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アンクレットを圧し折って

「んなっ!?」


 一人の男が叫んだ。

 その声が発せられたときには既に、彼一人しか残っていなかったのである。

 残りの男たちは、すっかりその場から消え去っている。私が突き飛ばしたからだ。


 およそ、私にできることはこれだけだ。

 ただ、相手を突き飛ばすだけ。平手で押すだけ。

 しかしそれだけで十分なほど、これは威力があった。普通の男ならば吹き飛ぶ。この男たちのように。


「デブのくせに」


 慌てふためいた様子で、彼は叫びだした。

 あまり騒ぎ立てられても煩わしいので、私は彼も突き飛ばしてしまおうかと考えた。が、それには及ばない。

 彼は自分から、脱兎のごとく駆け出して行ってしまったからである。逃げ出したのだ。


「では、君は私が買い上げたということでよかろう。

 売買は成った」


 私は肩に抱き上げた小さな娘に声をかけた。

 娘はまだ少し怯えたようにしているが、やがて力を抜いて、私にもたれかかってきた。


「う……」

「疲れているだろう、少し休むとしよう。心配せずとも、君にひどいことはしない。

 おなかは空いていないか」


 子供の扱いには慣れている。村では子供たちのお守りをよく任されていたから、なんともない。

 私は屋台で適当に食べ物を買い込み、宿にその娘を連れ込んだ。


 焼き鳥串と水をその子に与えている間、私は古着屋で適当な衣服を買った。店の主人には訝しげな目で見られたが、仕方がない。

 あの娘が着ているものはあまりにもみすぼらしいし、奴隷丸出しなのだ。『使い捨て奴隷〈ディスポーザブル〉』として扱わないのなら、多少はまともな服を着せてやる必要があった。

