王様には秘密です
「君は素晴らしいな。まさかメリタ嬢を相手に圧倒的だとは。
ほんの一瞬で、何が起きたかも悟らせずに叩きのめすとは。女相手でも遠慮なしか、君はすごいな」
手放しで褒めちぎってくるヒャブカ将軍だが、私はそれほどのことをしたつもりがない。
確かにメリタの突進は昨日の襲撃者などに比べるとよほど洗練されており、鍛錬していることがうかがえるが、まだまだ。真の達人はあの程度ではない。メリタにも伸び代はあるだろうし、このくらいの手合わせではわかるまい。
「お話に戻っても?」
ひとまず要請にはこたえた。話の続きをするべきだろう。
だが、ヒャブカ将軍は笑みを崩さない。葉巻をくわえたままで実に嬉しそうにしている。
「いや、見込みが違っていなくてよかった。君が強いということは見ただけでわかるのだがな、ガーデスではどうしてもそれを他人に説明するときには実績が必要となるのだ。私がこの目でしかと見たという、な。
君が一撃でのしてしまったメリタ嬢は、隣国から剣の腕をもって渡ってきた女傑でな。ガーデスの剣術大会で3位に入ったこともあるのだ。
それを一撃で倒したとなれば、王も君の力を認めざるを得まい。これで王には目を覚ましてもらえるだろう」
どうやら私の力の証人となるつもりらしい。
一目見て私を怠惰と切り捨てた王に対して、この事実をもって諫言するつもりかのかもしれない。ヒャブカ将軍は王のシンパという話だったが、ただのイエスマンではなく彼の悪いところに対しては容赦なく指摘する、真に王のためを思う忠臣であるようだ。
「今の王は先代より多少過保護にされて育っているゆえ、自らたのむところが大きく傲慢になっている。
自分の判断が全てと考えて、今や彼の周囲には彼の意見に賛同するものしかいられない有様だ。だからああもあっさり君を追い出すことができたのだろう、君が鍛えた身体であるということは少し目の利くものが見ればわかるというのにな。
とにかく、これで君はもう一度王に対して謁見できるはずだ。
そのときには恐らくもう一度誰かと手合わせすることになるだろうが、そこで実力を見せれば問題ない。君はスリム・キャシャの孫として扱われる。
ジャク・ボリバルを取り上げようとする輩も現れないだろうし、グリゲーのような小物は君に手を出せまい」
なるほど、ヒャブカ将軍は私の名誉をも回復させようとしてくれているらしい。確かにこの案に乗れば、ジャクの安全は保証されるだろうし、私も王のおぼえがよくなり、厚く遇されるだろう。
しかし、グリゲーはどうなるのだろうか。彼らをどうにかしないことには、ジャクのような被害者が増えるのではないだろうか。
私はその点を質問する。グリゲーという役人は罷免されるのか。
「それは、今すぐには難しい。グリゲーはこのガーデスの中枢に食いついている獣だ。王にも様々な利権団体と絡んで食い込む勢いを見せている。
ゆえに直ちに解任はされないだろう。小物ではあるが、保身には非常な知恵を見せる輩なのだ。
我々も表から裏から手を回しているが、うまくはいかん。なかなか難しいところだな。
だが君の身の安全と栄達は保証しよう。ジャクのことも通達しておくので、彼女のことも心配しないでよい」
「私の安全などは必要ありません、将軍」
私ははっきりそう告げた。
少し私なりに考えた結果だが、むしろ王には私のことを低く見ていてもらったほうが都合がよさそうだ。
過剰に祭り上げられるよりは、全て親の欲目であったということにして、ただのデブであるということにしたほうがよい。そのほうが行動に自由がきく。
そうしたことをヒャブカ将軍に伝えると、彼は驚いたような目をした。
「言っていることはわかるが、なぜ栄誉を手にしない? そして行動の自由を手にして、君はなんとする」
「私はこの国を愛しているのです、将軍。母は私に、この国の危機に際して立ち上がる戦士になるようにと言い聞かせてきました。
男子たるものはそのようにあるべきだと私も思います。
つまり、グリゲーや奴隷証人のような連中に無辜の民が害されることのないようにしたいのです」
「ジャク・ボリバルを通じて君はそうしたことを思ったのだな。結構なことだ。
では具体的に、どのようにされるおつもりかな」
「将軍は清濁を併せ呑める人物であるとうかがっております。私のしたいことも理解してくれるものかと」
「ふむ」
将軍は唸り、それから部屋に戻っていってしまった。
私はすることがなくなってしまう。仕方がないので、メリタの様子を見に行くことにした。
侍女に居場所を訊ねてみると、別室で簡単な治療をしているとのこと。面会についてはなんとも言われなかったので、ノックをしてから部屋に入ることにする。
「ああ、君か」
メリタは壁に手をついて、腰を軽く叩いている。どうやらひねってしまったらしい。
自分がやったことだと思うと、少し申し訳ないと思う。
「すまない。具合はどうだ」
