第107話 被害をこうむる者達
主人公たちは登場しません。ご注意ください。
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その日、緑衣の勇者マイク=ウェイルはクロルの町を出発したばかりだった。
近侍には若い女性を率先して採用し、40を超えたにもかかわらず、旺盛な色欲を発揮している。
そんな彼を周囲の人間は苦々しく思っていたが、その力量に頼らざるを得ない現状に、納得もしていた。
彼の乗る馬車は様々な工夫を盛り込まれ、居住性の増した高価な物を利用していた。
全面を覆う壁が外部の視界を遮り、肌寒さを増してきた空気を遮断する。
本来馬車の中にいては危急の時に反応が遅れるので、冒険者はほとんど馬車に乗り込む事は無い。
それ程までに、彼の緊張感は緩み切っていたのだ。
だがそれを彼に諫言する者はだれ一人いない。
彼がいないと、国政が回らないからだ。
あらゆる攻撃を受け流すと言う圧倒的武力は、モンスターが徘徊するこの世界に置いて、非常に重要な要素になる。
たった一人で一軍にも匹敵する武力は軍事的にも意義は大きく、治安的にも価値は高い。
そしてなにより魔王討伐という功績は、民衆に対するカリスマにもなっているのだ。
これを失ったトーラス王国の暴走を見れば、その利用価値の高さも判ろうという物である。
「ようやく次が目的地のニブラスか。北から私を呼びつけるとは、噂の巫女姫も大したモノだな」
馬車の中で、しなだれかかる近侍の女性の胸元に手をやりながら、皮肉気に口元を歪めるウェイル。
向かいには目のやりどころに困っている若手の騎士も一人席に着いていた。
一応彼もウェイルの護衛という役割には付いている。だが、目の前にいる男には本来護衛など必要ない。彼の目的は、ただウェイルが暴走しないように監視するだけなのである。
「ですが、南部では例の魔神が暴れまわっている様子。ウェイル様のお力を必要とされるのも致し方ない所かと」
「フン、魔神ね……あの魔王より強いとは到底思えんのだがな」
ウェイルの脳裏によぎるのは、在りし日の央天魔王の姿だ。
非常に美しい女性でありながら、彼女の放つ魔法の凶悪さは、いまだに夢を見るほどの恐怖を彼に刻み込んでいる。
かつて今も彼の腰を飾る魔剣ヴァルムンクを手に入れた後、彼の身体に魔法が届くことはほとんどなくなった。
そんな彼も、周囲を――そして自分すらまきこんで範囲攻撃を放つ魔王ラキアには、手も足も出なかったのである。
彼の特技はあくまで受け流す事だ。
その受け流しを問答無用で無効化するもっとも簡単な方法は、圧倒的広範囲による鏖殺に他ならない。
それを無意識に彼女は行ってきたのだ。
受け流す剣技は優れていても、彼の耐久力はそれほど抜けていない。
そして魔王のその攻撃を受け止める事ができる人間は、鉄壁と呼ばれたシュルジーしかいなかった。
ラキアと相対する彼らは一つの決断を迫られていた。
シュルジーは一人しかいない。そしてラキアは見境の無い攻撃を仕掛けてくる。破鎧のタロスを守るか絶圏のウェイルを守るか、だ。
だが、守られていては攻撃ができなくなる。そう判断して、タロスは自ら攻撃を受けながら魔王に迫る選択肢を選んだ。
攻撃一辺倒の、実に彼らしい判断。それは確かに、間違いではなかった。
結果として、タロスは魔王を討ち取った。
だが相打ちとなり、タロスもまた命を落とした。
あの戦いにおいて、ウェイルはただのお荷物に過ぎなかったのだ。
それが今も、彼の心を蝕んで止まない。
その引け目を紛らわすため、ウェイルはただひたすらに色に溺れた。
そしてそれは、今なお続いているのである。
「お前たちはあの女を目にしたことはない。だから、魔王と呼ばれるものの恐ろしさを、理不尽さをまだ知らない……」
「は?」
「私にとって、あの女――魔王ラキアを超える存在などいないのだよ」
「そう、なんですか……?」
それは、タロスやシュルジーすら超えるバケモノの存在を認める事になるのだ。
すなわち、自分の存在をさらに一段低く貶める事にも繋がる。
それだけはあってはならない。認める事は出来ない。
そう、ウェイルは考えていたのだった。
クロルとニブラスの間には宿場町は存在しない。
それは両者の間に町をつくるには、微妙な距離が開いているからだった。
1日では辿り着けず、かといって合間に町をつくるには狭い。
そんな距離だから、途中に宿泊用の小屋を建てる程度の整備しかされていなかったのである。
ウェイルがいかに勇者とは言え、距離や時間にまで干渉する能力は無い。
彼等も例に漏れず、小屋で一泊を過ごし、翌朝ニブラスに向けて出立する事になった。
男の護衛達は馬車の周囲を見張り、野営。ウェイルと女達は小屋の中で夜通し張り切っていた。
そんな一夜を過ごしたからこそ、護衛の彼らが気付かなかったのは仕方ないと言える。
唐突に翳る太陽。
陽の光を遮った『何か』は、凄まじい速度でその大きさを増していき、その異形を影として大地に写し込む。
最初にそれに気付いた兵士が慌てて声を上げた。
だがすでに、間に合うような時間ではなくなっていたのだ。
どこからともなく飛来したその巨大生物――ヒドラが、馬車を、隊列を、問答無用に押し潰した。
それを躱す事など、不可能だった……一般人ならば。
