第108話 キメラ生成論
俺は投げ飛ばしてしまったヒドラを見上げ、あんぐりと口を開けて呆けていた。
まさかシーサーペントに次いで、あんな魔獣を釣り上げてしまうとは思いもしなかった。
「ひょっとして釣り竿の強化値が高すぎるせいで、大物しか掛からなくなってしまったのだろうか?」
「人がいる前であまり滅多な事を口にするな」
駆け付けてきたシノブが、やや古臭い言葉使いで警告してくる。
だが彼女の言う事ももっともである。この場にはバーネットを始め、他にも駆け付けてきた傭兵達が集まりつつあったからだ。
やがて、遥か遠くでヒドラが地面に激突する音が響いてくる。同時にまるで爆撃でも起こったかのような土煙が舞い上がった。
おそらくあの場所に墜落したのだろう。
「おい、あれ放置していいのか? さすがにヒドラを投げっ放しは不味いだろ?」
「あー、そうかも……ん? なんか爆音が続いてないか?」
「え? そういえば……」
カツヒトの言葉があって、耳を澄ませてみれば、確かに着地した時の音とは別に、続け様に轟音が響いてくる。
見れば先ほどの土煙とは別の、小規模な土煙も上がっていた。
「なんか……誰かが戦っている?」
「なんだと! それは――アキラがヒドラを投げてしまったからか? 急いで助けに向かわないと!」
「落ち着け、シノブ。見た所、ヒドラと五分に戦ってるみたいだぞ? 世の中にはツワモノがいるもんだな」
カツヒトは慌てたシノブとは反対に、暢気に土煙の様子を見て、そう判断した。
確かに土煙は小規模だが上がり続け、しかも位置を俺達とは反対側に移動しつつあった。
戦っているであろう何者かは、ヒドラの攻撃を凌ぎつつ場所を街道の外へと誘導しているようだ。
「切羽詰まっているなら、街道から外れるように動いたりする余裕はない。あれは他の旅行者を配慮しての行動だろう。なら俺達が駆け寄った瞬間、余計な気を使わせて、それが隙になるかもしれない」
「それは――ありうるな」
激戦の最中、何者かがひょっこり顔を出したせいで、そっちに気を取られると言うのは、ドラマや映画でもよく見るシーンだ。
他者を巻き込まないように配慮するほどの強者ならば、変に首を突っ込むのは足手まといになるかもしれない。
誰もが俺達の強さを、前もって知っている訳じゃないのだ。
「特にシノブやリニアは見かけだけはそこらの少女と変わりないからな。ましてやラキアに到っては……」
「あー、あの手足の細さはどこかの令嬢と言っても通用しそうだよな。戦場に顔を出したら、相手に気を使わせてしまうのは間違いない」
うちの女性陣は誰をどう見ても、歴戦の強者にはとても見えない。
俺やカツヒトだって、一見するだけならそこらの平凡な兄ちゃんにしか見えないのだ。
例えその中に魔神やら魔王が混じっていたとしても、初見でそれを見抜くなんて不可能である。『識別系』のスキルを持っているなら別だが。
「町から離れた場所へ移動しているという事は、自分達だけで対処できると踏んだんだろう。援軍が欲しければ、町の方に移動しているはずだ」
「ニブラスはそれほど遠い位置じゃないし、危険だと判断すれば、そう移動するか……よし、下手に手を出すのはやめておこう」
「おいおい、いいのか? ってか、ヒドラって空を飛べたんだな……」
俺達が何者かを見捨てる決断をしたところでバーネットが正気に返った。
彼はどうやら俺がヒドラを投げ飛ばしたのを目にして、ヒドラが空を飛んだと思い込んでいるらしい。
あの巨体が空を飛ぶなんて、それこそドラゴンでもないと不可能だろうに。いや、そう思わないと常識に合致しないからか?
