とある少年サッカーコーチの見解
初投稿です。
よろしくお願いします^^
となるサッカーコーチの見解
人間の個性ってなんだろう? 生まれ持ったもの何だろうかを考えてみることもあるけど、小学生のサッカーチームを指導している立場として経験則としてそれは違うなぁと思う。現実的な話、親の教育方針というものはある。
子供って、自分のことを子供だと自覚している子は、親からそういう教育をされていて、多くの子供は、俺は俺、僕は僕だと思っていて、セルフイメージも十人十色だ。だから私が彼らを子供だと思っているとコミュニケーションに違和感が生じて巧く成立しない。
私は彼らの前で自称を私と言う。最初は私というのは女言葉だという言われもあるらしく、笑われることもある。しかし、指導者は時に同じ時間を過ごしながら、一線を引く必要がある。彼らの中にリーダーシップを発揮できる個性の中から、暴走が始まることがあるからだ。暴走とはチームの方針に逆らう、自分たちの気持の良い状況を作ろうとする、破壊行為などがある。彼らにとって社会の集団として生きる経験は精々幼稚園、保育園、小学校で、いわゆる大人の言うことに従うことで生きてきた感覚があり、個々の判断に任せることは難しい。要は、ルールという見えないものを守る意識が少ない。
私は彼らを上の名前で呼ぶ。下の名前で呼ぶこともあったが、距離が近づく分だけ、甘えを誘発してしまう。曰く、分かってくれない。結論から先にいうと80人近くいる人格の満足度をそのレベルまで上げることはできないし、サッカークラブはそういう目的で運営していない。日本サッカー協会の発展と健全な人格の育成を目的に設立している。
サッカーの指導をする上で、成立したな。と思う時がある。そんなもん常に成立しとけと言われそうだが、私の成立の話を聞いてからにしてほしい。選手の状況を把握・理解する。選手も無自覚な時もあり、それを指摘する。それに対して要求をする。メリットも説明をする。選手が納得をする。プレーが変わる。選手がスキルを習得する。選手が忘れた時に確認する。「覚えてるか?」と。そうやって約束が増えていく。多くて10個くらいだ。そうやって選手達は戦術的に動くようになり、チームとして機能する。
オランダの風土は12歳までは自由にやらせるのが主流らしい。楽しくやらせてサッカーを好きになってもらって、もっと巧くなりたいと自主的に成長していく狙いだ。
指導が成立しない場合がある。それは選手の持つ独断と思いだ。自分より巧い奴の邪魔をする、自分の思い通りのポジションではないとモチベーションを下げたり不満を持つ、誰か嫌いな奴がいる、人を馬鹿にする陥れることが好きだ。などなど。
ほとんどサッカー以外のところで露出する思いの形。それは生まれつきだろうか? きっと価値観の不一致であったり、欲求の不満であったり、性分であったりすると思う。それならば、その辺りを再構築して頂ければ、どうだろうと思うが難しい。
職場のように、仕事だろう! の言葉が通じない。




