一瞬の出来事で
ヤチコを追いかけて南門へ行きたいところだが、そうもいかない。
魔物を呼び出す力が、確かに彼女にはあるからだ。いつまたここへ魔物たちが呼ばれ、王族らに襲い掛かるかわからない。ここにとどまる必要があろう。
イリスンやキコナはもうロカリーへ退却してもらってもいいのだが、彼女らはヤチコを見送った後こちらへやってきた。キコナは歩くのもつらそうにしているのだが、そこまでして。私は自分から彼女らへ近づき、情報の共有化をはかる。たぶん、キコナがこちらへ来る理由もそれだろう。
「キコナ、約束が遅れてすまなかった。いずれ場をあらためて詫びよう。
だが、今はとにかく教えてもらいたい。ヤチコ・ベナはどういった存在なのだろうか?」
「私も大したことはいえん。が、おぬしはこのようなところで時間をつぶしてはいかん。
車を用意したから、それに乗れ。少しなら中で話せよう」
そうして指さした先に、確かに馬車が止まっている。二頭立ての立派なものだが、装飾はほとんど削り取られていて、まるで戦時の兵器のようですらあった。おそらくイリスンとキコナはこれに乗って広場へ来たのだろう。
骨董品というに近いが、どうやら手入れはしっかりされているようだ。私はとにかくそれに乗り込んだ。キコナのいうことに間違いもなかろう。今更彼女が私を裏切る意味も薄い。
馬車に私とキコナが乗ると、その手綱はイリスンがとった。彼女は南に向かおうと方向転換しかけたが、それをキコナが止める。
「いや、東門じゃ。イリスンから聞いたが、南門で奴を止められるとは思わぬ。素直に奴が軍勢と封鎖に突っ込んでくれると考えてはならん。
ここでどうにかしようと思っているのなら、先手を打つのじゃ。私たちが待ち受けるのは、南の後に奴が行く方向。東門じゃ!」
「わかった、そうしよう」
強くキコナがいうので、それに従う。イリスンが頷いて器用に馬を操り、東へ向けて出発した。
騒ぎの中だが、道の中央を突っ切る。人は少なかった。
「ヤチコがあのようなことをするとは。私とて、こんなことは予想だにしなかった。
とはいえ最初から奴がリジフ・ディーを操ってこの国をどうにかしようと考えていたとしたら、得心がいくこともある」
「具体的には」
「奴らが国王に近づきたがったことじゃな。そうするだけの意味が薄い。
スリムを目指しているのなら、民からの信頼を集めるのが先になったはずが、奴は一足飛びに王に近づいた。それはリジフ・ディーの女を好き放題にするハレムつくりという目的に一致したからでもあるじゃろうが、あまり得策ではなかったはずじゃ。権力に近づいては、しがらみも増える」
キコナは自分の体験を振り返って話してくれたが、これは過去の分析ばかりであった。
私は今と未来のことに焦点を絞ってもらうべく話題を変える。
「ヤチコは国を根底から揺るがそうとしている。そのために、奴は今何をしようとしているか予想がたたないか?」
「そうする気なら、もっと魔物を呼んでいた。といいたいところじゃが、奴に何ができて何ができないのかわからないからのう。
率直に言うと、私にもヤチコ・ベナが何者であるかはわからぬ。以前にも少し話したが、奴はリジフと幼馴染の、使用人の娘。それだけじゃ。それ以上の情報はどこをほじくり返したところで出てこん。
となれば、やつは正真正銘の人間か。でなければ、最初からすべてが仕組まれていたということになろう」
「後者でないことを祈ろう。それで、なぜ我々は東へ?」
「状況から言ってそれしかあるまいよ、スム。奴はおぬしに勝てるにもかかわらず、撤退を決めたのじゃ。おそらく何か時間がほしいのじゃろ。
ならば南門を突っ切ろうということはすまい。封鎖を突き破るには時間がかかろう。それに、西もない。ヒャブカ将軍はそちらから向かっているはずじゃ。万一にも鉢合わせしたくなかろう。
北では国境を越えてしまうから、東しかない」
なるほど、そうかもしれない。
話しているうちに、東門が見えてきた。門を守る衛兵たちは緊張しているようだが、まだ普段通りの様子だ。ガーデスから逃げ出そうとする者が押しかけていたり、魔物たちが殺傷を行っていたりもしない。
ここにヤチコがくるというのなら、私たちは奴の先をいった。イリスンが馬を止める前に、私は馬車から飛び降りていた。
衛兵たちが何か言うよりも先にキコナが手を挙げる。
「これより反逆者を迎え撃つ! あえて門は開けておけ、その者を外へ出してやれ!」
気迫ある声に衛兵たちはすくみ、私はその間に門の外へ出た。南門のあたりにもさしたる騒乱が起こっている気配がない。
本当にヤチコはここにくるのか。
「衛兵たち、弓を構えろ。反逆者はヤチコ・ベナじゃ! 姿を見たら遠慮なく射殺せ!」
キコナがイリスンの助けを借りながら馬車から下り、指示を飛ばしている。彼女としては確信があるのだろう。
私もそれを信じる。少なくとも私が色々と考えるよりは可能性がある。
「本当にここへ?」
「来たぞ!」
なんと。
須臾の間もないとはこのことだ。
私が振り返ったときにはもう、確かに何かの影がこちらへと走りこんできていた。ヤチコ・ベナだ。
キコナのいうように、南門の封鎖を目の当たりにしてあきらめ、こちら側へまわりこんできたというのか。
それを迎え撃たなければならない。私は前へと進み出る。
確かに彼女はこちらへ、東門へ向かっているようだ。私は大地を踏み、ヤチコの前に立ちふさがった。
「とまれ!」
「射よ!」
私の声と、キコナの声が同時に響く。馬のような速度で走りこんでくるヤチコへ、矢の雨が降り注ぐ。
ヤチコは立ち止まらない。そのまま私たちのふところへ飛び込むようにやってきた。予想以上の速度のため、矢の大半はかわされる。
だが私は前に飛び出し、強く右手を振りぬいた。
この一撃が間違いなく、敵のあごを打ち抜く。私の右腕にも非常に強い手ごたえがある。
それでもヤチコは止まらない。血でぬめるように腕をすべり、私の脇を通り過ぎようとした。そうはさせじとキコナが立ちはだかるが、跳躍で飛び越えられる。
「化け物め!」
舌打ちをするキコナ。私は急いで振り返るが、そのときにはもうヤチコの背中が遠い。
逃がした!
キコナはどうして門を開け放していたのか。私は一人で馬を駆ってでもヤチコを追おうと決意したが、それも止められてしまった。




