約束を果たすために
メリタは軽く息を吐いて、それからゆっくり話し出した。かなり長い話になるかもしれない。
「いや、大した話じゃない。
あの夜というか、魔物たちが大挙してガーデスに押し寄せた夜、私がケウアーツァ王女のお世話になっていたことは知っているな。この顔の傷の手当てをしっかりやってくれて、そのまま王女の私物だっていう邸宅に運ばれたよ。そこでゆっくりしてくれって言われたが、まあ落ち着かないことといったらなかったな。
水が飲みたいっていうのにどれだけ気を使ったかわかるか?」
力なく笑う彼女に、私はそうだなと相槌をいれた。いかにケウアーツァ王女といえども、王族には違いない。まして衛兵という職にあるメリタならなおさら、気を払うことがたくさんあっただろう。
「で、それからあまり休む間もなく例の襲撃だ。私は地鳴りに気づいて起きたんだが、そのときにはもう敵が目の前までやってきていた。
君も見たかもしれないが、大通りに列をなして行進する魔物の群れがいたのさ。私ひとりじゃどうあがいたって何にもできないってはっきりわかったが、あきらめるわけにもいかないから護衛に来てくれた親衛隊の方々と一緒に剣を抜いた。
正直言って、あれほど絶望的な戦いは今までになかったが、自分の力は出し切れたと自負できる。王城に向かう魔物たちの群れに横合いから切りかかって、あとは乱闘だ。残念ながら、周りにいた味方は次々とやられていったが、殺されはしなかった。今思うと不思議だが、あのとき私たちは敵を殺すつもりで戦っていたのに、私たちの味方は誰も死んでいないのだ。骨折くらいはしていただろうが、それも背骨とか頭とかはやられていない。そういう命令がされていたとしか思えないくらいに」
なるほど。私はその話を聞いて、わずかにうめいた。
キコナが言っていたように魔物たちがスリム・キャシャへの復讐心で動いていたとするなら、これはおかしい。別に人間たちを守る必要などないのだから。
あの行進といい、このことといい、魔物たちに誰かが命令をしていると考えられる。それは露骨に怪しいスリムの曾孫リジフ・ディーかもしれないが、あるいは何かの具合で復活した魔王かもしれない。
魔王。過去、スリム・キャシャがガーデスに攻め寄せた魔王の軍団と戦っている。彼は正面から戦わずに策略と知勇で翻弄し、魔王との一騎打ちに持ち込んで敵を討った。
そのとき、死者が出なかった、などという話は聞かない。スリムがつくりあげた義勇軍がおもに魔物とぶつかり合ったということだが、犠牲者が一人もなかったのなら、間違いなくそう記録に残されるはずだ。それがないということは、犠牲がでているということである。
同じ魔物によるガーデス襲撃だが、以前のものと今回の者ではかなり性格が違うと考えられた。
確か我が母エイナもメリタやケウアーツァ王女について「つかまっただけで、死んではいないと思うけれど」と話している。やはり、今回の襲撃は殺戮が目的ではないのだ。
「最後に私一人が残って戦いを続けていたが、そこへ君の母親、エイナさまが来てくださったのだ。そのとき彼女はもう、ケウアーツァ王女と他にも数名の護衛をつれていたのだが、私の姿を見るやすぐに加勢してくださった。バッタバッタと魔物たちを切り殺してな。
今思い出しても痺れるほど、すさまじい剣技だった。苛烈にして典雅、重厚にして繊細というか。うまい形容がないほどの腕前だ。スム、君もたいがいの腕前だが彼女はそれ以上かもしれないぞ。どうしてあんなにすごい方が田舎町に引っ込んでいるなんてことになってるんだ?」
「私が英雄の孫なんだ。彼女は英雄の娘。それも、スリム直伝の剣術を持っていると聞いている。
どうして彼女が田舎町に引っ込んでいたのかは、平和で腕の振るいようがないと考えていたからかもしれない」
エイナ・エテスがいかに凄まじい腕前かは、もう語る必要がないだろう。もちろん、私より強い。
「エイナさまはほとんど一人だけで魔物たちを殺していた。おそらくは私たちの逃げる時間を稼ごうとしていたのだろう。
しかしあのような英雄を一人でおいて逃げ出せるはずもない。死んでもいい、私が加勢する、とばかりに護衛から一人の女性兵士が飛び出していった。
それを見届けて、ケウアーツァ王女が厳とした声で全員に撤退命令を下した。英雄の戦いを無駄にするな、と言い添えてな。私たちはロカリーの村、ここに向かって全員で走った。
そのあと、エイナさまには会っていない。何があったかもわからない」
「ああ、少なくとも母に関して心配はいらない。彼女も無事にガーデスを脱出して、ホリンクにいる」
「そうなのか。それはよかった、本当に。
だが私たちはガーデスから脱出することはかなわなかった。逃げ道をふさぐように魔物がどっさりあらわれてな。多少の抵抗はしたが、そこに来たのが例の曾孫、リジフ・ディーだ。奴も魔物に攻撃を仕掛けてくれるのかと思ったのだが、逆だった。奴は魔物と一緒になってこっちに攻撃を仕掛けてきて、全く驚きだ。あの剣術大会後の襲撃で活躍したっていうのはなんだったのか、と思った。
それどころか奴が魔物に指示をだして攻撃させているようなそぶりもみえたから、親衛隊も私も奴さえ殺せば魔物も退散するのでは、というよくわからない思考になって突撃したもんだ。とにかく王女だけは何としても無事で逃がさないと面目がたたないしな。自分が死ぬことなんかどうでもよくなってきていたよ」