 数日ぶんの衣料を買った私はそれらを袋に入れて、宿に戻る。

 なるべく近場で買ったが、念のため急いで部屋に入った。


「!」


 ノックはしたのだが、娘は食べ物に夢中になっていてそれに気付いていなかったらしい。扉を開けた私に驚いて、硬直している。


「驚かせてしまったようだな、すまない。服を買ってきたから、後で着替えるといい。

 女の子なのだから、少しは綺麗にしないとな」


 しかし娘は頷くだけで、特に何か言うことはなかった。

 恐らく自分から望んで奴隷になったわけではないのだろう。何か彼女にとって抗いがたい力で無理やり、そうさせられたに違いない。

 でなければ誰が脱走など企てるだろうか。誰がその日限りの命になろうか。


 私が買ってきた服を部屋で整頓していると、娘は入り口のほうへこそこそと移動していた。

 おっと、いけない。

 ここで逃げ出されてしまっては何の意味もない。彼女はまた、よからぬ輩に捕まってしまいかねない。

 私はすっと立ち上がると素早く彼女に近づいて抱き上げた。


「わふっ」


 娘は驚いたようだが、軽く肩に担ぎ上げてやると大人しくなった。


「どこへいく。ここにいなさい」

「あの、お、おトイレ」


 娘が消え入りそうな声で言うので、宿の便所に案内する。一人で大丈夫だというので、トイレに入るところまでを見送った。

 一応、トイレの窓から逃げ出そうと思えばできるだろうが、子供が一人で窓に上るのは難しい。そこまで心配はいらないだろう。

 しばらく部屋で待つと、娘は戻ってきた。逃げ出しはしなかったらしい。


「その足輪アンクレットも気になるが、まずは名前かな。

 私はスム・エテスと云う。君の名前もよければ教えてもらえまいか」

「……ジャク」


 細い声で、娘が名乗る。ジャク、というのが偽名なのか本名なのかはわからない。

 が、別にどちらでも構わない。私はそうかとこたえながら手を伸ばし、軽く彼女の頭をなでた。


「君はもう、使い捨てられる心配はない。また、恐ろしい目に遭うこともないだろう。

 明日は少し出かける用事があるから、今のうちに寝ておきなさい」


 私は、怖がらせないように軽く微笑みながらそう言った。まだ夕方にもなっていないが、娘は疲れているだろう。

 それから窓の外を見やる。


 魔物たちが攻め込んでくる可能性が減ったわけではないのだ。使い捨て奴隷の一人や二人を救っている場合ではない。

 大いなる邪悪を撃ち滅ぼすために、私はここにいる。そのはずだ。王からもそれを期待されていたに違いない。

 だが、今目の前にあるこの小さな命を救うことも重要だと私は信じる。ゆえに、対価を差し出してこの子を買い上げたのだ。


「……ね」

「うん?」


 ジャクが私を呼ぶ。かなり小さな声だったが、私を呼ぶためのものだということはわかる。


「どうかしたか。疲れているだろうから、休んでいていい」

「ううん……」


 しかし私の言葉にジャクは首を振った。そのままそっぽを向いてしまう。

 私は再び窓の外を見た。あの奴隷商人たちが、ここを見つけ出して襲撃をかけてこないとはいいきれない。念のための警備だ。

 結局、問題はなかったが。


 翌日の日差しが真南にかかる頃、私はジャクを連れて宿を出た。

 朝から行動しなかったのは、ジャクが目覚めなかったからだ。相当の疲れがあったのだろう。無理もない話だ。


 私はガーデスの役場を尋ねた。

 そこで、奴隷となったジャク・ボリバルという娘のことを訊いてみることにしたのだ。

 ジャク本人に訊くのはあまりにも酷だ。どうせ、ろくな話ではない。それならば、奴隷として最低限の登録はしているであろう役場で訊けばよい。私はそう考えたのである。


「奴隷のことを? 少しお待ちいただけますか」


 役場にいた男は私の体をじろじろと見た後、戸籍や登録申請書などを探しに引っ込んでしまった。

 彼以外にも多数の人間が役場にはいたのだが、私のほうを見ては何やら小声で話をしている。


「あの人は随分裕福な暮らしをしているのだろうか……奴隷がどうのといっていたがあんな小さな子を連れててまだ足りないのか」

「なんて大きな体でしょうか。節制という言葉をしらないのでしょう」


 特に気にするような言葉ではないので、聞かなかったことにする。ジャクは私が買った古着を着ているので、着飾っているとはいえないが、不潔ではない。足輪がなければ奴隷とは見えないはずだ。

 ここまで彼女の手を引いてきたが、どうも足が疲れたらしいので肩に抱き上げている。

 ジャクは軽いので、片手で肩に乗せても全く問題ない。

 しばらくそのまま待っていると、男が戻ってきた。


「お待たせいたしました。こちらでお調べいたしましたが、昨日までにジャク・ボリバルという奴隷は登録されておりません」

「そうか。ここでは『使い捨て〈ディスポーザブル〉』は登録されないのか?

 私がこの子を買い上げたのだから、奴隷だったのは間違いない。ここに足輪アンクレットもある」


 私はジャクの足輪をその男に指差す。若干男の顔が引きつったが、すぐに彼は元の表情を戻した。


「少々、近くで見てもよろしいでしょうか」

「構わないよ。私としては正当な手続きを踏んで、この子を解放したいだけだ」

「承知しました。足輪の刻印をお調べします」


 と言って奥で書類をめくり、ほどなく戻ってくる。

 そしてこう言い放った。


「その足輪の持ち主はダープル・スンという少年となっておりますが」


 少年、というところに彼は力を入れていた。

 ということは、ジャクは正式な手続きを踏んで奴隷にされたのではないということになる。彼女がつけていた足輪はダープルという少年から外されて、この子につけかえられたものだったのだ。

 私は続けて質問をした。


「そのダープルという奴隷の持ち主のことについて、知りたいのですが」

「いえ、それは……。私どもでこの件については上に報告をあげます。こちらで調査しますので」

「ならば、せめてこのジャク・ボリバルが『奴隷ではない』ということを保証してはいただけまいか。

 そのような名の奴隷がいないのであれば、そしてアンクレットの刻印が違うのであれば問題はあるまい」

「いえ、それはお待ちを……」

「何を言っている。そのダープルという奴隷が困っているかもしれないだろう?

 ほら、返すぞ」


 子供の力ではとても千切れないだろうが、私の握力なら簡単にとれる。粗末な足輪はペキンと折れて、その役目を終えてしまった。

 本来外すためのカギがあるはずだが、あの奴隷商人たちは私にそれを渡さずに去ってしまっているのである。『使い捨て〈ディスポーザブル〉』なのだから足輪を外す必要などないと考えたのかもしれないが。


「あっ」


 ジャクはへし折れた足輪を見てかなり驚いている。

 足輪がなければもう、彼女を奴隷として見るものはいない。

 私は役場の男に、足輪だった残骸を手渡した。彼は恐ろしいものを見るような目でこちらを見ていたが、知らない。

 本当にダープルという奴隷や、その持ち主が困っているかもしれないではないか。明らかな盗品を返して何が悪いというのだろうか。確かに壊したのは悪かったかもしれないが、カギがない以上他に方法がない。

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