お約束ですから
私はスム・エテス。田舎出の男である。よって、都会の情勢にはあまり詳しくない。
それがある事情によりどうしてもこの首都ガーデスに来なくてはならなくなってしまった。その事情も終わった今、ここに留まる理由は特になくなったわけだが、しかしこのまま父母の元に戻ろうとは思っていない。
仮にそうしたところで今度は父母から叩き出されるだろう。あの二人は国の危機を知って何もせずにいるような輩を息子とは認めまい。
特に果断な母親のエイナ・エテスは。
私はつまり、正義のためにここに留まらなければならないと判断した。
しかし、都会にしてはこのガーデスの道幅は狭い。私が横に三人も並べば、道幅が一杯になってしまうだろう。
「そりゃあ、あんたみたいに体がでかけりゃそうなるだろうよ」
と、金物売りの男が私に言った。
ここは大通りであり、道の両端には金物屋だけではなく、果物屋、魚屋など出店がいっぱいに並んでいる。
「あんた用の鍋もあるんだがね、買ってくかい」
彼は大きな寸胴鍋を掲げて、ニヤリと笑ってみせてる。
私は小さく手を振ってそれを断り、通りを歩き始めた。
国の危機を救うべくさらなる情報を集めようと、裏通りにまで足を伸ばしていると、私の身体に何かがぶつかってきた。こちらには衝撃がほとんどなかったが、ぶつかってきたほうは吹き飛んで跳ね返ってしまった。その場にひっくりかえっている。
しかしそれは申し訳なさそうな目を私に向けた後、すぐさまとび上がって跳ね起き、その場から逃げていってしまう。年端もいかぬ、小さな少女だった。
あまりにも虚弱で、弱弱しい姿。少しつまんだだけで折れてしまいそうな両足をもって、必死に走っている。
「あれは、ディスポーザブルか」
思わず私はそんな言葉を口にした。
ディスポーザブルというのは、奴隷の中でも最も悲惨といわれる種類のものだ。一夜の快楽のために『使い捨て〈ディスポーザブル〉』にされる、そういうものなのである。人間としての尊厳、命の自由までもを奪い去られてしまった奴隷だ。
そんな使い捨て奴隷の外見は、およそ貧困というものの体現であることが多い。今私にぶつかり走り去った彼女の姿が、まさしくそうだ。
それに、その右足には足輪がついている。がっちりと皮膚に食い込むように取り付けられたアンクレットは、彼女が奴隷であることの証だ。さらにいえば、そのアンクレットはその子の脚に馴染んでいるとは言いがたい。まだ奴隷に身を落として間もないのだろう。
私は彼女のことをそれとなく見送った。が、彼女はすぐに地面に足をとられてこけてしまう。
地面を引っかくようにしてもがき、起き上がろうとする少女。だが、うまくいかないようだ。見かねた私は手を貸すことにした。
ゆっくりと近づいて、彼女を立ち上がらせる。
「おい、そこのデブ。何をしてやがる」
冷ややかな声が私に浴びせられる。少女の声ではない。
背後からきたものだ。
「私のことか」
振り返ってそう応えてみれば、体格の良い五名の男。こんな小さな少女一人を追うにしてはいささか大げさともいえる人数である。
何があったのかは知らないが、デブといわれてあまりいい気はしない。
「そいつをこっちによこせ。大事な商品なんだ」
なるほど、そのとおりであろう。アンクレットを見る限り、この子は奴隷である。商品といえるだろう。
しかし、この子は怯えている。それはそうだろう、何しろ『使い捨て〈ディスポーザブル〉』である。このまま彼らに連れて行かれてしまっては、人生が閉ざされてしまう。希望はない。
だが彼女が商品であるというなら当然にして、対価が存在するはずだ。
「なるほど、いい商品だな。買い入れ先は決まっているのか?」
「そんなことはどうでもいいだろう、とっととしろ」
「随分乱暴だな。私はお前たちの不手際で逃げ出した奴隷を保護しただけではないか。感謝の一つもないとはな」
私はそう言って、足元にいる女の子を抱き上げた。バタバタと暴れて逃げようとするが、「大丈夫だ、安心しなさい」と声をかけて落ち着かせる。
「待て、お前たち。あんた、そいつをお買い上げか」
男たちの中から、一際身分の高そうな男が前に進み出てきた。私がカネを持っていそうだと判断したのかもしれない。
私としてはただの田舎者なのであって、特に裕福な身分というわけではない。特段の貧乏というわけでもないが、路銀に余裕はなかった。勿論、性奴隷の中でも極めて特異、金持ち用である『使い捨て〈ディスポーザブル〉』を買い上げることなど不可能である。
『使い捨て〈ディスポーザブル〉』は買い上げられたが最後である。その一晩で命が終わる。金持ちの快楽のために、死ぬということが決定付けられている存在だ。自らの人生どころか命まで投げ出した者であり、その対価は大きい。貧しいものの中には稀に、やむにやまれぬ事情によって自ら『使い捨て〈ディスポーザブル〉』に落ちる者もいるわけだが、その全てにもれなく悲劇が待っている。
こうした数々起こる惨劇をいちいち食い止めようとするだけの権力は私にはなく、慈善の精神だけで世の中全ての悲しみを止められると思うほど高潔な心を持っているわけでもない。だが、この腕の中にいるこの子を目の前の男たちに渡してしまうことは、私にはためらわれる。
「これで足りるかな」
私は腰につけていた短剣を取り外して、相手に渡してやった。
紛れもなく、本物のスリム・キャシャが使っていたという武器であり、この国の誰もが欲しがる垂涎の品だ。エイナ・エテスに譲り渡したという本人ゆかりの品であるが、そうでないとしてもその鞘につけられた装飾はそれだけで『使い捨て〈ディスポーザブル〉』の代金としては足りる。
「ほう、こりゃいい品だ……。お買い上げどうも。お前たち、そいつを送って差し上げろ」
身分の高そうな男は短剣を吟味するとすぐさま懐に仕舞いこんだ。どうやら目利きができるらしく、価値に気付いたのだろう。
しかも自分はさっさと後ろを向いて帰る体勢になりながら、部下たちはちっとも私を解放する姿勢ではない。
「お気に召さなかったか」
「とんでもない。両方手に入れるためには仕方ねえってことだ」
「とんだ悪党だな」
私は彼らの返答を聞いて、ため息を吐いた。それから、前に進み出て右手を突き出した。