だが腐っても勇者。歴戦の経験を持つウェイルは間一髪馬車から飛び出し、難を逃れていた。
だがそれでも無事では済まない。
彼の右足には馬車の破片が深々と突き刺さり、その動きを妨げる。
「クソ、どこからやってきた……ヒドラが空を飛ぶなど聞いた事も無いわ!」
苛立たし気に吐き捨てながら、腰のヴァルムンクを抜き放つ。
ヒドラはブレスを吐く強敵ではあるが、ブレスならばこの魔剣で受け流す事ができる。
苦戦は必至、だが負ける要素はない。
そう判断して、ウェイルは久方振りの強敵へと歩を進めたのだった。
◇◆◇◆◇
その集団がニブラスに到着したのは、キオ達の商隊が町を離れる前日、夜明けに近い時間帯だった。
全員がズタボロの重傷を負っていて、中でも腕の無くなった兄妹の痛々しさは目を覆わんばかりだ。
彼らは一目散に通りにある武器屋に駆け込んでいく。
騒々しく街路を駆ける彼等に、何事かと様子を窺う町の住人。
だが彼等の駆け込んだ先を見て納得の表情を浮かべた。住人たちは、そこに住むグノーメ族の老人が元治癒術師である事を知っていた。
そして、金のない市民のために格安で治癒を施している事も熟知していた。
故に彼等もまた、そういう、正規の治癒術師に報酬を払えない類の人物だと想像し、強引に納得したのだ。
「パリオン、居るか? 急患だ!」
首領であるオルテスの叫びに、パリオンは慌てて奥のカウンターから顔を出してくる。
そして兄妹の怪我を目にして目を丸くした。
「これは……まずいな。待っておれ、すぐ治してやるからな!」
元から右腕の無かった兄コーネロは左腕を、左腕の無かったイライザは右腕を失っている。
つまり、彼らは両腕と半分の頭皮、それに右足を失ってしまった事になる。
「これでは……まともな生活を送る事は……」
かろうじて傷口を塞いだが、言葉を無くすパリオン。それを見てオルテスも痛ましげに兄妹を見やる。
彼らは今、パリオンが処方した麻酔で意識が無い。
「一体何があったのじゃ?」
「山道で裸の女を見かけてな。ちょっかい出そうとしたら、いきなり周辺が吹っ飛びやがった」
「なんじゃそれは……さっぱり判らんぞ」
「俺も判んねぇよ」
吐き捨てるように床を蹴りつけ、いら立ちを隠そうともしないオルテス。
彼等の計画は一定の成果を上げていたはずだった。
町中で家畜を盗み、それをワラキアの仕業だと吹聴する。そこまでは良かった。
だが、町の住人の反応は鈍かった。
彼らはすでに真のワラキアの被害を目の当たりにした事があるのだ。今更家畜を盗む魔神の噂など、気にも留めなかった。
結局、ワラキアの噂は町中の笑い話に留まり、外へは広まっていかなかったのである。
魔王ラキアの復活の報も、その噂をかき消すのに一役買っていた。
そこへ待ち伏せに移動した彼らを襲った惨劇。
あの少女が何者か、彼等には知る由もない。
「とにかく、この状態ではもはや生活する事も難しかろうて……」
「かと言って見捨てる訳にも、なぁ」
大きく息を吐き、肩を落とすオルテス。
彼等としても息子も同然の歳の子供を放り出すのは、いささか気が引けるのであった。
だが、このまま彼等を背負い込むのも不可能である。
オルテスはあくまで盗賊団の首領であり、他にも養うべき部下がいる。それを考えると、彼らに関わり続けるのもそろそろ限界だ。
懊悩するオルテスを見て、パリオンもまた思考する。そして一つの希望に辿り着いた。
「ふむ……なら、一手賭けに出てみるか?」
「賭け、だと?」
パリオンは髭を扱きながら、ふと思いついたアイデアを口にした。
「最近、キフォンの町の外れに妙な魔族が住み着いたらしいのじゃ」
「魔族、だと!?」
魔族とは、中でも特に悪魔に近い属性を持つ者達の総称である。
鬼、悪魔、魔神、そして淫魔。
そう言った人の枠からはみ出した、魔に近い属性の者を魔族と呼ぶ。
総じて頭部に角を持つ者が大半であり、人とは比べ物にならないほど、強大な魔力を持つ者が多い。
人を見下し敵対する者も多いので、警戒されている種族でもある。
それが人里の近くに住み着くなど、聞いた事も無かった。
「キフォンの郊外が最近開拓されておるのは知っとるじゃろ? そこに住み着いたらしいんじゃよ。桁外れに強い魔族が、な」
「……そいつがどうかしたのか?」
「その魔族は人にも同族にも無関心らしくてな。逆に言えば、乞われればある程度協力してくれる事で有名になっておる。そ奴ならば、【再生】の魔法を使えるかも知れん」
「なるほど……今は藁にも縋りたい思いだ。頼るしかねぇか」
早々に決断を下すオルテス。もはや彼等には選択の余地など残されていないのだ。
それを聞いてパリオンもまた、協力を申し出た。
「ならば裏の馬車を使うがええ。この二人の足では、キフォンまで到底辿り着けんじゃろ」
「済まないな、いつも」
「礼ならキフォンで言ってくれ。ワシも付いて行くでな」
「なに、いいのか? お前は裏社会とは縁を切ったはずだ」
「この二人はともかく、お主は見捨てられんじゃろ。腐れ縁じゃからのぅ」
呵々と笑いながら、裏口から出て馬車の用意を始めるパリオン。
その背中にオルテスは涙すら流して感謝したのだった。
かつて南方魔王の副官を務めた男。今は名もなき賢者としてその名を馳せている魔族。
彼らがコーネロとイライザに邂逅するまで、あと少しの時間が必要であった。