走る!
「待て、スム。無理はいかん!」
馬の前に立ちふさがるキコナを見て、私は反転。自分の足を使い、大急ぎで奴を追いかける。地面を蹴りつけ、私は本気で走った。門を抜け、街道を行く。
それでも追い付けなかった。ますますヤチコの背中が遠ざかっていく。手を伸ばしてみたが全く届きそうになく、空をつかむばかりだ。
走り続ける身体の速度に足の回転が追いつかなくなり、あやうく転倒しかかる。どうにか踏ん張ってとどまったが、もうヤチコの姿は見えない。
私は一瞬、どうするべきか迷った。戻るべきか。進むべきか。
踏みとどまった足が疲労からわずかに痺れる。
「何をしているのですか、やつを追いかけましょう!」
背後からそんな声が聞こえた。振り返ると、イリスンが馬車をあやつりながら、私に向かって叫んでいる。なるほど、彼女の言う通り!
ここでぐちぐちと考察をしているような場合ではない。とにかく行くべきだろう。
「よし、すぐに出してくれ。東だ!」
「うむ、それでよい。すぐに一人で行こうとするのはスム、おぬしの悪いクセじゃな」
私が馬車の中をのぞくと、キコナも当然のようについてきていた。多少の疲れから足元がふらついたが、無事に馬車に乗り込む。
イリスンが待ちわびたように馬を急かし、馬車が走り出す。
「なにをおいても、ヤチコが向かった先にはロカリーがあります! まだあそこにはジャクがいます」
「そうか、ロカリーまでに追いついて、どうにかしなければならない」
私は自分に言い聞かせるように、そんなことをわざわざ口にした。
確かにそうだ。東に進めばロカリーの村があり、ジャクがいる。もしや、ヤチコは私の弱点となりうるジャクを人質にするため、ロカリーのある東へ向かったのではないだろうか。
「ヤチコもおそらく、ジャクがそこにいるということを、予想しているじゃろう。彼女の身柄を奪われては困るな」
キコナも冷静にそんなことを言っている。
「なら、余計に急がねばならない」
「だがな、おそらくジャクのことはそれほど重要視しとらん。あいつが魔物を呼びつける力をもっているとしたら、あいつは魔物たちの一員か、あるいは魔王ということになろうよ。魔王であるなら、英雄であるスリムの戦いを見て、知っていたはず。
英雄というのは、大を生かすために小を殺すことをも辞さぬ、ということも当然わかっている」
「ふむ」
そうした意味でも確かにスリム・キャシャは英雄であった。小を殺し、大を生かすことを辞さない。彼は大多数を救うために小数を見殺しにするということも何度かしている。別に非難されるいわれもない、当然の判断だ。ガーデスを救うために義勇兵を募ったこともそうである。義勇兵の中には未熟な少年兵もふくまれており、死んだ者も多い。名誉の戦死となってはいるが、わざわざ少年を戦地においやったとみることもできなくはない。だが彼は、首都を救うためには数が必要と考えてそれを決行したのである。
もしもヤチコが英雄とされるスム・エテスも同じようにすると考えるなら、わざわざジャクを人質にとるようなことはしない。
自分はスリムほど冷徹な判断をくだすことができそうにないが。
「それでも不安じゃろうが、安心せい。ヤチコ・ベナはおそらくお主の母君を過小評価しておる。
例の騒動の際、奴は東門にいて直接はその活躍をみておらん。スリム直伝の剣術を、ヤチコはご存じあるまい。ロカリーを襲撃しているようなことがあらば、面食らっているじゃろう」
「母は寝起きが悪い。もしも、午睡でもしていたら負けてしまう」
「心配性じゃな。この張り詰めた時期に、お主の母親ともあろうものが眠りこけているはずがあるまい」
「だが」
「杞憂じゃ。やめておけ。エイナ・エテスの剣ならばヤチコにもおそらく勝てる。お主は後、見届けるだけでよい。私はそうなることを祈っている」
そんなに都合よくいくものか。
私は不安に押しつぶされそうな心を隠して、軽く息を吐いた。まず落ち着く、私は何事にも動じてはならないのだ。
「もし、それらを無視してヤチコが東へ向かったなら?」
「それはなかろう。ホリンクは勇者リジフへの返答に嘘を書いておる。面従背反というやつじゃ、これはもう間違いない。
とすれば、軍備も整えている。わざわざそこへ突撃するわけもなかろう、南門を抜けることを躊躇するような女がな」
キコナのいうことは、一理ある。しかしそれをきいても私の不安は消えなかった。
馬車は快調に道を駆け抜け、ロカリーへ飛ぶ。ヤチコへ追い付けるかどうかはかなりあやしいところだ。私ははやる心を無理にもおさえなければならなかった。
体感では相当な時間が経過した。ようやくにして目的地が見えたが、道の端々に血痕も見えている。
誰かが、このあたりで激しい戦闘を行ったのだ。魔物の死体が散らかっていた。
「ふむ、これはどうやらヤチコ・ベナに抵抗する者があったようじゃな」
「我が母か」
「かもしれませんね」
と、イリスンがこたえる。倒れている魔物の大半はあまり強力なものではないが、数がおびただしい。
20か、30はあるだろう。これほどの数の魔物を相手にして戦えるような人物となると、かなり限られる。
「ともかく、急ぎましょう」
しかしここまで休みなくかけてきたために馬はもう疲労困憊。さすがの駿馬もその鋭さを失いつつある。これ以上追い立てては、彼らの命を削ることになるだろう。キコナは「かまうものか、急がせろ」という姿勢であったが、私は馬車から飛び降りることを選んだ。もう私が走ったほうが早い。体力を温存しろ、という声も無視して、とにかく走る。
ロカリーで、母や兵士たちが魔物たちとまさに戦っているかもしれないのだ。
ここで走らずして、どうするというのか!




