害が大きくなるかもしれんな」
「はい。ここは業腹ですが、奴らの策に乗り、砦を攻略するしかないかと」
副官もケルヴィンと同じ考えのようで、ここでの一戦を提言してくる。
幸いにして、元はアンサラを攻略するための軍であり、攻城戦用の装備は用意してあった。
「全軍に通達。前方の砦を攻略するぞ! アンサラの前菜として、あのボロ城を容易く平らげて見せよ!」
周囲に聞こえるよう、声を張り上げて戦闘開始を宣言する。
すでにアンサラを始めとした南方の都市群は、アロン、ファルネア両国に反旗を翻している。
ここで一々交渉に着く選択肢は、有り得ないのだった。
砦本体とは違い、それを守る城壁は高く、堅固だった。
これを陥とすには、否応なく城門を攻略する必要がある。
ファルネア軍には破城槌用の台車がすでに用意されており、後は木を削り、台車の上にセットすればいつでも戦闘は開始できる。
そしてここは森の中。破城槌の材料には全く困らなかったのだ。
「森を塞ぐように砦を築くのは悪くないが、せめて立地は考えておくべきだったな。これでは城門など、ないも同然ではないか」
城壁の上では、こちらの軍勢を目にして、兵士が右往左往しているのが見て取れる。
だがおかしな事に、城門の跳ね橋が上がる気配が無い。門は開け放たれたままだ。
「どういう事だ――?」
「巻き上げ機の不具合ですかね? 急造の砦ですし、有り得ない事ではありません」
せっかくの堀も、跳ね橋が上がらないようでは何の意味も持たない。
「まったく、噂の『蛇』もなっておらんな。これでは破城槌を作る意味がないではないか」
「無駄に兵を損なうよりは良い事かと思いますよ」
跳ね橋が上がらないと気づいたのか、今になってようやく馬止の柵を城門に並べ始めていた。
だがそれを待ってやる義理は、ケルヴィンには無い。
「後手に回ったのは我らだけではなかったようだな。全軍、守りを固められる前に突入せよ! 突撃ぃ!」
道幅20mとは言え、1000を超える軍勢である。
細く長く伸びた隊列は、正に一本の矢のようになって砦の城門へと殺到する。
守備兵も散発的に矢を打ち下ろしては来たが、頭上に構えた盾に阻まれ、碌な戦果を上げる事が出来なかった。
他の兵士もまた、ここで守りに入る事に意義を見出せなかったのか、ケルヴィンが城内に入る頃には潰走の態を為し、傭兵団は蜘蛛の子を散らすように砦から逃げ去ったのである。
ほぼ無傷で砦を手に入れたケルヴィンは上機嫌だった。
だが、ここで気を許すほど、彼も抜けてはいない。特に傭兵団の逃げっ振りが気に掛かったのである。
「城内に罠が仕掛けられているかもしれん、念入りに調査して置け。後、食料と水を確保しろ。毒が入っていないかもな! トーベ、お前は城門の不具合を確認しに行け。せっかくの砦だ、門を閉ざせば、一夜くらいは安心して寝られるぞ」
「ハッ、即座に兵を向け調査させてきます!」
この結果、城内には大量の麦や乾パンが備蓄されており、水も井戸が生きている事が判明した。
更に馬用の飼葉まで厩舎脇に積み上げられており、彼らの軍勢をもってしても、一週間は逗留できるほどの量が確保されたのだった。
しかも毒は入っていない事は確認済みだ。
「巻き上げ機に関しましては、跳ね橋に繋ぐ巻き上げ機の接続が甘かったようですね。これは修繕させておきましたので、跳ね橋を上げる事が可能になりました」
「なら今夜はこの砦に一泊するか。食料が手に入ったのは大きいな。家畜は?」
「鶏にヤギに羊、残念ながら牛や豚はいませんでしたが、各種取り揃えて用意していたようです。これらは潰して、今夜の夕食にお出ししましょう」
卵を産む鶏や、乳を出すヤギや羊は籠城にも適した家畜である。
それが用意されていたと言う事は、やはりダリル傭兵団はこの砦で籠城戦を行う予定だったのだろう。
「それと、厩舎脇に城外への抜け道を発見しました」
「ふん――どうせ砦を易々と放棄したのは、その抜け道があったからだろうな」
「おそらくは。埋めておきますか?」
「いや、いい。むしろ誘い込む餌になるだろう。砦を取られた連中はすぐにでも反攻を考えるはずだ。今夜は周囲に兵を潜ませ、忍び込んできたところを迎え撃てばよい」
「なるほど。では、そのように手配しておきましょう。それと連中、火攻めも考慮していたのか、城壁とお砦の屋上に油壷を大量に用意しておりました」
「油壷? なるほどな、この森の中で時を稼ぐには、いい手かもしれん」
砦を放棄する際、森に火を放ってしまえば進軍を阻止する事ができる。
森林火災を収めるには、それこそ多大な時間と労力が必要になるからだ。
「伯爵の突入が早すぎたので、火を放つ暇が無かったのでしょうな」
「フン、おだてても何も出んぞ」
満更でもなさそうな顔で、ケルヴィンは鼻を鳴らす。
容易く砦と食料が手に入り、噂の『蛇』を追い払った事で、彼は気分が良かったのである。
「……なーんて、考えているんだろうなぁ」
「ダーズ副長、独り言は気持ち悪いっス」
「ウッセェ! とっとと組上げを済ませちまえ。今夜中にカタぁ付けるぞ!」
散り散りになったダリル傭兵団は予定されていた通り、森の中で再結集していた。
ダリルの読み通り、敵は巣に籠って一夜を過ごすようである。
粗雑とは言え砦を手に入れたのだから、これは当然の行動と言えた。
今の所、ケルヴィン伯爵はダリルの手の平で踊らされている事を、いまだ自覚していなかったのだ。