「ン、ヒドラだって飛ぼうと思えば飛べるんだぞ?」
そこに衝撃の発言を割り込ませてきたのは、ラキアだった。
考えてみれば、彼女は元魔王。モンスターに関してはスペシャリストと言える。
「そうなのか?」
「うむ。要は目的に適応する変化と、それに耐えうる生命力や魔力があればいいのだ」
「その話だと、モンスターってのは何とでも変化できると聞こえるんだが……」
ぶっちゃけ、俺が能力強化してやればどんなモンスターでも生み出せるって事にならないだろうか?
確かに俺の【世界錬成】は生物にも干渉はできるので、そう言う事は可能かもしれないが……
「そうだぞ。でないとあんな奇怪な進化をするはずがないじゃないか」
「そういえば元の世界でも、二種類の動物の細胞を持つキメラを作ったりしていたような……聞きかじりの話だが。でもそういう生物はすぐに死んでしまうんじゃないか?」
これに食いついたのは、やはり多彩な中二知識を持つカツヒトだった。
それにラキアは平然と答えを返す。
「だからこそ、身体を支える生命力が必要なのだ。それとその変化を制御する魔力も。異種の生命の混合は、それだけで寿命を縮める……えーっと、自壊というのか?」
「自己免疫疾患だな。自らの身体を異物として認識し、攻撃して死に至ってしまう現象だ」
これはシノブの言。彼女も中学生とは思えない多彩な知識を持っている。
ファンタジー小説が好きだったらしいが、そこから派生していろいろと調べるのが趣味だったそうだ。
読んだだけで満足せずその後に調査するのが、実に真面目な彼女っぽい。
「えー、うん。きっとそれ? で、それを強引に補正するには自分で自分の身体に魔力を通し、意思の力で制御する必要があるのだ。我も昔は色々と作ったものだぞ?」
なんだか自身がなさそうだが、ラキアはモンスターの生成も手を出していたらしい。
だがそれはそれとして、一つ問題がある。
「まぁ、できない事は無いと言う理論には異論はないが……それがなぜ、この湖で?」
「そう言えば、前にシーサーペントも発生していたな。なぜか淡水の湖で」
シーサーペントはその名の通り、基本的には海に存在するモンスターだ。それがこの湖……淡水のこの場所に生息していた。それも2匹も。
これにヒドラの出現も併せて考えれば、非常におかしな事態が起こっている事が判る。
「この湖、実は何かあるんじゃないか?」
「アキラもそう思うか? さすがに二度も続けば俺だって訝しむ」
カツヒトは俺の意見に首肯し、腕組みをして考え込んだ。
あの時俺と一緒に居たのはこいつである。話だけ聞いた事のあるシノブやリニアと違い、実感として違和感を覚えているのだろう。
「少し……調べてみた方がいいのかもしれないな」
「おいおい、ここでか? 忘れてくれるなよ。俺達の仕事は馬車の護衛だ」
バーネットがヒドラとの戦闘を避けようとした事に反対しなかった、最たる理由がそれだ。
彼等の仕事はあくまで馬車の護衛である。だから余計な――ヒドラと言う持て余しかねない災厄から遠ざかろうとする判断は理解できる。
そして、ここで湖を調査したいと言う俺達の意見は、彼等の目的にそぐう物ではなかった。
反対してしかるべき、だろう。
「だけどよ……ルアダンの町は湖沿いにあるんだぜ? ここでの異常がルアダンにまで及んでいないとも限らない」
「それは確かにそうだが、そういう心配をするならどこだって一緒だぞ。例えば、空はどこにでも繋がっているんだから、ドラゴンを調べに行こうっていうのと同じだ」
「う……それはまぁ、そうなんだが……」
空を駆けるドラゴンは、言ってしまえば、この世界のどこにでも出現できる。