「直接叩かれたところはなんともないが、腰がちょっとな。ちょっと痛む」
「診てみようか? そこへ寝てみてくれ」
「君がか。何か骨接ぎの心得でもあるのか? 変なことはするなよ」
そんなことを言いながら、疑う様子もなくメリタは長椅子の上で横になった。うつ伏せで、こちらに目をやってくる。
「ほら、診るなら早くしてくれ」
「わかった。あの倒れ方だと、このあたりが痛むのか?」
私は彼女の衣服を少しだけまくり、腰に触れる。メリタはうっと呻いて、頷いた。
「う、うむ。そこだな。湿布でも貼ってくれるのか?」
「お望みならそうしよう。うまくいけば多少は痛みがおさまるが、しばらく安静にしているほうがよさそうだ。
おそらく、捻挫しているので一週間は」
「そんなにかかるのか?」
「そうだ。無理をしないほうが良い。じっとしていればちゃんと痛みはおさまるはずだ……」
と、そこまで言ってからヒャブカ将軍の言葉を思い出す。
「メリタ、君は剣をもって隣国からきたらしいが。なぜ衛兵などをしているのだ。
剣術の大会で入賞するほどの腕であるなら、もっとよい職につけるのではないか?」
「剣は振るわねば錆びつくであろう。衛兵というのはそれなりに緊張感のあるいい職なのだ。
それに、剣を持たぬ民と直接かかわることも多い。今度のことも私がいなければ君は危うかっただろう。いざともなれば力でなんとでもなったかもしれないが、その場合君はガーデスに居辛くなったのではないか。
こういうことがあるから、私は衛兵を選んだのだ。君という人に会えただけでも、今まで衛兵をしていた意味はあったかもしれない」
言いすぎだろう、というくらいにメリタは私を買いかぶった。
「追従などいらぬよ。随分痛い目に遭わせたな、私にできることがあるなら何でも言ってくれ」
「これは私の未熟ゆえのことだから、君に何かしてもらおうなどとは思っておらぬ。
一週間休んで、それからまた働くだけのことだ。その間のことも、このような立会いに至らせたヒャブカ将軍に責任をとらせるつもりでいるから、君が心配することは何もない」
「そうか」
「謝る必要もないぞ」
そう言って笑う。先に言われては、どうしようもない。私は彼女の腰に薬を塗った湿布を貼り、軽く包帯を巻いてやった。
「これでよし。もしも一週間ヒマならジャクを預かってはくれまいか。
実のところそれほどカネに余裕がない。少し稼ぎに行く必要がある」
「なんだ、それなら王からふんだくればいいだろう。ヒャブカ将軍が口ぞえすれば、問題ない」
「いや、陛下にはしばらく、私が愚鈍であるように偽装したい。そのほうが都合がよいと思える」
「ふむ」
メリタはしばらく考えていたようだが、「なら」と声をあげる。
「ジャクは私があずかってもいい。一週間くらいならヒャブカ将軍もガーデスに留まっているだろうからな。
君は妹を連れて行くといい。私ほどではないが、それなりに腕もたつ」
「妹? さっきジャクを連れて行ってくれた侍女のことか」
私はメリタと少し似ていた侍女を思い出して、そういった。
「ああ、彼女だ。知っていたのか?」
「いや、君と面影がな。しかし私は金を稼ぎに行くのであって、護衛などは必要としていないが」
「何を言っている。君が一週間もの間、ただ日銭を稼ぐだけで終わるはずがない。
それに、グリゲーたちが君を狙ってこないとも限らないわけだから護衛は必要だろう。いかに君の腕が立つといってもな。
ヒャブカ将軍の雇った侍女はそのぶん減るわけだが、自業自得だから勘弁してもらおう」
長椅子に寝たまま、そんなことをいう。
私はふと、気になったことを訊いてみる。
「君は随分将軍に対して物怖じしないが、彼とはどういう関係なのだ。
どうも、ただの知り合いというわけではないな」
「将軍と、というよりも彼の奥方と色々あってな。古い付き合いなのだ、妹も。
イリスン、そこにいるのはわかってる。入って来い」
メリタが呼びかけると、扉が開いた。にっこり笑った侍女と、彼女に抱かれたジャクが入ってくる。
「ご紹介に預かりました、イリスン・ボックです。姉のご指示とあれば、ご同行させていただきます。
どうぞ、この身をいかようにもお使いください。英雄の血筋をおひきとあらば、夜のお相手も喜んで務めさせていただきます」
招き入れられた侍女はそんな自己紹介をしたが、メリタは腰の痛みも忘れて上体を起こし、真っ赤になって怒鳴り返した。
「何を馬鹿なことをいっているんだ!」
「姉さん、これはチャンスです。あの強烈な張り手。彼は必ずや希代の英傑となりスリムに次ぐ名声を得るでしょう。
その彼の第一夫人となれば贅沢し放題です! そのためには純潔の一つや二つ、安いものでは」
どうやらイリスンはかなり現実的な思考の持ち主らしい。
私は軽く首を振って「そっちは間に合っているからいい」といったのだが、あまり聞いているようには見えなかった。




