星に願う事なんて
部屋を抜け出した俺は、そのまま旅館からも出た。
冷たい夜風が浴衣の裾を撫でる。
「この下駄ってやつ、歩きにくいな……」
旅館の中庭へ行ってみる。
小石が敷き詰められた庭には、小さな池と数本の木に、3人座れるくらいの木製の長椅子があるだけ。
その長椅子に、誰かが座っている。
「ウィル……ヘルミナ? 」
俺の言葉に、椅子に腰掛けている人物が振り返る。
暗闇でも分かる鮮やかな金髪と青い瞳。
やっぱり、ウィルヘルミナだ。
「ニコラス」
「よっ。何してんだ? 」
「少し……夜風に当たっていただけだ。君は? 」
「俺もそんなとこかな。座っても? 」
「あぁ」
椅子の真ん中に座っていたウィルヘルミナが少し横にずれる。
それにより、俺が不自由無く座れるスペースが開く。
俺はそこにゆっくりと腰を下ろす。
「星が綺麗だな」
「あぁ」
2人揃って空を見上げる。
沈黙が場を包んで、風さえ止んだ。
何か気まずいな……。
「ニコラス……」
「ん? 」
不意にウィルヘルミナが口を開く。
俺はちょっと慌てて、危うく声が裏返るとこだった。
「君は、兄弟はいるか? 」
「……いや。いねえな」
「そうか。私には兄と双子の弟がいる。弟の方は“いた”と言った方が正しいが」
含みのある言い方に、俺は視線をウィルヘルミナに向ける。
ウィルヘルミナは俯いていた。
「亡くなった……のか? 」
聞いて良いものかどうか逡巡しながらも、恐る恐る訊ねてみた。
ウィルヘルミナは特に気を悪くした様子も無く、ただ首を横に振った。
「私の家は貴族だ」
「あぁ。知ってるよ」
「アリアンツもトラフォードと同じで、貴族の家系には優れた魔術師が多い」
「だろうな」
「しかし、私の弟……ヴィルヘルムは魔術を使えなかった」
直感的に話の先が読めた。
ウィルヘルミナの表情が暗くなる。
「それが理由でヴィルヘルムは家の中で冷遇されていた。私と、兄は熱心に教育を施されたが、ヴィルヘルムは一切構われなかった」
似てる……俺に。
「特に兄は、ヴィルヘルムに対して暴行を加える事もあった。私はただ見ているだけで、何も出来なかった」
ウィルヘルミナの身体が微かに震える。
また吹き出した風のせいだろうか。
さっきまでより、ちょっと強い。
「ヴィルヘルムには他にも、普通とは違う所があった」
「違う所? 」
「ヴィルヘルムは蛇と会話をしていた」
胸がドクンと脈を打った。
反射的に胸を押さえる。
何だ?
「ニコラス? どうかしたのか? 」
「あ、いや。何でも無いよ。話を続けてくれ」
ウィルヘルミナは不思議そうな顔をするものの、再び話を始める。
「ヴィルヘルム以外は誰もその蛇の声を聞く事は出来なかったが、ヴィルヘルムは聞こえると言っていた。その蛇と会話をしていると。それがまた、ヴィルヘルムの家庭内での立場を悪くした」
何から何まで俺に似てる。
この先も一緒だとしたら……
「そして私とヴィルヘルムの8歳の誕生日の夜、事件は起きた」
やっぱり……。
「兄がその蛇を殺してしまったんだ。ヴィルヘルムは泣き叫び、その蛇を抱え、家を飛び出した」
「飛び出した? 」
「あぁ。それっきりヴィルヘルムの消息は不明だ。生きているのかさえ……」
最後は俺とちょっと違った。
それでも、共通点が多すぎる。
ただの偶然なのか?