それを恐れて、余計な危険に顔を突っ込むのは愚か者のする事だ。バーネットはそう言っているのだ。
「確かに心配事ではあるが、今は護衛を優先してくれ。ただでさえ、あんなバケモノを引っ張り出してしまったんだ。これ以上の厄介事はご免被る」
いつになく強い口調で、バーネットはそう断言した。
彼にしてみれば、俺は馬車の安全を脅かすモンスターを引き上げてしまったのだから、危惧してもしかたないのだ。
俺達ならば例えドラゴンでも余裕を持って対処できるのだが、ここで辺に強硬になっても、彼らに違和感を与えてしまう事になる。
ここは彼の主張に一歩譲る方が正解だろう。
「それは……そうか。お前の言う事が正しい」
「判ってくれてありがたいね。さて、誰だか知らないがヒドラを引き離してくれたんだ。今の内に街道を通過する事にしよう。お前達、昼食は切り上げだ! 念には念を入れて警戒を怠るなよ?」
昼飯をまだ食ってはいないが、ヒドラの暴れるそばでそれを堪能するほど肝の座った者は一人もいなかった。
大急ぎで野営道具を片付け、俺達はそそくさと街道を北上したのだった。
◇◆◇◆◇
ヒドラの最初の奇襲で、ウェイルたちの乗っていた馬車は潰れ、大きな被害を受けた。
死者こそ出なかったが、護衛を始めとして従者の大半は大きな怪我を負い、戦闘に参加できるような状況にはなかったのだ。
このままここで戦っては、彼らを巻き込み余計な死者を出してしまう。
従者の死などウェイルは気にするものではなかったのだが、むざむざ無駄死にさせては彼の名声に傷がついてしまう。
それを気にしてウェイルは戦場を東へ――街道から外れた場所へ移動させたのだ。
従者の中には治癒術に秀でた者もいたので、放置しておいても死者が出る事はあるまい。そう判断しての行動だった。
ヒドラの吐きかけてくるブレスを魔剣ヴァルムンクで斬り裂き、受け流す。
その都度、街道脇の木々が燃え、火柱と土煙が上がる。
そんな修羅場を残しながら、人気のない場所までウェイルは移動したのだ。足を怪我したままで。
「チ……この足では長くは戦えんな」
すでに全盛期を過ぎ、色に溺れていたとはいえ、彼は卓越した戦士である。
そして常の兵士以上に、極限の戦場に身を置いてきた。
自身の置かれた危機を冷静に判断する力は、すでに備えているのだ。
「長くは持たん……が、この程度ならば危機とは言えん!」
気合を一つ込めて、彼はヒドラへと向き直る。
かつて魔王ラキアと向き合ったあの恐怖に比べれば、ヒドラの威圧感などそよ風のような物だ。
彼女の持つ無差別かつ広範囲の攻撃魔法に比べれば、ブレスを斬って道を切り拓くなど、実に容易い。
「来い、トカゲもどきが! このウェイルの力、思い知らせてやろうぞ!」
その叫びに答えるかのように、ブレスを吹き付けてくるヒドラ。
再度、それを切り裂くウェイル。
彼等の激戦は、日が沈み、夜になっても行われたのだった。
◇◆◇◆◇
その日、絶圏と呼ばれた勇者ウェイルは、従者を守り、単身ヒドラに立ち向かうと言う偉業を成し遂げた。
だが彼はその戦いで大きな傷を負い、ニブラスに着くや否や、病床に着いてしまう。
結果、彼による魔神の調査、討伐は中断せざるを得なくなったのである。
また、ウェイル本人も腕の良い治癒術者が常駐するアロンの首都に戻る事を希望したため、数日でニブラスを後にした。
領主であり美しき令嬢でもあったイリシアは、好色で名を馳せた勇者の退去に、大きく安堵の息を漏らしたのだとか。
次から2話ほどアンサラでの戦争の様子を展開しようと思います。
その後、1話だけ盗賊達の治療の様子を描写したいので、3話ほど主人公の出番がないです。




