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山羊頭の怪物と戦います

「あれは!」


 私に追い付いてきたイリスンが、山羊頭の怪物を見て大声をあげた。そのすぐ後ろには、キコナもいる。

 ダガーを握りなおして、イリスンが私にわずか、視線をくれた。彼女はこの山羊頭の怪物の恐ろしさを知っているのだ。ロカリーの村周辺でタリブ女史と出会った際に、この魔物とは戦ったことがある。

 助走をつけて殴っただけで倒れてしまうような牛頭の魔物とは一味違う、より強靭な足腰と、知能を持っているのである。

 以前に戦った際にはイリスンと力を合わせてなんとか倒した。あの時の私たちでは、この山羊頭を簡単にいなすことなどできはしなかったのだ。


「この程度の魔物が切り札とは、あきれたわね。もう少しビシッとした策はないの?

 ちょっとおつむがいい程度の怪物で私たちをどうにかできるなんてこと、思っているわけじゃないでしょう」


 しかし、ここにはスリム・キャシャの娘である我が母がいる。彼女は自分の武器を鋭く振って、次の瞬間にはもう、山羊頭に向かって飛びかかっていた。ほんの一瞬の出来事である。

 じつにあっさりと、母の剣が敵の眉間を貫いた。

 以前に戦った山羊頭に比べると、動きが悪いように思える。イリスンと私で戦ってようやく倒した敵が、母にこうもあっけなく倒されるとは。

 私はそのように考えたが、驚くべきことに山羊頭はそれでも倒れなかった。頭に母の剣を刺したままでギョロリと彼女を見据えて片腕を払う。


「無駄よ、その程度でこいつはどうにもならない」


 ヤチコは軽く鼻を鳴らす。クロスボウをどこからか取り出し、それでこちらを狙うようなしぐさもする。

 巨体の山羊頭と、その肩に乗るヤチコのコンビネーションに気を付けなければならない。

 母は山羊頭に刺してしまった両手突き剣エストックをあきらめて手放し、敵の攻撃をかわしていた。もう一本の剣を抜く。幅広、片刃の剣ファルシオンだ。これは突き抜く攻撃に全く向いていないが、叩きつけるような剣術には格好の武器となる。


「大層、頑健なペットをもっているわけね。で、このペットに乗っかってそんな小さな矢でこちらを狙ったくらいで、勝ったつもりかしら。

 私たちはそれぞれ一人ずつでもこんなペット、叩き殺せる。わかるはずよ?

 悪あがきを続けるのなら、あきらめてしまったほうがいいのではないかしら」

「そういうのであれば、試してみる?」


 ヤチコがするりと手を伸ばすと、さらに山羊頭の怪物が二体もその場に出現する。同時に、イリスンが飛びかかった。

 敵が現れたのだから、退治するまでとばかりに突っ込んでいる。


「そう簡単に倒せると思っているの」


 せせら笑うようにヤチコは言い放ち、再度右腕を掲げる。同時に何かが変わった。

 これに気づいたイリスンがは咄嗟に踏みとどまる。敵の雰囲気が変わったことに気づいたのだ。


「む……、スムさま! こいつらは先ほどよりも強くなっています」

「わかっている」


 私は答えた。

 確かに、山羊頭は強化されているようだ。単純に、強い個体を呼び出したということでもない。ヤチコが何かしたのだ。

 魔物というのはまったく、厄介だ!

 山羊頭は三体、こちらの戦力は私、イリスン、エイナ・エテスの三人。キコナは数に入れてはいけないだろう。母が言った通り、一人で一体を相手にしなければならない。そうしなければ、キコナが攻撃をうけることになってしまうからだ。


「イリスン、気を付けろ!」


 私はそう叫ぶと同時に、向かって左側にいる山羊頭にとびかかる。敵は巨大な腕を振るって応じてきた。以前に戦った山羊頭も相当な素早さであったが、目の前の敵はそれを上回る。

 咄嗟に回避できず、私は敵の攻撃を受けてしまった。私の身体は元いた場所まで押し戻される。


「スムさま!」


 イリスンが声を上げるが、大丈夫だとこたえた。

 私とて、英雄スリム・キャシャの血を引いているのだ。この程度で引き下がりはしない。


「本当に一対一でこの子たちに勝てると思っているのなら、そうしてみたら? ねえ早く」


 けらけらとヤチコが笑っている。

 山羊頭たちは猛然と私たちに迫ってきた。敵は三体いるが、全員がそれぞれ別の相手を見定めているようだ。全員が母のほうへ向かう、などということもない。どうやらヤチコがそのように命令を下しているらしいが、少しまずい。

 この山羊頭はそう簡単に倒せそうにない。母のことは心配するにあたらないだろう、あれほど強いのだから。だが、イリスンはこの強敵をおそらく持て余す。

 一刻も早く私が何とかしなければならない。事実、イリスンは攻めあぐねている。


「では、そのようにさせていただく」


 先ほどの攻撃は、しっかりと防御したので大したダメージはない。私はあらためて腰を落として構え、自分に向かってくる山羊頭をにらむ。


「スム。焦らないで」

「わかっています」


 母の声に軽く答えて、私は山羊頭に向かって軽く手招きして見せた。


「ヤチコにお膳立てしてもらってなお、守勢にまわるつもりか。臆病者め」

「オオ!」


 牛頭よりは知性があるらしい山羊頭は、これを挑発と理解し、怒る。

 彼は私に向かって一歩踏み出し、両腕を突き出してきた。おそらく、私をつかみ上げて、締め殺そうというのだろう。

 山羊頭の巨大な手が私をつかまえる一瞬前、私は一歩だけ後ろに下がった。敵の腕が空を切る。

 直後に地面を蹴りつけ、元の位置へ戻るような踏み込み。ここで私は思い切り右の腕を振り上げ、全体重をのせて敵の手首へ肘鉄をくらわせた。


 ばきり。


 何か固いものが砕ける。山羊頭が苦悶の声をあげる。


「ちっ!」


 私が追撃を仕掛けようとしたところで、舌打ちが聞こえた。おそらくヤチコだ。

 同時に小さな矢が私に向かって飛んでくる。クロスボウから放たれたボルトらしい。狙いは甘く、矢は私に当たらなかったが、迅速な追撃はならなかった。

 だが、ヤチコの意識が私に向いた。

 我が母はこの隙を逃さず、ファルシオンを振りかざして山羊頭に猛攻撃をしかける。


「よそ見をしていていいの?」


 先ほどまでとは全く違う、力強い動きで母が飛びかかった。振り回すような動きでいながら、山羊頭の腕を華麗に回避し、あまつさえ足場にして、その肩にいるヤチコへ一撃を見舞う。

 山羊頭への攻撃に見せ、ヤチコへ剣を振り下ろしている!


「むっ」


 もちろん、ボルトの装填などできていないヤチコは山羊頭の肩から飛びのく。一瞬だけ空を切った母の剣は勢いを増し、山羊頭の鎖骨を砕いた。これで、敵は片腕を持ち上げることが全く不可能となってしまったのである。

 疲れなどまるで感じさせない。

 エイナ・エテスが希代の剣士であることはまったく疑う余地もなかった。

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