「その蛇って、どんな蛇だった? 」
「……見た目は普通の蛇だった。ただ、不気味な位に真っ白だったな」
「お前の弟……ヴィルヘルムは他に何か言ってたか? 」
俺が言うと、ウィルヘルミナは顎に手を当て考え込む。
しばらくして、何かを思い出した様にハッとし顔を上げる。
「ヴィルヘルムは自分を“二十三人目”の片割れだと言っていた」
「二十……三人目? 」
「あぁ。意味は分からないが、確かにそう言っていた」
今度は俺が顎に手を当て考え込む。
二十三人目……。
「ニコラス? どうしたんだ? 随分とヴィルヘルムに興味があるようだが……」
「い、いや! 別にんな事はねえよ! うん! 」
「……そうか」
そう言うと、ウィルヘルミナは再び俯く。
「ヴィルヘルムがいなくなった後も、フランドリッヒ家は特に変わり無く日々を送った。ヴィルヘルムなんて最初からいなかったかのようにね」
ウィルヘルミナの言葉は暗く重く沈んでいく。
「そして私はいつか、この家にはもういたくないと思い始めていた」
「だから、こっちに? 」
「あぁ」
なるほどな。
まさか、ウィルヘルミナにこんな事情があったとは。
何だか、凄くもやもやする。
「私は最低な人間だろうか? 」
ウィルヘルミナが震えた声で言う。
「私は何もしなかった。文字通り、何も。兄の様に暴行を加える事もしなかったし、両親の様に軽蔑の言葉を浴びせる事も無かった。だが、助ける事もしなかった。私は最低な人間か? 」
「あぁ。最低な人間だよ」
俺の顔を見て訊ねてくるウィルヘルミナに視線を合わせ、言い放った。
ウィルヘルミナは目を見開き、そして俯いた。
「何もしてないなんて、お前の都合の良い解釈だよ。ウィルヘルミナ。お前は見捨てるという行為をしたんだ。少なくとも、ヴィルヘルムはきっとそう思ってる」
「そう……だな。君の言う通りだ」
「でも、お前に心の底から申し訳無いって気持ちがあるなら。それを伝えるべきだ。もし会えたらな」
「許して……くれるだろうか? 」
「どうかな。ヴィルヘルムが心の広い奴だったら許してくれるかも。俺だったら許さないけどな。俺は心が狭いから」
笑ってるつもりで言う。
でも、多分笑えて無いだろう。
「だけど、許しはしないけど、謝ってもらえたら嬉しいだろうなとは思う。心の底から謝ってもらえたのなら。だけど、元に戻らない物ってのは確かにあるから」
「ニコラス……」
やべ。
話過ぎたかな。
「ま、まぁ、想像だけどな! 山なし谷なしの平々凡々な人生を歩んできた俺の精一杯の想像! だから気にすんな! もし出会えたら謝れよ。仲直りできる様に俺も祈るから! この星に! 」
俺はビシッと星空を指差す。
ウィルヘルミナは一瞬呆気にとられていたが、すぐに可笑しそうに柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。ニコラス」
耳に心地よく響く、優しい声だった。
ヴィルヘルムは少しはマシだ。
こんな姉がいるんだから。
「君のお陰で勇気が出たよ。もし会えたら心の底から謝ろうと思う。それで、許してもらえないとしても、何もしないままよりは良い」
「あぁ。そうだな」
ウィルヘルミナはもう1度微笑み、立ち上がる。
「そろそろ戻ろうか」
「あ~、俺はもう少しいるよ」
「そうか。分かった。それじゃあ、おやすみ。ニコラス」
「あぁ。おやすみ。ウィルヘルミナ」
ウィルヘルミナは旅館に戻って行った。
俺は1人、星空を見上げる。
星に願い事をすれば叶うって誰が言い出したんだろう。
本当に叶うんなら、俺は何を願うだろう。
シリウスやエヴァンジェリーナ達と和解?
まさか。
ありえない。
脳裏に浮かんだ考えを、すぐに打ち消す。
何で俺がそんな願いをしなきゃいけないんだ。
星に願う事なんて、俺には何もないぜ。
願うべきは、あいつらの方だ。
ウィルヘルミナの様に、あいつらも……。
「―――っ!? 」
不意に涙が出てきた。
「くそっ! 何だよっ! 」
乱暴にそれを拭う。
でも止まらない。
諦めた。
だって、俺は悲しいんだから。
「……ちくしょう」
俺はヴィルヘルムと自分が同じだと思った。
でも、よく考えたら違う。
だって、ヴィルヘルムにはウィルヘルミナがいる。
俺には誰がいるんだ?
誰が星空の下で俺の事を思ってくれるんだ?
誰もいない。
そんな事、どうでも良いと思ってた筈なのに。
1度考え出すと止まらない。
そもそも、何でこんな事になったんだ。
憎たらしく思えてきた星空に右手を翳す。
蜘蛛の刻印が仄かに照らされる。
「何がどうなってんだよ……」
知りたい事が山程ある。
答えは何処かにはあるのかもしれない。
でもそれは、遥か空の上で輝くあの星よりも遠く思える。
「何で……」
何で俺は魔術が使えないんだ。
何で俺とヴィルヘルムの境遇はこうも似てるんだ。
何で俺には……
「アリアドネ……」
お前の声が、聞こえたんだ。