「リジフと戦ったのか?」
私は思わず口をはさんだ。
確かにエイナ・エテスの話でも王女の親衛隊はリジフと交戦したことになっていたが、まさかガーデスの市街地にあらわれていたとは。てっきり、人目につかないように城の中で戦ったものと思っていた。もっと詳しく聞いておけばよかったが、あのときは母も疲れていただろうし、思い出したくなかろうと最低限のことだけを聞いたのだった。今更言っても遅い。
「そうだ、東門付近だったと思う。王女は最後まで必死に逃げようとしたが、どこからか飛んできた矢に足を撃たれて倒れたんだ。姿が見えなかったが、ヤチコ・ベナの仕業じゃないかと思う。
王女がつかまって、残っていた親衛隊もみんな抵抗できなくなった。私も一応、盾が持ち上がらなくなるまで頑張ったんだが、ダメだった。
たぶん、ガーデスの中じゃ私たちが一番最後まで抵抗していたんじゃないか。それと派手に行列に攻撃を仕掛けたせいかもしれないが、ずいぶんたくさんの魔物がきていた。よく殺されなかったものだと今でも思う」
「そうだな」
「私たちはそのあと、城に運ばれた。ガーデスの城だぞ。君も何度か入っただろうが、あそこがすっかり魔物に占拠されててな。
リジフはそいつらに対してこまごまと命令をしながら、すっかりガーデスの王城を掌握してしまったようだ。私は見ていないが、王女以外の王族も捕らえられてしまったんだろうな。
私と親衛隊の方々は地下牢にまとめられて、監禁状態。それほど手荒な扱いではなかったがな」
私は頷いた。リジフ・ディーが何を考えていたのかはわからないままだが、奴が魔物とつながっているという確証はとれたといえる。
続きを促すと、メリタはまた少し表情を引き締める。
「そこで王女とは別になったから、ケウアーツァ王女がどうなったのかはもうわからない。私が見た限りでは、死んではいないようだったし、矢傷以外には大した怪我もなかったはずだが。
私は剣術大会でリジフに目をつけられていたので、いたぶられることも覚悟していたのだがな。翌日の昼にはキコナが面会に来たんだ」
「何?」
そこで私は一番驚いた。キコナがメリタに。
キコナ・ヨズ・セケアは私に助けを求めていた。リジフが害してくるから保護してくれと言っていたはずだ。そして、我が母もキコナは「おそらく捕らえられた」と証言している。なのに、どうしてつかまったメリタのところにキコナが来れたのか。
「ああ、義足を引きずってな。約束があるから私を助けると言って、牢から出してくれたのだ」
「義足だって。メリタ、キコナは怪我をしていたのか」
「彼女も襲撃に巻き込まれたのかもな。左腕は吊っていたし、右膝から先は義足だった。それ以外にさしたる怪我はないようだったが、それでよく私に面会なんか来たと思ったし、どうして私を助けてくれるのかもわからなかった。ただ『約束だから』としか言わなかったからな。
とにかく彼女の助けで、私はロカリーまで逃れられたというわけだ。比較的安全にな」
なんてことだ。私は顔をしかめて、こみあげる衝動に耐えねばならなかった。
キコナ・ヨズ・セケアは、私との約束をちゃんと守っていたのだ!
それなのに私は彼女を助けられず、ガーデスを離れている。なんとしても、彼女がこれ以上傷つかないうちに助け出し、保護しなければならない。彼女を助けると、私も約束していたのだから。これは、絶対だ。何が何でも、どうあろうとも、せねばならない。
そして本当は、彼女がそのような怪我をする前にそうしなければならなかった。
「スム、どうした」
「彼女の義理堅さと、自分の情けなさに少し憤りを覚えただけだ」
今はこぶしを握り締めることしかできない、自分が苛立たしい。なんてこと!
「スムさまは、誠実にして真面目でいらっしゃいますから。約束を守れなかったことを悔いておられるのでしょう」
いつの間にかやってきていたイリスンがそういいながら、私とメリタの間に入り込んできた。
どうやら少し前から話を聞いていたらしい。
「それはそうと、護衛交代の時間です」
「そうか。では続きは部屋で話そう」
イリスンの言葉に、メリタが私を促す。
だがその提案は即座に却下された。
「ダメです。いくら姉さんでもそれは認められません。私の旦那様なのですよ? いつまで独占しているのですか。
スムさまにはしっかり休んでいただいて、姉さんには私の話を聞いていただきます」
「何? 少し見ない間にそんな関係になったのか」
「そうです!」
断言するイリスン。もちろんそんな事実はない。メリタが見てくるので私は首を横に振り、否定した。彼女は安心したようだった。
私は無意識のうちに、ホッとしているメリタを見てうれしく思っていた。イリスンと私が婚姻していない、ということに安心してくれる、ということは。つまりメリタも私を好ましく思ってくれている可能性がある、ということだからだ。
あの夜、母に妙なこと(本命の女はいったい誰なのか)を聞かれて考えたせいだろうか。メリタのことを意識してしまう。
だがそういう考えもすぐに消えた。キコナに対する罪悪感と自分に対する憤りが、それ以外の考えを吹き消してしまうのだ。
「ああ、すまないが話の続きはまたあとで聞きたい。少し、一人にしてくれないか」
私はボック姉妹と別れて、休息をとるために宿の中へ入った。




